2009年5月31日日曜日

DCへ。明日は日本へ。

今日は義姉がいるワシントンD.C.へ行ってきました。

夫が義姉の車を直してあげていたのですが、それがやっと終了したので車を届けるためです。
午後3時半ごろ出て、ついたのは7時半ごろ。

義姉がハンバーガーを作ってくれたので一緒に食べ、義姉が使っていた私たちの車と交換して帰って来ました。

家についたのは深夜すぎの1時。

明日日本に発つので、それから荷造りをしました。

明日の朝9時発、デトロイト経由で日本に帰ります。

次のアップデートは日本から。

それでは皆さん良い週末を。

2009年5月29日金曜日

春の天気は気まぐれ

ここ一週間は夫もいてくれるので、娘のほうはデイケアをお休みしています。
病院でのアポイントがなかった昨日は、朝も遅くまで家族みんなで寝ていました。
ズルズルと寝床にいてやっと起きたのは10時半すぎ。

お昼すぎまでズルズルと家で過ごしていましたが、ずっと家にいてもつまらないので、娘を連れて家から車で一時間ぐらいのところにある遊園地へ。 一年パスがあるので、ガソリン代以外はお金がかかりません。ちょっと遠めの公園に行くような感覚です。子供は遊べるし、私はなにかと歩くはめになるので良い運動になります。

朝は晴れでしたが、お昼過ぎから曇りに。
さらに平日だったこともあって、遊園地はかなりすいていました。
パーキングもいつもは入園口から離れたところに停め、トラムに乗っていくのですが、今回は入園口のすぐとなりに駐車。

いつもどうり、子供向けのアトラクションで子供を遊ばせました。
すいていたので、乗り物もほとんど待たなくて乗れました。
中には乗客が娘一人だけの貸切で乗れた乗り物なんかもありました。

途中で夕立のような雨にあいましたが、すぐ止んでくれて晴天に。
本当にころころと変わりやすい天気です。

遊園地には3時間ぐらいいて、サクッと帰ってきました。
あいにく帰りはまた雨。時折激しく振っていましたが、家につくころには止んでしまいました。
そして今日の夜も雷と雨。30分も降らないで終わり。
私は雷と雨の音が好きなので、もう少し降ってほしかったなあ。
週末は晴れるかな?

2009年5月27日水曜日

そしてホルモン療法開始

今日は朝10時30分から腫瘍内科医のDr.Lとのアポイントが入っていました。                
10日ほど前うっかり受診をすっぽかしてしまったので、今日はきちんと行かないと(当たり前ですが)と思い早めに家を出ました。
        
病院には15分ほど前に。余裕の到着でした。
今日は院内薬局に薬をとることが前もってわかっていたので、まずは薬局へ。
実はこの薬局、多くの患者さんが待っているので長時間待たされるのです。
いつも1時間はまたされます。
それで今日は先を見越して先に整理番号をとってきました。№368番。

そして直接腫瘍内科のクリニックへ。     


15分ほど早い到着だったので、しばらく待たされるのを覚悟で待合室で本を読み始めました。
でもすぐに看護士さんがバイタルを取る部屋に通してくれました。
バイタルをとった後、また待合室で少し待っていましたが5分ほどで診察室に通されました。

しばらくボーットしているとDr.Lが入って来ました。
まずはこの前アポイントのことをうっかり忘れてしまったことを誤っておきました。
「まだあの時はあなたも放射線治療中だったからね~。いいのよ別に」と言ってくれました。

最近の体調を聞かれ、なかなか調子はいい事を伝えました。
でもわきの下の皮膚が崩壊してきて、傷口も広がってきていることを言うと「放射線科の先生に相談してみて」との事。

一連の診察をしてくれて今日から始まるホルモン療法の話になりました。
私の場合閉経前なのでタモキシフェン(ノルバデックス)単独でひとまずは5年間、服用していきます。
現在生理がとまっていますが、もし戻ってきた場合はゾラデックスで卵巣機能を止めてくれるそうです。理想としてはこのまま閉経になってしまうことだそう。

タモキシンの副作用として更年期障害の症状。それから稀ですが血栓ができてしまうことがあるので、
胸の痛みや手足の倦怠感など、何か新しい症状が出たら受診するように言われました。それから稀ですが深刻な副作用として子宮がんの羅漢率が多少なりとも上がること。もし多量な出血があれば検査をしてくれるようです。

それから頭痛、物が二重に見えるなどのとても稀な副作用があるのですが、Dr.Lは過去2-3年のうちこれらの副作用を示した2人の患者さんを扱ったそうです。「念のため」ということで教えてくれました。もし副作用が強すぎてタモキシフェン服用を諦めざるを得ない場合はそうなるか尋ねると、ゾラデックスとアロマターゼ阻害剤を使うという手があるということ。

Dr.Lの診察を終え、次に放射線科へ向かいました。
わきの下の傷口のケアに関して相談に行くためです。  

 
この病院では何か問題が生じたり質問があったりすると、担当の看護士さんに予約なしで会う事ができます。私の担当のミッシェルは、傷口をみて「皮膚は向けてきているけど、感染などの起こっているようでもないし、治る過程みたい。これから白っぽいところも赤くなってきて、治っていくはずですよ。」と言っていました。

ネオスポーリン(処方箋なしで普通のお店で買える抗細菌クリーム)を塗ったほうがいいか尋ねると、帰って皮膚がただれてしまう恐れがあるので薦められないとのこと。代わりに火傷の傷に塗る抗細菌クリームの処方箋をDr.Mを通して出してくれました。

傷口をカバーするシートも余分に2枚もらい、放射線科を後にしました。


次に院内薬局へ。
基本的に2階の車庫へと続く大きなメインの廊下が待合場所となっています。


受診前に受付番号を取っていたので、ほとんど待たずに薬をもらえました。
薬局についたとき表示されていた番号は363番。
計算どうりです(ニタ~)。

自分の番号が呼ばれたので8番のカウンターへ。 


まずはファーマシー・テクニッシャンの人に妊娠している可能性があるか、または授乳中であるか聞かれました。
 
答えは当然ノー。
    
次に前まで飲んでいた抗鬱剤のウェルビュートリンがコンピューターに表示されたのでしょう、この薬はまだ飲んでいるか聞かれました。

飲んでいないと答えると、薬剤師さんがやってきて再度コンピューターをチェックしていました。
   
テクニシャンの人によるとコンピューターでウェルビュートリンとタモキシフェンの間に相互作用があると出たとのこと。私もウェルビュートリンを服用しているとタモキシフェンの効果が落ちる事を知っていたので、これは病院のコンピューターで新しい情報をきちんと分かるようになっているんだな、と関心しました。ウェルビュートリンとタモキシフェンの相互作用に関してはウェルビュートリンを処方してくれた精神科医は知らなかったようです。腫瘍内科医のDr.Lもそんなに気にしていない様子でした。

