2009年5月31日日曜日
DCへ。明日は日本へ。
夫が義姉の車を直してあげていたのですが、それがやっと終了したので車を届けるためです。
午後3時半ごろ出て、ついたのは7時半ごろ。
義姉がハンバーガーを作ってくれたので一緒に食べ、義姉が使っていた私たちの車と交換して帰って来ました。
家についたのは深夜すぎの1時。
明日日本に発つので、それから荷造りをしました。
明日の朝9時発、デトロイト経由で日本に帰ります。
次のアップデートは日本から。
それでは皆さん良い週末を。
2009年5月29日金曜日
春の天気は気まぐれ
病院でのアポイントがなかった昨日は、朝も遅くまで家族みんなで寝ていました。
ズルズルと寝床にいてやっと起きたのは10時半すぎ。
お昼すぎまでズルズルと家で過ごしていましたが、ずっと家にいてもつまらないので、娘を連れて家から車で一時間ぐらいのところにある遊園地へ。 一年パスがあるので、ガソリン代以外はお金がかかりません。ちょっと遠めの公園に行くような感覚です。子供は遊べるし、私はなにかと歩くはめになるので良い運動になります。
朝は晴れでしたが、お昼過ぎから曇りに。
さらに平日だったこともあって、遊園地はかなりすいていました。
パーキングもいつもは入園口から離れたところに停め、トラムに乗っていくのですが、今回は入園口のすぐとなりに駐車。
いつもどうり、子供向けのアトラクションで子供を遊ばせました。
すいていたので、乗り物もほとんど待たなくて乗れました。
中には乗客が娘一人だけの貸切で乗れた乗り物なんかもありました。
途中で夕立のような雨にあいましたが、すぐ止んでくれて晴天に。
本当にころころと変わりやすい天気です。
遊園地には3時間ぐらいいて、サクッと帰ってきました。
2009年5月27日水曜日
そしてホルモン療法開始
10日ほど前うっかり受診をすっぽかしてしまったので、今日はきちんと行かないと(当たり前ですが)と思い早めに家を出ました。
病院には15分ほど前に。余裕の到着でした。
今日は院内薬局に薬をとることが前もってわかっていたので、まずは薬局へ。
実はこの薬局、多くの患者さんが待っているので長時間待たされるのです。
いつも1時間はまたされます。
それで今日は先を見越して先に整理番号をとってきました。№368番。
そして直接腫瘍内科のクリニックへ。
15分ほど早い到着だったので、しばらく待たされるのを覚悟で待合室で本を読み始めました。
でもすぐに看護士さんがバイタルを取る部屋に通してくれました。
バイタルをとった後、また待合室で少し待っていましたが5分ほどで診察室に通されました。
しばらくボーットしているとDr.Lが入って来ました。
まずはこの前アポイントのことをうっかり忘れてしまったことを誤っておきました。
「まだあの時はあなたも放射線治療中だったからね~。いいのよ別に」と言ってくれました。
最近の体調を聞かれ、なかなか調子はいい事を伝えました。
でもわきの下の皮膚が崩壊してきて、傷口も広がってきていることを言うと「放射線科の先生に相談してみて」との事。
一連の診察をしてくれて今日から始まるホルモン療法の話になりました。
私の場合閉経前なのでタモキシフェン(ノルバデックス)単独でひとまずは5年間、服用していきます。
現在生理がとまっていますが、もし戻ってきた場合はゾラデックスで卵巣機能を止めてくれるそうです。理想としてはこのまま閉経になってしまうことだそう。
タモキシンの副作用として更年期障害の症状。それから稀ですが血栓ができてしまうことがあるので、
胸の痛みや手足の倦怠感など、何か新しい症状が出たら受診するように言われました。それから稀ですが深刻な副作用として子宮がんの羅漢率が多少なりとも上がること。もし多量な出血があれば検査をしてくれるようです。
