2009年1月28日水曜日

穏やかな日

今日は小雨が降ったりやんだりの一日でした。
でも一日中暖かく、春のような気温。
半袖一枚で平気で外にでれるような陽気。
   
今日は買い物に外へ。車を運転していたらアヒルの軍団が急に目の前に現れました。
雨が降ったので、繰り出したのでしょう。

引いたらかわいそうなので、向かいのレーンにはみ出して大きく孤をえがき、彼らを避けて前進しました。

2009年1月27日火曜日

タキソール投与三回目

今日は10時に病院へ。
インフュージョン・センターは少し混んでいたようで、通された部屋にある4つの椅子のうち空いてるのは一つだけ。そこに腰掛けてポートに針をさしてもらい、血液検査用の血を抜いてもらってスタンバイ。
 
付き添いの夫には病院内にあるフードコートに行ってケンタのチキンサンドのセットを買ってきてもらいました。一回目のクールにほぼ空腹でいったら酔っ払いみたいになちゃったので、何かお腹にいれとこうと思ったのです。
 
やはり治療中はぐっすり眠ってしまいました。2時ごろにナースに「終わりましたよ」と言われておこされました。でも普通に車まで歩けたし、前回よりもヨロヨロしません。でも眠気は続いて、家に帰る途中の車もずっと仮眠。それから家についたら長椅子で6時近くまで熟睡。
 
すっかり夕食の支度をしそびれたので、今日は外食。貧血になるといやなので、たまにしか食べないステーキを平らげてきました。最近ちょっと食べすぎかな。でも再建でお腹の肉を自家移植で取ってもらえるので、お腹がふくらんでも気にしなくていいのはちょっぴり得。でもその分お尻の肉もついちゃうのが難点です。

2009年1月26日月曜日

パンク

朝娘をデイケアに行く途中、車の左前方からザーザーという雑音が聞こえました。
「車の下のパーツが緩んで引きずってる?」と思いました。
でも走行を続けていると、アクセルを踏んでも車のスピードがつきにくくなってることが分かりました。
そして雑音も「ずず、ずず」と定期的なリズムに。
 
もしやこれはパンク~?
と思ってデイケアの駐車場に車を止め、外に出て確認するとやっぱり。パンク。。。

仕方ないので車を置いて、帰りは一人とことこ歩いて帰りました。家までは徒歩で30分ぐらいなので、歩けない距離ではありません。でも外は寒い~。行きは車だったので、上着も長袖のスエット一枚。その下はタンクトップ一枚。下はジーンズ。ついでにデイケアから歩いて家まであと500mぐらいのところで車の中に家の鍵を忘れたことに気づき、折り返し。結局家につくまで一時間半かかってしまいました。
 
家に帰ったらスネのところが痛い。。。めったに長距離あるかないので、脚にきます。
まだタキソールの副作用の脚の痺れがなかったから良かったものの、寒い中あるくの嫌い。
でも久しぶりにいい運動にはなったかな。
 
 
ところで術前化学療法で一度止まった月のものが帰ってきて、はや3週間以上。今度は止まらなくなってしまいました。。。化学療法中だし、貧血とかになったらやだな。でも止めるためにホルモン剤とか処方されたらもっといやかな。
 
とにかく今週の木曜日に腫瘍内科医とのアポイントがあるので、相談してみます。
 
明日は第三回目のタキソール投与に行きます。

2009年1月24日土曜日

誕生日会と外食

今日の午後は娘のデイケアの先生のMs.Cのバースデー・パーティーへ。
  
昨日娘を向かえに行ったときに「治療中なので最近は外出することも遊びに行くこともあまりなくて」という話をしたら、パーティーがあるからと誘ってくれたのです。


親戚をはじめ、同じデイケアに勤める先生やスタッフ、その子供達なども来ていました。
   
Ms.Cは6歳になる女の子がいて、シングルマザーです。もう一人のシングルマザーの人と一緒にアパートに住んでいます(アパートといっても二階建てです)。アメリカは本当にシングルマザーが多いです。離婚なんて全然普通だし、複雑な家族構成の人もいっぱい。それから乳がんも多いので、私がカミングアウトした時もみんな冷静に「いい治療があるから、絶対大丈夫だよ」と言って元気づけてくれました。
  