患者本人の私としてはタモキシフェンにばっちり効いてもらいたいので、少しでもその効果を弱めるようなものは服用したくありません。

薬局ではタモキシフェン3ヶ月ぶん(処方箋は1年分)、火傷用のクリームをもらって家に帰ってきました。
   

思えば告知されて11ヶ月。
やっとホルモン療法にたどり着きました。
帰りの車の中で、告知されてから化学療法、手術、術後化学療法、放射線療法とやってきた治療のことをなにげなく考えていました。
  
やはり一番精神的に苦しかったのは告知直後でした。
その時の事を振り返ってみて、すこし複雑な気持ちがしました。
    
薬ビンの中をみるとMと彫られた白い錠剤が入っていました。
これがタモキシフェン・・・
乳がん関連に詳しい人にはお馴染みのこの薬。自分では初めて手にしました。

これを一日一錠、5年間服用します。

これからお世話になります。

ちなみに火傷用のクリームはこちら。薬局でははじめ500グラムくれるといったのですが、それはあまりにも多すぎるので小さいチューブを4つもらってきました。
   

ミッシェルによるとクリームを塗っ後何も上に張らないようにとのこと。
特に外出などしないとき、家の中で塗って2-3日すると改善がみられるようです。
今日の夕方から試してみようと思います。

2009年5月26日火曜日

課題をやっと

去年の夏、夏休みを利用して基礎研究のお手伝いをする約束をしていました。
そして課題を始める前に日本での告知・・・

課題をくれた博士のDr.Lは「もう何もしなくていいよ。」と言ってくれ、課題の事は心配しないで治療に専念するようにということでした。

そう言われたものの、一度やりますと言った仕事。
その時に「それじゃ、やめます」と言えば楽だったのですが、告知されたからといって投げ出すのは気がとがめました。

そこで治療中も時間があればぜひ課題を進めていきたいことをいを伝えました。

術前化学療法が始まり、ウイークリー・タキソールだったので術前のACに比べ副作用が全然楽なのがわかりました。そこでぼちぼち課題を再開したのです。

一度はコンピューターのハードドライブがいかれてしまい、せっかく取ったデーターを全て失うなどの事故もありましたが、今日やっと全てのデータを取り終えました。



今日の朝は娘も夫もまだ寝ているうちに起床し、学校へ。
取り終えたデータを提出するため、10時にDr.Lと会うことになっていました。  

Dr.Lはいつもどうり、明るい笑顔で迎えてくれました。

ディスクに焼いておいたデータや作成したグラフなどを見せ、内容を一緒に確認しました。

あとで学生のBが入ってきて、Dr.Lと私にお茶をついでくれました。
それでみんなでお茶をしながら無駄話。

何はともあれ約束した課題を無事終えたので、うれしかったです。



話変わって右脇の下の皮膚ですが、悪化しているようです。大きさも広がってしまい、ジンジンと痛みます。もうかなり醜くて、ブログにも載せられないくらいです(泣)。

傷をカバーするシートも今日の朝でなくなってしまったので、家に返る前に病院に寄ってきました。どうにか2枚、シートをもらってきました。1シートはA4ぐらいの大きさがあるので、これを適当な大きさに切って使います。

夕方は娘を連れてChuck E Cheese's というお店へ。小さな子供ができるゲーム等があって、ピザやサラダバーなどの簡単な食事ができるようになっています。

店についたのは夕方5時前でしたが、かなり空いていました。平日だけど、そろそろ小さな子供達を連れて家族ずれが集まっても良い時間です。それでもお客は4-5人。がらんとした店内で、娘は楽しそうに遊んでおりました。私は飲みものを飲むこともできず、ふりまわされていました。

店を後にしても遊び足りない娘。そこで陽気もいいのでそばの公園へ。
水際ではカナダガンがコガモを連れてなにやら食べていました。

今日は晴天でここちのよい風が吹いていました。
公園にあるゴミを積んでつくられた”山”のてっぺんで、凧を揚げているひとが2-3いました。
今日は凧を揚げるには本当に最適な日でした。

公園ではかなり多くの人がくりだしており、ウォーキングやジョギングをしていました。
最近は景気が悪いせいかレストランやお店にも客が少なく、がらんとしているところが多いです。
それに比べてお金のかからない公共の公園は、良いリクリエーションの場なんでしょうね。
特に陽気がよい今日のような日は、やっぱり野外が気持ちよいです。

2009年5月22日金曜日

わきの下の皮膚、よくならないなあ

放射線治療でただれてしまった脇の皮膚、なかなか良くなりません。
というか、広がっているような。
1週間ぐらいで良くなるというのですが、本当かなあ。
今日も良い天気でした。
夕方、夫は娘をバイクに乗せて近所をクルージング。
私は犬を連れて散歩に。

のんびりした一日でした。

2009年5月21日木曜日

歯医者へ

今日は右下の歯の治療の予約がはいっていました。
午後11時にまた根っこ専門の歯医者さんDr.Eのところへ。

レントゲンを見ると横に変な線が入っているそうです。
もしかしたら骨折しているかも、ということでした。
まずは治療を始めてみて骨折のようなら抜歯だと言われました。

でもどうやら骨折ではなく、昔入れた詰め物が横に染み出してきたものが線として写ったらしいということ。そのまま根っこの治療をしてくれました。
抜歯がなくてセーフでした。

午後に義姉から私宛で鉢入れが届きました。


「治療終了おめでとう」ということでカードが添えられていました。

彼女も告知されてから5年になります。

彼女の場合原発巣の大きさもリンパ節への転移も私よりずっと早期でしたが、やはり抗がん剤をして脱毛を経験しました。私が告知されたときいろいろとアドバイスをくれました。
手術、化学療法、放射線療法が終わりひとまず目途が立ったといっても、まだ再建やホルモン療法が残っています。
まだまだ気が抜けませんが、周りの人の優しい気持ちは素直に受け取りたいです。

2009年5月20日水曜日

放射線治療三十回目(最終日)とポート除去術

夫が昨夜帰ってきたので、今日は夫が娘をデイケアに連れて行ってくれました。
おかげで朝は時間がたっぷり~と思っていたら、家を出るのが遅れてしまい、病院には5分ほど遅れで着きました。

待合室に行くといつも朝に会うフィリピン人の女性が座っていました。
彼女のだんなさんはすい臓癌のため治療中です。
すい臓癌というと予後の厳しいがんの一つですが、彼女によると旦那さんは絶対に克服すると頑張っているそうです。奥さんもとても優しい人なので、旦那さんにも本当に頑張って長生きしてほしいです。

待合室に座っているとDr.Nがやってきて話かけてくれました。
私の主治医ではないですが、Dr.Mの代わりに2回ほど診てくれました。
治療の事意外に学校に関するアドバイスなどもくれて、本当にいい先生です。

