2009年6月23日火曜日

たった三時間の自由

早いもので今回日本にいられるのもあと一週間弱となってしまいました。

実は私のクラスメートのフィアンセの家族が、こちらに住んでいます。
高校生になる妹さんがいるというので、今日はその人に娘のベイビーシッターをたのみました。

やっとこさ得た三時間だけの自由です。
この三時間でいったい何をしようかと、1週間ぐらい前から考えていました。

そしてまずは今回、必ず行きたいと思っていた場所に行きました。

市内にあるモスバーガーです。

フライドポテトのSとホットウーロン茶を注文し、階段を登って二階席に。

ちょうどほぼ一年前、私は同じお店の同じ席に腰掛けていました。

その時の注文はフライドポテトのS,グリーンサラダ、ウーロン茶でした。

7月1日に告知を受け、夫がアメリカから急きょ駆けつけてくれた数日後の事でした。

逃げ道のない、暗く深い穴のどん底に落とされたような気持ちでいた自分。
でもどうにか自分の病気の事を理解しよう、負けずに病気と闘おうと必死でした。

一番つらかったのは、自分の将来が読めなかった事。

医者でも、占い師でも誰でもいい。私が将来どういう運命なのか、教えてくれる人がいればとどんなに気が楽になるかと思った事か。

でも今日はこのモスバーガーの椅子に腰掛けて、一年間の治療を終えた私がいました。
そして、もし一年前ここにいた自分に声を掛けれるとすれば、何と言うだろうとふと考えてみました。

結論は・・・「何も言わないでほっておく」

この一年、肉体的にも精神的にも辛い事があったけれど、「乳がん」という病気をしたことで貴重な体験をし、いろいろな事を学びました。そして素晴らしい人にも沢山出会えました。

自分で言うのも変だけど、この一年で私も少し人間的に成長しました。

もし一年前の自分が、今日私がこうして元気にいる事を知っていたら、今のように少し成長した自分に会う事ができなかったでしょう。

そしてこれからもどのような未来が待っているのか、全く予想もつきませんが、それでいいのだと気づきました。

未来が分からないからこそ、今生きている一分一秒を大切にできる。
絶えず身を引き締めて生きていくことができます。

何だかんだいって、人生はうまくできているのかもしれませんね。


さて、モスバーガーにいたのは1時間ほど。

本当はちょっと美味しい物が食べられそうなレストランにでも行って、一人っきりの贅沢な時間を過ごすのもいいなあと思っていました。

でも結局足を伸ばしたのは近くのモアーズにある平坂書房。

1-2冊本を買って出てくるつもりが、一冊の本に目がとまり立ち読みしてしまいました。

その本の名は「アシュリー ~ All about Ashley ~」

カナダにすむ、プロジェリアという病気に犯された14歳の女の子が書いた本です。

プロジェリアの患者さんは普通の人の10倍の速さで加齢が進み、平均寿命は13~14歳と短い。

アシュリーちゃんは今年の4月に17歳の若さで他界しています。
彼女は幼い時から自分の寿命が短い事を知っていました。
そして人生の一分、一秒を思いっきり生きたのです。

17歳という若さで、おそらく多くの大人よりも人の一生のうち何が大切なのか深く理解していたことでしょう。

私自信、癌を告知されてから、命のはかなさと美しさについてより深く考えるようになりました。
そしておそらく自分が健康であったら、今の境地には達していなかったでしょう。


ということで、貴重な3時間の自由時間は軽いお茶タイムと本屋での散策と立ち読みで終わってしまいました。でも自分を発見できた時間、そしてとても幸せなひと時でした。

2009年6月19日金曜日

上野動物園

今日は朝から父の病院へ。
心臓血管外科のDr.Aとの診察がありました。

いつもは血液検査やら胸部レントゲンやらと、各種の検査を終えてから先生との診察があります。
それで検査時間や待ち時間を含め、朝入っても病院を出れるのは午後の3時とか5時とか。

でも今日は検査がなく、11時半から診察となっていました。
病院のハートセンターの受付に行ったときは5~6人待ちで、30分はかかると言われていたものの、15分ぐらいで先生に診ていただけました。

診察もとくに大それたことはなく、来週ある検査入院の事や手術までの予定などの話をして終わりました。Dr.Aは父も始めてあったと言っていましたが、とても話やすい良い先生でした。顔もけっこーイケメン!

診察も早くおわり、病院内で軽く食事をして病院を出たのは1時ごろ。
父は神田にある事務所に寄って仕事をするというので、私は母と娘の三人で久し振りに上野動物園に行ってきました。

平日なのでかなりすいていました。

上野動物園も私が学生だったころに比べるとかなり変わりました。
特にジャイアント・パンダがいないのは、びっくりでした。
やっぱり上野にパンダがいないのは少し寂しいですね。

娘はオリの中でブラブラと体を揺らしている手長ザルを見て大喜びしていました。
私は一部ガラス張りになった壁のすぐそばまで来ていたヒグマを見れたのが最高でした。

4時半には父の事務所に行く予定だったので、上野動物園を出たのは4時ごろ。
入園料も特に高くないので(私は大人で600円。母は高齢者扱いで300円。娘は無料でした。三人合計900円はまずまず)、散歩がてらに園内を歩けたのは良かったです。

母も最近ずっと父の付き添いなので、久し振りに動物園などいって気晴らしが出来た様子でした。

2009年6月18日木曜日

ディズニー・シー

ディズニー・シー、行ってきました!

