2008年12月31日水曜日

大晦日

今日はお日様が出てすがすがしいものの、風の強い大晦日でした。
 
お昼過ぎに大晦日の買い出しに。
日本食の食材屋さんでお米、かまぼこ、はるまき、などなど買いました。おせち料理なども売っていて、高いお金を出してネット注文した私としては「来年はここに買いにこよう」という感じ。一月からまた化学療法が始まるので、しょうゆなども買い足ししておきました。
 
その後は近くのスーパーへ。今夜作るてんぷらのネタとお寿司のネタを買いに行きました。車から一歩でるとすごい風。カツラをとばされまいと、手を頭におきながら駐車場を歩きました。 今日は水ボトル24個入りを買ったのですが、これが重い!右手が上がらない私にとっては、カートへの出し入れがひと苦労でした。それから車の運転がまだうまいように行きません。左手は自由に動くので、片手運転しています。右手をハンドルに添えるようにしているのですが、しばらくすると腕が重痛くなり、横に置いておく状態。ギアをいじるのも一苦労です。
 
今日は母が日本から送ってくれたそばを煮て、てんぷらを作って食べました 年越しのパーティーなども参加せず。 家族だけでのんびりの年越しです。


日本では14時間前に新年が明けているので、こちらの夜8時ごろ、日本時間の10時ごろに日本の家族に電話を入れました。 自分は闘病生活だけれど、家族がみんな元気だというのは、強い心の支えになります。


今年は告知を受け、人生の大きな節目となりました。
いろいろな事を考えさせられ、これからの自分の人生について深く考える機会となりました。
でも悔いの残らぬよう、前向きに頑張って行きたいと思います。


みなさまも良いお年をお迎え下さい。


2008年12月30日火曜日

メンタルクリニックへ

11月にレファレンス(紹介状)をもらい、今日メンタルクリニックへ行ってきました
    
今日会った精神科の先生はフィリピン人の女医さんでした。フィリピンの医学部を卒業し、内科医として働いていましたが、アメリカに来ることになり精神科のレジデンシーをこちらでやったそうです。
         
オフィスにはゆったり座れる椅子と長椅子が置いてあり、どこに座ってもいいですよと言われたので長椅子に腰掛けました。
          
要は11月に鬱状態になったことと、頭がなんとなく疲れて日中も眠く、何もなる気が起きないことを相談にいったのですが、結局子供時代の話から告知のことまで、自分のこれまでの人生をかいつまんで話すことになりました。
   
セッションの最後にあまり強くない抗鬱剤を処方してくれました。

まずはこれを試してみて、頭の疲れややる気が出るか試してみよう、というアプローチです。

一日一錠、朝ごはんの後に飲むそう。ただし効き目が現れるのは投与を始めてから2週間後らしいです。3週間後にはまた化学療法が始まるので、化学療法しながらこの抗鬱剤を飲んでもよいか、腫瘍内科の先生に相談してみようと思っています。

2008年12月25日木曜日

メリークリスマス

メリークリスマス!今年ももう終わりですね。みなさんにとって来年も良い年でありますように!
上の写真は ご近所のクリスマスライトです。凝っている家は、かなり豪華なデコレーションをしています。

アメリカも日本より一足遅れてクリスマスを迎えました。
夫の姉と妹家族がやってきてくれました。
 
妹家族は昨日夜遅く(というか午前の一時過ぎ)についたようです。私を娘は既に床についていました。
 
今日の朝は私も起きたのは朝11時ごろ。みんなも遅く起きたようです。
子供に「サンタさんは来たかなあ。下に見にいこうか」と言うと真面目そうに「うん」いう返事。
下に言ってまずは昨夜サンタさんのためにテーブルに出しておいたヨックモック(母が送ってくれました)のクッキーをチェック。私が昨夜、娘が寝た後に食べておいたので袋が破れて中身がなくなっています。
「あ、なくなってるね。サンタさんが食べたんだよ。ほら、プレゼントもツリーの下に!」
と言うと娘もツリーのほうをふりむいて赤い包装紙に包まれたプレゼントをみつけました。
娘は「あー!」と一言。
そしてすぐに開きたいと言いますが、「みんなでプレゼント開くから、ちょっと待とうね」と言うと、聞き分けよく「うん」という答え。
 
昼過ぎにターキーを焼きはじめ、プレゼントをひらきました。
娘はサンタから希望のおもちゃをもらえて大喜びでした。
 
それから他の料理をみんなでつくり、食べたのは3時ちかく。
それから外出もとくにせず(クリスマスの日は、映画館ぐらいしか開いていません)、大人はみんな夕方ごろまで昼寝。私も2時間ほど寝たでしょうか。
 
夜はお昼の残りを中心に食べ、「The Temptation」という映画をテレビでみながらみんなでぐうたらに過ごしました。
 
娘はいとこのDと遊んでもらっておおはしゃぎ。
何も特別なことはしないけれど、家族そろっての良いクリスマスでした。


妹家族からもらったプレゼント。さっそく遊んでいました。

サンタさんからのプレゼント。ウォールマートのチラシで見て、このキャラクターのおもちゃが欲しいといっていました。上のトンネルのオモチャと同様、アメリカで人気のアニメキャラクターのオモチャです。

2008年12月23日火曜日

やっぱり言えなかった

昨日はやっとクリスマスカードを書きました。
今年は既にカードを送ってくれた人と、特別な友達だけに書きました。
 
実は私は家族以外、日本の友達に病気のことを知らせていません。
 
今年の春、遠くに引っ越した友達がいます。
同じ日本人で、国際結婚で、同じ年で、子供も同じ年。
子育てを一緒に楽しむ、何でも話しができる仲でした。
いつも「健康だったら何でもできる。健康が一番大切だねー」なんて話していました。
 
彼女からクリスマスカードが届き、本当は病気のことを打ち明けようと思っていました。
でもいざ、カードを書こうとすると戸惑いが。
結局病気の事は書かず。
 
どうして友達に病気の事をカミング・アウトできないだろう、と考えてみました。

告知されたことで、自分が「負け組み」に入ってしまった思い。
そして、その事を友達に打ち明ける「いさぎよさ」がまだありません。
 
来年、治療を終えて帰国する時には、友達にカミング・アウトしようと思っています。
  
そして「負け組み」でも、生きている限りは「敗者復活戦」に参加可能です。
   
いろいろとハードルはあるけど、これからが闘いの始まりです。

Dr.C からの電話

今日8時半ごろ、Dr.Cから電話がかかって来ました。
私はまだ床の中でした。寝てたのがばればれで、Dr.Cには「起こしちゃってごめんなさい」なんて言われてしまった。
 
電話は昨夜行われたキャンサー・ボードの件でした。
いろいろな科の先生が集まって検討した結果、これからの治療方針は:
1)タキサン系抗がん剤による術後化学療法
2)放射線療法
3)ホルモン療法
に決定ということです。すべて想定内の治療方針でした。
  
  
昨日チューブを抜いてもらい、だいぶ楽になりましたが、やはり回復中の体は疲れやすいです。
今日も朝から午後4時ぐらいまで、長椅子に横になり長い昼寝をしました。
 
夕方は外食に。それからモールを夫と娘と一緒に少し歩きました。偶然昔の同僚とバッタリ。立ち話などしました。
 
明日はクリスマスイブ。親戚が来るので、家の掃除に買い物に。。。すこしどたばたしそうです。

2008年12月22日月曜日

最後のチューブが抜ける

今日は病院へ。
まずはインフュージョン・センターに行き、ポートをフラッシュしてもらいました。
いつもは生理的食塩水とヘパリンが入るとき、変な味がして気持ち悪くなります。
私は看護士さんが採血など行うとき、一部始終ずーっと見ているやな患者です。
でもフラッシュに対して偏見があるので、今日は目をそむけていました。
そしたら生理的食塩水もヘパリンも、入ってきたのが全然わからないくらい、すんなり終わりました。
気持ち悪くなるのは精神的なものが大きいのかな、と思ったりしました。
 
そのあとブレスト・クリニックへ。
Dr.CがDr.Wをつれて診察室にやってきました。
傷口の様子などを見てくれて、順調に治癒しているとのこと。
それで最後のドレイン、右胸に入っていたのを抜いてくれました。
術後二週間と一番長く入っていたので、抜くとき他のチューブと比べて一番痛かった。
でも抜いてもらったあとは、チューブが出ていた右脇がすっきりし、右腕を動かすのも多少楽になりました。
 
これでチューブなしでクリスマスが迎えられます。
それからシャワーもオッケーとなりました。
あとは右腕のリハビリで、なるべく腕を動かすようにとのこと。

私の症例は今夜のキャンサー・ボードにかけられるそうです。早ければ今夜、遅くても明日の朝、Dr.Cが今後の治療方針についてキャンサー・ボードで決まったことを電話で連絡してくれるそうです。
 
私がリンパ節の転移と、Extracapsular extension (がん細胞がリンパ節の殻をやぶって、外の組織に浸潤している状態)のあることが心配であることを言うと、Extracapsular extension についてはそれほど心配しなくてもいいでしょうとのこと。そして
「外科的には見える癌は全て取り除きました。マージンも陰性だし、今の段階ではあなたはtumor-free (腫瘍がない状態)ですよ」と言ってくれました。」
ステージIIIなので、再発の危険はまとわりつきますが、こう言ってもらって少し嬉しかったです。

治療は続きますが、ずっとtumor-freeでいられるように頑張ります。

2008年12月19日金曜日

友達とランチ

今日は学校の最後の期末テストの日。
友達とランチに行くため、テストが終わる12時半ごろに学校に行きました。
まだドレインのチューブが抜けないので、夫に車で学校に連れて行ってもらいました。
 
学校の前や廊下でクラスメートの子達と会い、ついつい話こんでしまった私。
ランチを食べに行くグループの子達と学校で会いそびれてしましました。
でも友達に一人が連絡を取ってくれて、ランチをしているインディアン・レストランまで車で連れて行ってくれたのでラッキーでした。
 
体のほうは外出して友達と楽しくランチするようにまで回復したのですが、まだ術後の傷が痛みます。
左右の胸部は皮膚感覚がほとんどなく、右腕はたえず重い感じです。
右腕は肩までも上げることができません。右脇の傷は未だにヒリヒリと痛いときがあります。
 
2-3ヶ月後には自由に右腕を使うことができるのだろうか。
このまま腕が固まってしまったり、しないかな。
などと考えてしまいます。
 
ラインが終わり、夫が迎えに来てくれました。子供のクリスマスプレゼントを買いにおもちゃ屋に行きました。それから家に帰って30分ほどのんびりしたあと、子供を迎えにデイケアへ。その足でモールに向かい夕飯を食べてきました。
 
家に帰ってきたのは7時半ごろ。なんだかとても疲れていて、長いすで3時間ほど寝てしまいました。思えば友達と外出したのは術後はこれで初めて。知らないところで疲てしまったのかもしれません。

2008年12月18日木曜日

病理検査結果

今日はチューブを抜いてもらいに病院へ。
  
やっと今日でブラブラしているドレインとおさらばと思いきや、抜いてもらえたのは左胸と右脇の2本だけ。右胸のチューブは昨日の時点で30ml(30ml以下になればドレインが抜いてもらえます)だったので、念のため残しておくということ。月曜日には抜いてくれるそうですが、それまでもう少し我慢。でも2本抜いてもらうだけで、動きも取りやすくなり、生活し易くなりました。
 
チューブを抜いたあとは病理検査結果が待っていました。
詳細は省きますが、主な点は以下のとうり:
1)右胸
   原発巣は2.6cm
   浸潤性の病変の他に、非浸潤性(DCIS)も見つかりました(全摘してよかったです)。
   リンパ管浸潤(+)
   その他、乳腺線維腺腫やシストをはじめ良性ではありますが異常がいくつかみられました。
2)右脇下
   リンパ節転移あり(2/9)
3)左胸
   異常なし

ということで、術前化学療法のおかげでステージがIIIAからIIBにダウンステージしました。ただし治療は年齢や病理結果を考慮して「高リスク」として行われます。来週これらの結果が「キャンサー・ボード」にかけられます。これは外科、腫瘍内科、放射線科のお医者さんから構成されるグループで、症例の検討会です。キャンサー・ボードにより術後の治療方針が決定されます。Dr.Eの話だとリンパ節転移が認められるので、放射線治療は免れないだろうとのこと。
 
はっきり言って、放射線治療って個人的に一番いやな気がします。。。でも癌だからしょうがありあせん。低リスクのケースでもないし、全てできることやるのが「闘い」かなという気もします。
  
でも自分の未来がとても見え難い乳がんという病気、本当に扱いにくいです。
 
数ある疑問も、すぐに答えが出ないし。

2008年12月17日水曜日

診察の予約

今日もしとしと雨が続いた一日でした。

でも気温はそんなに低くなく、家の中で厚着をして歩き回るっていると少し汗ばむくらいで暖かかったです。
 
喉痛もだいぶ良くなり、昨日の夜はよく眠れました。


さて、術後の廃液のほうですが昨日の時点で右胸m30l、右脇5ml、左胸22mlと順調に減っています。今日はブレスト・クリニックに電話をかけ、あす2時にDr.Eとのアポイントを取り付けました。予定ではこのドレイン・チューブを明日取ってもらえる予定です。抜くとき、痛いと聞いていますが大丈夫かなあ。でも一歩進展なので、すこし嬉しい!