パーティーでは子供達が壁に張ってあったデコレーション用の風船を取って遊びはじめ、さながらデイケアのようになっていました。
  
食べ物もたっぷりあって、私は子供の残りも平らげたため、すっかり満腹に。朝ごはんをスキップして行ったので、空腹の勢いで食べすぎてしまったというのもあります(反省)。
     

  
6時にクラスメートと外食する予定があったので、パーティーのほうは5時ごろに切り上げました。
一度家に帰ってから市内のとあるベトナム料理の店へ。私は初めてですが、クラスメートのお勧めのお店。前にも私の家にお見舞いに来てくれた2人のクラスメートとゆっくり話しをしながら、ベトナム麺料理を食べました。スープはなかなかおいしかったのですが、麺を「ライス・ヌードル」というので頼んで、なんか春雨食べてるみたいだった。今度は「エッグ・ヌードル」で注文したいな、と思いました。

ここでも食事を全て平らげ、今日はまったく飽食の一日でした。

2009年1月23日金曜日

デイケアの先生

義姉の車が故障ということで、車の点検に夫は姉のいるワシントンD.C.へ。
そこで今日の朝は久しぶりに子供をデイケアに連れて行きました。
子供のクラス担当の先生が私の顔を見て喜んでくれ、「うわー、元気い?」と明るく声をかけてくれました。去年まで娘を見ていてくれた3歳児のクラスの先生も入ってきました。でもそこで同じ三歳児クラス担当の先生が一ヶ月前に脳梗塞で倒れたと教えてくれました。私が告知された後に慰めてくれた人で、50代の方です。いつもとても元気にしていたのでショックでした。でも今は退院し、リハビリをしているそうです。
 
命があってよかった。でも脳梗塞で倒れるなんて、大変なことです。癌の場合は告知されたすぐ後に命を落とすことはないでしょうが、脳梗塞は突然やってきて下手をすれば命が危ないですし、助かっても麻痺などひき起こすことも多いと聞きます。とても怖い体験だったことでしょう。
  
  
お昼はクラスメートとランチに行って来ました。実は彼のフィアンセの家族が日本にいて、それも私の実家がある町に住んでいるのです。それでお正月休みに日本に行った時の写真をみせてもらいました。それからチョコレートやこけしなど、お土産もいっぱい買ってきてくれました。実はこけしをもらったの初めてです。けっこう上品で可愛らしい顔をしたこけしです。

久しぶりに友達と外出したので、とっても楽しかった。「もう少し外に出たいなあ」と思ってしまいました。
 

明日も外出する予定が入っているので、張り切って行ってきます。

2009年1月20日火曜日

新大統領誕生とタキソール投与二回目

ご存知のとうり、今日オバマ 新大統領が誕生しました。

テレビでは朝はやから就任式の日に行われるさまざまなイベントの様子が報道されていました。

今日はタキソール投与第二回目の日。アポイントは1時半からで、血液検査があるのでそれより早めに行く予定だったのですが、11:30に始まった就任式を家のテレビでみてから行きました。

就任演説を聴いていて、「初の黒人だから言える言葉だなあ」と思う発言もありました。奴隷解放が140年前といっても1955年から60年代中盤まで激しく行われていた公民権運動。白人と同等の権利を黒人が求めていたのはごく50年ほど前だったのですね。そして今年、堂々と初の黒人大統領の誕生です。それも支持率は71%。私の印象は「アメリカ人は本当の意味でも変化」をこれ以上待ちきれなかったんだろう、ということです。ブッシュ政権が8年も続き、経済の悪化するいっぽう、イラク戦争もアメリカの戦争というよりはブッシュの戦争だったという声もあります。同じような共和党の政権を続けさせるより、全く新しい政権で再出発を、というのは分かる気持ちがします。
 
50-60年代に人種隔離政策の元に迫害されながら生活していた黒人の人々には今回のオバマ大統領誕生は歴史的にも感情的にも大きな瞬間だったに違いありません。

 
 
さて、病院には1時ごろつきました。テレビでは就任式後の午餐会のようすが映し出されていました。看護士さんがすぐにポートに針をさし、生理食塩水をスタートしてくれました。それから血液をポートから採取し、ラボに送ってくれました。