それから頭痛、物が二重に見えるなどのとても稀な副作用があるのですが、Dr.Lは過去2-3年のうちこれらの副作用を示した2人の患者さんを扱ったそうです。「念のため」ということで教えてくれました。もし副作用が強すぎてタモキシフェン服用を諦めざるを得ない場合はそうなるか尋ねると、ゾラデックスとアロマターゼ阻害剤を使うという手があるということ。
Dr.Lの診察を終え、次に放射線科へ向かいました。
わきの下の傷口のケアに関して相談に行くためです。
この病院では何か問題が生じたり質問があったりすると、担当の看護士さんに予約なしで会う事ができます。私の担当のミッシェルは、傷口をみて「皮膚は向けてきているけど、感染などの起こっているようでもないし、治る過程みたい。これから白っぽいところも赤くなってきて、治っていくはずですよ。」と言っていました。
ネオスポーリン(処方箋なしで普通のお店で買える抗細菌クリーム)を塗ったほうがいいか尋ねると、帰って皮膚がただれてしまう恐れがあるので薦められないとのこと。代わりに火傷の傷に塗る抗細菌クリームの処方箋をDr.Mを通して出してくれました。
傷口をカバーするシートも余分に2枚もらい、放射線科を後にしました。
次に院内薬局へ。
基本的に2階の車庫へと続く大きなメインの廊下が待合場所となっています。
受診前に受付番号を取っていたので、ほとんど待たずに薬をもらえました。
薬局についたとき表示されていた番号は363番。
計算どうりです(ニタ~)。
自分の番号が呼ばれたので8番のカウンターへ。
まずはファーマシー・テクニッシャンの人に妊娠している可能性があるか、または授乳中であるか聞かれました。
答えは当然ノー。
次に前まで飲んでいた抗鬱剤のウェルビュートリンがコンピューターに表示されたのでしょう、この薬はまだ飲んでいるか聞かれました。
飲んでいないと答えると、薬剤師さんがやってきて再度コンピューターをチェックしていました。
テクニシャンの人によるとコンピューターでウェルビュートリンとタモキシフェンの間に相互作用があると出たとのこと。私もウェルビュートリンを服用しているとタモキシフェンの効果が落ちる事を知っていたので、これは病院のコンピューターで新しい情報をきちんと分かるようになっているんだな、と関心しました。ウェルビュートリンとタモキシフェンの相互作用に関してはウェルビュートリンを処方してくれた精神科医は知らなかったようです。腫瘍内科医のDr.Lもそんなに気にしていない様子でした。
患者本人の私としてはタモキシフェンにばっちり効いてもらいたいので、少しでもその効果を弱めるようなものは服用したくありません。
薬局ではタモキシフェン3ヶ月ぶん(処方箋は1年分)、火傷用のクリームをもらって家に帰ってきました。
思えば告知されて11ヶ月。
やっとホルモン療法にたどり着きました。
帰りの車の中で、告知されてから化学療法、手術、術後化学療法、放射線療法とやってきた治療のことをなにげなく考えていました。
やはり一番精神的に苦しかったのは告知直後でした。
その時の事を振り返ってみて、すこし複雑な気持ちがしました。
薬ビンの中をみるとMと彫られた白い錠剤が入っていました。
これがタモキシフェン・・・
乳がん関連に詳しい人にはお馴染みのこの薬。自分では初めて手にしました。
これを一日一錠、5年間服用します。
これからお世話になります。
ちなみに火傷用のクリームはこちら。薬局でははじめ500グラムくれるといったのですが、それはあまりにも多すぎるので小さいチューブを4つもらってきました。
ミッシェルによるとクリームを塗っ後何も上に張らないようにとのこと。
特に外出などしないとき、家の中で塗って2-3日すると改善がみられるようです。
今日の夕方から試してみようと思います。
2009年5月26日火曜日
課題をやっと
そして課題を始める前に日本での告知・・・
課題をくれた博士のDr.Lは「もう何もしなくていいよ。」と言ってくれ、課題の事は心配しないで治療に専念するようにということでした。
そう言われたものの、一度やりますと言った仕事。
その時に「それじゃ、やめます」と言えば楽だったのですが、告知されたからといって投げ出すのは気がとがめました。