2008年12月16日火曜日

風邪と発熱

術後やっと一週間がたつな、と思っていた矢先、ひどい喉痛にみまわれました。
 
日曜日の午前3時ごろに少し喉に違和感があり、薬を飲みに起きたのを覚えています。 そして布団にもどり朝おきると、かつてないほどの喉の痛み。
    
術後の傷もまだ痛みますし、日曜はずっと横になっていました。退院したときに出してもらった痛め止めも服用し続けました。
 
とにかく半端でない喉の痛みでした。唾を飲み込むことさえできず、寝ても30分おきに目が覚めます。 唾を飲み込めないので、下手に唾液が肺のほうに流れてしまっては。。。などと心配もするほどでした。
 
日曜の午後には頭がぼーっとし、起き上がることもできませんでした。その夜は結局長椅子で夜を過ごしました。
 
月曜日になっても体調が全然良くなりませんでした。体は重く、まるで化学療法の副作用のようでした。
夫が新しい体温計を買ってきてくれました。昼に計ったときは101.5度(39度)、午後の2時ごろにはかったら103.4度(40度)の熱。104度になったらERに行くようにとの支持なので、重い体をどうにか起こし、身支度をしました。
 
ERについたのは午後4時前でした。待合室には人が沢山待っていましたが、私が癌患者で一週間前に手術していることからすぐに看護婦さんが看てくれました。そして尿サンプルを提出してまもなく個室へ。
 
喉が痛くて飲み物も飲めなかったので、すぐにIVで生理的食塩水を2リットル投与してくれました。そのときの体温は99.4(37度)にまで下がっていました。おそらく病院に向かう直前、2時ごろ家でのんだタイレノール(市販されているアセトアミノフェン系解熱・鎮痛剤)が効いてくれたのかもしれません。IV投与が進む間、採血したり緊急医療科のお医者さんが入ってきて診察してくれました。喉が真っ赤に腫れているので、おそらくウイルス性か細菌性の喉頭炎で、発熱はその感染からきているでしょうとのこと。
 
でも念のためレントゲン室へつれて行かれ胸部レントゲンを取りました。正面の写真は難なく取れましたが、横向きの写真のとき「両手を思いっきり上に上げて下さーい」といわれ「両胸乳腺切除したばっかりだから、できませーん」という感じでした。結局左手を前に伸ばし、右手はすこし折り曲げて心持ち上にずらしたかたちで取りました。

私がERにいると連絡があったのでしょう、外科の私の主治医のDr.Eが、同じく外科で私の手術にも携わってくれたDr. CとDr.Wを連れて診察室に入ってきました。まずは喉の具合をチェックし、次に手術の傷もみてくれました。傷口は綺麗で、特に感染など起こしてる様子は見られないとのことでした。

後にDr.Wが入ってきて、好中球の値が98%と高くなっていることを教えてくれました。

IVがスタートしてから、寒くてたまりませんでした。毛布を2枚もらったのですが、冷たい生理的食塩水が体のなかに入ってくるので、ブルブル震えました。
 
午後5時で緊急医療センターのシフトが変わり、はじめに診てくれた女医さんから担当が男のお医者さんに変わりました。痛みをコントロールする薬は今日ここでもらっているかと聞かれたので、いいえと答えましした。お医者さんが出て行ったあと、看護婦さんが入ってきてモルヒネを投与してくれました。その後、自然に寒いのが止まり、喉はまだ痛かったけれど少し居心地が良くなりました。
 
連鎖球菌というばい菌が原因の喉頭炎の可能性があるので、それをテストする看護士さんも入ってきました。結果は陰性でしたが、念のためにサンプルを培養検査に回しました。

夜の8時ごろアテンディングの医師が入ってきました。胸部レントゲンも異常なし、連鎖球菌のスクリーニングも陰性だったので、抗生物質は今回は出さずに家に帰してくれるとのこと。その時体温は101.0(38度)と微熱がありましたが、ERに来た時と比べるとかなり具合は良くなっていました。
 
家についたのは9時をゆうに過ぎていました。子供は近所の人がデイケアに向かえに行ってくれ、預かっていてくれました。
  
熱が少し下がったといっても、喉の痛みはあまり変わらず。結局その日の夜は1時間置きに目を覚ますありさまで、かなり辛かったです。
 
一日経って、かなり調子はなりました。病院に戻りたくないので、無理してでも水分補給しています。また昨日(病院にいく羽目になった日)は全く食べれなかったので、今日はスープなど食べるようにしています。
 
夕方はかなり元気も出て、子供の好きなカレーを作って家族一緒に食べました。少し安心。

2008年12月12日金曜日

退院4日目

今日の朝は少し傷口が痛み、一日のほどんどを横になって過ごしました。

現在Vicodinとibuprofenという2種類の痛み止めを交互に飲んでいます。

午後4時ごろ長い昼寝から覚めると、胸のあたりが重いような感じがしましたが、起き上がると普通に動きまわれることができました。

昨日は夫がマグロを見つけてきて買ってきてくれました。アメリカのマグロですから、新鮮度がわからないので生では食べる勇気はありません。かわりに今晩はマグロの生姜煮を作ることにしました。
     
病院内ではおいしい物が出なかったので、食欲もあまりなかったです。術後の初めの食事はスープのようなものが出て、手もつけず。翌日はポテトサラダのサンドイッチとフライドポテトみたいのが出ましたが、食べる気にならず。そのとき「日本のうどんが食べたーい」と強く願望しましたが、叶えられず。。。
   
家に帰ってきてやっと、白米や日本の緑茶など口にできます。やっぱり日本食がいちばん。

744グラムのマグロが、$18.63なりー。

2008年12月11日木曜日

包帯をとる

今日は包帯を取りました。
右腕が自由に使えないので、夫が手伝ってくれました。
 
私の術式は皮下乳腺全摘(Skin-sparing mastectomy)といって、乳腺組織はすべて取りますがなるべく皮膚を残すもの。切り口を最小限にして、掻き出すように組織を出すもので、再建前提の患者に行われる術式です。

でもいざ包帯を取ってみると胸はペッタンコ。故意に皮膚を余分に残した形跡がありません。。。
外科医チームは形成外科医と考え方が違うので、「癌細胞をすべて取るのが最優先」と。それには私も同意していました。術前にはDr.Eに「しっかり全部取ってくださいね」念を押したくらいです。
 
でも癌がない右側までもペッタンコとは??外科医にとってはなるべく大きく切り口を入れたほうが楽に乳腺組織が取れます。おそらく形成外科医のDr.Mの薦めた切り方をほぼ無視して切ったのかなと思いました。でも包帯を取って昼寝し、夕方に患部を見てみるとペッタンコというよりは少し陥没しています。これはもしかして余分に残してくれた皮膚があるために中に凹んでいるのかなとも思いました。まずは様子見で、次回の診察時に質問するつもりです。
 
Dr.Eは退院する前に「包帯を取って失った胸を見るのは、患者にとってtraumatizing(ショックを与える)な体験です」と言っていました。私はペッタンコになった胸を見て、結構平気でした。どちらかというと「癌を取ってもらった。これでいいのだ」という思いでした。

痛みは相変わらず右のわきの下がツッパル感じです。それから胸全体と右の上腕に皮膚感覚があまりありません。午後にケース・マネジャーから電話がかかってきたのでこの事を尋ねると、よくあることで完全に皮膚感覚が戻るには数ヶ月かかることもあるとのこと。
 
相変わらずドレインの管もブラブラさせて生活しています。これが取れるまで車の運転もできません。

2008年12月10日水曜日

退院しました

無事に手術を終え、昨夜帰ってきました。
手術日当日の事を忘れないうちに記しておきたいと思います。
 
12月8日、朝3時半に起床。すぐにシャワーを浴びました。特に手術される場所(両胸と右の脇下)は抗菌石鹸で念入りに洗いました。4時半には夫の運転で病院に向かいました。娘は義姉にデイケアに連れて行ってもらいました。
  
病院についたらまずはAPUでチェックイン。病院用のスモッグみたいなのをもらい、着替えました。少し待たされたあと、別の部屋へ。ここでIVを入れてもらいました。それから麻酔科の看護士さん、手術を担当する医師など次々とやってきました。最後の主治医・執刀医のDr.Eが来て胸に切る箇所をマーキングをしてくれました。形成外科医のDr.Oに来てもらってマーキングをしてもらうようにピッチで連絡を入れたそうですが、結局最後まで顔を出しませんでした。手術前に診察してもらった形成外科医のDr.Mが事前にお勧めのマーキングを描いて写真にとってくれて、執刀医のDr.Eにそれを渡してあったので問題はありませんでした。
 
手術前に覚えているのは麻酔科の看護士が「これから眠くなる薬を入れますね」とIVに薬を注入したこと。ほんとに頭がすぐボーっとしてきてその後のことはまったく記憶にありません。手術は7時半から始まる予定でしたが、この部屋にいたとき最後に時計をチェックしたとき7時10分ごろだったので、手術事態は7時半過ぎか8時ごろ始まったんではないかと思います。
 
目が覚めたのは回復室でした。夫と義姉がそばについていていてくれました。おそらくまだ頭がボーっとして眠たかったのですが、部屋に着いたのでベットを移動してくださいと言われ、移動しました。そのとき胸と右脇の傷口がかなり痛みました。ベット移動といっても二つのベットを横にくっつくように並べてくれて、体をずらすだけなのですが、イタイイタイ。でもどうにか部屋のベットに移動できました。
 
ベット元にはお決まりのナースコールができるボタンのついたリモコンのようなもの、そしてひとつPCAと呼ばれる緑のボタンのついたものが置かれていました。PCAはIVのユニットに付いているモルヒネの機械につながっています。痛みがある時に緑のボタンを押すと自動的にモルヒネが投与されるようになっています。基本的に最高で6分に一度(一時間に10回)の投与が許されるように設定してあります。回復室に入った当初は痛みが怖かったので1-2回押したのを覚えています。でも体を動かさずにベットでじっとしてる限り、痛みは我慢できる程度だったので、その後あまり押しませんでした。後ででお医者さんが入ってきたときに「モルヒネもあまり押してないみたいですね」といわれました。看護士には「トイレに行ったりして立ち上がったとき、痛かったら押してもいいんだよ」と言われました。その後は少しでも痛いと押していました。
 
手術する前に「乳腺全的の手術のあとは吐き気がある」と聞かされていました。確かに少し気持ち悪い感じがあったけれど、薬をもらうほどではありませんでした。夕方には義姉が娘をデイケアにピックアップしに行き、7時ごろには病院に連れてきてくれました。そのころには目もすっかり覚めていて、まだ少し疲れているかなぐらいで、普通に話しなどできました。子供とも少し会話を交わし、デイケアで描いた絵の切り抜きを私に渡してくれました。それから今日もらったというデイケアでとった写真も見せてもらいました。
 
IVでの水分補給は続いていましたが、看護士には「できるだけ飲み物をのんで」と促されました。夜8時ごろでしょうか、食欲もなく喉も渇かなかったのですが、水分補給にジュースを飲もうとしました。ジュースを口に近づけると吐き気が。飲んでもいないのに、飲もうとすると吐き気が出ます。それで抗嘔吐剤をIV投与してもらいました。これを打たれたとたん、酔っ払い状態に。話をしようとしても口がもつれ、頭で考えている言葉と違う単語が出てきます。そして猛烈に眠くなりました。夫と義姉は薬の影響で私が眠くなったので、子供をつれて家に帰っていきました。
 
夜中に何度か(4時間おきだったと思います)看護士が入ってきました。血圧、脈拍、体温、ドレインのチェックのためです。朝5時ごろにインターンのDr.Mが入ってきました。書類上はこの先生が私の入院を許可したことになっているので、いろいろ丁寧に診察や対応をしてくれました。
 
看護士にしつこく言われたのは「おしっこを出す」こと。8時までに必ずトイレに行ってくださいと言われたので、痛む傷口を我慢しながらトイレへ。一滴も出ません。尿意もほとんどありません。そこで看護士が膀胱内の尿を図るエコーの機械を持ってきて検査してくれました。結果は147ml。250ml以上だと尿意があって排出できなくてはいけません。医師にその事を報告。尿が出るようにと500mlの生理的食塩水をIVで投与されました。それでもおしっこが出ません。またエコー。結果は300-400mlとのこと。お昼ごろに夫と義姉が来てくれました。研修中の医学生が入ってきて、診察をしました。看護士がまた入ってきて「尿が出るように少し院内を歩いてください。出ない場合は膀胱にまた管を通して尿を出さないと」と言ってきたので、ベットから立ちました。歩く前に念のためトイレに行って少し座っていると尿が出ました。部屋を出るときにたまたま看護士がやってきたので「おしっこで出ましたよ」というと「ホントに?やったー」と喜んでいました。病棟内を一周してベットに帰ってきました。
  
3時半ごろに日本の実家に電話をかけました。日本時間で朝の時半ごろですが、父が起きているのを知っていたのです。思ったどうり、父が電話に出たので無事に手術が終わったとの報告ができました。
 
それから麻酔科の先生などが様子を聞きにきました。午後3時ごろにはさらに尿もたくさん出たので、看護士が喜んでくれました。4時半ごろにはDr.E を含め外科医チーム(数えたら9人もいました)がやってきました。包帯のしたの傷口の様子などを見てくれて、家に帰っても十分水分を補給するのを約束に、今日退院してもいいとのこと。傷口はまだ傷むので、もう一日入院してもよかったのですが、普通に歩いたりできるので退院したいことを告げました。家では3つ入っているドレインのチューブを自分で管理していきます。それから胸に巻いてくれた包帯も、翌日に取っていいと言われました。
   
医師の診察のあと、夫と義姉は娘を迎えに一時家に帰りました。娘のデイケアが閉まる時間が迫っていたからです。病院を出る前に薬などもらったり、退院の手続きもあるので時間がかなりタイトでした。
 
私は着替えをして、ボーっとテレビを見たり、担当の看護士(Robyn)さんと話をしたりして夫を待っていました。夫が娘を連れて病院に来たのは8時ごろ。帰りにファーマシーに立ち寄って痛み止めの薬をもらいました。夜遅くだったのでファーマシーもあまりこんでいませんでした。家には9時ごろ着きました。
10時にはドレインに溜まった廃液を出して量を測りました。どのドレインも20mlでした。24時間のあいだに出る廃液が合計で30ml以下になればドレインをはずしてもらえます。それまでは体に3つのドレインチューブとボールがブラブラ。それからしばらく重いものなど持てません。娘が「抱っこー」とまだ来るのですが、「だめだよ。ママは抱っこできないよ。怪我してるからね」と言っています。昨日ファーマシーで待っているとき、右腕に刺されたIVの針の跡に貼っていたバンドエイドをみて、「まま、痛い?じゃあスヌーピーのバンドエードかってあげよう」と言っていました。手術の傷跡もバンドエイドで治ってくれれば嬉しいですけどね。



現在こんな感じです。ドレイン3つがブラブラ吊る下がっています。朝、昼、夜、寝る前の4回、廃液の量を測って記録しています。ごらんのとおり、すっかり胸がペッタンコです。

2008年12月7日日曜日

明日はいよいよ手術です

明日の手術は朝7時半の予定。
病院にチェックインするのは5時です。
  
リュックサックに着替え、暇な場合に読む本、DVDプレーヤーなどを入れて荷造りしました。
着替えはブカブカの服など。明日は胸にさよならするので、ブラは入れませんでした。
 
夫のお姉さんが、昨日来てくれました。明日、私達の代わりに子供をデイケアに連れて行ってくれるそうです。
 
朝3時半起きなので、今日は10時半には寝ます。

次のブログ更新は退院後に!
 