ラボから結果が出てファーマシーから薬が届いた時には3時近くになっていたと思います。今日もタキソールを始める前にIVで抗嘔吐剤だのステロイドだの入れてもらいました。前回はよっぱらいみたいになってしまったので、ドキドキ。看護士さんも「よっぱらっちゃうけど、準備はいい」なんて言っていました。
今日も夫がついて来てくれたので、その辺は心配なし。ふらふらしても車まで乗せてくれて家に帰ってくれますから。

看護士さんが薬袋を提げて機械をいじっている間、タキソールについて少し質問してみました。
今のところ目立った副作用はでていませんが、手の痺れなどが4-5回目ぐらいに出ること。
もしかしたら今回は全部の髪の毛は失わないかもしれない、ということを知らされました。
脱毛がひどくてツルツル頭になっちゃうACほどではないそうです。
 
テレビを見みながら、頭がぼーっとしてくるのを今か今かと待っていました。でも特に何も変化はありません。横の空き席に座っていた夫に「ねえ、何か今日は大丈夫みたい。体が2回目だからなれたのかなあ。眠くもならないよ」といってみたところ、しばらくたって看護士がやってきて機械をみて「あらあら、何でスタートしなかったのかしら」と何やらボタンを押し始めました。

それでもってしばらくしたら段々目が重くなってきました。夫が買ってきてくれたタコベルのチキンタコをかろうじて食べ、そのあとは襲ってきた眠気に身をまかせ Z zzzzzzzz。。。

気がついたら「終わりですよー」と言われて起こされました。

車にのって、家について長いすに横たわったことをかろうじて覚えていますが、あとは記憶なし。気がついたら家に娘が帰っていて、時間はなんと夜の9時30分でした!

れは本当に次回の腫瘍内科との診察で
相談しなくてはいけません。夫が送り迎え
してくれる時はいいですが、出張でいなく
なったら、自分の運転で治療を受けにいか
なくてはいけないので、酔払い運転はいただけないです。
 
 
今日の夜はまだまだオバマ大統領の就任記念イベントが続いています。9時30分ごろには若い軍人のためのダンス会がテレビでやっていました。
ちょっとしたお祭りのようですね。

2009年1月19日月曜日

夫の思い

夫が昨夜は遅くまで起きて、確定申告のソフトをいじったり、提出する領収書をまとめたりしていました。
こちらでは確定申告の締め切りは3月2日。
毎年5月ごろに遅れて申告し、ペナルティーを払っている夫にしては珍しい行動。 
 
そこで昨日、毎月160ドルほど、私のために払ってくれていることが分かりました。
これは夫が亡くなった場合、夫の退職金の半分を私が死ぬまで受け取れるというもの。
 
月に160ドルはかなり出費なのでびっくりしました。
夫は私より12才年上なので、彼が年をとったら私が世話をして、不便なく送ってあげようとずっと思っていました。

告知を受けるまでは。
 
月160ドルを夫が亡くなるまで払い続ける。それも私のために。これはギャンブルに近い投資ではないか、と思い、私は夫に
「月160ドルってかなりの出費だよねえ。その契約ってキャンセルできないの?私のほうが長生きするって保障はないわけだし。とくに病気がわかってからは」
と言ったものの、契約を変える気はないとのこと。
 
夫は私が完治して、今受けている治療も辛かった思い出もすべて過去のものになると強く信じています。

私は自分のステージの生存率なども調べているし、最悪のシナリオも頭の中で描くことがあります。
私の病気を知っている人のなかには、私と会うと目に涙をうかべて話す人もいます。

そんな中で夫が私は「大丈夫」と、信じてくれている。
「私も頑張って長生きしないといけない」と、改めて思いました。
夫の思いに答えるためにも、そして将来恩返しするためにも。
 
本当に自分は大切な人に支えられて「生かされている」んだなあと思います。

2009年1月18日日曜日

ばんそうこう

現在一人娘が4歳になったばっかりです。
ばんそこうで遊ぶのが好きです。
こちらで人気のテレビ番組「Dora the Explorer」のばんそこうをせがんでは、ちょっとした擦り傷などにつけて喜んでいます。
              