そこで治療中も時間があればぜひ課題を進めていきたいことをいを伝えました。
術前化学療法が始まり、ウイークリー・タキソールだったので術前のACに比べ副作用が全然楽なのがわかりました。そこでぼちぼち課題を再開したのです。
一度はコンピューターのハードドライブがいかれてしまい、せっかく取ったデーターを全て失うなどの事故もありましたが、今日やっと全てのデータを取り終えました。
今日の朝は娘も夫もまだ寝ているうちに起床し、学校へ。
取り終えたデータを提出するため、10時にDr.Lと会うことになっていました。
Dr.Lはいつもどうり、明るい笑顔で迎えてくれました。
ディスクに焼いておいたデータや作成したグラフなどを見せ、内容を一緒に確認しました。
あとで学生のBが入ってきて、Dr.Lと私にお茶をついでくれました。
それでみんなでお茶をしながら無駄話。
何はともあれ約束した課題を無事終えたので、うれしかったです。
話変わって右脇の下の皮膚ですが、悪化しているようです。大きさも広がってしまい、ジンジンと痛みます。もうかなり醜くて、ブログにも載せられないくらいです(泣)。
傷をカバーするシートも今日の朝でなくなってしまったので、家に返る前に病院に寄ってきました。どうにか2枚、シートをもらってきました。1シートはA4ぐらいの大きさがあるので、これを適当な大きさに切って使います。
夕方は娘を連れてChuck E Cheese's というお店へ。小さな子供ができるゲーム等があって、ピザやサラダバーなどの簡単な食事ができるようになっています。
店についたのは夕方5時前でしたが、かなり空いていました。平日だけど、そろそろ小さな子供達を連れて家族ずれが集まっても良い時間です。それでもお客は4-5人。がらんとした店内で、娘は楽しそうに遊んでおりました。私は飲みものを飲むこともできず、ふりまわされていました。
店を後にしても遊び足りない娘。そこで陽気もいいのでそばの公園へ。水際ではカナダガンがコガモを連れてなにやら食べていました。
今日は晴天でここちのよい風が吹いていました。
公園にあるゴミを積んでつくられた”山”のてっぺんで、凧を揚げているひとが2-3いました。
今日は凧を揚げるには本当に最適な日でした。
公園ではかなり多くの人がくりだしており、ウォーキングやジョギングをしていました。
最近は景気が悪いせいかレストランやお店にも客が少なく、がらんとしているところが多いです。
それに比べてお金のかからない公共の公園は、良いリクリエーションの場なんでしょうね。
特に陽気がよい今日のような日は、やっぱり野外が気持ちよいです。
2009年5月22日金曜日
わきの下の皮膚、よくならないなあ
2009年5月21日木曜日
歯医者へ
午後11時にまた根っこ専門の歯医者さんDr.Eのところへ。
レントゲンを見ると横に変な線が入っているそうです。
もしかしたら骨折しているかも、ということでした。
まずは治療を始めてみて骨折のようなら抜歯だと言われました。
でもどうやら骨折ではなく、昔入れた詰め物が横に染み出してきたものが線として写ったらしいということ。そのまま根っこの治療をしてくれました。
抜歯がなくてセーフでした。
午後に義姉から私宛で鉢入れが届きました。
2009年5月20日水曜日
放射線治療三十回目(最終日)とポート除去術
おかげで朝は時間がたっぷり~と思っていたら、家を出るのが遅れてしまい、病院には5分ほど遅れで着きました。
待合室に行くといつも朝に会うフィリピン人の女性が座っていました。
彼女のだんなさんはすい臓癌のため治療中です。
すい臓癌というと予後の厳しいがんの一つですが、彼女によると旦那さんは絶対に克服すると頑張っているそうです。奥さんもとても優しい人なので、旦那さんにも本当に頑張って長生きしてほしいです。
待合室に座っているとDr.Nがやってきて話かけてくれました。
私の主治医ではないですが、Dr.Mの代わりに2回ほど診てくれました。