以前アメリカの同じ市内に住んでいた、日本人のご家族がご一緒してくれました。

娘は「ミッキーのおうちに行く」と言ってはしゃいでいたのですが、ディズニー・シーは話に聞いていた通り、どちらかと言うと子供向きというより若い大人向きですね。

ディズニー・ランドに比べて全然ミッキー・ミッキーしていないです。

私は風景とかはディズニー・シーのほうが好きです。なんかとっても落ち着く雰囲気です(特に今日は平日で雨の予報だったので、すいていました)。でも娘はアトラクションとか怖かったらしく、アドベンチャー系のは乗らせたものの半べそをかいたりしておりました・・・。やはり4歳児にはまだディズニー・ランドのほうがよさそうですね。


さて、放射線治療を受けた右胸が最近また変色してきて組織が少し厚ぼったい気がします。
鏡に映して見てみると、最後の5日間にブースターとして照射した手術跡の周りの部位が赤くなっています。放射線治療を終えて3週間以上たつのに、まだ放射線の威力が残っているのでしょうか。

幸いにも私の胸には皮膚感覚が殆ど残っていません。
通常の皮膚ならこの赤みで痛みを伴うと思うのですが、全く何も感じません。
ただ見た目はちょっとグロいですけれど。

2009年6月16日火曜日

帰国後2週間過ぎました

早いもので帰国後2週間が過ぎました。
もう滞在時間半分超過ですが、特に特別な事をするんでもなく、その辺をフラッとするだけで大いに日本を楽しんでいるうなです。

故郷に帰って来たとはいえ、私にとって日本にいることは非日常。
一分一秒が何ともいえない、素晴らしい時間です。

・・・とはいえ、生きているとハプニングが起きるのはつき物。
昨日はちょっと思わぬ事が2つほどおきました。

一つ目は昨夜、友達が北海道土産にくれたハイチューを食べていると、左上奥にある義歯がぱっコーンと取れてしまいました。保険がない私にとって、仮セメントでつけてもらうにしてもきっと5000円ぐらいかかってしまうのではないかと思い、面倒なことになったと思っていたら、今度は娘がお風呂で滑ってあごを切ってしまい、緊急病院に行くはめに。

どうやらお風呂ですべり、湯船に顎があたったようです。
傷口は5-7ミリ程度ですが、なにやら皮下脂肪のような組織が顔を出していました。

絆創膏を張っておくだけではまずそうなので、兄の運転で近くの緊急医療センターへ。
幸いにも傷はあまり深くなく、テープで張り合わせるだけで縫わなくてもよさそうとのことでした。

診察費は全て自費で13710円なり。

今日は私の歯の治療と娘の傷のフォローアップで形成外科へ。
でも大事にいたらなくて良かったです。
私の歯も娘の顎の傷もどうにかなりそうです。

2009年6月10日水曜日

関東地方も入梅

とうとう昨日、関東地方も入梅宣言。
昨夜からシトシトと降り始め、今日は午前中は雨。

今週のはじめは天気もまあまあ良かったので、月曜日は横浜にあるアンパンマンミュージアム、火曜日は三浦半島にあるソレイユの丘と、子供が喜ぶ系の場所に行きました。娘はどちらも大喜びで、最後は「帰りたくない」と半べそでダダをこねられる始末。

昨日の水曜日は父親の診察日だったので、両親と娘の4人で東京へ。

診察して下さったのは感染病専門のDr.Mでした。
お若い方で、私の質問にも全て親切に答えてくださいました。
父は今年の夏に78歳になりますが、まだ自営業で仕事をしています。
Dr.Mには「お若いですね」とか「やはりお仕事されている方は目つきがちがいますね」と言われ、少し父は自信をとりもどした様子でした。

血液検査なども、一週間前にくらべ良い方向に向かっているようです。
このまま無理をせずに現状維持で手術が受けられればと願っています。

さて、午後になって雨もあがり少しおてんとうさまも顔を出しました。
今日は一日遠出もせず家にいますが、これから娘をつれて近くのスーパーに散歩がてら買い物に行きます。

たまにしか帰れない日本。
スーバーの買い物一つにしても私にとっては新鮮で、楽しい時間です。

2009年6月6日土曜日

もうすぐ一週間

早いもので一次帰国してからもうすぐ一週間になります。
実家にある家のパソコンを使って久しぶり投稿していますが、なにせこのパソコンのインターネット接続スピードが遅い!それでついつい投稿が億劫になっていました・・・