今日はばんそこうの箱をテーブルの上にみつけ、自分で手にとって遊びはじめました。ひとつ取り出し、お気に入りの犬のぬいぐるみのおなかに貼り付けていました。
「わんちゃん、怪我した?」と聞くと、
「わんちゃん、おなかへったの」との答え
おなか減る=おなかが痛くなる=ばんそこうを貼る
という4歳の理論展開でしょうか。

次はひとつ大きいのを取り出し、
「ままのブーブーにつけるの」といいます。
ブーブーとは英語の幼児語で、傷とか痛い所とかいう意味です。
最初はまた「ままごと」かなとおもいました。だから人差し指を出して、「それじゃあ、ここに貼ってね。痛いんだー」と相手をしてあげようとしました。すると娘は
「ちがうの。ままのブーブーにつけるの」といって私の左肩を指差します。ちょうど抗がん剤を投与するポートが入っている場所です。


私が着ているシャツを引っ張ってポートのところを出すと、
「そーそー」
といってばんそこうを貼ってくれました。
 
子供ながらに私の胸に大きな傷があるのも分かっています。
 
でもどんなに痛い傷も、大きな傷も、ばんそこう一つ貼れば直ると信じています。
 
なくなった胸は戻らないけど、娘のおかげで心は癒されます。

                                                                                         
                                                                                      さて、髪の毛が生え始めて今では1cm以上も伸びました。 
今ではこんな感じ(右の写真参考)。
 
でも今やっているタキソールでこの芝生頭も抜け落ちるのは間もないでしょう。

2009年1月17日土曜日

奇跡の不時着

日本でも大きく報道されたと思いますが、1月15日にUSエアウェイズの旅客機がニューヨークのハドソン川に不時着しました。私はそのとき、家にいました。夫がインターネットのニュースで「ニューヨークで飛行機事故があったらしい」というのですぐにテレビをつけました。CNNではすでに事故の様子をシュミレーションなどでやっていました。乗客とクルーともに全員無事脱出ということで、大きな事故であるに関わらず一人の犠牲者も出ないという嬉しいニュースでありました。こちらでも「奇跡の不時着」と騒がれていました。
 
今回はハドソン川不時着という決断を3分間という短い間に冷静に下したチェスリー・B・サレンバーガー機長が高く評価されています。ニュースでは機長の奥さんがインタビューされていました。彼女によるとサレンバーガー機長は常に冷静な人で、今回の出来事は全く驚きでなかったとのこと。機長が事故後、電話で奥さんに連絡をした時、「ちょっと事故があってね」という言葉を聞いて「あら、飛行場の駐車場かなんかで何かあったのかしら」と思ったそうです。
 
私だったらこんなとき、きっとあわてふためいて何もできないかも、と思いました。ましてや奥さんに「いつも冷静な人だから、今回の無事な機体着水は驚きではありません」なーんて言われるなんて。私なんて高速で車が壊れたことが2-3度あって、そのたびにギャーギャー言いながら「どーしよー」状態で夫に電話かけてました。
 
不時着した飛行機は今日地上に引き上げられたと報道されていました。


      今回の出来事で高く評価されたサレンバーガー機長

2009年1月14日水曜日

タキソール第一回クール 二日目

昨日第一回目のタキソール投与してきましたが、今日はなかなか快調。
    
頭のぼんやり感もなく、体も特に痛いところもなく、だるさなどもありません。
 
「よーし、今日は外出!」と思ったものの、特に行く所はなく。。。
そして何よりインフルエンザの予防接種を受けずに化学療法に突入してしまいました。
外は寒いし、へたに病気にかかるといやなので、出不精になってしまいます。
まあこれからは「外出したら手洗い」を守ることにします。
 
でも外が明るくて天気がよいから、どこか行きたいなあ。

夕方には家にあるエアロバイクに乗って久々の運動。
といっても「無理はよくない」ので、のったりのったりペダルを踏んで一時間。
ぐうたらな運動で息切れもせず。でもバイクから降りると足がちょっぴり疲れていました。
体も段々鍛えていかないとなりません。