2008年12月5日金曜日

術前の手続き


今日は術前に行う手続や検査で病院に行ってきました。
 
昨日病院に行ったときに全て終わらせてもよかったのですが、1時に形成外科の予約があって予定が詰まっていたので今日に延期したのです。  
 
まずは放射線科に行き胸のレントゲンをとりました。あまり待たずにすんなりと終わりました。
 
次にケース・マネジャーに会いにブレスト・クリニックへ。昨日Mr.Mが再建がしやすいように、理想のマーキングを私の胸に実際描いてくれました。それを写真にとり、手紙をつけてくれて手術当日に主治医に渡すようにと手渡してくれたのです。私としては手術当日よりも事前に主治医のDr. Eにこの写真と手紙に目を通してもらいたかったので、ケース・マネジャーに頼んでDr. Eに渡してくれるよう頼みました。
   
次にAPU (Ambulatory Procedure Unit : 日帰り手術を含め、手術を受ける患者がチェックインするところ)へ。術前検査のために血を抜かれ、尿を提出しました。その後は麻酔医のDr. Hとの診察でした。手術は朝一番で7時半に始まるとのこと。「手術はちょっと緊張します」と言うと、私はまだ若いし基本的に健康なので、手術自体も特に問題なく行くでしょうと言われました。術後の痛みもうまくコントロールしてくれるそうです。それから麻酔薬の影響で吐き気などが起こるそうで、それに対処する抗嘔吐剤も投与してくれるとのこと。退院は何もなければ基本的に翌日退院です。でももう少し病院に居たかったら入院延長も可能だと言われました。ずっと病院にいたら退屈だと思うし、小さな子供もいるので、特に何もなければ翌日退院のつもりでいます。 
   
帰りに郵便局に寄り、家に帰ってきたのは4時を過ぎていました。私が留守の間にAPUから電話で連絡があり、手術当日の朝は5時までにAPUに来てチェックインしてくれとのこと。前日は深夜過ぎは何も食べられません。それから、いわゆる抗菌石鹸を使って胸と脇の下を丁寧に洗うとの支持です。 
   
手術まであと3日。やっぱり考えるとキンチョーします。

採血された場所は、病室を仮に使っているような場所でした。
チューブ2本ぶん抜かれ、尿検査用のおしっこを提出しました。月曜日の手術では、右の脇の下のリンパ節も取られてしまうため、リンパ浮腫の起こる可能性があります。それで術後は、採血や血圧測定などの際は左を使うよう言われています。右腕で採血してもらえるのは今日限り。だから今日の採血は右腕でやってもらいました。

2008年12月4日木曜日

形成外科医との診察(再建のコンサルテーション)

朝10時に、外科医との診察がありました。
 
最初に入ってきたのはチーフ・レジデント のDr. C。中国系アメリカ人の先生のようです。手術日当日は私の主治医のDr. Eと一緒に手術に携わってくれるということ。初めて会うので、私の今までの経過をざっと話しました。次にインターンの医師が入ってきました。やはり今までの経過を話しました。最後に入って来たのは主治医のDr. E。そしてDr.CとDr.Eによりお決まりの診察。
 
私は両側の乳腺全摘をするため、癌のある右側はDr.E とDr.Cが担当。左側は時間短縮のため、もう一人のDr.Eのパートナーの医師が切除するそうです。それから手術を始める前に、形成外科医のDr.Oがやって来て、どのように皮膚を切除するかマーキングをしてくれるそうな。なんだか私一人の手術に四人もの医師が関わるなんて、大世帯だなあと思いました。

最後はケース・マネジャーのナースのオフィスへ。乳がんの治療には外科、腫瘍内科、放射線科、形成外科など様々な専門科によるケアが行われるため、治療全体をコーディネートしてくれるのがケース・マネジャーの役割です。ケース・マネジャーはRegistered Nurse (正看護婦士)の資格をもつ看護士さんです。
 
彼女に提出する書類や術前検査の支持をもらいました。検査や術前手続を今日やってしまってもよかったのですが、形成外科との診察が1時にあり、時間的にきびしかったので術前手続と検査は明日に延期しました。


すぐに病院を後にし、再建について話会うため、形成外科医のDr.Mのオフィスに向かいました。 Dr.Mのオフィスは病院お隣の市にあり、車で20分ぐらいのところにあります。

Mr.Mは私のクラスメートのお父さんです。形成外科を30年以上やっておられて、とても経験のあるお医者さんです。乳房再建に関しても、その歴史を70年代から見られている方です。それで色々な再建のお話や、様々な再建方法のメリットとリスクの話もしてくれました。

まず私が当初検討していたエキスパンダーによる同時再建(組織拡張法)ですが、メリットは乳房切除術と同時にできること。体への負担も少なくてすみます。シリコン・インプラントは豊胸手術など、胸の脂肪の下に入れる場合はとても良い美的効果をもたらすらしいのですが、ただし私の場合は乳腺全摘なので、基本的に胸の脂肪等全て失います。そこで胸の筋肉の下にシリコン・インプラントを入れた場合、あまり自然なおっぱいの形にならないそうです。

自分の体から組織を移植する様々なフラップ術について。同時再建でなく、乳腺切除術とは別の日程を設定して行われます。現在最もよく行われるのは筋皮弁法で、広背筋皮弁法と腹直筋皮弁法の二つがメジャーです。広背筋皮弁法は背中の皮膚、脂肪、筋肉の一部をとってきて胸の再建に使います。腹直筋皮弁法のほうはお腹の一部を取ります。(分かりやすい図や詳しい説明はこちらで:http://www.csp.or.jp/network/jytugoRyoyo/m_link5_saikenJyutu.html

メリットとしては自然に近い胸が再建できること。デメリットは筋肉の機能が低下すること。広背筋皮弁法では肩の力が、腹直筋皮弁法では腹筋機能が低下することがあります。腹筋が低下すると重いものが持ち上げられなくなったりするらしいです。

そこでMr.Mが薦めてくれたのはDIEPフラップという方法です。これは皮膚と脂肪と血管をお腹から移植する方法で、筋肉を取らないので筋力が低下しません。ただお腹から取ってきた血管を胸部につなぐので、マイクロ術が必要になります。私が乳腺全摘出を受ける病院では、現在のところDIEPができるお医者さんがいません。私の場合両側乳腺全摘出なので、片方だけでも4-5時間、両側だと8-10時間の長い手術になるそうです。
  
話の後は診察室へ。私は4年前に出産しているので、お腹の脂肪がまだかなり残っています。Mr.Mによると、これが良かったとのこと(初めてお腹の脂肪にありがたみを覚えました!)。お腹の脂肪を全部とって胸に移植すれば、今の胸のサイズよりちょっぴり大きめのおっぱいが再建できるということです。
 
つまり豊胸術とお腹のたるみを取る手術(腹部形成)を同時にやってもらうような感じですね。ちょっと心の中でにっこり(本当はおしりのたるみも取ってほしいけど)。でもお腹や胸に大きな傷は残るし、乳首はなくなるし、元のままの胸は帰ってきません。でも癌だもんね、しょうがない。
 
もともと私は再建なんてどうでもいいと思っていました。生きられるなら、胸なんか無くってもいいと今でも思っています。ただ夫のお姉さん(5年前に乳がんの告知を受け、両側乳腺全摘と再建を受けています)に再建を薦められました。私には小さい子供がいるので、夏などは海やプールに行きたがるでしょう。そのときに再建していれば、一緒について行ってあげらるかなとも考えました。また有難い事に私の入っている保険では手術にほとんどお金がかからないので、受けてもよいかなと思ったのです。

再建のほうは術後化学療法と放射線療法が終わってからの手術になります。予定だと6月か7月になりそうです。
 
まずは月曜日に乳腺全摘。しっかりがっぽり、取ってもらいやしょう。

2008年12月3日水曜日

メール

手術まであと5日。
 
私はこの夏に日本に一時帰国していた時に告知されたのですが、ちょうどそのとき地元の病院で短期研修をさせていただいていました。
 
その際にお世話になったある先生に、私の治療経過のお知らせとご挨拶のつもりで昨夜メールを書きました。
 
今日の朝、返事が入っていました。
「患者経験をすることは将来医師になる上で、学校の勉強よりも役に立つ」と励ましを頂きました。
 
また先生には7歳になる元気なお嬢さんがおられるのですが、心臓の疾病で生後14日目に開心術を受けられたとのエピソードも書かれていました。
 
生後14日の赤ちゃんでも、生きようと頑張ったのだ。そして現在も思いっきり生きている。自分も頑張らなくてはいけない、と再び強く思いました。
 
この先生はとても優しい小児科医の先生です。重症の病をもつ子供の親の気持ちを、本当に理解できる立派なお医者様です。
 
私は先生からのメールに、とても元気づけられました。

2008年11月27日木曜日

感謝祭

感謝祭の休日で、義父の所にやってきました。
我が家から車で9時間。アメリカの内陸でかなり田舎です。
 
私の夫には二人のお姉さんと一人の妹がいます(夫は三番目で男の子一人です)。
お母さんは八年前に他界され、お父さんは現在再婚相手と暮らしています。

感謝祭やクリスマスなどは、こちらでは日本のお正月のような感覚。普通は家族で過ごし、色々とご馳走がでます。

夫の家族内の人間関係は色々と複雑なのですが、夫の姉と妹はお父さんの所に全く行きません。感謝祭もクリスマスも、2-3年前まではみんなで集まっていたのですが、このごろは全くなし。きちんと行くのは私達だけ。簡単に言うと、夫の姉妹はお父さんとお父さんの再婚相手を嫌っています。
 
お父さんはとても厳粛な父親で、お母さんが亡くなるまではかなり亭主関白だったそうです。お母さんにも子供にもあまり自由を許さなかったとか。夫の姉妹はいまだにそんなお父さんのことを恨めしく思っていて、お父さんの悪口を私にも平気で口にします。
 
私は夫の姉妹がいう「嫌なお父さん」を直接は知りません。
今回も夜遅く到着し、それでも寝床から出てきてくれて私をハグしてくれる、優しい義父さんです。
 
感謝祭やクリスマスに姉妹さん達がいると全て料理してくれます。でも今回は私達以外誰も来ない事がわかっていたし、再婚相手のおばさんはもう全く料理をしません(彼女はなんだか体調も良くなく、いつも寝てばかりいます。忘れっぽいので料理していて台所で火事を起こしたりしてしまいます)。それでお店で既に出来ているものをいろいろ買って行きました。基本的にオーブンやレンジであっためるものばかり。
 
あまり豪勢な感謝祭ではないし、料理もかなり手抜きです。
それでもお父さんの所に来てよかったと思いました。
 
夫の妹と、姉の長女は亡くなったお母さんが感謝祭に毎年作ったチーズボール(クラッカーにつけて食べるもの)を今日作ったそうです。
 
亡くなった家族を慈しむのはとても大切なことです。でも私は、まだ生きている家族と大切な時間を過ごす事のほうが重要ではないかと思うのです。
 
夫のお父さんも81歳。あと何回一緒に感謝祭やクリスマスを祝えるか。
 
私の父も頑固で厳粛な父親です。いまだに一緒にいるとやりずらいことも沢山あります。それでも年に一度顔を見せに帰るのは、大切だと思っています。あくまでも家族のために働いてくれた父親ですし、親なしでは今の自分は存在しなかったわけですから。夫の姉妹のように、気に入らないから無視をするのはかなり「幼稚」にも思えます。
 
私は義父が生きている限り、これからも会いに来てあげたいと思っています。

2008年11月26日水曜日

サンタクロース


町はすっかりクリスマス一色です。
 
今日は子供を連れて近所のショッピング・モールへ。
サンタクロースと写真を撮りに行ってきました。
去年まではサンタクロースを怖がっていた娘も、今年は「サンタさんに会う」と喜んでいました。
行く途中車で「サンタさんに会ったら、何ていうの?」と訪ねると、
「えっと、えっと。。。こんにちは!」
「そうだね。その後は?」
「えっと、えっと。。。なおちゃん!」
とまあ、イマイチ返答が???状態の娘。
   
実際サンタを目の前にすると、緊張しまくりでした。
無理なくサンタの膝に座ったものの、声がでません。
顔もこわばってしまい、写真もうまくとれませんでした。
サンタによると、クリスマスに何が欲しいのか聞いたが答えがなかったとのこと。
サンタにもらいたいおもちゃを、事前にカタログで見て決めていたのですが、やっぱり声にならなかったようでした。
 
次に写真スタジオに。おばあちゃんが送ってくれた千歳飴を持って、七五三の記念撮影です。
予約を取っていなかったので、2時間ほど待ち時間。またやモールの中をうろうろ。
やっと撮影してもらって、写真を印刷してもらって、夕方7時ごろになってしまいました。
結局写真撮影で一日終わってしまった感じでした。
 
でもサンタも一年に一度、七五三も特別な記念だもんね。

2008年11月24日月曜日

ENT (Ear Nose and throat) - 耳鼻咽喉科

左の扁桃腺の奥のほうが3ミリほど白っぽく膨らんでいます。
化学療法を始める前に気づいたのですが、現在まで特に大きさなどに変化なし。
前回外科の主治医に相談したところ、念のためということで耳鼻咽喉科に紹介状を書いてくれました。

今日はそのアポイントの日。子供を夫に任せ、朝10時ごろ家を出ました。
前回出してもらった腫瘍内科のパーキングのパミットが12月31日まで有効なのでラッキーでした。
パーキングをさまよって車を停める場所を探さないですみました。
 
始めに入ってきたのはD.O. (Doctor of Osteopathic Medicine)の先生 で、耳と扁桃腺を見てくれました。扁桃腺の白い腫れはおそらくシスト(膿胞)とのこと。「こんな奥にあるの、よく自分でみつけたね」と言われました。一度先生が診察室から出て、レジデントを一人連れてきました。また私は口を開けさせられ、アー。次に念のため、MDの先生が入ってきました。彼も同じ意見で、悪性のものには見えないとのこと。放っておいて差し支えないけど、希望なら潰して膿を出してくれるとのこと。
 
12月8日に手術があるので、様子を見ることにしました。電話すればいつでもシストを潰してくれるそうです。
 
告知されてから、少しでも体の変化に気付くと気になってしまいます。心配すぎも良くないでしょうが、気になったら調べてもらって何もなければ安心するので、今日は診てもらって良かったです。
       
耳鼻咽喉科の後はインフュージョン・センターへ。最後の化学療法からそろそろ4週間経つので、ポートを洗浄してもらうためです。洗浄といってもポートに生理的食塩水とヘパリンを入れてもらうもの。
  
生理的食塩水が体に入るとき、ちょっと気持ち悪くなります。しょっぱいような味がするのです。いつもは気持ち悪さが一瞬で終わるのですが、今日は気持ち悪さが長引きました。帰りにジュースを買ってのんだけど、鼻のあたりで生理的食塩水の味がシツコク残っています。家にかえって何か食べようとしても、気持ち悪さが抜けません。

化学療法が全部終わって、ポートなど抜ける日が待ちどうしいです。

2008年11月19日水曜日

大腸内視鏡検査

前回外科医の診察で、「下血が続いているようなので内視鏡検査しましょう」と言われました。
 

昨日はその準備で、一日中食べものは口にできず。飲み物は透明なもの(色がついていても、透かして向こう側が見れればオッケー)しか飲む事ができませんでした。さらに検査にそなえて腸を綺麗にするため、前日の昼にはDulclaxという坐薬をのみます。そして夕方の7時ごろにPhsphosodaという透明の液体をジンジャーエールに入れて飲みます。この飲み物がまずいまずい。ストローを使って舌に味を感じさせないように飲んだのですが、一気に飲めずに休み休み飲みました。  
                              
夜10時ごろになると下痢が始まりました。夜も3回ぐらい起きてトイレに行くはめに。腹痛もあって、つらい時もありました。
                            
今日の朝8時ごろ、またPhosphosodaを飲みました。朝も変わらず下痢。でもこの頃には出るのは黄色い水のようなものだけ。
                            

朝10時には腫瘍内科医の診察があったため病院へ。その後、内視鏡検査をする胃腸科のクリニックへ。予約は1時なので、チェックインをまずすましておいて待合室で長い間待っていました。10時すぎは何も飲めないので、ただ我慢するのみ。最後に腫瘍内科のクリニックで飲んだりんごジュースの味が忘れられませんでした。喉がすごく渇いて仕方なくて、砂漠で迷子になったことを想像し、それよりマシだー、と自分を慰めていました。
                

12時半にはリカバリー兼プレップ・ルームに連れていかれました。着替えをして患者用のガウンを着せられ、ベットに。ナースがIVを入れてくれて生理的食塩水をスタートしてくれました。でも担当医が来るまで1時間ほど待たされました。退屈で、途中うとうととしていました。
                  

2時少し前に内視鏡室にやっと移動させられました。しばらくして担当医のDr.Eがやってきました。直ぐにナースが麻酔をIVから入れてくれて、頭がボーとしてきました。内視鏡が体の中に入ってくるのが少しわかりました。検査中、腸の中がよく見えるように腸内を膨らますのですが、それが痛かった!腸が膨らむごとにお腹がキューと痛み、おもわず「ああああ。いたたたた」と言ってしまいました。
           