治療の事意外に学校に関するアドバイスなどもくれて、本当にいい先生です。
しばらくしてジョージが待合室にやって来てくれました。
いつもどうり治療室に入り、治療開始。
そしていつもどうりブースター照射だけで5分ほどで治療完了。
今日は最終日だったので、壁にあるベルを鳴らしました。
治療士のジョージとトレイシーがおめでとうと言ってくれ、おっきなハグをしてくれました。
二人には本当にお世話になりました。また機会があったら二人の顔を見に、治療室のほうに行こうと思っています。
その後個室に通されました。
今日は治療最終日なので主治医のDr.Mに診てもらいました。
脇下の皮膚のただれを見せると、「たいしたことない」との事。
約一ヶ月後にフォローアップ受診の予約をとり、放射線科を後にしました。
一時のアポイントまで時間がたっぷりあったのでフードコートに。
途中で手術をしてくれたチーフ・レジデントの Dr.Cにばったり出会いました。
「元気そうですね」と話かけてくれて、私が学生であることも覚えていてくれて、
「そう、秋から復学ですか。よかったですね」と言ってくれました。
フードコート内にあるタコベルでコンボを頼み、本など読みながら時間をつぶしていたのですが、短気な私は一所にずっといれずにフードコートを出てポート除去処理をしてくれるAngio Departmentへ向かいました。
CTと兼用の受付にいくと、デスクに誰も座っていません。
デスクのところには電話がおいてあり、受付に誰もいない場合はCTの内線に電話してくださいと指示があったのでそうしました。電話口にはCT担当の人がでてくれて、今度はAngio Departmentの内線番号をくれました。そちらに電話すると現在緊急の患者さんが入っているので、しばらくCTの待合場で待っていて下さいとのこと。
もともと30分早く着いてしまったので、待つのは当たり前と呑気ににかまえて待っていました。
準備室に通してくれてガウンを渡されました。上だけ脱いでガウンをはおり待っていると、看護士さんがやってきて今日の手順を説明してくれました。
私は左肩のところにポート挿入手術の跡がありますが、そこと同じところに切り込みを入れ、ポートを抜き取るということ。局所麻酔をたっぷりしてくれるので、傷みはないはずですと言われました。
次に今回私を担当してくれるDr.Yがやって来ました。
基本的には看護婦さんが説明してくれた内容を繰り返し話してくれて、私がサインする同意書をくれました。それをサインすると治療室のほうに通されました。
治療室は少しひんやりしていました。
はじめに治療台にうわむけに横にならされ、胸部のレントゲンを撮られました。
レントゲン画像はすぐに室内のモニターに映し出されました。
左肩に入っているポートがくっきり写っているのがわかりました。
それから原発巣があった右胸に4つ、 ホッチキスの玉のようなもの。それから両肺の内側に不明瞭な影があります。とても気になったので看護婦さんにこれらが何なのか尋ねてみました。
看護士さんは私の体を起こしてくれて、レントゲン写真の映し出されたモニターを私の近くに持ってきてくれました。「私は医師じゃないので詳しくは分からないけど・・・」といいながら、ホチキスの玉のようなものは手術のときに入れられたクリップのようなもの、肺の影は気管支が枝分かれしているところでしょうと教えてくれました。
自分のレントゲンに影などがあると、小さいものでもすぐにビビッてしまう私です・・・
しばらくしてフィリピン人の看護士さんが入ってきました。
ポートがある場所を消毒してくれて、血などが飛び散らないように青い紙を何枚か私の顔と胸を覆うように設置してくれました。
私は仰向けに寝かされていますが、顔を右に向けているように支持され、顔の上には青い紙が広げられているため、部屋の様子やお医者さんが何をしているのか全く見えません。
Dr.Yが入ってきて、まずは局所麻酔をしてくれました。
これがチクーっと痛かった!