2009年1月13日火曜日

ウィークリー・タキソール開始

今日は曇りの、少し寒い一日でした。
術後化学療法開始のため、11時30分に夫と病院のインフュージョン・センターへ。
                                   
今日は予約がいっぱいということで、少しフロントのところで待たされました。
私の今日の担当は中年の男性の看護士だったのですが、その人の使っている部屋が満杯なので、まずはその隣の部屋にうつされました。開いている椅子に座り、テクニシャンの子がポートに針を刺し、生理的食塩水をIVでスタートさせてくれました。しばらくすると男性の看護士さんがやってきて、椅子があいたから移動して下さいと言われたので、隣の部屋にいきました。
                          
今回はタキソールだけの投与ですが、投与の前に経口でコンポジン(抗嘔吐剤)を飲まされ、さらにステロイド、抗嘔吐剤、リラックスする薬などなど5つの薬品(Aroxi, Ativan, Benadryl, Zantac, Decadron)をIV投与してもらいました。でもこの薬剤カクテル、体に入ったいなや、手足にいような感覚が。痛いわけでも痒いわけでもないのですが、なんかもぞもぞして気持ち悪いのです。手や足をバタバタさせてその場をしのぎました。看護婦さんにいったら「きっとステロイドのせいだね」と言っておる。そして手足の不快感が取れると、眠気がおそってきました。なんだか酔っ払って眠くなったような感覚です。様子を見に来た夫に話しかけようとしますが、舌がもつれて口がおもうように開かなくて、まさに酔っ払いがろれつが回らなくなりながら話している感じ。それで治療中はずっと寝ていました。
                          
治療は3時ぐらいには終わりましたが、椅子から立ち上がってもなんだかフラフラします。帰りの車の中でもうとうと。こんな感じじゃあ、自分で病院に行くのがちょっと不安になります。夫が出張でまたいなくなったら、どうなることやら。。。まあ今はあまり心配しないことにします。
 
まずはクール一回目、無事終了ということでご報告。

2009年1月10日土曜日

オート・ショー


今日は地元で開かれたオートショーに夫と娘三人で行ってました。
   
私は基本的に車にあまり興味ないのですが、ずっと家にいるよりはましと思って出かけました。
   
週末とあって、結構大勢の人が来ていました。






フォード、GM、クライスラー、ジープなどのアメリカの会社をはじめ、当然ホンダ、日産、トヨタ、スバルなど日本の会社も車を展示していました。展示している車は、台にのかって周りにベルトが張られている以外のものは自由に中に入ったりフッドを開けてエンジンなど覗くことができます。 
   
    
おもしろかったのはこれ。5人の人が展示してある車に寄りかかるように座っています。何かと思ったら、そばにあるホワイトボードに「1月9日6時から1月11日の3時半まで、この車にずっと触れ続けていることができる人に、この車をあげます」と書いてあります。50人の参加者から始まり、現在残ったのは5人。私たちが行った時は1月10日の8時ごろだったので、あと18時間ほど座りこめばこの車がもらえる、ということになるのですが、生き残ったのが2人以上の場合はくじ引きで勝者を決めるそうです。車から離れたら失格ということで、トイレなどどうするんだろう、と思いました。夫は「一日何回かブレイクもらえるんじゃないか」と言っていました。子供がいなくて体調がばっちりだったら、私も挑戦したかったなーと思いました。でもくじ運が悪いので、頑張って最後まで残っても結局当たらないかも。

最後に車が好きな人のために写真をいくつか。。。

日産スカイラインGTRです。アメリカ人でもハイ・パフォーマンスの車が好きな人はスカイラインとかやっぱり好きみたいですね。
   
   
   
綺麗にリストアされた車が、外に展示してありました。
                     
                  
                     
                    
                                                                                                               

        
新しいカメロだそうです。結構人だかりができていました。

2009年1月9日金曜日

腫瘍内科医との診察

朝9時半のアポイントに夫と行ってきました。
 
まずは今の具合を質問され、答えていきました。あと12月終わりに精神科医から抗鬱剤を処方してもらって飲んでいることを告げました。この薬は化学療法中も飲んでいいとのこと。あとはさくっと診察してくれて、術後の傷も見てくれました。
 