たまに目を開けてモニターに移る自分の腸内を見ていたのですが、いつの間にか目をつぶてうとうとしていたようです。終わったときに主治医から話かけられたような、かけられなかったような。あまり記憶がハッキリしません。
           
結果は何も異常は見つからなかったようで、ひとまずホッ。最後に腸内の写真つきの結果をもらって帰って来ました。
         

次に内視鏡検査をするのは10年後。10年って、とても長い時間に思えます。次の内視鏡検査受けるときも元気でいたい、と思いました。

2008年11月18日火曜日

ちょっとムッ

最近何もしたくなく、鬱気分に入っている私。化学療法最終クールから3週間以上経つというのに、気分が晴れません。鬱なら早めに病院にかかったほうがいいと思い、今日精神科を受診しました。
 
11時15分のアポイントだったので時間どうりに行くと、
「アポイントは12時からになってました。でも記入しないといけない書類があるからちょうどいいですね」                        
などと言われた。書類記入なんて10分もかからなかったので、40分ほど待たされるはめに。

12時15分ぐらいに女の人が待合室にやってきて「12時半のアポイントのはずでしたが、どうぞ」などと早めに見てあげますみたく言われ(12時半?受付のおじさんは12時と言ってたのに、なぜに。私は1時間以上待たされているから、早くみてもらうっていう感覚はない)、オフィスの一室に通される。その人は精神科の医師でもなんでもなく、ソーシャル・ワーカーだった。アポイントを取ったとき、ソーシャルワーカーとのアポイントであることを誰も言っていなかったので、ちょっと腹が立った。その事を言うと、彼女は「混乱を招いてすいませんでした」と低姿勢だった。彼女によるとまずは面接して、医師への紹介状を出してくれるという。

アメリカでは紹介状(Referral)がないと専門医に会えない仕組みになっています。これは本当にイライラします。体の症状が微妙で、どの科に直接行っていいのか分からない時は家庭医でいいですが、メンタルな問題の場合どう転んでも精神科でしょう。まったく時間とお金の無駄です。私の保険の場合、医者にかかるときに自己負担はゼロなのでいいですが、これで20%なり30%なりの請求が来たら本当に腹が立つでしょう。
 
しょうがなのでソーシャル・ワーカーのお付き合いをしました。「7月に告知を受けて、欝のような状態に悩まされている」ことを告げました。結局ソーシャル・ワーカーの口にするのは「大変ですね」とか、「何もやる気にならないのは当然ですよ」とかいった事ばかり。「癌告知というのはショックですよね、気持ち分かります」たぐいの事を言われたときは少し嫌気もさしました。癌患者のつらさは、本当に告知を受けた人でないと分からないからです。そんなに簡単に「気持ち分かります」みたいなこと、言って欲しくなかった。

アメリカ人は理屈っぽいですから、「気持ち分かります」の次にはいわゆる心理学の教科書に書いてあるような理論っぽい話をはじめてきました。どの話も前に聞いたことあるようなものばかり(私も大学で一般心理学や臨床心理学のクラスをいくつか取っていました)。「当たり前だけど、この人もそれなりに本を読んで勉強してるんだなあ」ぐらいにしか思いませんでした。私を元気づけようと思って、「落ちこんでも、うつでも自然だよ」と言いたいようなのですが、彼女のアプローチでは私の心にはあまり届きません。ブログなどを通じて、今現在乳がんと闘っている人達の言葉のほうがずっと励ましになる、と思いました。そんな事を思いながら、ソーシャル・ワーカーの話をぼーっと聞いていました。私も聞かれた質問以外は特に話をしなかったので、かなりソーシャル・ワーカーにとってはしらけたセッションだったかもしれません。
              
最後にもう一度、「もともとショーシャル・ワーカーとのアポイントであることを知らされていなかった事」、「紹介状なら家庭医で書いてもらえたが、精神科のクリニックでアポイントがもらえたので精神科の医師にすぐ見てもらえると思い込んでしまったこと」、「もっときちんと今日のアポイントについて事前に詳しく説明してほしかったこと」を伝えました。ソーシャル・ワーカーの女性は最後まで低姿勢で良い方でしたし、最後に紹介状もすんなりとくれました。でも今回のセッションはやっぱり時間のロスと感じてしまいました。ちょっとイライラがつのった日でした。


 

2008年11月16日日曜日

やっとお天気です

昨夜は雨がずっと降り続いていましたが、今日は一日綺麗な晴天でした。
  
最後の化学療法日から3週間すぎ、今日は体調もなかなか良く、家族3人で外出しました。
  
子供の好きな魚がいっぱいいるペットショップと犬がいるペットショップに行き、別のお店へ。 そのお店の子供服売り場の一角に、サンリオ製品が置いてあるセクションがありました。 子供がキティーちゃんを見つけ、当然そちらの方向に。
  
そこで怪しげな日本語が書かれているバックを見つけました。

「新宿」とか「音楽」とか書いてあります。新宿はアメリカ人の若者の間でもハイカラ(死後?)なのでしょうか。よっぽど日本に住んでいたとか、マンガまたはアニメオタクのアメリカ人でないとわからないと思いました。
  
さらに、このような怪しげなバックまで。

「愛天使音楽ベイビー」と書いてあります。何のことやら全く分かりません。さらにベイビーのイの字が横向きになっています。日本人が作った製品でないことがバレバレです。アメリカ人はこれをみて「日本ぽくって、超かわいい」とか「クール」とか思うのでしょうか。店で売る製品にするなら、せめて日本語を正しく使って欲しいです。
  
帰りは食材を買いにスーパーへ。アメリカ東海岸も寒くなりました。空気も乾燥しています。前が車の形をしたカートに喜んで乗っていた娘。静電気で髪の毛がおっ立っていました。
化学療法終了後3週間たっても、思うように戻ってくれないのは味覚障害です。まだまだ食事しても味気ないので、あまり食欲がわきません。

2008年11月13日木曜日

雨の日

今日は朝からずっと雨。
 
夫がやっと昨日の夜遅く、出張先のイタリアから帰ってきました。そこで今日は子供のデイケアはお休みで、家族みんなで家でのんびりすることに。
 
実は車のトラブル続きで、昨日とおとといはレンタルカーを借りていました。やっと夫が帰ってきたので調子の悪い車たちの修理をしてくれます。それで今日の午前中レンタカーは返すことができました。
 
夫が12時40分に歯医者のアポイントが入っていたので、車を返してからWendy'sへ。イタリア語の話せない夫は、イタリアにいる間一週間のうち4-5日はそばにあるマクドナルドで食事をしたそうな。じつは夫はマクドナルドがあまり好きでなく、こっちに行くときは滅多に行きません。
  
せっかくイタリアに一ヶ月以上いたのに、アメリカでいつでも食べられるファースト・フードばっかりとは何とももったいない話です。私なら辞書を片手に片言でもいいからコミュニケーションして美味しいものを食べます(なんてね)。

Chuck E. Cheese's


学校の集まりでChuck E. Cheese's というお店へ。

要はゲームセンターのようなところで、遊びながらピザとかサラダとかが食べられる所です。

Project Smileというクラブがあって、病気(主に小児癌)をもつ子供の家族を招待して一緒に楽しむのが目的です。前回は学校のオーディトリアムで映画の上映会などをしました。
     
今回のイベントでは参加した子供たちも楽しそうでしたが、何といっても医学生達が嬉しそうに遊んでいました。

2008年11月11日火曜日

なんじゃ、このシール?

きのう、子供にフッド(頭巾)のついた上着を着せてデイケアに。
夜服を着替えさせようとすると、フッドの下に隠れたかたちで、背中にこんなシールがはってあります。

「明日は写真の日です!」と書いてあります。
  
「なぬ?」と思いました。デイケアで子供をピックアップした時、「明日は写真の日ですよー」なんて、誰も言っていなかったのです。それに毎日連絡簿みたいなのをもらうのですが、それにも「写真日」の事が書いてありません。
 
デイケアでは良く子供にシールをくれます。「いつものシールが切れていて、これを代わりにくれた?」などと考えましたが、それにしてもね。
 
仕方ないので念のため、今朝は写真撮影されてもおかしくない洋服を着せてデイケアへ。 
   
確認するとやはり今日は「写真日」でした。 
   
先生いわく「急に決まった」とのことで。それでも子供の背中にシール貼ってのみののお知らせとは。。。子供は掲示板かい。日本では考えられません。

実際そのシールはフッドの下に隠れてて、着替えまで見えませんでした。
気がつかずに洗濯機に入れてそのまま洗ってしまったかもしれません。
                
「大切な連絡事項は、ちゃんと言葉でコミュニケーション取ろうよ」と思った今日このごろです。

2008年11月10日月曜日

形成外科医との診察

乳房再建の話をするために病院に行ってきました。
 
ナースに診察室に通され、紙でできたベストのようなものを渡され、着替えるようにとの支持。
それを着てカツラを直していたら、ドアが開いてDr.Oが入ってきました。
 
まず「どうして手術キャンセルしちゃったの」と聞かれました。
それで術前化学療法を選択したことを話すと「まだ化学療法中?そう、もう終わったんだ」といった感じ。「それでエキスパンダーを使った同時再建を希望ですよね。。。」と始まったので、実はDIEP再建を希望していることを告げました。
  
DIEP再建はこの病院ではやっていないとの事。予測どうりでした。実は今Duke大学でトレーニングを受けている一般外科医がいて、夏にこの病院に来る予定。その人はDIEP再建を沢山経験してるとのことで、夏まで待てばDIEP再建も可能とのこと。
  
「僕がやってもいいけど、数をこなしてないから実験みたいになっちゃうよ」などとDr.O。 
というか、DIEPはマイクロ術式なので正式にトレーニング受けてないとできない技術だと思います。
はじめから「僕はきちんとトレーニングを受けてないから、できません」って言えばいいのに。Dr.Oのエゴを垣間見た一瞬でした。
  
私は「DIEP再建をやってくれる医師を知っているのですが」と話すと、その医師が私の入っている保険を受け入れてくれるなら紹介状を書いてくれるとのこと。
  
そんな感じで診察はさくっと終わりました。

2008年11月8日土曜日

ぐうたらの土曜日

今日はどこかに行こうと思っていたものの、午後は雨。
  
4時ごろには晴天になっていたものの、結局外出しないでずっと家にいました。
  
子供は朝とどいた日本のビデオをみたり、絵を描いたり、コンピューターのゲームで遊んだりしていました。私も絵とゲームは子供に付き合いました。ずっと家にいても特に不満な様子はなさそうでした。
 
明日はどこかに行こうかな。

郵便屋さん

今日は土曜日。
デイケアもないので、朝はずるずると10時過ぎまでベットに。
 
やっと起きて下にいくと、ドアのベルが鳴りました。
どうやら郵便屋さん。小包が届いたようです。 
出ないと郵便局まで小包を取りに行く羽目になるので、急いで上着をはおいました。
「おっと、すっかり薄くなった眉毛も書かないと」と思い、眉墨も入れてドアに向かいます。
 
ドアを開けると直ぐに郵便屋さんと目が合いました。そのとき頭が外の風にさらされてヒンヤリしたのです。「あ、カツラつけんの忘れた」と思いました。でも「ま、いっか」と開き直って堂々と対応ができました。これが日本だったら恥ずかしかったかな。
  
郵便屋さんは特に何も言わなかったけど、がん患者なのがバレバレだったでしょう。ははは。

2008年11月7日金曜日

ただダラダラと

今日の朝は久し振りに近くのDVD/CD屋さんに。
 
精神的なストレスを減らせるよう、リラックスできるクラシックのCDをいくつか買ってきました。
 
お昼は人参とキャベツを入れてタン麺を作って食べましたが、相変わらず味気なし。
 
午後は何もする意欲がなく、長い昼寝してしまいました。
 
化学療法もひとまず終わった事だし、何か目標を決めてやらないと生活にメリハリがでないなあ、と感じました。
 
ただ、今は目的意識が薄れてしまっていて、「これをやりたい」という事が見つかりません。スペイン語を始めたり、また絵でも描いたりしてもいいのですが、いまいち「やる気」が出ないのです。それで毎日ダラダラと過ごしてしまいます。はっきり言って、時間をもてあましています。
 
何か身を引き締められるものが欲しいです。

久しぶりに学校へ

今日は昼休みにMedial Spanishのクラスが始まるので久しぶりに学校へ。
これは必修ではなく、プエル・トリコ出身の先生がスペイン語を学びたい学生を集めて基礎を教えてくれるサークルのようなものです。
   
スペイン語ってローマ字みたいに読めるので、日本人にとって発音は簡単だと思います。
  
クラスは4回しかないので、本当に基礎をさらとやるだけですが、あまりストレスなく出れるので来週も参加したいです。

2008年11月5日水曜日

外科医との診察

9時にブレスト・センターでアポイントがありました。
今日は小雨日。少し風もあります。
病院には9時前につきましたが、駐車場はいっぱいで結局屋上に停めました。
エレベーターに向かって歩いていたところ強い風が。。。かぶっていたカツラが風にあおられて脱げてしまいました。エレベーターのところに到達すると、後ろからきた女の人に "It doesn't want to agree with you (頭のうえでおとなしくしてないのね)" と言われました。やっぱり人に見られてました。
  
時間より早くついたのに、30分ほど待たされました。
ナースにいくつかお決まりの質問をされた後、次に入ってきたのはインターンの医師。
自分の病気の経過を、また一から説明させられました。 
私も「またかよー」という口調だったのでしょうか、「何度も繰り返し聞かれる質問で、いやになりますか」と反対に聞かれてしまいました。「ええ。でもトレーニングの一環ですもんね、いいですよ」と答えました。最後に心臓と肺の音をきいて終わりでした。
  
診察のため着替えるように支持され、また待たされます。
しばらくしてインターン、主治医、ナースが入ってきました。
またお決まりの診察。左右の胸と腋下の触診です。
主治医の次はインターンに交代。
   
手術の希望について以前と相違が無いか聞かれたので、「両胸全摘」で相違ないことを伝えました。ただし再建に関してはエキスパンダーでなく、DIEPフラップがいいと付け加えました。再建に関しては整形外科医に相談するように支持されました。放射線科医が言っていたのと同じく、Microの術式をするなら、まず全摘で手術をし、後に再建の手術を改めてすることになるとのこと。私もそれと同じ理解だったので、同意しました。
  
という事で、手術予定日は12月8日に決まりました。

2008年11月4日火曜日

放射線科医師との診察

術前化学療法が終了したので、今日は放射線科医 (Dr. M) と会ってきました。
 
放射線治療は手術と術後化学療法の後にやるのですが、まあ今日は「具合はどうでしょう」ぐらいの診察です。予定としては術後化学療法の後、一週間に5回の照射を6週間半するとのこと。合計33回の治療になるようです。私の原発巣は右胸なので、照射場所は右胸壁と鎖骨上部です。放射線治療を受ける事で生存率が10%向上すると言われました。
  