しばらくしてジョージが待合室にやって来てくれました。
いつもどうり治療室に入り、治療開始。
そしていつもどうりブースター照射だけで5分ほどで治療完了。

今日は最終日だったので、壁にあるベルを鳴らしました。

治療士のジョージとトレイシーがおめでとうと言ってくれ、おっきなハグをしてくれました。
二人には本当にお世話になりました。また機会があったら二人の顔を見に、治療室のほうに行こうと思っています。

その後個室に通されました。
今日は治療最終日なので主治医のDr.Mに診てもらいました。
脇下の皮膚のただれを見せると、「たいしたことない」との事。
約一ヶ月後にフォローアップ受診の予約をとり、放射線科を後にしました。

一時のアポイントまで時間がたっぷりあったのでフードコートに。
途中で手術をしてくれたチーフ・レジデントの Dr.Cにばったり出会いました。
「元気そうですね」と話かけてくれて、私が学生であることも覚えていてくれて、
「そう、秋から復学ですか。よかったですね」と言ってくれました。

フードコート内にあるタコベルでコンボを頼み、本など読みながら時間をつぶしていたのですが、短気な私は一所にずっといれずにフードコートを出てポート除去処理をしてくれるAngio Departmentへ向かいました。


CTと兼用の受付にいくと、デスクに誰も座っていません。
デスクのところには電話がおいてあり、受付に誰もいない場合はCTの内線に電話してくださいと指示があったのでそうしました。電話口にはCT担当の人がでてくれて、今度はAngio Departmentの内線番号をくれました。そちらに電話すると現在緊急の患者さんが入っているので、しばらくCTの待合場で待っていて下さいとのこと。

もともと30分早く着いてしまったので、待つのは当たり前と呑気ににかまえて待っていました。

10分ぐらいして看護士さんが迎えに来てくれました。
準備室に通してくれてガウンを渡されました。上だけ脱いでガウンをはおり待っていると、看護士さんがやってきて今日の手順を説明してくれました。

私は左肩のところにポート挿入手術の跡がありますが、そこと同じところに切り込みを入れ、ポートを抜き取るということ。局所麻酔をたっぷりしてくれるので、傷みはないはずですと言われました。                                

次に今回私を担当してくれるDr.Yがやって来ました。
基本的には看護婦さんが説明してくれた内容を繰り返し話してくれて、私がサインする同意書をくれました。それをサインすると治療室のほうに通されました。

治療室は少しひんやりしていました。
はじめに治療台にうわむけに横にならされ、胸部のレントゲンを撮られました。
レントゲン画像はすぐに室内のモニターに映し出されました。
左肩に入っているポートがくっきり写っているのがわかりました。
それから原発巣があった右胸に4つ、 ホッチキスの玉のようなもの。それから両肺の内側に不明瞭な影があります。とても気になったので看護婦さんにこれらが何なのか尋ねてみました。

看護士さんは私の体を起こしてくれて、レントゲン写真の映し出されたモニターを私の近くに持ってきてくれました。「私は医師じゃないので詳しくは分からないけど・・・」といいながら、ホチキスの玉のようなものは手術のときに入れられたクリップのようなもの、肺の影は気管支が枝分かれしているところでしょうと教えてくれました。
自分のレントゲンに影などがあると、小さいものでもすぐにビビッてしまう私です・・・

しばらくしてフィリピン人の看護士さんが入ってきました。
ポートがある場所を消毒してくれて、血などが飛び散らないように青い紙を何枚か私の顔と胸を覆うように設置してくれました。

私は仰向けに寝かされていますが、顔を右に向けているように支持され、顔の上には青い紙が広げられているため、部屋の様子やお医者さんが何をしているのか全く見えません。

Dr.Yが入ってきて、まずは局所麻酔をしてくれました。
これがチクーっと痛かった!
でも一度麻酔が効いてくると傷みは全く感じませんでした。
その代わりメスで切込みを入れたり、ポートの周りの組織をぐちょぐちょいじくったり、ポートをグイグイ押したり引いてたりしているのが分かりました。どうせなら全身麻酔で眠らせてほし~と思ったりしましたが、先生と看護士さんが絶えず会話をしてくれて私も参加させてもらえたので気が紛れました。

フィリピン人の看護士さんは背の低い女の人で、紙で顔がすっぽり隠されてしまって上は全く見えない私の顔のすぐ前に立っていてくれて、私の様子を見ながら話かけてくれました。

開始後20分ぐらいしてDr.Yが「取れましたよ。見たい~?」というので見たいというと、
顔の前に血みどろのポートがベローンと現れました。
Dr.Yは「記念に持って帰る?クリスマスの飾りにできるよ」などと冗談を言っていました。

全て順調に行ったのですが、あえて文句を言うとするなら治療室が寒かったこと。
とくに私は横になったまま30分ほど全く動けなかったので、余計寒かったのかもしれません。

夜になって傷口が少しヒリヒリしましたが、擦傷が痛むぐらいの軽い違和感です。
シャワーなど普通に浴びていいけれど、水絆創膏のところを擦ったりしないようにとの支持。
水絆創膏は2週間ぐらいで自然と取れるらしく、それまではいじって無理に剥がしたりしないようにとのことでした。傷口は内出血する可能性があるけど、自然だそうです。それから万が一熱など出たりしたら緊急室へ直接行って受診するように言われました。

夕方は家族で外食。
食後も外がまだまだ明るかったのでそばの公園で散歩をしました。
よい夕涼みになりました。

2009年5月19日火曜日

放射線治療二十九回目

昨日の午後の長い昼寝にも関わらず、昨夜もたっぷりぐっすり眠りました。
今日の朝は少し涼しめの晴れ。また春が戻ってきたみたいです。

いつもどうり子供をデイケアにあずけて病院へ。

そして皮膚のみへのブースター照射。
きょうもさっくり終わりました。

いつもは毎週火曜日が主治医との診察なのですが、実はあしたが放射線治療最終日なので明日診てくれるとのこと。
明日は放射線療法最終回と、左肩に組み込まれたポートを外してもらいに行きます。

そこでポート外し処置のための血液検査をしにラボへ。
待っている間、マスクの箱がおいてあって無料で取れるようになっていたので4つほどもらいました。
日本に帰国する際に必要になるかな、と思ったからです。
日本では今マスクが品切れって、本当でしょうか!?