「キモ、いつから始めたい?」と聞かれたので、「できれば来週にでも」と答えると、傷口も問題ないようだし、大丈夫でしょうとのこと。
 
私の場合、術前化学療法がドース・デンス(通常3週間に一回を二週間に一回投与)だったので、術後化学療法もドース・デンスで行っていいと言われたのですが、いろいろ調べたらウイークー・タキソールが成績が良いということなので、タキソールの週一を希望すると伝えました。それに先生には 「ドース・デンスきつかったので」というと、「そうだよね、じゃあウィーク・タキソールいいですよ。ノープロブレム」とあっさり受け入れてくれました。
 
最後に同意書にサインをして終わり。インフュージョン・センター担当の人もやって来てくれて、アポイントの日付と時間が書いてある紙をくれました。

早速来週火曜日(1月13日)から術後化学療法開始です。
タキソールを週に一回で合計12投与でいきます。
  
  
それから今日、去年の7月にセカンドオピニオンで会いに行った外科医のDr.Pのクリニックから請求書が来ていました。診察料は265ドル。夫の入っている保険から131ドル42セントおりて、自己負担は133ドル58セントなり。これって20分か30分そこらの診察ですよ。やっぱりアメリカの医療費って高いです。

形成外科医との診察

今日は形成外科の先生にまた会ってきました。
術後の傷の様子と、どれぐらい再建に使える皮膚が残っているか見るのが第一の目的です。
   
基本的に傷口はぺったんですが、横のほうはぷくっとふくらみがあって皮膚がだぶっている感じ。
再建のときはこのだぶった皮膚を利用できるとのこと。
   
あとこれから傷口を毎日マッサージして、皮膚の癒着を治していくように言われました。
「こうやるんだよ」と実際に先生がやってみせてくれましたが、これが痛かった!
モイスチャー・ローションを手に取って、傷口のところを強く押しながら揉んでいくのです。
皮膚自体にはほとんど感覚がないものの、皮膚のすぐ下にある筋肉に圧迫感があって痛いのです。
そしてそれを一日15分やれと。。。
  
頑張ります。

2009年1月6日火曜日

今日の調子はまずまず

今日は朝8時半ごろ起床。
子供がデイケアに行った後、いつもは昼寝に入るのですが、今日は朝疲れなし。
昨日は夜2時まで夜更かししたものの、結局一日中昼寝しなくてももちました。
 
夕方6時ごろになると少し頭がぼーっとするというか、眠気のようなものがふわっと襲いましたが、
基本的に一日爽快でした。
 
夕方は近所のレストランに食べに行きました。
そのレストランはバイキングスタイルで、子供は3歳まで無料です。
 
残念なことに(?)娘は3日前に4歳になってしまい、今日は料金を払いました。
といっても、大人料金の半額でするけどね。
 
その後、近くの電気屋に行ってギターのピックを探しましたが売り切れ。
それで夫が隣町の楽器屋に行こう、と言って車を飛ばしてくれましたがそこは閉店時間を過ぎてしまっていました。次に大きなCD/DVD屋さんへ。ギターの本まではあってもピックはありませんでした。でも変わりに中古DC/DVDのセクションから安いDVDを買ってきました。私が買ったのは「ユージュアル・サスペクト」、「シカゴ」、「パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち」などなど。夫はなにやらCDをごっさり買っておりました。娘はこちらのアニメの「スクービー・ドゥー」を買ってもらい大喜び。「おうちに帰ってみようねー」とはしゃいでいるので、家に帰ってきました。
 
という感じで、今日は少し外出できて良かったです。
これからも調子がいい日はどんどん外に出たいのですが、寒いので出不精な私です。

体がだんだんともとに?