明日は一般外科医、来週は整形外科医に会うことを話しました。前回Dr.M と話したときはエキスパンダーとインプラントを使用した同時再建を考えていました。
  
クラスメートのお父さんがたまたま整形外科医で、メールで連絡を取る事ができました。その先生によるとインプラントを使用する再建より、DIEP flap (Deep Inferior Epigastric Perforator)という最新の方法が最も優れた方法という事を教えてもらいました。これは自分のお腹のお肉を使って血管をつなげ、自然なおっぱいを再建する方法。 他のFlap法では筋肉を使って再建するのですが、これは筋肉を傷つけないため、回復後は以前と同じ活動レベルを維持できるとのこと。ただし血管の縫合など、マイクロの術式が要求されるので、特別にトレーニングを受けている医師でないとできないそうです。
  
Mr.Mによると、放射線治療は正常な組織を傷つけるので、もしDIEP flapのような再建を希望する場合、全て治療が終了してからのほうが良いだろうとのこと。
  
まずは来週、整形外科の医師に相談することになりました。

2008年11月3日月曜日

アメリカ大統領選挙

明日はアメリカの大統領選挙です。
 
初の黒人大統領誕生か、初の女性副大統領か。  
おもしろいところです。   
テレビでは大統領選挙の宣伝ばかり。
 
すっかり選挙一色です。

義姉と甥っ子は予定どうり今日帰りました。午後は彼らを送りに空港に行きました。
帰り際、高速を走っていてふと脇をみると、すっかり紅葉した木々が生い茂っていました。
東海岸ももうすっかり秋です。
 
どうなることやらと思った術前化学療法もひとまず終わったな、と思いました。
「時が経つ」というのは不思議なことです。
 
    
少し静かになった家にかえり、子どもを迎えに行く前に短い昼寝をしました。

2008年11月2日日曜日

夏時間終わり

今日で夏時間がおわり。アメリカでは時計の針を一時間もどします。
 
今現在、外は真っ暗ですが、まだ時計では6時前。昨日まではまだ明るかった時間です。
 
日中は今日も義姉が娘を連れ出してくれました。私は頭がぼーっとした感じがあり、少しお風呂に入って横になっていました。何をしたい気分にもなれず、少し鬱も入っているのでしょうか。
 
夕方になると具合もかなりよくなりました。たまに頭がぼーっとなったり、眠いような感覚がありますが、夕飯を作ったり片付けも一通りこなせました。
 
明日は義姉と甥っ子が帰ります。

また深夜に

今、朝の4時半です。
 
また深夜の1時ごろと3時ごろに目が覚めてしまいました。
 
何となく息苦しいような気がして目が覚めました。どうやらむかつき感もあるようで、薬を飲みました。ついでに何かお腹に入れようと、きのう作ったお寿司をつまみぐい。相変わらず味はしないものの、なんとなく満足。
 
さあ、また頑張って寝床に戻ります。

2008年11月1日土曜日

味覚障害ふたたび

今日は土曜日。昨日はハロウィーンで一日つかれたので、娘も私も起きたのは朝10時でした。
 
私が少し休めるようにと、11時ごろ義姉と甥っ子が娘を連れ出してくれました。  
近くのショッピングモールとペットショップに行くとのこと。私はひとまず家でのんびりです。
 
昨夜はピザとチキンスープを食べましたが、「味が分かりにくくなっている」と感じていました。
 
今日は塩味が少しわかるぐらいで、味覚障害がまた出てきていることに気づきました。
友達が持ってきてくれたシーフードスープとお茶漬けをたべました。いつもは大好きなグレープジュースも味気ない感じ。
 
甥っ子が好きなのでお寿司を作ろうとしましたが、酢飯の味加減ができません。
あまり入れすぎると大変なことになってしまうので、「こんなもんかな」ぐらいで味付け終わり。あまり美味しくなかったら謝ればいいことですから。

午後は寿司ねたを買いに外に出ましたが、夜はずっと家にいました。
 
甥っ子が見たがっていたので、インディ・ジョーンズの「クリスタル・スカルの王国」のDVDを買ってきてみんなで見ました。

2008年10月31日金曜日

ハロウィーンの夜

今日はハロウィーン。

昼間は時間があったので、義姉と甥っ子といっしょに「ビバリーヒルズ・チワワ」という動物ものの映画を見に行きました。
  
夕方は、私の学校で毎年恒例になっている"Haunted Hallway"という行事がある日です。
これはあまり安全でない地域にすむ子ども達が、安全にTrick-or-treatingができるようにと、学校の一部が開放されます。

娘、義姉、甥っ子と一緒に参加しました。
  
この日、学校の廊下とクラスルームの一部がハロウィーンにちなんでお化け屋敷のように飾りたてられます。ゲームをやるテーブル、クラフトができる部屋、大きな子どものための怖いお化け屋敷、外には布でつくったかなりこったメーズ(迷路)が作られていました。
  
娘はパンプキンのクラフトを一つやり、満足そうでした
でも廊下にあって、急に飛び出してきたピエロのようなデコレーションにびっくりし、「もういらない。こわい」といって家に帰りたがってしまいました。

メーズも怖がって入ろうとしません、結局私と甥っ子(義姉の息子)でメーズにトライしました。


学校を6時半ごろ後にし、家に戻りました。
 
私の住んでいるストリートではハロウィーンを祝う家が多く、近所からも沢山の子ども達がお菓子をもらいに集まってきます。
 
義姉と甥っ子に頼んでTrick-or-treatに娘を連れていってもらったのですが、どうやらハロウィーンのデコレーションが怖いらしく、10分もしないうちに帰ってきてしまいました。
 
代わりに家にお菓子をもらいに来る子ども達に、お菓子を配るのが楽しかったようです。コスチュームを着た子ども達が玄関にやってくると「あー、やってきたよー」といって片手にいっぱいのお菓子を子供達の袋に入れてやっていました。


映画、学校の行事、家でのハロウィーンと、盛り沢山の一日でした。
 
夜9時ぐらいになると私もかなり疲れていたのでしょう。長いすにごろんと横になり少し寝てしまいました。義姉が娘を見ていてくれて、私を休ませてくれたので助かりました。

星の王子さま


ブログで知り合ったお友達の小梅さん、「星の王子さま」を読まれたそうす。
     
私もたまたま母親が1年ほど前に送ってくれた新訳の「星の王子さま」が手元にあったので読みました。

星の王子さまが地球までやってくる道のりで、いくつかの惑星に寄り道します。  
    
それぞれの惑星には「変わり者」がすんでいます。
この変わり者たちは実は「現代の大人たち」を描いています。
純粋な心を持つ星の王子様からみれば、
「あまり意味のないことや、人の役にもたたないことに固執している人たち」であり「人生で本当に大切にしなくてはいけないものを知らないで毎日生きている人達」といったところでしょうか。
  
私も現在37歳です。子供からしたら「おばさん」の域。いつの間にか大人になってしましました。
  
こんな私を星の王子さまが見たらどんな大人に思うでしょうか。
 
私はどんな惑星に住んでいて、何をしている人間なのか、ちょっと考えてみました。
   
  
まず私の惑星はあまり大きくありません。大きな机が置けるぐらいのスペースがあるくらいの惑星です。机の上には私の「プロジェクト」に必要な資料、本などがおいてあります。星の王子さまに「何をしているの」と聞かれれば「いつかは自分なりに人助けが出来ればと思って、少しずつ勉強などしているんだよ」とでも答えるでしょうか。
  
それから机の上には一輪の小さな赤い花があります。
この花はわがままですが、機嫌がいいときはケタケタ笑います。
自分の見たことや感じたことを私に話すのが大好きで、話し終わると「おもしろいねー」とケタケタ笑うのです。
  
私と遊んで欲しくて、仕事の邪魔もしょっちゅうです。
でもそんな時は出来る限り遊んでやります。
私の持っているたった一輪の花だからです。
  
星の王子さまは私の机にならんだ資料や本をみて、「なんであんなつまらないものを一生懸命読むのだろう」と疑問に思うでしょう。私がやっている事が将来人を助けるかもしれないって、保障もどこにもありませんから。
 
でも星の王子さまとは、私の赤い花の話で盛り上がれるはずです。
 
彼も自分の星に残してきた愛する花があるからです。
  
それで星の王子さまも、私のことを少し理解してくれるかもしれません。
  
「あの人はなんかツマンナイ物を読んでばかりいたけど、すくなくても花を一輪、こよなく愛していたよ」って。
  

2008年10月30日木曜日

化学療法3日後

昨夜は少しお腹が痛くなり、深夜に3回ほど起きてしまいました。

頻尿ぎみでもありました。


でもどうにか朝は起き、子どもをデイケアにつれていき、念のため嘔吐をおさえる薬を飲んでおきました。


私の副作用はどうやら夜にジリジリと始まるようです。夜快適な場合、次の日も調子が良いです。

義姉は息子をつれてクリニックに行ったので、私は10時ごろから1時ごろまで昼寝をしました。

午後は何をすることもなしにボンヤリすごしました。義姉が夕飯を作ってくれました。

夕方はまたクラスメートが一人(Jin)が家に来てくれました。シーフード・スープを持ってきてくれました。
  
夜はテレビで"Breast Cancer Diary"という一人の乳がん患者のドキュメンタリーをやっていたので見ました。

  

2008年10月29日水曜日

今日の調子はとても良いです

昨日化学療法を受けたばかりなので、今日はダウンかなと覚悟していました。
ところが、とても調子が良いのです。かえって昨日よりも良いみたい。
  
子どもを生んでから頭がボーっとするような、ずっと時差ぼけのような感覚に悩まされることがありました。昨日、一昨日と、その症状がまた現れ、かなり不快だったのでが、今日はその症状もほとんどありません。すがすがしい一日で、家事などはかどってしまします。
 
今夜はアトランタから義姉が来てくれるので、それまでに家を片付けます。
 
さらに日本の友達が送ってくれた荷物を取りに、郵便局まで行けそうです。
 
なんだか何でもできそうな日です!ずーっとこんな調子だといいのですがね。

ただ一つ悩まさたのは便秘です。30分ぐらい便座にすわっている羽目になり、お尻がいたくなりました。。。

2008年10月28日火曜日

化学療法四回目

とうとう術前化学療法最終日です。 朝は少し早めに起き、子どもを8時にはデイケアへ。   
  
その後、高速で病院へ向かっている最中でした。 ギアチェンジをしても車がブルブルをふるえ、スピードアップしません。 おかしいと思ってギアをシフトダウンしましたが、力が出ません。 高速というのに、超ノロノロ運転で、後ろの車も全てバックアップ。。。 仕方ないのでハザードランプをつけてエンジンを一度切り、エンジンをかけようとしましたが、全く動きませんでした。   
  
昨日に続けてまた車のトラブルです。それも今日は化学療法の日なのに、高速のど真ん中で車が止まるなんて。。。最悪です。   
  
アメリカでは高速で故障車をヘルプしてくれるサービスがあります。しばらくすると助けのトラックがやって来ました。状況を説明すると、まずは後ろから押して緊急レーンまで車を移動させてくれました。そしてAAAに電話し、レッカー車のアレンジをしました。   
  
30分ほどしないうちにレッカー車がやってきました。それも昨日と同じレッカー車。。。同じ担当者。。。ちょっとはずかったです。   
  
どうやらクラッチがいかれたようで、ボンネットの中から煙が出ていました。煙が怖いので、レッカー車に一緒にのせてもらって家に帰りました。   
  
さて、病院の予約は8時30分。家に帰ってきたのは9時半を過ぎていました。病院に電話し、どうしたらいいか訪ねました。10時半までに来れば先生が診察してくれて、化学療法も受けられるとのこと。急いで家を出ました。


10時半に腫瘍内科の先生に診てもらうことができました。下血がまだあると話したら、「お尻をみまよう」といわれたので、ペロンとお尻出してきました。痔といってもいぼ痔ではないようです。おそらく中が切れているのでしょうと言われ、便をやわらかくする薬を出してくれました。


インフュージョン・センターについたのは11時を過ぎていました。血液検査を昨日終わらせておいたので、かなりの時間が短縮できました。お昼を注文しましたが、おいしくなくてほとんど手をつけませんでした。お昼の後はずーっと眠っていました。 
  
3時40分に目が覚めました。看護婦さんに「もうすぐ終わりますか?」と訪ねると「実は1時にすべて終わりましたよ」との答え。私がぐっすり眠っていたので、起こさないでおいてくれたのです。感謝すべきなのか、いなか。。。複雑な気分ですが、よく休めたのは良かったです。
 
さて、次にファーマシーにいって薬をもらいました。でもやはり大勢の人が待っていました。待ち時間が長い事を察し、隣のビルにあるフードコートへ。特にお腹が減ってはいなかったけれど、食べれる時に食べておこうと、ピザとマンゴのスムージーを買ってまたファーマシーへ戻りました。
 
お隣に座っていた老夫婦と話を待ちながら待っていました。彼らの待ち番号は870、私の待ち番号は888でした。5時には病院を出て子どもをデイケアに迎えにいかないと。。。と話したところ、最後に待ち番号の札を取り替えてくれたのです。本当に優しい老夫婦でした。ありがたく札をいただき、5時ちょうどに病院を発つことができました。
 
さて、次は渋滞との闘いでした。高速に乗るまで一つトンネルがあり、そこがいつもラッシュで混みます。さらに高速にのってからもノロノロ運転でした。家についたのは6時15分。急いで子どものチャイルドシートを車に設置し、デイケアへと向かいました。ぎりぎりですが6時30分の閉館までに間に合いました。
  
さて、家に帰る途中で気付いたのですが、もらった薬のなかに、嘔吐止めがはいっていません。病院に戻ることはできないので、子どもを向かえに言行ったその足で、家の近くのクリニックのファーマシーに行くことにしました。こちらでもかなり人が待っていました。待ち番号の札をとり、子どもが「アイスクリーム食べたい」というので時間つぶしに近くのマクドナルドへ。ドライブスルーでアイスクリームだけゲットし、またファーマシーに戻ってきました。
  
やっと全て終わり、帰りにお店によって昨日から約束していた粘土を買って、家ついたのは8時30分。
  
でも何だかんだ言って、今日の目標はぼぼ全て達成された。。。かな?

2008年10月27日月曜日

車のトラブル

先週動かなくなった車を、週末はひとまずずっとデイケアの駐車場に置きっぱなしにしてありました。
 
今日の朝その車にキーを入れてまわすと、何とエンジンがかかるじゃないですか。
おそらくバッテリーが古くなっていると思われるので、その足で車を修理してくれる所(Sears)へ。 検査の結果、やはりバッテリーが悪くなっているとのことで換えてもらいました。待ち時間が長かったので、私は隣のモールで1時間ほどウロウロ。

「ばっちり直りました」との店員の言葉に、すっかり安心した私。
家に帰ったものの、車庫を空けるリモコンがもう一つの車(朝デイケアに乗っていった車で、この車と引き換えに、その時点ではまだデイケアに置いたままでした)にあることに気づきました。
  
それでまたデイケアへ。

デイケアについて車のエンジンを切り、もう一つの車の中にあるリモコンを取り出しました。 そして今直したばかりの車をスタートさせようとしたところ、またエンジンがかかりません!
  