しばらくすると自分の番号が表示されたので中に。

ポート除去に加えて再建手術のための血液検査もしてもらうことにしたため、合計7本の試験管分の血を採られました。


帰りはメキシコレストランのMoe'sというお店でランチをテイクアウトして帰って来ました。

午後はすっかり晴れ。
お手伝いしている基礎研究のほうを早めにきりをつけたいので、午後はその仕事をやったり、国家試験の勉強を少ししたりして、一日中家の中で過ごしました。


せっかく気持ちの良い一日となったので、夕方は娘と散歩に行きました。

2009年5月18日月曜日

放射線治療二十八回目

今日の朝は小雨でスタート。
ずっと夏日だったのに、週末からまた涼しくなってしまいました。
娘にはまたジャケットを着せてデイケアに。

治療はまたいつもどうり。
治療士のジョージに脇下の皮膚がただれてしまったことを話ました。
すると治療後に看護婦に相談してということ。

治療が終了してから看護士のミッシェルの部屋へ。
脇下をみせると、傷口の上に張る保護シートのようなものを張ってくれました。

これは一見シップのようにみえます。内側がペタペタ感のある素材で、そのまま皮膚にくっついてくれるのでテープとかで固定する必要がありません。でもシップと違って張ったところでひんやりとかはしませんでした。

厚いわりには通気性がよく、傷口をカバーして保護してくれるのと同時に傷が癒えるのを促進してくれるんだそうです。

それからシートを張る前に塗るクリームもくれました。
シートを張ってもらったことで、傷口に洋服などふれませんし、少し痛みが楽になりました。

脇の下への照射は先週の水曜日が最後でした。
ミッシェルによると放射線を当ててから7日間ほどは残留放射線が照射部に残っており、威力を発揮するというのです。だから放射線照射が終了してから3-4日後に皮膚がただれるのは自然なことらしいです。私の場合はそれでも副作用が軽いほう。まずはもらったクリームとシートを使って様子をみます。

午後は家に帰ってからちょっぴり長椅子に横になり、仮眠をするはずだったのが午後中ずっと寝入ってしまいました。起きたのはなんと午後5時半。

いそいで起きて簡単に夕飯の支度をし、娘を迎えに行きました。

今日はデイケアで私の顔を描いてくれたそうです。
紙が折りたたんで「カード」にしたそう。
表紙にはこの絵が。
「ママと雪」だそうです。
さらに中にはまた顔があってそれも「ママ」だそうです。

ありがたくもらいました。

2009年5月17日日曜日

一日中雨

昨夜は歯の傷みで起きることもなく、ぐっすり眠れたほうでした。
でも朝起きると、わきの下がヒリヒリします。
どうも昨日皮が剝けてきたところが、拡大して水ぶくれが破けたようになっていました。膿んだような感じではないですが、膿みのような金属臭にも似た鼻をつく匂いが少ししました。

洋服などに触れると痛いので、張りつかないガーゼというのを張っておきました。

いつもは夕立のようにザーッと雨がふって止んでくれるアメリカの雨。
でも今日は一日中絶間なく雨が降りました。

今日は近くのモールに、娘の大すきなアニメキャラクターのスクービー・デゥーが来るというので雨の中でかけました。
少し早めに着いてしまったのでまずはフードコートにいき、いつものチャイニーズ屋さんでセサミチキンとヤキソバ、ミックス野菜を注文。
ご飯のあとはモールの中を歩き回り、少し買い物などもすませました。

そしてモールの中心部に向かって歩いていると、スクービー・デゥーを発見。
まだ人の数も少なくて、すぐに娘とスクービー・デゥーのツーショットを撮ることができました。
             
このみぐるみのスクービー・デゥーは足が真っ直ぐで、やっぱりアニメとは形がちがうなと思いました。
それでも娘をはじめ周りにいる子供達は本物のスクービー・デゥーと思い込んで大興奮。

幼い子達は純粋でかわいいですね。

帰りはスーパーに行って食材を買って帰ってきました。
家についたのは4時ごろでしたが、外が雨だから出るのも億劫。
結局今日はそれ以降ずっと家にいました。

偶然テレビでスクービー・デゥーのアニメを3話連続やっていたので、娘もそれを見て楽しそうでした。

明日もまた放射線療法に行ってきます。

2009年5月16日土曜日

卒業のお祝い

昨日の夜も歯が痛くて起きてしまいました。
日中は特に何ともないのに、熟睡中に痛くなるのは何か理由があるのかな。

痛いといえば、放射線療法を受けてきたわきの下がヒリヒリするようになりました。
良く見ると肌が黒ずんで、一部皮が剥けて下のピンクの組織が顔を出しています。
でもこの右側は脇下リンパ節を取ったので、皮膚の感覚がほとんどありません。
もし皮膚感覚があったら、すごく痛むんでしょうが、多少ヒリヒリするぐらいですんでいます。

さてお昼ごろ、荷物が届きました。
UPSのおじさんが箱を玄関先に置き、ドアのベルを鳴らしてくれました。
それでドアを少し開けたとたん、後ろにいた我が家の犬がこれ見よがしにドアと私の間をすり抜け逃走。
そこで私と娘はスライス・チーズを片手に犬の追いかけ。

最後は2ブロックほど離れたよその裏庭に追い込みました。
人様の裏庭で芝生の匂いを嗅いだり、ごろごろと横になって背中を掻いたり、気持ち良さそうにしていました。つかの間の自由を満喫している様子。でも私達がチラつかせたスライス・チーズには勝てず、まんまと逮捕となりました。

家に帰ってきて娘が書いた絵がこれ。


犬の顔の上に 大きなバツ印が。
「ココ悪い子」と言って絵を壁に貼り付けていました。


お昼には学校の近くのブラジル料理の店へ。
先週の土曜日にクラスメートの誕生会で行ったのと同じところです。

今日はうちの学校の卒業式の日でした。
みごと博士号を習得した日本人のMさんのお祝いで、20人ぐらいの方が集まりました。
私も娘をつれて参加しました。
テーブルの向かいに年配の日本人女性Tさんが、白人の旦那さんRさんと一緒に座られていました。
御一緒するのは始めてです。

実はTさんも乳がん経験者だったことを話してくれました。44歳と47歳のときに告知され、両胸を失ったそうです。現在はとても元気にされていています。

実は日本人で乳がん暦のある方に実際お会いするのは今回が初めて。
私もTさんのように、旦那さんと仲良く年をとっていきたいなあ、と目標にしたくなる素敵な方でした。

私が再建手術を受ける話をすると、「とてもお勧め」と言ってくれました。
Tさんも初め片方の胸を失い、次にもう一つと失って、胸を取り戻した事は自分が「女である」ことの自覚につなったそうです。

私は昔から男っぽいというか、ボーイッシュな性格なので胸なんかペッタンコでもいいんです。
はっきり言って胸よりか、長生きしたいです。
でも娘はまだ4歳。これから海やプールに行きたがるでしょう。
そのとき一緒に行ってあげられないのは、かわいそうかなと思って再建手術を決意しました。
子供のためにもなるべく普通の体でいてあげたいかな、と思うのです。

Tさんにはイーメールのアドレスをいただきました。
できればまたお会いして、いろんなお話を聞きたいです。
本当にいろいろな意味で人生の大先輩です。
今日は思いがけない、素敵な出会いがあったなと思います。

2009年5月15日金曜日

放射線治療二十七回目

昨夜は2時半ごろ、歯が痛くて目が覚めました。
3日前に根っこを治療してもらった歯のところです。
下手に薬も飲みたくないので、頑張ってどうにか眠りにつきました。

あとで歯医者に電話をかけてみました。
根っこの治療をしてから、5日ほどは痛みがあっても正常だそうです。
アスピリンかタイレノールといった市販の鎮痛剤を内服するようにと言われました。
来週月曜日になっても痛みがあるようなら連絡を下さいとのことでした。