先月からぼちぼちと髪の毛が生えはじめ、今では5ミリほどの長さに生えそろいました。
なんだか野球部の部員になった気分。ちょっとスブリしたくなります(うそ)。
自分の頭をなぜて、きもちいーと思ってしまいます。
 
抗がん剤が完全に体から抜けたのでしょうか、術前化学療法で不思議なことに収まったアトピー性皮膚炎が、右手の指先に戻ってきました。人差し指と中指の皮膚が荒れてきて痒くなり、人差し指などは小さい水泡のようなものができています。
 
それから月のものが戻ってきてしまいました。術前化学療法で一度止まったのですが、やはり私もまだ若さピチピチなのかなあ。私の場合ホルモン・レセプターが陽性で、閉経前なので月のものは止まったほうがよいとされています。今月から始まる術後化学療法で、卵巣の機能が完全に押さえられるか、それからアトピーがまた改善されるのか、みものです。

手術の傷もかなり痛みがとれてきました。今は左側を下にして、横向きで寝っころがることができるようになりました。右側はリンパ節もとっているので多少のダルさと、動かす時に少しだけ痛みがありますが、肩の少し上まで腕を持ち上げられるようになりました。それから右脇や右胸の上部端などが、たまに10秒間ほどチクチクと痛みます。医師の説明によると傷ついた神経が再生するときの痛みだそうですが、学校では反対に神経細胞が死ぬときに周りの筋肉が反応して収縮(fasciculation)を起こすと習った記憶があります。いったいどちらが真実でしょうか。

体は段々と治療前の状態に戻っている気がします。
でもこの状態を楽しんでいるのはつかの間。今月から術後化学療法が始まります。

2009年1月2日金曜日

期待される新しい癌治療法

インターネットで興味ある記事をみつけました。

ラジオ波を使って癌細胞を殺す治療法で、もし実用化すれば従来の手術、化学療法、放射線療法をせずに癌を完治できるというものです。どのような仕組みかと言うと、癌細胞に特異的に結合するネオパーティクルと呼ばれる微粒子を患者に投与します。このネオパーティクルには金属(ここでは金が使われています)がくっついていて、ラジオ波があたると熱を生じます。この時生じる熱で癌細胞を焼き殺そうというものです。

うまく行けば副作用もなく、がん細胞だけを破壊することができます。また手術不可能な癌も取り除くことができるわけです。さらに、エイズやインフルエンザをはじめとするウイルス感染などにも応用が可能です。
  
研究はアメリカでも最先端の癌治療センターであるM.D. アンダーソン・センターの研究者と、治療に用いるラジオ波を発生する機械を発明したKanzius氏の協力で進められています。

このラジオ波マシーンを開発したKanzius氏と開発中のラジオ波治療については米CBSテレビの番組『60 Minutes』でも取り上げられました。

私も告知されてから、確実に癌を完治できる治療法がきっとあるはずだと信じてきました。
ちょうどMRIの検査を受けたころ、MRIのことをインターネットで調べていて「ネックレスや時計など、金属を身につけていると火傷をする」と読んだことがあったのです。それでモノクローナル抗体などに金属をくっつけて、癌に目印をつけたあとにMRIを用いて磁気エネルギーを与えれば、がん細胞の細胞膜が熱で破壊され、がん細胞を殺せるのでは、と考えていました。どうやら同じような考えは、癌研究者の中では既に一般化されていたようです。

今日みつけたKanzius ラジオ波療法は、まさに基本的に同じデザインです。今までの標的療法ではモノクローナル抗体を用いますが、投与後は体の免疫に癌細胞の処理をまかせる方法です。ただしがん細胞も免疫細胞も生き物です。がん細胞は性質を変え、薬に「耐性」を習得して効かなくなることもしばしばです。また免疫が低下しているか遺伝的に薬が合わない場合は全く効かないこともあるでしょう。でも熱でがん細胞の細胞膜を破壊できれば、がん細胞は一瞬のうちに死滅します。がん細胞の性質や遺伝子特性なんやらは関係なく、一気に悪者をやっつけられるわけです。

ということで私はこのKanzius ラジオ波療法というのにとても大きな期待を持っています。
 
まだいくつかのハードルがいくつかありますが、着実に研究が進んでいるようです。
2008年11月4日付けの「Journal of Experimental Therapeutics and Oncology」という科学雑誌に、実験室で培養されているがん細胞(すい臓がんと直腸がん)にこの方法を用いて処理したところ、がん細胞が100%死滅したと報告されています。研究はスムーズに進んでいるようすで、研究に携わるM.D. アンダーソン・センターのSteven Curley医師によると、2-3年のうちには実際の患者を対象にした治験も可能だろうと述べています。