しょうがないのでAAAを呼びました。40分ほど待たされて、バッテリーを充電してくれたのですがスタートしません。これは「スターター」が悪くなっているから、レッカー車で運ぶしかないとのこと。
 
そしてまた30分ほど待たされました。私は車の中でうたたね。
 
3時ごろにやっと来てくれました。私は待ちつかれたので「もう一つの車で先に家に帰ります。あとはよろしく」とさっさと家に帰ってきました。
 
10分ほど遅れて家にレッカー車が着きました。道に出てみると、持ってきてくれた車のバックライトが点いています。「スタートしないはずなのに。。。」と思ってると、レッカー車のお兄ちゃんの一人が「エンジン問題なくスタートしたよ」との言葉。もう「あっそ」って感じです。どうも私の時だけスタートしてくれないようです。
 
レッカー車が去った後、車をサイドを蹴りたい衝動に駆られましたが、我慢我慢。
  
3時半ごろ、がんばって血液採取のため病院へ。
  
全て終わり帰ってきたのは5時を過ぎていました。そろそろ子どもを向かえに行く時間が迫っています。
  
まったく何もできない一日でした。
  
  
車のトラブルはさておき、やっと味覚が戻ってきました。
でも明日また抗がん剤投与です。2週間に一度はシビアです。

2008年10月26日日曜日

お友達のうちへ

夕方は昔こちらにいた友達が4ヶ月になる子どもと旦那さん連れで遊びに来ると言うことで、会いに生きました。
  
こちらに13年住んでいる日本人のご夫婦のところに滞在というとで、そちらに6時半ごろに。
  
結局夕飯までご馳走になって帰ってきました。
  

ハロウィーンのイベント

今日は晴れ間が広まり、綺麗な秋日和です。
近くでハロウィーンのイベントをやっていたので、子供を連れて行って来ました。

ショッピングセンターの広場でお店がテーブルを出し、コスチュームを着た子ども達にお菓子、連れ添いの大人達に宣伝のビラを配っています。あと無料でフェイスペイントや似顔絵、パンプキンにシールを貼ったりペイントするアートコーナーがありましたがうちの子は興味なし。さらっと一通り見て帰ってきました。
 
写真の左にいる黒い衣装をした人がわかりますか。竹馬に乗っていて、普通の人の二倍以上の身長です。顔は骸骨のメークでちょっと怖め。人目見た娘は怖がって、わたしにぴったりくっついてきました。

2008年10月25日土曜日

パンプキン

きのうデイケアで買ったパンプキンを使い、今日思い切って Jack O' Lanternを作りました。
モチーフはうちの娘です。出来上がった後、中にロウソクを入れて灯しました。

娘の感想は「あー、ママ、すごーい」でした。何を作っても「すごい」と言ってくれる娘でありました。

小雨

今日は午後から小雨でした。

近くで子供対象のハロウィーンのイベントがあったので娘を連れて行く予定でしたが、雨で明日に延期になってしまいました。

代わりにグローサリーに買い物に行き、娘が「わんちゃんとお魚が見たい」と言うので、帰りに二件のペットショップに娘を連れていきました。
  
一件目は"Puppyville" という子犬専用のペットショップです。2x2mぐらいのガラス張りのスペースに、5-7匹の子犬が入っています。こちらはスッと一通り見て出てきました。
  
同じショッピングセンター内で4-5件隣のお店は"Animal Jungle"という、もともとは魚専門のペットショップ。中はかなり大きく、魚からトカゲや蛇などの爬虫類、大きなオウムから小さなカナリアなどの様々な鳥類、ウサギやハムスターなどの小動物類など様々な動物を取り扱っています。また非売品のオセロットなども展示しています。ちょっとした動物園です。今日は土曜日だったので、家族連れのお客さんが沢山来ていました。みなさん何を買うわけでもなく、見物だけのようです。
  
帰りに娘が「じゃあ、お魚買ってかえろう」と言い始めました。別に金魚一匹ぐらいなら安いのですが、魚といっても大切な命。あまり気安く手に入れて、死なせてしまっては可愛そうだと思ったので買いませんでした。
  
帰り道、娘が少し眠たそうな顔をしています。少しドライブがてら車をビーチに向かって走らせていたら、眠ってしまいました。さて、6時ごろ家に着きましたがぐっすり眠った娘を起こしたくないので、車のなかでそのまま昼寝をさせました。私も車のシートを後ろに倒し、一緒に寝ました。外は小雨が降り続いていました。いつもは夕方のこの時間、近所の子供達が道に出てバスケットボールをしたり、人が犬の散歩やウォーキングで家の前を通ります。小雨のおかげで家の周りは大変静かです。誰に邪魔されることもなく、1時間ほど車の中でうたたねをしたノンキな親子の私達でした。

Living Proof

先日テレビで"Living Proof"というテレビ映画を放映していました。
録画しておいたので昨日の夜、2時まで夜更かしして見てしまいました。
   
乳がんの知識がある方にはおなじみですが、HER2と呼ばれる遺伝子が過剰発現したタイプの乳がんによく効くハーセプチンという比較的新しい薬があります。Living Proofは、この薬を開発した医師兼科学者、Dr. Dennis Slamonの話です。

Dr.Slamonは現在もUCLAで現役で活躍しておられます。
これからも頑張って研究されて、乳がんが根治できるような治療法を発明してほしいですね。

2008年10月24日金曜日

口の痛み

カンジダが出てきたあたりから、口の角が切れて痛くなってきました。
今は左右両方とも切れていて、大きく口を開けたり、しみる食べものを食べると痛いです。
喉もなんとなく違和感があり、夜と朝に呼吸がスムーズで無い気がして気になります。
   
肩や腰や、少しでもだるさがあったりすると気になります。
   
腫瘍内科の主治医の先生によると、化学療法中は癌が進行する事はまずありえないというので、 あまり悪い方向に考えないほうがいいのは分かっているのですが、やっぱり気になります。
 
今日の午後は何もやる気が起きませんでした。
唯一やったことといえば、昨日買ってきたハロウィーンのデコレーションをいじり、家の前の木に飾りつけたことです。

デコレーションにお金をかけるつもりないので、ただ雰囲気だけ。。。です。

夕方子供をいつもの通りデイケアに迎えに行きました。家に帰ろうとして車をスタートさせようとするとエンジンがかかりません。デイケアに来るには全く問題がなかったのに、びっくりです。でも前もこんな事がありました。前回のようにたまたま他のお子さんを迎えに来た父兄の一人に声をかけ、バッテリーをチャージしてくださいと頼みました。快く助けて下さったのですが、まだエンジンがかかりません。どうやら原因はバッテリーではないようです。
  
仕方がないので、車をデイケアに停めておき、徒歩で家に帰りました。子供といっしょなのでのんびりです。家につくまで1時間近くかかってしまいました。でも夕方の空気が心地よく、ハロウィンなどの飾りをした家々を見ながら帰ったので苦にはなりませんでした。子供とも見える景色についておしゃべりしながら歩きました。途中にリスなども顔をだしました。
   
家にやっとついて子供に夕飯を食べさせ、またデイケアに向かいました。今日は年に一度の「秋のフェスティバル」をやっているからです。デイケアに通う子供達がコスチュームを着てやって来て、各クラスルームに設けられたゲームコーナーや、野外のDJによるダンスパーティーなどを楽しんでいました。
  
うちの子はゲームにもダンスにも興味がなく、3-4個飴をもらって「もうお家に帰ろう」と私の手を引っ張って出口のほうへ。仕方ないので3ドルでパンプキンを買って帰ってきました。
  
「なおちゃん、ミス・サラ(子供の担任の名前)が好きでしょ?」と聞くと、「なおちゃん、ミス・サラいらない。なおちゃん、ママが好き」という答え。やはり家のほうが良いようです。必要以上にデイケアに居たくなかったようです。
 
夜はチリ産の冷凍サケを焼きました。白米と一緒に食べたら味が分かりました。調子にのって大きなサケ一枚(薄っぺらですが、25cmぐらいありました)一人で食べてしまいました。
  
明日はもっと味がわかるかな、と少し期待してしまいます。

円相場

今日テレビで円相場が一時一ドル90円87銭と言っていました。

実際に円からドルを買うと94.2円ほどで買えます。
先々月の8月でも一ドル110円ぐらいだったのに、それから20円の急落です。
過去二年の外国為替ルートを調べてみると、去年の6月には一ドル124円で、今年の三月には98円ぐらいでした(グラフからの読み取りなので正確な数値ではありません)。
去年の6月と比較したら34円の下落です。今日本からアメリカ旅行に来る人にとっては、超お得ですね。
  
だって100万円持っていたとしましょう。去年の6月だったらこの100万円は8065ドルにしかなりませんでした。でも同じ100万円が今日取引すると10616ドルに。約2550ドルのお得です。20万円以上得したことになります。

学校休学中で時間をもてあましているので、「経済学」のケの字も知らないくせに、こんな事を考えている私でした。。。

2008年10月23日木曜日

ちょっと買い物に

ご近所のお家です。本格的におばけのデコレーションを飾っています。私はここまでやりませんが、子供達もお菓子をもらいに来るので少しだけ飾ろうかなと思っています。
今日は特にやることもなく、半日を家でだらだら過ごしました。

テレビをみたり、本を読んだり、ゆっくりお風呂につかったり。

昼寝はしませんでした。横になってみましたが、どうも眠れません。

そこで外出することにしました。

来週はハロウィーンですし、ジョージア州から義姉とその息子が来るので一ドルショップでハロウィーンのデコレーションなどを少し買いました。それからその隣にあるKマートに行きました。おもちゃ売り場で娘のおもちゃと友人の子供のクリスマスプレゼントを購入しました。アメリカではもうクリスマス製品が並べられています。ぎりぎりだといいものが見つかりにくいですし、今年のクリスマスは治療の真っ最中でしょうから、早めに良さそうなものを買っておきました。

今日の朝お茶漬けを食べたら少し味がわかりました。「これは!」と思っておととい作ったカレーも試してみましたが、やっぱり味付けなしのポテトサラダのような味しかしませんでした。

買い物の帰りにケンタッキー・フライドチキンのドライブスルーでコンボを購入。フライドチキンもやはり味気なく、フライドポテトも油の味ぐらいしかしませんでした。ベイクト・ビーンズは少し辛味がわかったぐらいです。それでも味が分からないわりにコンボの半分ぐらい平らげました。味が分からなくても食べれるだけありがたいのかもしれません。

2008年10月22日水曜日

おばけは怖い?

昨夜はちょっと夜更かしして2時まで起きていました。だらだらテレビを見たり、一年時の内容の「解剖学」をちょっとおさらいしたりして、アッというまに時間がたっていました。    

朝起きたのは9時過ぎでした。あわてて子供を起こし、デイケアに連れて行きました。   

あと一週間ほどでハロウィーンです。私が住む通りはハロウィーンのデコレーションを積極的にしている家が多く、当日はコスチュームを着た子供達でにぎわいます。娘はリアルなお化けの飾りなど、怖がるふしがあります。   

デイケアに行く途中、大きなお化けの飾りがしてある家の前に来ました。蜘蛛の巣などはってあり、リアルな骸骨系の人形が大きな木から吊るしてあります。車の速度を落とし「ほら、見て。おばけだよー。ちょっと怖いねえ」というと、「おばけ、怖くないよお。ハロウィーンだよ」と反対に言われてしまいました。自分の意見を持ち始めた娘に、ちょっとにっこりした私でした。

2008年10月21日火曜日

腹が立つ電話


今日の夕方、電話がなりました。
コーラーIDには"Private"となっています。海外にいる夫か、夫の会社からの電話かもしれないので電話に出ました。

電話の相手は貧困層の乳がん早期発見のために、マモグラフィーなどを提供するため資金を募っていると組織とのこと。チャリティー押し売りの電話です。アメリカには健康保険をまかなえない人が大勢いますから、助けてあげたい内容ですが、どうも組織の正体とかがはっきりしません。とにかく小額でもいいからお金を出してくださいと言う。
  
アメリカではこのように電話で募金を募る電話がよくかかってきます。いつもは英語がわからないふりをしてごまかすのですが、今回は乳がん関係だったので少し話しを聞いてみようと思いました。ただし私の電話番号と名前を何処から入手したか気になったので、訪ねてみました。そると去年からあるシステムの中に入っていたと、漠然な回答。「システムって、どんなシステムですか」と訪ね返すと、舌打ちする音が聞こえ、電話をガチンと切られました。
  
なんと無礼な人だろうと憤慨しました。乳がん早期発見という目標を本当に掲げている組織かもしれませんが、あんな態度で仕事をしているんなら、やめたらいいと思いました。チャリティーでやっているという信実さが全く感じられませんでした。 もしコーラーIDで電話番号が分かるようなら、追って電話をし、苦情を申し立てているところです。

すがすがしい秋日和です

朝起きて口の中をみると、白いカンジタは消えていました。
薬がテキメンに効いたのかな?
念のためまずい薬を今日もう一度飲んでおきます。
   
今日も日中は恒例の三時間昼寝です。
起きて何かしてもいいのですが、「今日はこれをしよう!」という気持ちになりません。
味覚障害からお腹もへらず、食べる量も少ないので元気が出ないのでしょうか。
鬱になっているとは思いませんが、不安も多いのでやる気がでないのかもしれません。
   
今日は唇の角が切れていて、パイナップルを食べたらしみました。
唇の内側も少し粘膜が剥けたようになっています。


体重を量ったらまた減っています。化学療法開始前より約5キロの減少です。なるべく急激に減らしたくないので、先週友達のKatieがもってきてくれたスープを沢山(2杯)食べました。
午後はボーっと料理番組をみていました。味覚がないぶん「あれはどういう味がするんだろう」「あー、ああゆうふうに料理ってするんだ」と、料理不精な私が興味深く見てしまいました。ちょうどキノコのリゾットや、中国風のチキンのおかゆなど、病気のときに食べられそうなものをやっていました。チキンのおかゆは簡単に作れそうでした。
     
昨日子供が「カレーたべたい」と言っていたので、今日の夕飯はカレーにします。

2008年10月20日月曜日

カンジタ菌の薬

朝起きて病院に電話をかけました。看護婦さんが応答してくれて、状況を説明しました。私の主治医に連絡して、追って電話をかけてくれるとのこと。
        
子供をデイケアに連れて行った後、病院から電話がかかってきました。  
飲み薬を出すので、ファーマシーまで取りにいってくれとのこと。
体が火照る感じが時々しますが、特に高い熱などないので(計ったなかで最高は99.5F)受診しなくても良いとのこと。
    
化学療法中はカンジダ感染は良く見られる症状ということで、あまり深刻ではない印象をうけました。
昼前から日中にかけて3時間ほど昼寝をし、4時半過ぎにファーマシーへと向かいました。
 
風邪の季節柄か、ファーマシーは混み合っていて、1時間近く待たされました。
もらったのは"nystatin(ナイスタチン)"という薬。抗真菌薬です。15mlほどを口に含んでうがいし、そのまま飲み込みます。何か気持ち悪い感じがしますが、お薬だから仕方ありません。頑張って飲みました。味覚障害が在るとはいえ、まずい薬であるのが臭いでわかりました。口に含んでうがいし、思い切って飲み込みました。やはり「おえー」と来ましたが、頑張って吐かないようにしました。
  
薬は一日に4回まで、治るまでとの支持です。カンジダ、はやく治ってほしいです。はい。

今日両方の親指をふとみると、白い三日月の上が黒っぽくなっています。まだあまり酷くはありませんが、話に聞いていた爪の色素沈着が始まっていることを確認しました。

2008年10月19日日曜日

カンジタ菌?