今日も病院には予定どうり10時ごろ到着。
今日も右胸の皮膚だけにブースター照射です。
私専用に作ってくれた、照射部にだけ放射線があたるようにくり貫かれた金属板はこれ。  

治療中は右の天井から下がっている、モニターをじっと見ていました。
放射線治療が始まると、「Rad on」という表示が出てトップにあるバーが伸びていって進行状態がわかるようになっています。全て終了すると「Complete」という文字が表示されました。


またもや2-3分で終わりました。
余裕綽々で家に帰ってきました。

家についたのは10時半ごろ。
なんだか今日は時間がたっぷりある感じです。
午後1時から有名な感染症の先生の講義があったので、行こうと思っていたのですが、インフルエンザのこともあるし人混は避けようと家にいることにしました。

ということで午後は少し家の掃除ができました。
二階にいくと、なにやら寝室が煙たいのに気づきました。
どうやら今日は市が排水溝の漏れの調査をしているようです。
先週にお知らせの知らせが入ってきていました。
無害の煙とはわかっていても、家族が寝る寝室なのでこの煙は不快です。
いそいで二階の開けられる窓を全部開けて煙を除去しようと試みました。

リビングを掃除していると、しばらく見当たらなかった携帯用のプランナーを長椅子の下に発見。
壁掛けのカレンダーから予定など写しとっていたら、ハッと思いました。
今日は11時から腫瘍内科医との診察があったのですが、すっかり忘れていました。
もう午後12時すぎ。さらにもう家に帰ってきてしまっています。
 
直ぐにクリニックに電話をかけましたが、誰もでてくれません。
1時間ぐらいトライしていましたが、だめでした。
そこで放射線科にかけてみると「ランチかもしれないしトレーニングが入っているのかもしれないから2時ごろかけなおしては」と言われました。

2時ごろかけなおすと、やっとフロントの男の子が出てくれました。
でも次のアポイント空きがあるのは約2週間後の5月27日。
本当は5月25日に帰国予定でしたが、豚インフルエンザの騒ぎで出発を遅らせるつもりだったので、この日に診察してもらうことにしました。 

今日は雨が降ったりやんだりの一日。
降る時は夕立のようにザーと激しく降ります。
なんだが静かでリラックスできる午後で、4時すぎごろ昼寝をしました。


6時ごろ目がさめました。
あっというまに娘をデイケアに迎えにいく時間です。
怠けものの体をどうにか起こし、身支度して外にでました。

今日の夕飯はカレー。
昨日と同じメニューです。
現在夫が留守ですが、この前カレーを大きな鍋に作りすぎてしまったのです。
捨てるのももったいないので、夜はなんと三日連続でカレー・・・・

デイケアに娘を迎えに行き車にのると、おなかをすかした娘が。
「今日はなに~」と聞いてくるので、私は明るく
「ん~、今日はねえ。カレ~♪」というと
「え~、カレ~。また作ったあ~?」と娘。
また作ったことにしておきました。 

2009年5月14日木曜日

放射線治療二十六回目

今日から右胸の皮膚へのブースター照射が始まりました。
これは乳がんが、乳房摘出術を施した後の手術跡に再発する可能性が高いため、余分に放射線を当ててくれるそうです。

治療室に入ると、機械がなんか傾いているのに気づきました。
治療士のトレイシーが「今日は早くすむよ」と言ってくれました。

シャツを脱いでガウンに着替え、いつものように治療台によこになりました。
トレイシーが放射線が出るヘッドを私の胸の前に移動させました。
そこにいびつな楕円型のくりぬきがある、銀色のメタル性のパネルがはめ込んであるのがありました。
「これって私用の特製?」と尋ねると
「そうよ。Mr.Mがこの前胸に描いてくれた円をそのまま写してくりぬいてあるのよ」と教えてくれました。

本当に治療は短くて、5分ぐらいで終わりました。
病院を出たのは10時7分。

残りあと4日です!

夕方は友達のところにちょっぴりお邪魔しました。
この前ポットラックパーティーに持っていったやきそばが好評で、作ってみたいというので材料を買い揃えて行ってきました。
私達が料理している間、友達の旦那さんが娘の好きなDVDをみながら娘の面倒をみてくれていました。

今日も初夏の良い天気でした。
明日もこんな気持ちよい一日だといいな。


2009年5月13日水曜日

放射線治療二十五回目

今日は娘のクラスの先生のMs.Sの最後の日でした。
ニューヨークに家族で引っ越すそうです。
Ms.Sにはマグカップとハンドソープ、カードを手渡しました。
とても喜んでくれました。

今日の放射線治療は基本的にいつもどうり。
いままでは胸壁、わきの下、乳房内リンパ節、鎖骨上リンパ領域という体の中の組織に放射線を当ててきましたが、それは今日で終了。
明日は右胸の手術後の残る皮膚にブースター照射を5回行います。

体は右胸全体が多少赤みを帯びています。
少し黒ずんでしまったのは右わきの下。
ひどい痛みはありませんが、右脇の下に少し違和感がある感じです。

病院を出てから学校に向かいました。
クラスメートのエイミーが、私のメールボックスにプレゼントを入れておいたというメッセージをくれたからです。

メールボックスに入っていたのはこれ。

乳がんの撲滅と早期発見のシンボルであるピンクリボンがついたブレスレットです。
サバイバー・ブレスレットと呼ばれるもので、告知からサバイバルした年数の数字をつるしていくようになっています。

エイミーのくれたブレスレットには「1」の数字が。
私も告知されてから7月でやっと一年目。
今まで知らなかったのですが、エイミーのお母さんも告知されて12年たったそうです。
とても記念になるし、「長くサバイバルするぞ」と力をくれます。
大切にしようと思います。

今日は一年のときに実技クラスでスモールグループを教えてくれたDr.Wが、ランチに誘ってくれました。11時半に待ち合わせだったので、指定された学校のそばのお店に向かいました。

途中で古本屋さんを見かけました。
若い頃は神田の神保町が大好きだった私。
思わず買いたい本も無いのに入ってしまいました。
一歩足を踏み込むとそこは正しく古本屋の匂い。
なんだか懐かしい感じがする匂いです。
中に入ってすぐ右手に、おじさんが新聞を広げながら座っていました。
「Hello」とあいさつされたので、「Hello」と答えて店内の奥にすすみました。
小さい古本屋さんで、ゆっくり歩いて一周するのに1-2分しかかかりませんでした。
特に買う本もないので、懐かしい古本屋の雰囲気を味わって外にでてきました。

さてその古本屋から1-2ブロック先にあるDr.Wのおすすめのお店がここ。
古いcarriage house (馬車置き場)を改造したつくったお店だそうです。
中はなんとなくカントリー風のかわいいお店でした。