でも一度麻酔が効いてくると傷みは全く感じませんでした。
その代わりメスで切込みを入れたり、ポートの周りの組織をぐちょぐちょいじくったり、ポートをグイグイ押したり引いてたりしているのが分かりました。どうせなら全身麻酔で眠らせてほし~と思ったりしましたが、先生と看護士さんが絶えず会話をしてくれて私も参加させてもらえたので気が紛れました。
フィリピン人の看護士さんは背の低い女の人で、紙で顔がすっぽり隠されてしまって上は全く見えない私の顔のすぐ前に立っていてくれて、私の様子を見ながら話かけてくれました。
開始後20分ぐらいしてDr.Yが「取れましたよ。見たい~?」というので見たいというと、
顔の前に血みどろのポートがベローンと現れました。
Dr.Yは「記念に持って帰る?クリスマスの飾りにできるよ」などと冗談を言っていました。
全て順調に行ったのですが、あえて文句を言うとするなら治療室が寒かったこと。
とくに私は横になったまま30分ほど全く動けなかったので、余計寒かったのかもしれません。
夜になって傷口が少しヒリヒリしましたが、擦傷が痛むぐらいの軽い違和感です。
シャワーなど普通に浴びていいけれど、水絆創膏のところを擦ったりしないようにとの支持。
水絆創膏は2週間ぐらいで自然と取れるらしく、それまではいじって無理に剥がしたりしないようにとのことでした。傷口は内出血する可能性があるけど、自然だそうです。それから万が一熱など出たりしたら緊急室へ直接行って受診するように言われました。
夕方は家族で外食。
食後も外がまだまだ明るかったのでそばの公園で散歩をしました。
よい夕涼みになりました。
2009年5月19日火曜日
放射線治療二十九回目
今日の朝は少し涼しめの晴れ。また春が戻ってきたみたいです。
いつもどうり子供をデイケアにあずけて病院へ。
そして皮膚のみへのブースター照射。
きょうもさっくり終わりました。
いつもは毎週火曜日が主治医との診察なのですが、実はあしたが放射線治療最終日なので明日診てくれるとのこと。
明日は放射線療法最終回と、左肩に組み込まれたポートを外してもらいに行きます。
そこでポート外し処置のための血液検査をしにラボへ。
待っている間、マスクの箱がおいてあって無料で取れるようになっていたので4つほどもらいました。
日本に帰国する際に必要になるかな、と思ったからです。
日本では今マスクが品切れって、本当でしょうか!?
しばらくすると自分の番号が表示されたので中に。
ポート除去に加えて再建手術のための血液検査もしてもらうことにしたため、合計7本の試験管分の血を採られました。
帰りはメキシコレストランのMoe'sというお店でランチをテイクアウトして帰って来ました。
午後はすっかり晴れ。
お手伝いしている基礎研究のほうを早めにきりをつけたいので、午後はその仕事をやったり、国家試験の勉強を少ししたりして、一日中家の中で過ごしました。
せっかく気持ちの良い一日となったので、夕方は娘と散歩に行きました。
2009年5月18日月曜日
放射線治療二十八回目
2009年5月17日日曜日
一日中雨
でも朝起きると、わきの下がヒリヒリします。
どうも昨日皮が剝けてきたところが、拡大して水ぶくれが破けたようになっていました。膿んだような感じではないですが、膿みのような金属臭にも似た鼻をつく匂いが少ししました。
洋服などに触れると痛いので、張りつかないガーゼというのを張っておきました。
いつもは夕立のようにザーッと雨がふって止んでくれるアメリカの雨。
でも今日は一日中絶間なく雨が降りました。
今日は近くのモールに、娘の大すきなアニメキャラクターのスクービー・デゥーが来るというので雨の中でかけました。
少し早めに着いてしまったのでまずはフードコートにいき、いつものチャイニーズ屋さんでセサミチキンとヤキソバ、ミックス野菜を注文。
ご飯のあとはモールの中を歩き回り、少し買い物などもすませました。
そしてモールの中心部に向かって歩いていると、スクービー・デゥーを発見。
まだ人の数も少なくて、すぐに娘とスクービー・デゥーのツーショットを撮ることができました。
このみぐるみのスクービー・デゥーは足が真っ直ぐで、やっぱりアニメとは形がちがうなと思いました。
それでも娘をはじめ周りにいる子供達は本物のスクービー・デゥーと思い込んで大興奮。
幼い子達は純粋でかわいいですね。
帰りはスーパーに行って食材を買って帰ってきました。
家についたのは4時ごろでしたが、外が雨だから出るのも億劫。