昨夜も雨が降り続き、今日は少し肌寒い曇り日の日曜日です。  
  
水曜日から来ていた義姉も今日帰ります。
  
どうも化学療法中は夜中に目が覚めてしまいます。11-12時ごろに寝ても3時頃、トイレに行きたくなって目が覚めます。それから1時間後にまた何故か目が冴えてしまうのです。たえず舌に独特の感覚があることがあり、それで目が覚めるのかもしれません。休みはたっぷり取りたいので、頑張って目をつぶり全身をリラックスして眠りにつこうと努力します。それでなんとか8時か9時前頃までぐだぐだと寝ています。
  
学校も休学中なので、早起きするストレスもありません。ただ平日は娘を9時半ぐらいにはデイケアにつれていかないといけないだけです。あまり遅く連れていくと「昼ねをしないでこまる」だの言われます。
  
午後1時ごろ、お向かいの子が家族も家にいるので娘を少し預かってくれると言ってやってきました。体調は良くて子供と買い物にでも出ようと思っていたのですが、少し甘えてベイビーシットしてもらうことにしました。子供がいない間、少し横になっていました。2時間ちかく昼寝をしましたが、起きた時に胸がすこし詰まった感じと頭がほてった感じがあり、心地良い寝起きではなかったのが残念でした。起きたときに少し胸が詰まった感じがするのは、体に管(ポート)が入っているからと主治医に説明を受けたことがあります。頭で分かっていてもいやなものです。

さて、起きた後鏡で自分の喉をのぞいたところ、喉仏の横と扁桃腺の上のあたりに白いヨーグルトのようなものがこびりついています。見た瞬間「カンジタ菌だ」と思いました。クリニックに電話をかけると、熱があるようなら緊急救命室に、熱がないなら明日主治医に受診するよう言われました。
 
あいにく計ってみると熱はなかったので、明日の朝クリニックに電話をかけて受診してもらいます。
  

2008年10月18日土曜日

Komen's Race for the Cure

今日は小雨の降る中、Komen's Race for the Cureという乳がんのチャリティー・ウォークに参加しました。 海岸に沿って往復5キロの道のりを、自分のペースで歩いても走ってもいいというもの。


学校のクラスメートの一人がチームを立ち上げ、本来は23人のメンバーたち。チームリーダーのDioneは、今年の初めに若い従妹を乳がんで亡くしてしています。
   
当日は小雨であったこと、現地に沢山の参加者がいて込み合っていたこと、最終の集合地点などの連絡が良くいきわたってなかった事などもあって実際集合して顔が見れたのは12人ほどでした。


私は皆の顔を見て、用意していたピンバッチを渡して帰るつもりだったのですが、5キロのウォークに挑戦。チームメンバーでクラスメートでもある子(Mary Vaughn Smith) が私と一緒にゆっくり歩いてくれました。折り返し地点の2.5キロのところでは、すこし疲れ、化学療法のためしばらく運動をしていなかったので足の付け根も痛くなってきました。でも、いろんな話をしながら歩いたので、残りの2.5キロも歩く事ができました。
  
ウォークが終わったころには小雨も止み、ただの曇り日になっていました。
あまり無理してはと、イベント用に出ていた屋台やスタンドに立ち寄らずに家に帰りました。
  
「天候が悪かったら、家でおとなしくしていよう」と思っていたのですが、思い切って参加してよかったです。
  
少し歩いて運動したので、かえって気持ちのいい日となりました。
体調はびっくりするほど良かったのですが、やっぱり苦しめられつづけるのは味覚障害です。
何を食べても味気なく、食欲がわきません。
今日は試しに「塩」だけ舐めてみました。しょっぱい感じがほとんどなく、薄い味の素のような味がしました。やっぱり「塩気」を感じる味覚が無くなっていることを実感しました。

2008年10月17日金曜日

昼寝の後。。。

今日は子供を義姉にデイケアまで連れて行ってもらったあと、少し横になって4時間近く昼寝しました。
  
下腹部が少し重い感じがしていたけれど、それも少し取れました。それから右胸のしこりにちょっと触れると、なんとなくまた小さくなっている感じがします。これは初めてではなくて、以前にも何度か2-3時間ほど昼寝をして起きた後、なんか腫瘍が小さくなったように思うのです。気のせいでしょうか。
   
人は寝てるときに免疫細胞が活性化されて、感染や癌細胞をやっつけるというような事を読んだ事があります。
  
やはりストレスをためないでキッチリ体を休めることは大切だなあと思いました。

2008年10月16日木曜日

今日もまた体調はまあまあ

抗がん剤投与2日後ですが、まだ体調はいいようです。    

便秘気味ですが、下血は今日はほとんど見られず。食欲はやはり低下しています。その代わりジュースのようなものを飲んだり、果物を食べたりしています。たまにお腹が痛みますが、たいしたことはありません。たまに気持ち悪くなりそうな感覚があるので、今回は「必要に応じて飲む」と支持された薬(composine)を飲み始めました。   

白血球カウントを上げるNeupogenも皮下注射しました。   

看病に来てくれた義姉さんに頼らなくても余裕で子供の世話ができるぐらいの状態です。でもせっかく来てくれたので、甘えて子供を朝デイケアに連れて行ってもらい、夕方は子供を向かえに行ってもらって、夜はチキンスープを作ってもらいました。    

ちょっと申し訳ない気もします。

2008年10月15日水曜日

体調はまあまあです

いつもはクールの翌日に激しい疲れに襲われ、3-4日ぐたっとなってしまうのですが、今日はなぜか体調が良いです。
   
朝はなぜか体調がすこぶってよく、娘をデイケアに連れて行ってくれると約束してくれていたお近所さんに断ってまで娘をデイケアに連れていくことができました。ついでにその足で買い物まで済ませました。
 
でもだんだん味覚症状は出始めているのを感じます。何も食べていなくても、舌に変な感覚があります。あともうすでに便秘ぎみです。少し少なめだけど下血もありました。
   
午後は少しお昼ねをしました。おかげでまた少し元気がでました。  
  
午後3時半ごろにまた学校からお友達 (Katie) が訪ねてきてくれるというので、3時ごろ起きました。
   
また今夫が海外出張でいないため、午後にはワシントンDCから義姉さんが看病に来てくれます。
私がこんなに元気なのをみたら、少しびっくりするかな?

2008年10月14日火曜日

抗がん剤三回目クール

三回目のクールに行ってきました。       
            

8時前に子供をデイケアに連れて行き、病院には8時頃につきました。
始めにインフュージョン・センター(実際に点滴を受ける所)に行き、ポートから採血してもらいました。
                   
その後腫瘍内科のほうへ。9時のアポイントに少し遅れてしまいましたが、先生も朝採血してから来ることが分かっているはずなので、特に問題なしでした。
       
水曜日のPETスキャンによると、右胸の腫瘍は1.9x1.4x3.5cmから1x1.4x2.6cmに、脇の下のリンパ節は2cmから8mm、1.6cmから6mmにと小さくなりました。先生によるとなかなか良い反応ということでした。2回目クールの後の副作用の様子を話したあと、診察してくれて「たしかに胸の腫瘍は小さく、やわらかくなっている」と言ってくれました。
        

2-3日前から喉が痛く、咳もでていました。さらに昨日は夕方からずっと頭痛がし、さらに深夜に気持ち悪くなって嘔吐してしまいました。こんな状態で治療を受けられるのか、不安でいっぱいだったのですが、白血球の数もそんなに落ちていないし、おそらくウイルスによる風邪なので大丈夫ということ。化学療法中に気になるのは細菌感染だそうです。それからクール2週間も経つと抗がん剤はほぼ体内に残っていないので、この風邪の症状は治療の副作用ではないとのことでした。
           

診察のあとはインフュージョン・センターに戻り点滴です。またもや薬が届くまで時間がかかるので少し居眠りして待ちました。今回は他に3人、点滴を受けてる人がいました。その一人は年配の、乳がん患者さんでした。帽子もジャケットもブランケットもピンクなので、すぐに乳がん患者さんだと分かりました。腫瘍内科に行ったときにたまたま一緒になったので少しお話しをしました。彼女はハーセプチンとタキソテールの投与だそうです。とても明るい人でした。
  

治療は2時前には終わりました。子供を迎えに行くまで少し時間があるので、学校によりました。10月は乳がん月間ということで、クラスのみんなのメールボックスに飴を入れてきました。


さてアメリカでは乳がん月間にちなんで、お店ではピンクリボン製品がいろいろと目につきます。多くの商品は収入の一部が乳がんの研究や啓もう活動の資金として利用されます。
 

昨日はたまたま見かけたグレープ味のスパークリングジュースを買ってみました。ほかにもヨーグルト、クリームチーズ、シリアル、プラスチックコップなど、いろいろな製品がありました。  
夕方にはまた二人、クラスメート(Jin, Jardi)が会いに来てくれました。副作用が強いときはスープぐらいしか食べれないと言ったのを覚えてくれていて、スープを作ってきてくれました。
              
今日の夜は本格的には疲れや他の副作用は出ないものの、なんだか体が火照ります。
        
日曜日に友達がもってきて冷蔵庫に入れておいてくれた、冷えたメロンとパイナップルがとても美味しく感じてパクパクいっぱい食べてしまいました。




2008年10月12日日曜日

もと同僚のお友達

子供を生むまで地元の病院に勤務していました。
                   
その時の元同僚が二人、遊びに来てくれました。
            
サラダ、チキン料理、パンツェ、ブルーベリーパイ、揚げギョウザなど、いろんなものを持ってきてくれました。私のほうはチャーハンと茄子茄子をつくりました。
           
抗がん剤で食欲がなくなったときに食べるようにと、缶のチキンスープやフルーツなどもくれました。

久しぶりにお腹いっぱい食べてしまいました。

恒例の女子フットボール (10月11日)

私の通う学校では毎年一年と二年の女子生徒がフットボールの試合で競い会うのが伝統になっています。 今日はその試合を娘と観に行きました。



チーム名は"Toxic Shock". 私と娘も赤いチームシャツを着ていきました。 昨日丸刈りにしたので、頭の後ろにチーム名をクラスメートに書いてもらいました。

試合に出る子たちの袖には、TBと文字の入ったピンクのハートがアイロンプリントされていました。これは私のイニシャルで、闘病中の私にみんなから「頑張れ」とのメッセージだそうです。

「あんたのために勝つからね」と声をかけてくれた子もいました。皆とても私の病気のことを理解してくれて、いろいろと元気付けてくれます。とても嬉しいです。   

さて、選手はみんな女子ですが、ハーフタイムショーをやるのは男子学生です。私達は二年なのでチアリーダーは四人だけでしたが、一年生のほうは女装したチアリーダーが20人ぐらいいました。きもちわるかったです(それがねらいですが)。             

なによりも私達のチームはめでたく勝ったので、良かったです!


夜はクラスメートの家でパーティーがあり、娘を連れて参加しました。 丸刈りは寒そうなので、安物の金髪のカツラをかぶって行きました。最後はすごい混みようで、次の火曜日には三回目の抗がん剤クールなので風邪などうつされないようにしないと、と思いました。実際外はかなりもう寒く、娘も疲れてしまったようなのであまり遅くならないうちに家に帰りました。



少し忙しかったけど、思い出になる一日でした。

2008年10月10日金曜日

丸刈り

髪の毛も9割がた抜けました。

ベットは私の髪の毛だらけ、まさに冬にむけて動物の夏毛が抜け落ちるようです。
私の場合冬毛は生えてきませんが。。。

お風呂も私の毛がところどころに落ちています。
髪の毛を洗ったりとかしたりするたびに髪の毛の束が落ちるからです。
なぜかほとんどない髪の毛を毎日丁寧に洗ってリンスまでしていた私。
でもその残った髪も今日ばっさりと刈ることにしました。

子供をデイケアに連れて行った後、近くのコンビにでバリカンを買ってきました。


いろいろ散髪用のアタッチメント付で、セールで16ドルでした。
これでだいたい刈り上げ、最後に夫のシェービング・キットで仕上げをしました。
全て終わると頭が涼しくなりました。
      
夕方は長いカツラをかぶり、娘をデイケアに迎えに行きました。
   
家に帰ってきて娘の前でカツラをするっと取ると、三歳になる娘が目をまるく見開いて
「はっ」と一言。丸刈りになった私の頭に驚いたようで声がでません。
「ママ髪の毛なくなちゃったんだよ」というと、
「うん、じゃあさがしてくるね」と言って二階に行こうとします。
「いいんだよ、髪の毛なくても。ママ可愛いでしょ?」というと
「うん」と言ってくれました。
そしてたまたまテーブルの上にあったハサミを手にとり、
「なおちゃんも髪の毛切るー」と言って、本当に自分の髪の毛を切る仕草をしました。
   
あわてて止めました。

2008年10月9日木曜日

Get-together

今日は学校からクラスメートが5人(Jin, Lei, Lien-Thanh, Fasil, Nirmal) 、来てくれました。
今日は「微生物学」の小テストがあったので、彼らにとってはテスト後のちょっとした息抜きです。

ポットラックパーティーで、皆なが食べものを持ち合ってご飯を食べ、DVDを見ました。
"I Am Legend" というウィル・スミス主演の映画です。
グループで見るには良い映画でしたね。一人で診たらちょっと怖めかも。
とっても楽しい夜でした。


腫瘍内科医からの電話

午後5時ごろ、病院から電話がかかってきました。
腫瘍内科の担当医の先生からでした。
今日受けたPETスキャンの結果が出たので、火曜まで待てないだろうから教えてくれるとのこと。

がん細胞が吸収する造影剤の濃さはあまり変わらないものの、右胸の腫瘍と腫瘍している脇の下のリンパ節が確実に縮小しているとのこと。

これで現在受けている抗がん剤続行が決定しました。

ACをあと二回、二週間に一回のペースで投与します。

頑張ります!