しばらく待っているとDr.Wが入ってきました。
にこやかに微笑んで大きなハグをくれました。
Dr.Wはおおらく60代後半。家庭医として活躍されていましたが、現在は引退して私の通う学校でボランティアとして実技の講師をしていらっしゃいます。

自由の国アメリカといっても、Dr.Wがメディカルスクールの学生だった70年代はやはり保守的な社会。「女は医学部にくるな。家庭で働いていればいいんだ」という偏見をもった人も多かったとか。

そんな社会の中で女医になるのですから、Dr.Wはかなりの才女であられます。
それでいてとても優しくて。本当に尊敬してしまいます。

私の治療の事をはじめ、いろんなお話ができました。

それから今回騒ぎになっている新型インフルエンザのことを尋ねてみました。

Dr.Wは1918年から1919年にかけて世界的に流行し、猛威をふるったインフルエンザウイルスの話をしてくれました。このインフルエンザも実は豚からきたH1N1型だったそうです。そして1918年に出てきた当初も、マイルドなウイルスで、かかっても症状は軽くてすみ、感染にする死亡率も低かったそうです。でもそれで油断していたら、しばらくして狂暴なタイプに変異し何万人もの人が亡くなったということ。

そのような過去の体験から、政府や国際機関も警戒を高めているのだろうということでした。
私は今月末に一時帰国を考えているのですが、Dr.Wによると様子を見てインフルエンザの広がりが治まらないようなら帰国を延期するのも懸命かもという御意見でした。

Dr.Wの意見を聞いていろいろためにもなり、楽しいひとときでした。

2009年5月12日火曜日

やっとぼちぼち

髪の毛が生え始めました。
長さは1-2ミリですが、ぼちぼち顔を出してくれました。
でも一斉に生えてくれていなくて、ムラがあるような。

眉毛は薄めのが出始め、黒いというか灰色のものがボヤーと出現。
やはり眉墨はかかせません。

脱ズラはまだまだのようです。

放射線治療二十四回目

昨夜は11時ごろ寝て朝3時半ごろに目が覚めてしまいました。
しょうがないのでメールをチェックして、インターネットで新型インフルエンザに関するニュースがないか調べました。
テレビでは相撲を放映中。
4時ごろに気合を入れなおして寝床に。

8時半過ぎにハッとして目を覚ましました。
またギリギリの起床です。
今日はすがすがしい初夏の陽気。

いつもどうり病院へ。

今日はあさってから始まる皮膚へのブースター照射のため、胸にさらに線を引きますといわれました。
通常の治療を終えたあと、技師のクリスティーンが入ってきて用意をしていました。
そして次に主治医のDr.Mが入ってきて、「どう、元気?と話かけてきました」
そしてなにやら私の右胸にマーカーで点をつけています。
後はクリスティーンがバトンタッチして、Dr.Mがつけた点をつないでなにやらいろいろ線を描いてているようでした。

毎週火曜日は主治医のDr.Mとの診察日です。でも治療後に入ってきて線を引いてくれたので、あれが診察になるのかと疑問だったので、トレイシーに今日は診察があるのか尋ねてみました。トレイシーが電話で問い合わしてくれましたが連絡が取れずに、まずは血圧と体温だけ取ってもらってくださいとのこと。

テクニシャンの男の子がバイタルをとってくれました。
私のほうも特にDr.Mに質問等ないので、診察はなしでオッケーとのことでした。

午後は歯医者の予約が入っていました。
根っこの再治療です。3時半ごろ歯医者につき、先生と少し話しをして麻酔をしてもらいました。
治療が始まったのは4時過ぎごろだと思います。
治療する歯の反対側にゴムでできたつっかえをはめてくれました。
おかげで自力で口を空けていなくてもオッケーでした。
完全にリラックス状態だったので、治療中は熟睡してしまいました。
治療してくれたDr.Bは、治療前と治療後のレントゲンを比較して見せてくれて
「治療は大成功。予後はとてもいいでしょう」
と言ってくれました。
でも本当に大成功だったかは、6ヵ月後の検診でレントゲンを撮ってみてから判断されます。


歯医者を後にしたのは5時25分。
その足で娘を迎えに行きました。

夕方はまた娘と散歩にいきました。
本当にさわやかな夕方でした。暑くもなく寒くもなく、完璧な陽気です。
いつまでもこんな天気が続くといいですが。アメリカ東海岸もまもなく暑い夏がやってきます。

2009年5月11日月曜日

放射線療法二十三回目

今日はまた涼しい、というか肌寒い一日。
今朝は8時ごろ、普通に目が覚めました。
喉痛はすっかり治ってくれましたが、また鼻がずるずるです。
アレルギーなのか風邪なのか分かりませんが、早くスッキリしたいです。

子供をデイケアに連れて行き、今週もまた病院へ。
今日も治療中少しうとうとしてしまいました。
いつもどうり30分弱で終わりました。

夫が現在留守なので、庭の芝生が伸び放題。
裏庭はいいですが、表は外から丸見えなのでそろそろまずい。
あまりひどい状態にしておくと、お役所から注意されることがあるそうで。
近所の男の子に週末に刈ってねと言っておいたのに、やってくれませんでした。
人は頼りにならないと、自分で芝刈りをしようと思いきや、機械が作動してくれません。
残念でしたが芝刈りを断念。

今日小雨が降ったので、ここ2-3日でまた伸びるかなあと不安です。

2009年5月9日土曜日

さわやかな土曜日、風邪ぎみの私

昨日友達の誕生会で、ブラジル料理のレストランに行ったのですが、その時喉の様子がおかしいなと気づきました。喉の上のほうに何かが引っかかっているような、でもすぐに喉痛が起こる兆候だと思いました。

確かに家に帰るころには喉が痛いというか、スムーズでないような感じ。
子供を夕方散歩に連れて行き、側のセブンイレブンでのど飴を買いました。昨日はずっとそれを食べていたおかげで、喉の様子はそんなに悪くならずにすんだのですが、昨夜は微熱がありました。それから軽い頭痛がしました。体もとても疲れていて、「もしかしたら豚インフルエンザ?」なんて思ったのですが、今はもうかなり元気になりました。

今朝は倦怠感と暑い感じがして5時に目が覚めてしまいました。
実家に電話をかけ、父の容態を尋ねました。
今まで酸素マスクをかけられていたのですが、日中はそれを取ってもよくなったそうです。
熱も少し下がったようで、なによりでした。

電話のあとはまた寝床へ。
とにかくこの風邪を悪化させられないので、寝れるだけ寝て治そうという戦法です。
昼ぐらいまでずっと寝ていたかったのですが、9時半ごろ娘が起きてしまい
「ママー、朝だよ~。おきようよー」と始まりました。
テレビをつけて30分ほど見させている間、私は寝床でグー。
それでも10時ぐらいには私も目が覚めてしまいました。

