2008年12月10日水曜日

退院しました

無事に手術を終え、昨夜帰ってきました。
手術日当日の事を忘れないうちに記しておきたいと思います。
 
12月8日、朝3時半に起床。すぐにシャワーを浴びました。特に手術される場所(両胸と右の脇下)は抗菌石鹸で念入りに洗いました。4時半には夫の運転で病院に向かいました。娘は義姉にデイケアに連れて行ってもらいました。
  
病院についたらまずはAPUでチェックイン。病院用のスモッグみたいなのをもらい、着替えました。少し待たされたあと、別の部屋へ。ここでIVを入れてもらいました。それから麻酔科の看護士さん、手術を担当する医師など次々とやってきました。最後の主治医・執刀医のDr.Eが来て胸に切る箇所をマーキングをしてくれました。形成外科医のDr.Oに来てもらってマーキングをしてもらうようにピッチで連絡を入れたそうですが、結局最後まで顔を出しませんでした。手術前に診察してもらった形成外科医のDr.Mが事前にお勧めのマーキングを描いて写真にとってくれて、執刀医のDr.Eにそれを渡してあったので問題はありませんでした。
 
手術前に覚えているのは麻酔科の看護士が「これから眠くなる薬を入れますね」とIVに薬を注入したこと。ほんとに頭がすぐボーっとしてきてその後のことはまったく記憶にありません。手術は7時半から始まる予定でしたが、この部屋にいたとき最後に時計をチェックしたとき7時10分ごろだったので、手術事態は7時半過ぎか8時ごろ始まったんではないかと思います。
 
目が覚めたのは回復室でした。夫と義姉がそばについていていてくれました。おそらくまだ頭がボーっとして眠たかったのですが、部屋に着いたのでベットを移動してくださいと言われ、移動しました。そのとき胸と右脇の傷口がかなり痛みました。ベット移動といっても二つのベットを横にくっつくように並べてくれて、体をずらすだけなのですが、イタイイタイ。でもどうにか部屋のベットに移動できました。
 
ベット元にはお決まりのナースコールができるボタンのついたリモコンのようなもの、そしてひとつPCAと呼ばれる緑のボタンのついたものが置かれていました。PCAはIVのユニットに付いているモルヒネの機械につながっています。痛みがある時に緑のボタンを押すと自動的にモルヒネが投与されるようになっています。基本的に最高で6分に一度(一時間に10回)の投与が許されるように設定してあります。回復室に入った当初は痛みが怖かったので1-2回押したのを覚えています。でも体を動かさずにベットでじっとしてる限り、痛みは我慢できる程度だったので、その後あまり押しませんでした。後ででお医者さんが入ってきたときに「モルヒネもあまり押してないみたいですね」といわれました。看護士には「トイレに行ったりして立ち上がったとき、痛かったら押してもいいんだよ」と言われました。その後は少しでも痛いと押していました。
 
手術する前に「乳腺全的の手術のあとは吐き気がある」と聞かされていました。確かに少し気持ち悪い感じがあったけれど、薬をもらうほどではありませんでした。夕方には義姉が娘をデイケアにピックアップしに行き、7時ごろには病院に連れてきてくれました。そのころには目もすっかり覚めていて、まだ少し疲れているかなぐらいで、普通に話しなどできました。子供とも少し会話を交わし、デイケアで描いた絵の切り抜きを私に渡してくれました。それから今日もらったというデイケアでとった写真も見せてもらいました。
 
IVでの水分補給は続いていましたが、看護士には「できるだけ飲み物をのんで」と促されました。夜8時ごろでしょうか、食欲もなく喉も渇かなかったのですが、水分補給にジュースを飲もうとしました。ジュースを口に近づけると吐き気が。飲んでもいないのに、飲もうとすると吐き気が出ます。それで抗嘔吐剤をIV投与してもらいました。これを打たれたとたん、酔っ払い状態に。話をしようとしても口がもつれ、頭で考えている言葉と違う単語が出てきます。そして猛烈に眠くなりました。夫と義姉は薬の影響で私が眠くなったので、子供をつれて家に帰っていきました。
 