「今年は大発明が」という私の、そして皆さんの願いがもしかしたらもう実現しているのかもしれませんね!あとは研究がスピーディーに進み、夢の治療法が一日も早く現実のものになって数多くの患者さんの病気が治るようにと願っています。

Kanzius ラジオ波療法について興味のある方、詳しくは下のウェブサイト、またはjohn kanziusで検索をかければ情報が得られます。
http://www.kanziuscancerresearch.com/
http://en.wikipedia.org/wiki/Non-invasive_RF_cancer_treatment

日本語の記事はここにありました
http://wiredvision.jp/news/200807/2008071821.html
http://www.gizmodo.jp/2008/04/post_3517.html (『60 Minutes』の動画もここに)

きいてるかな

二日前からメンタルクリニックで処方してもらった抗鬱剤を飲んでいます。
精神科医には飲み始めて二週間ほどたたないと効いてこないと聞いていましたが、なにやら昨日の深夜から今日の朝にかけて変化が感じられます。
 
まずは昨日の夜。いつもは一日中疲れたような眠気があるような感じなので、床につくとすぐに眠れます。でも昨夜は目がパッチリ覚めてしまって寝付くのに一苦労。少し咳があったので寝付けにくかったのもありますが、いつもはない目の覚めようなのです。
 
それから今日の朝。いつもは9時ごろ、夫が娘をデイケアに連れて行った後、長椅子にぐたーっと横たわって昼過ぎまで寝ています。でも今日は目が覚めてしまってとても寝られる雰囲気ではありません。それからいつもの「眠気」も緩和。これからシャワーでも浴びて何か始めようかな、と思えるような状態。
 
薬が早めに効いてきたのでしょうか。それともこの「眠気」と「気だるさ」はやはり精神的なもので、気分の転換をすれば治るものなのか。
 
まずはあせらず経過観察です。
でも昨日今日の状態は新年を始めるには悪くないスタートラインかな。

追加)現在夜の10時45分です。今日は昼寝もせず、調子のよい日でした。クリスマスプレゼントに夫に買ってもらったギターを取り出し、初めての練習。3時間ぐらいもギターをいじっていたでしょうか。新しい趣味ですが、ちょっとはまりそうです(でも長続きするかどうかは不明)。夜も遅くなってきたので、そろそろ「眠気」がでてきました。このまま良い生活リズムにもっていけるといいな。

2009年1月1日木曜日

新年が明けました

一足遅れてアメリカも新年があけました。
みなさん、あけましておめでとうございます。

今年もみなさんにとって素敵な一年となりますように、お祈りしています。

さて、昨日は深夜3時ごろまで起きていました。
CNNで恒例の、カウントダウンの番組をしていたので見ました。中継はニューヨークから。ボールが下がってみんなが「ハッピーニューイヤー」とやるのを「ニューヨークは寒かろー」と思いながら見ていました。12時になるとともに外では爆竹の音がパリパリとなりました。

こちらでは有料衛星放送で、テレビジャパンというNHKの番組が入ります。1時半ごろ、「行く年来る年」を見ました。山寺の風景など、厳かでいいですね。それから初参りの参拝客の様子など、日本が懐かしくなる映像を楽しみました。
   
元旦は家族そろって朝のんびり起きました。お昼近くまで布団でごろごろ。
起きてからお雑煮などを作って家族三人でおせち料理をいただきました。


さて、今年はJALパックでおせち料理を頼んでみました。航空便で、ドライアイスで冷凍状態になりながら送られてきた品物は右の写真のようなもの。
 
でも値段は195ドルと超高い。。。のですが、今年が良い年になるようにとの願いを込めて奮発しました。
 
味はなかなか良かったです。特にタコの酢の物が美味しくて、旦那は気持ち悪がって食べないので、一人じめ。子供も「たこさーん」とおどけるだけで、食べませんでした。
 

今年は乳がんを初め、がんの特効薬ができるといいな。
コンピューターで何でもできるようになり、宇宙にもスペースシャトルでチョクチョク行くような時代です。
癌が治せないなんて、歯がゆくてたまりません。
 
2009年が歴史に残るような大発見の年になってほしいです。

皆さんと自分のために、強い思いをこめて。
祈っています。