今回は一週間ほど前に退院した父のこともあって、かなり家でおとなしくしています。

今は丁度運動会の季節でしょうか、先週のはじめ頃私の通った小学校の方からなにやら音楽などが聞こえていました。校歌が流れて来た時はほんとに懐かしい思いがしました。

ここ一週間は水曜日に高校のときの親友と軽く夕飯を食べに行った以外は特に遊びにもいかず。
たいていは一日中娘と家にいて、昼過ぎごろ近くのスーパーに散歩がてら買い物に行き、午後に暇つぶしにのんびりお風呂に入るといった感じです。

なんだかこの2-3日は小雨日和のようですが、先週はなかなか天気も良く幸いでした。

ほぼ毎日行っているスーパーマーケットに行く途中、公園があります。
この地域は最近開けた住宅地。私が子供の頃は山だったところです。

娘が公園があるのに気づき、遊びたいというので少し寄りました。

告知された一年前、同じ場所に来たことを思い出さずにいられませんでした。
まだ精密検査もできず、ただ細胞診の結果悪性とだけ分かっていた辛い時期でした。
アメリカから急きょ駆けつけて来てくれた夫とベンチに座り、彼の肩を借りながら3歳の無邪気な娘が玩具で遊ぶのを見つめ力なく泣いていました。

それから約一年。

私が座っていたベンチが、そのままそこで待っていてくれました。
今は4歳になった娘が遊ぶ姿をみつめながら、またそこに腰掛けました。

複雑な心境でしたが、自分も一年で少し成長したかなと思いました。

そして今現在、命があることに深く感謝しました。

また来年、再来年とこの場所に帰ってくるとき、自分は何を思うのでしょうか。

              *******

私と娘が帰国した6月1日、大西洋にエアフランスの旅客機が墜落しました。
自分が飛行機で帰ってきた日であったため、かなりショッキングなニュースでした。

本当に生きているということは紙一重です。
どんなに健康でもあっという間の事故で尊い命が一瞬にして奪われてしまう事がありうる。

とても切ない気持ちになります。

2009年6月1日月曜日

無事帰国しました

デトロイト経由で今日、無事成田に到着しました。

出発日の5月31日の朝はぎりぎりの7時半に起床。
地方空港から9時初のフライトに乗らねばいけなかったので、すこしドタバタしました。
でも無事間に合ってホッ。

デトロイト行きの国内線は1時間ちょっとで楽勝のフライトでしたが、やはり長いのはデトロイトから成田の便。
13時間ほど飛行機に乗っているのはつらい!

今回はノースウエストで帰って来ましたが、ラッキーなことに半分以上空席でした。
私と娘は一番端っこの3つのシートを二人で独占。
肘掛を上に上げ、二人で横になることもできました。
娘は2時間と4時間の2回に分けて眠ってくれました。

私ははじめの1時間ほど眠れただけで、後はなぜか目が覚めてしまいました。
機内ってしばらくするとスナック、夕食など出て映画など上映されたりしますよね。
その後の昼寝はしばらく寝たな~という感じで、もうそろそろフライト半分ぐらいかなと思いました。
フライトアテンダントのお姉さんにあとどれくらいで到着地かたずねると「7時間」と帰ってきました。
うーまだ半分以上ある、と思ったときはしんどかったです。

でもどうにか13時間のフライトが終わり、成田に到着しました。

機内では「健康状態質問票」たるものが配られ、インフルエンザの症状がないかチェックするようになっていました。
成田到着後は席に着いたまま、手荷物を上の手荷物入れから出さずに待機するよう言われました。
しばらくしてマスクを着け、青いラブコートを着た人が2人入ってきました。
なんか通路を歩いて機内を簡単にチェックしただけで出て行ってしまいました。

入国審査の前に、検疫所の審査所を通りました。
機内で記入した質問票を提出しました。
特に引っかかることもなく、これがうわさの水際対策なのかなあと思っただけでした。

やっぱり帰国するのはうれしいものです。
「おかえりなさい」の表示をみて、おもわず娘に「日本にやっと帰ってこれたねー、良かったねー」と私。


帰りはバスに乗りました。
ずっと高速だったので、とても楽でした。
途中にベイブリッジを通り、遠くに横浜みなとみらいが見えました。

さらに雲の隙間から太陽の光がもれ、扇型にひろがっていました。
私が大好きな光景です。
帰国した日に見られるなんで、最高でした。
なんか横浜の空が私達を歓迎してる、と勝手に思い込むことにしました(笑)。

最後にタクシーで家に帰ってきました。
一年ぶりの実家です。
やっぱりいいものですね。

ちなみに今朝の2時をまわったところ。
時差ぼけで深夜に目が覚めて寝れなくなってしまいました。
娘は熟睡中。私も無理して寝ておかないと、パワーアップした娘についていけなくなるので頑張って無理やり寝ます。