夜中に何度か(4時間おきだったと思います)看護士が入ってきました。血圧、脈拍、体温、ドレインのチェックのためです。朝5時ごろにインターンのDr.Mが入ってきました。書類上はこの先生が私の入院を許可したことになっているので、いろいろ丁寧に診察や対応をしてくれました。
 
看護士にしつこく言われたのは「おしっこを出す」こと。8時までに必ずトイレに行ってくださいと言われたので、痛む傷口を我慢しながらトイレへ。一滴も出ません。尿意もほとんどありません。そこで看護士が膀胱内の尿を図るエコーの機械を持ってきて検査してくれました。結果は147ml。250ml以上だと尿意があって排出できなくてはいけません。医師にその事を報告。尿が出るようにと500mlの生理的食塩水をIVで投与されました。それでもおしっこが出ません。またエコー。結果は300-400mlとのこと。お昼ごろに夫と義姉が来てくれました。研修中の医学生が入ってきて、診察をしました。看護士がまた入ってきて「尿が出るように少し院内を歩いてください。出ない場合は膀胱にまた管を通して尿を出さないと」と言ってきたので、ベットから立ちました。歩く前に念のためトイレに行って少し座っていると尿が出ました。部屋を出るときにたまたま看護士がやってきたので「おしっこで出ましたよ」というと「ホントに?やったー」と喜んでいました。病棟内を一周してベットに帰ってきました。
  
3時半ごろに日本の実家に電話をかけました。日本時間で朝の時半ごろですが、父が起きているのを知っていたのです。思ったどうり、父が電話に出たので無事に手術が終わったとの報告ができました。
 
それから麻酔科の先生などが様子を聞きにきました。午後3時ごろにはさらに尿もたくさん出たので、看護士が喜んでくれました。4時半ごろにはDr.E を含め外科医チーム(数えたら9人もいました)がやってきました。包帯のしたの傷口の様子などを見てくれて、家に帰っても十分水分を補給するのを約束に、今日退院してもいいとのこと。傷口はまだ傷むので、もう一日入院してもよかったのですが、普通に歩いたりできるので退院したいことを告げました。家では3つ入っているドレインのチューブを自分で管理していきます。それから胸に巻いてくれた包帯も、翌日に取っていいと言われました。
   
医師の診察のあと、夫と義姉は娘を迎えに一時家に帰りました。娘のデイケアが閉まる時間が迫っていたからです。病院を出る前に薬などもらったり、退院の手続きもあるので時間がかなりタイトでした。
 
私は着替えをして、ボーっとテレビを見たり、担当の看護士(Robyn)さんと話をしたりして夫を待っていました。夫が娘を連れて病院に来たのは8時ごろ。帰りにファーマシーに立ち寄って痛み止めの薬をもらいました。夜遅くだったのでファーマシーもあまりこんでいませんでした。家には9時ごろ着きました。
10時にはドレインに溜まった廃液を出して量を測りました。どのドレインも20mlでした。24時間のあいだに出る廃液が合計で30ml以下になればドレインをはずしてもらえます。それまでは体に3つのドレインチューブとボールがブラブラ。それからしばらく重いものなど持てません。娘が「抱っこー」とまだ来るのですが、「だめだよ。ママは抱っこできないよ。怪我してるからね」と言っています。昨日ファーマシーで待っているとき、右腕に刺されたIVの針の跡に貼っていたバンドエイドをみて、「まま、痛い?じゃあスヌーピーのバンドエードかってあげよう」と言っていました。手術の傷跡もバンドエイドで治ってくれれば嬉しいですけどね。



現在こんな感じです。ドレイン3つがブラブラ吊る下がっています。朝、昼、夜、寝る前の4回、廃液の量を測って記録しています。ごらんのとおり、すっかり胸がペッタンコです。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

よくがんばられましたね。
ドレインがついているのが痛々しいです。
自分で管理するんですね。
私は温存でしたが、傷口はあまり痛まず、
オペ中に腕を上げていたためか腕を動かすと痛かったです。
日にち薬でよくなってきますよ。

無理しないでね。

うな さんのコメント...

マープルさん、

私の場合、リンパ節をごっそり取られた右の脇下の傷口が一番痛いです。それから脇下から上腕にかけて皮膚感覚がありません。Dr.Eによると、場合によっては手術をした脇下の周りは永久的に感覚を失う場合があるそうです。

回復に向けてあせらず行きます!