結局今日はそれ以降ずっと家にいました。
偶然テレビでスクービー・デゥーのアニメを3話連続やっていたので、娘もそれを見て楽しそうでした。
明日もまた放射線療法に行ってきます。
2009年5月16日土曜日
卒業のお祝い
日中は特に何ともないのに、熟睡中に痛くなるのは何か理由があるのかな。
痛いといえば、放射線療法を受けてきたわきの下がヒリヒリするようになりました。
良く見ると肌が黒ずんで、一部皮が剥けて下のピンクの組織が顔を出しています。
でもこの右側は脇下リンパ節を取ったので、皮膚の感覚がほとんどありません。
もし皮膚感覚があったら、すごく痛むんでしょうが、多少ヒリヒリするぐらいですんでいます。
さてお昼ごろ、荷物が届きました。
UPSのおじさんが箱を玄関先に置き、ドアのベルを鳴らしてくれました。
それでドアを少し開けたとたん、後ろにいた我が家の犬がこれ見よがしにドアと私の間をすり抜け逃走。
そこで私と娘はスライス・チーズを片手に犬の追いかけ。
最後は2ブロックほど離れたよその裏庭に追い込みました。
人様の裏庭で芝生の匂いを嗅いだり、ごろごろと横になって背中を掻いたり、気持ち良さそうにしていました。つかの間の自由を満喫している様子。でも私達がチラつかせたスライス・チーズには勝てず、まんまと逮捕となりました。
家に帰ってきて娘が書いた絵がこれ。
先週の土曜日にクラスメートの誕生会で行ったのと同じところです。
御一緒するのは始めてです。
私が再建手術を受ける話をすると、「とてもお勧め」と言ってくれました。
2009年5月15日金曜日
放射線治療二十七回目
2009年5月14日木曜日
放射線治療二十六回目
2009年5月13日水曜日
放射線治療二十五回目
2009年5月12日火曜日
放射線治療二十四回目
2009年5月11日月曜日
放射線療法二十三回目
2009年5月9日土曜日
さわやかな土曜日、風邪ぎみの私
確かに家に帰るころには喉が痛いというか、スムーズでないような感じ。
子供を夕方散歩に連れて行き、側のセブンイレブンでのど飴を買いました。昨日はずっとそれを食べていたおかげで、喉の様子はそんなに悪くならずにすんだのですが、昨夜は微熱がありました。それから軽い頭痛がしました。体もとても疲れていて、「もしかしたら豚インフルエンザ?」なんて思ったのですが、今はもうかなり元気になりました。
今朝は倦怠感と暑い感じがして5時に目が覚めてしまいました。
実家に電話をかけ、父の容態を尋ねました。
今まで酸素マスクをかけられていたのですが、日中はそれを取ってもよくなったそうです。
熱も少し下がったようで、なによりでした。
電話のあとはまた寝床へ。
とにかくこの風邪を悪化させられないので、寝れるだけ寝て治そうという戦法です。
昼ぐらいまでずっと寝ていたかったのですが、9時半ごろ娘が起きてしまい
「ママー、朝だよ~。おきようよー」と始まりました。
テレビをつけて30分ほど見させている間、私は寝床でグー。
それでも10時ぐらいには私も目が覚めてしまいました。
絶好調というわけではないけど頭痛は治まり、喉もまあまあ、体温もほぼ正常に戻りました。
すこしだけ倦怠感が残っていて、鼻水がかなり出ます。
子供は遊園地に行きたいと言うのですが、今日はあまり激しく活動しないほうがいいなと判断。
そこでお昼は近くのモールに。
娘のすきなセサミチキンを食べました。
モールのおもちゃ屋さんにより、乗り物があるので乗らせてから家の近くの公園に。
これはごみの山でできたパークです。自転車やランニングをしている人、子連れで凧揚げをしている人などがいました。娘は「山にのぼろー」と張り切って、ずんずん登っていってしまいます。
2009年5月8日金曜日
放射線療法二十二回目
2009年5月7日木曜日
ポットラック・パーティー
二年時終了の記念と私の化学療法終了のお祝いとして、夕方に友達の家でポットラック・パーティーが開かれました。
私は焼きそばを作ってもっていきました。
なかなか好評で、幾人かの友達に「レシピちょうだい」と言われました。
二年生は期末試験は終わったのもつかの間、国家試験を6月ごろ受験します。
これが合格しないと三年生の実習過程に進めません。
2-3日ゆっくりしてから猛勉強を始める人も多いことでしょう。
私も来年は彼らと同じく国家試験を受けなくてはなりません。
考えるとちょっと緊張してしまいます。
でもまずは放射線療法が9回残っているので、こちらをやっつけることにします。