絶好調というわけではないけど頭痛は治まり、喉もまあまあ、体温もほぼ正常に戻りました。
すこしだけ倦怠感が残っていて、鼻水がかなり出ます。
子供は遊園地に行きたいと言うのですが、今日はあまり激しく活動しないほうがいいなと判断。

そこでお昼は近くのモールに。
娘のすきなセサミチキンを食べました。
モールのおもちゃ屋さんにより、乗り物があるので乗らせてから家の近くの公園に。
これはごみの山でできたパークです。自転車やランニングをしている人、子連れで凧揚げをしている人などがいました。娘は「山にのぼろー」と張り切って、ずんずん登っていってしまいます。
最後に山の向こう側にあるアスレチック公園で遊ばせ、家に返ってきました。
結局けっこう歩いたりして、よい運動になりました。

夕方に30分ほど昼寝。おかげで夜はかなり調子がよくなりました。

2009年5月8日金曜日

放射線療法二十二回目

今朝は5時ごろ目が覚めてしまいました。
トイレに行ってもう一度床につこうとしても寝つけません。
仕方が無いので起床することにしました。
シャワーを軽く浴び、父の様子を聞くために実家に電話をかけました。
様態事態はあまり変化がないようです。父は相変わらず直ぐに退院できると信じているようですが、そうも行かない様子。

しばらく母と兄と話していましたが、娘がお漏らしをしてしまったようで泣き始めたので、電話を切りました。

娘をデイケアに連れて行ったあと病院へ。
今日はいつもより15分ほど早く着きました。
今朝はジョージが違う治療室の担当だったので、トレイシーが治療をしてくれました。
今日は早く起きすぎたので治療中は睡魔が襲い、結局軽く眠ってしまいました。
「リラックスしていいですよ」というトレイシーの声で目が覚めました。

病院を出た後、クラスメートのMの誕生日会があるので学校のそばにあるブラジル料理のお店へ。
久しぶりにお肉をいっぱい食べてきました。

あさって日曜日は母の日。
デイケアに娘を迎えに行くと、母の日のお絵かきを手渡してくれました。
一番右にいるのが「ママ」、その左どなりにいるのが「石」だそうです。
ありがたくもらいました。

2009年5月7日木曜日

ポットラック・パーティー

今日はうちの学校の二年生の最終期末テストの日でした。
二年時終了の記念と私の化学療法終了のお祝いとして、夕方に友達の家でポットラック・パーティーが開かれました。
私は焼きそばを作ってもっていきました。
なかなか好評で、幾人かの友達に「レシピちょうだい」と言われました。

二年生は期末試験は終わったのもつかの間、国家試験を6月ごろ受験します。
これが合格しないと三年生の実習過程に進めません。
2-3日ゆっくりしてから猛勉強を始める人も多いことでしょう。
私も来年は彼らと同じく国家試験を受けなくてはなりません。
考えるとちょっと緊張してしまいます。

でもまずは放射線療法が9回残っているので、こちらをやっつけることにします。

放射線療法二十一回目

今朝も2回ほど目が覚めてしまい、起きたのはぎりぎりの8時半すぎ。
さっとシャワーをあび、父の様態について訪ねようと実家に電話をかけました。

ツー、ツー、ツー、と話中。珍しいな、と思いながら1-2分して電話をかけなおしました。
こんどは母が出ました。どうやら私の高校の時の親友が、実家に電話をしていたようです。

実は1週間ほど前、私の病気のことを高校の時の親友に手紙で知らせました。
やっと手紙がついてそれを読み、心配してくれて実家に電話をしてくれたようです。
母が「泣きながら心配していた」というので、父の容態に特に変化が無いことを確認してから電話を切り、友達に電話をかけました。

友達はとても心配してくれて、電話口で泣いているのが分かりました。
私からの手紙を読んですぐにパスポートを出し、アメリカに行く決意をした・・・なんて話てくれました。
「遠くにいて何もできなくてごめんね」と言ってくれて、私も「今まで黙っていてごめんね」と二人でお互いあやまったりして。彼女もいま1歳にならない赤ちゃんを含め3人の子育てに忙しい時期。私のことを思ってくれるだけで、とても嬉しいです。

今までいろいろな事を打ち明けてきた友達です。
私の病気のことも受け入れてくれてよかった。
これで胸を張って日本に帰国したとき会えるなあ、と肩の荷が少しおりました。

電話をしながら子供の身支度をさせていたので、電話を切って気づいたら娘にパンツの代わりにオムツをはかしていた私(夜はおねしょすることがあるので、まだオムツをすることがあります)。これはいけないと下は初めからやりなおし。
どうにか時間どうり家を出ましたが、今朝はあいにくの雨。
子供をデイケアに連れて行った後、病院に向かいましたが殴りつけるような雨でした。

病院のアポイントには間に合ったのでセーフ。
今日は治療とレントゲンを同時に撮る日でした。
治療中は友達のことをずっと考えていました。
全てあっという間に終わりました。
帰り道は小雨。今日は友達の家でポットラックパーティーがあるので、帰りにスーパーに寄って食材を買い帰ってきました。

2009年5月6日水曜日

今日の雨

ザーッと降っては止み、またザーッと降っては止みを繰り返す、ちょっと変わった日でした。

放射線療法二十回目

昨夜は雨がふりました。
静まり返った夜に雨の音を聞きながら眠りにつくのって、とてもリラックスできます。
でもなぜか廊下のエアコン(セントラルなので天井の上に隠れて見えません)が回っていて、廊下からノイズが。それでも目をつぶっていたらそのうち眠ってしまったようです。

告知されてから、なぜか真夜中に目が覚めたりします。
最近は朝方、4時半か5時ごろにパッと目が覚めてしまうのです。
それでまた頑張って寝るのですが、次に起きるのは目覚ましがなる8時ごろ。
その時はパッと目が覚めず、眠い頭にムチうって起床します。

実は2日前、今父が入院していることが分かりました。
どうやら心臓がよく機能していないとのこと。
朝は起きてシャワーをあび、まずは日本の実家に電話をかけました。
すぐに兄が出てくれました。

私は現在放射線療法中ですし、なにせアメリカにいるものですから直ぐに日本に帰ることができません。状況も完全に把握できないので、本当に歯がゆいばかり。自分の事以上に心配になります。

電話で話ながら娘を起こし、デイケアの準備。
どうにかいつもどうりに家を出発し、病院にも余裕の時間に着きました。

ジョージには父のことを昨日話していたので、「お父さんはどう」と聞いてくれました。

治療のほうはいつもどうり。
なんだかジョージが眠そうなので、聞いてみると昨夜娘さんが喘息の発作を起こし、眠れなかったそうです。うちの娘も咳がとまらなくなった夜があったので、同情してしまいます。

家に帰る途中、ガソリンスタンドに寄りました。
給油しながら車の脇に立っていると、アヒルのような鳥がぴょこぴょこと私のほうに歩いてきます。
どうやらお腹をすかせているようで、私の直ぐそばにあった黄色の紙切れを餌と間違えたか、くわえて吐き出しました。