2008年10月8日水曜日

PET スキャン


抗がん剤二回目を終えて一週間以上経ちました。
今日はペットスキャンの日です。

抗がん剤がどれだけ効いているか、確認するわけです。

実は抗がん剤第一回目を受けて3日目、右胸のしこりを触れたとき 「あれ、ちょっとしぼんだ。。。かな」と感じました。

それから原発巣のしこりと脇の下の腫脹したリンパ節は徐々に小さくなり、今では半分以下になったんでは。。。と思うぐらいに縮小しました。

抗がん剤を開始する前は「抗がん剤投与2回目の時点でペットスキャンで抗がん剤の効果を見る」、「もし腫瘍のサイズが変わらなかったり、かえって大きくなってしまった場合はすぐ化学療法をストップし、手術をする」と聞かされていました。

触った感じでは抗がん剤が効いているようなので、このままあと2クール続行になると思います。
実際どのくらい小さくなっているのかはペットスキャンの結果を待たなくてはなりません。

腫瘍内科医との診察は来週の火曜日です。

ペットスキャンをするにあたって、前日の深夜以降なにも食べれないので、検査が終わったあとは少しお腹がすいていました。でも何を食べていいのか分かりません。家に帰るとお茶漬けとかで済ましてしまうのは目にみえているので、栄養のあるものを食べたいと外食することにしました。「チリ」というレストランに行きました。失敗したのはそこは主にステーキとかハンバーガーとか典型的なアメリカ料理しかなかったことでした。パスタぐらいあると思ったら、なかったんです。「今日のスープ」もたいしたものでなく、結局「スプリングロール」にしました。ハラピーニョがピリッと効いて、3つ食べたら汗が出てきました。「もしかして胃にとってもやさしくなかったかも。。。」と思いましたが、スパイスが効いているので味覚が半分無くなっている私にとっては食べられる料理でした。そして4つ食べて体が火照って頭がボーッした後、なんとなく胃がすっきりして爽快感に。何でも食べてみるものですね。

カツラ

髪の毛も8割がた抜け、かなり頭が寂しくなってきました。今まで帽子などで薄くなった頭を隠してきましたが、もう横の毛も薄々で抗がん剤の副作用で脱毛したのがバレバレです。外に出ると人の目線が気になります。「あの人は癌かな、髪の毛が薄いな」と可愛そうに思われるのがつらくなってきました。抗がん剤を始める前は「髪の毛が抜けたって自分は平気」と思っていたけれど、いざ本当に抜けると正直言って隠したくなってしまいます。

そこで昨日はカツラを買いに近くのショッピングモールに出かけました。韓国人の女の人がやっているウィグショップがあり、いろんなスタイルから2つを選択。店の奥にカツラをフィットしてくれる小さな部屋がありました。中は大きな鏡がって、客が座る椅子、そして回りに美容師さんが使うような器具が置いてありました。ちょっと楽屋をイメージするような部屋でした。

その韓国人の女の人はそこでカツラが私の顔に合うように、カットとスタイリングをしてくれました。自分の髪の毛を失ってカツラをつける。。。「なんでこんな事になっちゃったんだろう」とまた少し悲しくなりました。

でもウィグショップの女の人は、とても綺麗に私の選んだカツラを仕上げてくれました。長いほうのカツラをスタイリングし終えて「高校生みたいに見えるね」なんて、言ってくれました。


この方も毎日、私のような癌で髪の毛を失った人のお手伝いをしているんだな、と思うと彼女にとっては仕事とはいえ「ありがたいな」と思うのでした。
さて私の入っている健康保険では抗がん剤で脱毛した場合カツラは義足や義歯などと同じ「プロテーゼ(人口器官)」という扱いになっています。それでカツラ一つまでは保険がききます。700ドルぐらいまではカバーされるそうで、ウィグショップの女の人が「2つのカツラのお金が下りるように、レシート書いてあげる」というので今回は二つ購入ということになったのです。
長いほうは本物の毛、短いほうは人口の毛でできています。本物の毛はパーマかけたり、脱色したり、自由自在なそうです。
家に帰って無造作に購入したカツラをテーブルに置いておいたら、三歳になる娘がそれを見つけました。長いカツラを持ってきて「これ、なあに」と聞きます。
「これはママのカ・ツ・ラだよ」と答えると
「かぶってー」と娘。
私がかぶると「あー、可愛いねえ」と言ってケタケタ笑います。
今度は自分が付けたいと、私の頭からとって自分の頭に乗っけたりしています。
そして次は「ココにもー」といって犬にかぶせています。
完全におもちゃです。
「これはママの毛だからね、ひっぱったりはだめだよ」と言いました。
「ママはこれ付けてたほうがいいかな」と尋ねると「うん」という答え。
私も単純に「そっか、やっぱ外出時はつけよー」と思ってしまいました。

2008年10月7日火曜日

げ、下血。。。

2回目抗がん剤クールから一週間経ち、やっと元気になりました。

でも今日の朝、トイレで大をした後下血しているのに気づきました。
即効で病院に電話しました。
看護婦さんが出てくれて、状況を詳しく聞いてくれました。すぐ担当医に聞いて、折り返し連絡をくれるとの事。

電話を待っている間、うとうとと昼寝をしていた私。その時看護婦さんからまた電話がかかってきました。下血は抗がん剤の直接的な副作用ではないということ。抗がん剤投与直後に起こった便秘が原因の痔か?抗がん剤では血小板の数も減少するので、心配なら血液検査してくれて、血小板が下がっていればそれに対処する治療をしてくれるということです。

で、明日採血しに病院に行ってきます。

昨日は旦那が仕事でイタリアに行ってしまいました。それも一ヶ月も。。。
私が化学療法真っ最中というのに。。。
幸い近所の方が子供の世話など手伝ってくれると言っているので甘えることにします。

2008年10月3日金曜日

お友達


学校からお友達が二人、お見舞いに来てくれました。

勉強も忙しいなか、夜の8時ごろにお花を持ってきてくれたんです。

一人は「組織学」の実習のクラス、もう一人はスモールグループの時に知り合ったお友達です。

一時間半ぐらい、ゆっくり話しができました。


久しぶりにクラスメートに会えて、とてもうれしかったです。

2008年10月2日木曜日

おなかの調子がいまいち

今日は食欲がないのに加えて、お腹が一日中痛く、長いすでずーっと寝ていました。

「何かたべないと」と思っても、何も食べる気になりません。お腹が痛いのもだけど、味覚が変わってしまったし、食べものを口にすると変な後味が残って気持ち悪くなるのです。

夕方になってコーラを少しと、インスタントの五目寿司をつくって食べました。
なぜか酢飯は喉を通りました。

今日は昼間中寝ていたので、今晩眠れるか心配です。

夕方夫が娘を連れ出していって、ご飯など食べさせてくれたので助かりました。

2008年10月1日水曜日

今日の体調

昨日は抗がん剤投与翌日としては文句ない体調でしたが、今日は少し疲れが出ました。

朝は長いすとうとうと眠り、午後は家の掃除を少しづつしながら疲れたら横になるを繰り返していました。

昨日の晩はなぜか深夜3時半ごろに目が覚め、眠れなくなってしまい、一時間以上コンピューターの前で時間潰し。無理やり床に戻って9時ごろまで寝たものの、それが疲れになって出たのもあるかな。

今日はあまり食欲なし。私の癌のタイプは肉を避けたほうがいいというのを聞いた事があるけど、免疫細胞が増殖するには淡白質が必要なので、夫が買って来てくれたケンタッキー・フライドチキンのポップコーンチキンを夕方少し食べました。

たまに更年期障害みたいに体がほてります。おそらく抗がん剤で卵巣の機能が低下してるのでしょう。

髪の毛も徐々に抜けてきて、おでこの生え際から薄くなってきています。

2008年9月30日火曜日

化学療法2回目

9月29日は化学療法2回目を受けてきました。

血液検査をして白血球が十分なレベルに達していることを確認し、抗がん剤の投与が始まります。
私は術前、術後に抗がん剤を受けるので当分このインフュージョン・センターに通うことになるので、今日担当の看護婦さんが私用にブランケットをくれました。

血液検査の結果が出て、薬局から薬が届くまで少し時間がかかります。もらったフランケットに包まっていると、すやすや眠ってしまいました。薬が届いて確認のために一度起こされましたが、その後も抗がん剤投与している間ずーっと眠っていました。

さて、前回の一回目の投与の後、副作用のだるさが出たのは翌日でしたが、今回は投与日の夕方に出ました。夕方はずっと長いすに横になっていて、夜は気持ち悪い感覚で何度か目が覚めました。でも翌朝にはだるさは消え、なんだが具合がよかったです。つらかったのは副作用の便秘ぐらい。それから味覚が変わるので、食欲もわきません。

二回目で体が薬に慣れてきたのでしょうか。薬が効いてくれているなら、副作用が少ないのに越した事はありません。



  私専用にナースがくれたブランケットです。




2008年9月28日日曜日

治療前、のんびりした週末

近所にある大きな公園に、「カーニバル」という一時的に設置される小さな遊園地が来ていたので子供をつれて遊びに行きました。観覧車に乗ったのですが、古くて折りたたみ式っぽいので怖かったです。重心をずらすと揺れるし。。。子供に「ちょっと怖いねえ」というと反対に「こわくなーい」と言われてしまいました。
秋らしい心地の良い日曜日でした。

2008年9月25日木曜日

今日の診察

定期診察で腫瘍内科へ。

2週間前にACの初回クールをしましたが、3-4日目には原発巣と脇のリンパ節が心持ち小さくなっているように感じていました。担当医のDr.Dも原発巣のところが「すこし柔らかくなったね」と言ってくれ、「脇のリンパも少し小さくなっている」と感じている私に同意してくれました。

今週末は夫が仕事で出張に行ってしまうため、明日(金曜)でなくて次回クールは来週の月曜日にしてもらいました。二回目クールのあとPET検査をし、実際どれくらい腫瘍が小さくなったか確認します。一回だけでも多少小さくなったので、二回目ではさらに小さくなるようにと願っています。

ということで、今週末は副作用に苦しまないですみそうです。

ちょうど喉の調子を調えるのに良いかも。

2008年9月23日火曜日

電話おしうり撃退法

アメリカでは押し売りの電話がよく来ます。
内容は「保険会社」とか「地方の警察のサポートグループ」とか「チャリティーへの募金」とか様々ですが、どっから勝手に番号探したのか腹が立ちます。

そこで私が編み出した「電話押し売り撃退法」をここで。

電話がかかってきて、押し売りだとわかるとベッタベタの日本語なまりで
「アイ スピーク ノー イングリッシュ」
と言ってやります。すると相手は
「オー、オーケー。バイ」と言って簡単にあっちから電話を切ってくれます。

日本でも試してみてください。外人のふりして
「ワタシ、ニホンゴ、ワカリマセンノー」
とか言って。もしかしてうまく行くかも。

2008年9月21日日曜日

多くの人にささえられて


アメリカに帰国してからすぐ、学校のクラスメートにメールで自分が告知したことを知らせました。

多くの人が励ましの言葉をかけてくれました。


アメリカでは乳がんの羅漢率が8人に1人とかなり高いです。クラスメートの2人はお母さんが乳がんと戦っていると声をかけてくれました。若くしていとこを乳がんで失った子もいます。


今回抗がん剤を手術前にやるので、クラスの子達が励ましの言葉をT-シャツに書いてくれました。

さらにメッセージをかき寄せてあるカードを3つも。


皆に支えられていることを実感しました。

2008年9月18日木曜日

喉いた

昨日の朝から喉の具合が不調でした。飴をなめて頑張っていたのですが、昨日の夜は寝つきも悪く、喉の痛みで何度か夜中に目が覚めました。免疫が落ちてるからでしょうか、喉の粘膜が薄くなってるからかな。それともタダの偶然的出来事かも。

副作用で食欲があまり出ません。以前は何かと食べてすぐに体重に反映するほうだったのに、化学療法を始めてからは「おながかすいた」という感覚が無くなってしまったのです。この前バイキングスタイルのレストランに行ったとき、建物に入ったとたんに臭った食べ物の臭いを嗅いだだけで食欲がうせてしまいました。でもせっかく行ったから果物を主に食べました。

体重もこの1週間で3キロ以上減ってしまい、ダイエットしても全然減らなかった体重がこんなに簡単かつ早く減ってしまうのは複雑な重いです。これを機に理想体重へ!と思っているのですが、あまりペース早く体重が減ると「自分は大丈夫かな」と心配になってしまいます。この2-3日は体重計に乗るたびに前日より1キロ近く落ちているので、信じがたいです。

今日は頑張って「すし太郎」とウエンディーズのフロスティーを食べました。

2008年9月16日火曜日

そろそろ髪の毛くるか。。。?

今日ラップトップ・コンピューターをいじっていると、髪の毛が2本のど落ちているのに気づきました。
頭の毛をすこしつまんでひっぱってみると、薄めの毛が2本ほど取れました。

髪の毛が抜け始めるのは化学療法も3回目を終えたぐらいから。。。と聞いていた気がするのですが、もう抜け始めるのでしょうか。

ちなみに子供を生んで6週間後に始まったアトピー皮膚炎が、化学療法を始めてから良くなりました。腫瘍内科の先生によると抗がん剤で免疫力が低下するので、それに伴って免疫が自分の
組織を間違って攻撃してしまう「アトピー」のような病気は症状が緩和するとのこと。

あと副作用の一部でちょっとやなのは便秘です。基本的に食欲は低下しているので、食べる量が少ないから出にくいというのもあるでしょうが、いままでお通じが良かった私にとってはとても気にかかります。

2008年9月15日月曜日

化学療法一回目その後

金曜日に第一回目の化学療法をうけ、その日の夕方ごろに多少疲れは出たものの、体調はまずまず。でも翌日から疲れがどーんと出ました。

土曜日の朝はぼーっと目がさめ、どうも体を起こすことができません。体じゅうが重いというか、トイレに行くのを我慢しても横になっていたい気分です。実際トイレに行こうと起き上がったのはお昼をやっとすぎた頃。このままでは膀胱が破裂しそうだったので起きたわけです。でもトイレの後はまたすぐベットへ。やっと立ち上がってシャワーなど浴びたのは夕方6時を過ぎたころでした。椅子にすわったりすることはできる様になっても、何をする力もわきません。

日曜日はさらに疲れが増していました。この日はほぼ一日中寝たきりでした。口にしたのはりんご一個とプラスチックの容器で別売りしているみかん。午後になって娘が裏庭で遊びたがったので一緒に出て、私は長いすのローンチェアーで寝っころがりながら娘を監視していました。午後5時ぐらいで夕方になりかけの時間。下がりかかった太陽と夕方に吹き始める風の微妙な組み合わせが心地よく感じました。

裏庭で寝転んでいたのは20分ぐらいだったでしょうか。家の中に入るとまたすぐに長いすでごろり。気づくとすっかり寝入っていて深夜ちかくになっていましたが、起き上がって二回のベットに行く気力もなく、朝の9時まで長いすで眠りました。この日から白血球の数を増やす薬を自分で皮下注射しなくてはいけませんでしたが、その気力もなく。ただただ安静にするのみ。。。

月曜日の朝、娘と夫を起こさないとと思いソファーから起き上がりました。子供の隣に寝っころがりながら、子供を揺さぶって起こしました。ペースは遅いものの、着替えをさせデイケアへの準備をしてあげることができました。いつもよりも30分おくれのデイケアですが、仕方ありません。準備が出来次第夫が車で娘をデイケアにつれていってくれました。

その後またソファーへ。でも午後4時ごろには立ち上がってトイレにいったり食事をしたりすることができるようになりました。夫に頼んで皮下注射もしてもらいました。

明日は体調が良い日であるよう願っています。

2008年9月12日金曜日

化学療法一回目

化学療法の第一日目です。朝9時半に病院につきました。
インフュージョン・センターの一室には朝からすでに3人の患者さんが椅子に座って治療を受けていました。私は最後に空いている椅子に座りました。

まずは生理食塩水の投与が始まりました。次に「吐き気および嘔吐を予防」する薬が二種類投与されました。最近は吐き気などの副作用を抑える薬が発達しているので、副作用も極力最小限に抑えられるようになっているそうです。

後にドキソルビシン(A) とシクロホスファミド(C) という二種類の抗がん剤です。ドキソルビシンは赤い薬品で、注射器のような容器に入っているので看護婦さんが手で徐々に投与してくれます(こちらで俗に言うIVプッシュです)。シクロホスファミドは生理食塩水の横につるして、重力の助けで静脈投与されます。

たんまり点滴を受けたので、トイレが頻繁になりましたが特に具合が悪くなることもありませんでした。お昼ごろ病院を出て、夫と遅いお昼を食べに行きました。食欲も良かったです。

家に3時ごろ着き、ほっとしたのか少し疲れが出ました。一時間ほど昼寝をして、夕方は学校のクラスメートの誘いで友達の家に行き、ご飯を食べたり映画を診てたのしんできました。

このように何事もなく化学療法の一日目が終了しました。

ドキソルビシン(アドリアマイシン)は真っ赤な薬品。IVプッシュといって、看護士さんが手で注射器を押しながら投与してくれます。