車の中に娘の食べかけのコーンチップがあるのを思い出しました。
一つ挙げると喜んで食べました。
クワッ、クワッと声を出して尻尾を犬のように振りながら食べるのです。
可愛いのでもっとあげました。


「いっぱい食べな。鳥の恩返しじゃないけど、かわりにお父さんが早くよくなりますように」などと思わずつぶやきました。
鳥は相変わらず興奮して尻尾を振りながら食べています。
最後は袋に残っていたコーンチップを全てあげてしまいました。

今日は一日雨が降ったりやんだりの、不安定な一日でした。
でも雨がダラダラと振るのではなくてサーッと降っては直ぐに止まるので、まさに「シャワー」のようで見ていて心地よいものがありました。

2009年5月5日火曜日

放射線療法十九回目

今日は寒い一日。朝方は雨がふって、一日中ずっと曇りでした。
外出は長袖でないと寒いし、家の中にいてもひんやりするのでヒーターをつけたくらい。

いつもどうり病院に向かう前に朝娘をデイケアに連れて行きました。
今朝は3-4才児のクラスのテーブルに6-7個の紙皿が並べてあり、その上にはいろいろな色の絵の具が乗っています。
「あ、みて。今日はペッタンペッタンできるんじゃない。楽しそうだねえ」と娘に言うと、その絵の具を見てニターとする娘。絵の具で遊ぶのが大好きなのです。

いつもは私がデイケアを去るときに嫌がる娘も、今日は「ママ、はやく行っていいよ」と言うばかりに私の背中を出口の方向に押したりします。それを見て先生は「そんなに好きなら、もっと絵の具遊びさせてあげたいね」と言っているくらい。

ということで、今日は後髪を引かれることなく病院へ。
いつもどうり治療してもらい、その後主治医のDr.Mの診察を受けてきました。

放射線を当てられている皮膚の色が濃くなってきた事と、茶色い点々が出ている事以外、とくに副作用がないことを知らせました。とくに質問やリクエストもなかったので、診察はさくっと5分ぐらいで終了。今日は寄り道なしで家に帰ってきました。

夕方は家の近くのモールに食事に。
娘の好きなチャイニーズのお店でチキンセットを注文。
少し買い物をして、ペットショップで犬と猫を見て帰ってきました。

2009年5月4日月曜日

放射線療法十八回目

今日はすこし寝坊して、どたばたした朝となりました。
ただ昨夜は娘が少しはやめに寝てくれたので(といっても10時半ごろ)、あまり問題なく起きてくれました。     


娘をデイケアに連れて行き、その足で病院へ。
いつもどうりジョージとトレイシーの二人の療法士さんが治療をしてくれました。
そして今日も特に変わったことなく無事終了。


さて、化学療法が終わってもう一ヶ月以上たちます。
髪の毛は生えてきそうで生えてこない。
変わりに今までかろうじて残っていた眉毛が最近ポロポロと抜け落ちていきました。
今では完全に眉を剃ったヤンキーのようになってしまいました。
でも少し灰色になってきたから、生えてきてくれるかな。

まだまだカツラから卒業できそうにありません。

2009年5月3日日曜日

アース・デーと映画

今日は近くの公園で、「アースデー」の野外イベントをやっていました。
天気予報では今日は雨でしたが、とても綺麗な晴天。
いろいろなブースが出ていましたが、基本的にリサイクリングや資源の再利用を推進するテーマのものが多かったです。エコに優しい製品などを売り込んでいる企業もありました。

地元の消防車、緊急救命隊などもブースを出していました。
後ろがミニ水族館になっているトラックが地元の水族館から来ていました。
中学生や高校生のグループが、子供ができるクラフトのテーブルを出していて、娘もいくつかトライしていました。

石で作る顔や・・・
海岸の砂と貝やヒトデでつくる飾り物、などなど。
思ったよりいろいろ楽しめて、良いイベントでした。
娘もとても楽しかったようでした。

一時間ぐらいいましたが、子供がお腹がすいたというのでイベント会場を後に。
すると急に風つよくなり雨が降り始めました。
ちょうど良いときに出てきてよかったな、と思いました。

お次はお昼を食べに近くのモールに。
前までフードコートにあった娘が好きなチャイニーズのお店が閉店。変わりに麺類を売っているお店で天ぷらうどんを注文。これがなかなか日本のうどんに味が近くておいしいのです。午後は娘と「モンスター vs. エイリアン」という映画を見ようと、モール内の映画館へ。残念ながらそこではお目当ての映画が上映されていなかったので、もう一つのモールに移動。

やっと「モンスター vs. エイリアン」を上映している劇場にたどり着ましたが、待ち時間が30分ぐらい。ポップコーンや飲み物を買って、ロビーでしばらく待っていました。

劇場はなかなか大きくて240~300席ぐらいありました。でもお客さんは20人ぐらい。ほぼ貸切状態です。私と娘は劇場のど真ん中の一番良い席をゲット。これはなかなか良い~と思いきや、映画が始まると娘が
「これ見ない。おうち帰りたい」
と始まりました。

この映画は3Dで、特殊眼鏡をつけて見るとなかなかリアルなシーンが繰り出します。
内容は地球に責めてくるエイリアンと、人間側につくモンスター達が戦うというシナリオです。
娘の頭のなかでは「モンスター = おばけ = こわい = わるもの」という公式が成り立っているようです。それで面白おかしいモンスターを怖がって、出るたびに怖がっていました。それから大きな爆発などが起きる場面では、私に抱きついてきて震えています。

「大丈夫だよ、こわくないじゃん」と言い聞かせ、しばらくねばっていましたが、しまいには度々でるモンスターと爆発シーンで泣き出してしまいました。
それで「これ見ない。おうち帰る~」と涙を浮かべながら懇願してきます。
ストーリーは完全に頭で混乱しているらしく、見方の大きなモンスターがエイリアンに攻撃されてどすーんと倒れるシーンでは、涙をうかべながらも両手をあげて「ヤッタ~」と叫んでいました・・・

私は最後までこの映画見たかったのですが、無理して娘に見せてトラウマにでもなるとかわいそうなので、渋々劇場を後に。1時間半ぐらいは見たので、ほとんど終わりに近かったと思います。

機会があったら娘ぬきで一人で見に行こうかな~と思っています。
やっぱり終わりが気になるので・・・

最後にアジアンマーケットに行ってお豆腐と魚、白菜などを買って帰ってきました。

2009年5月1日金曜日

放射線療法十七回目

いつもどうり朝起きて娘をデイケアに連れて行き、その足で病院へ。
10分ぐらい早く着いたのですが、待つことなくすぐに治療開始。
特に変わった事も無く無事終了。
病院を出たのは10時20分ごろ。
帰りは少し車が混んでいて、高速に乗るのに時間がかかってしまいました。

やっと週末です。
この週末は晴れるかな。