2009年3月31日火曜日

ウイークリー・タキソール 12回目

今日は術後化学療法ウイークリー・タキソール最終クールの日でした。   
 
夫はパスポートを取りに、朝早くからワシントンD.C.に言ってしまいました。 予約も11時半と遅めだったので、お茶漬けを一杯食べてからのんびりと一人で病院に。
今日は綺麗な晴天でした。


病院内にある桜も七分先咲きぐらい。
少し風があったので、長袖でも少し涼しいくらい。
春先の陽気です。

インフュージョン・センターに行くと、なにやらいろいろ工事中。
いつも通れる道がふさがっていて、入れそうなドアをあけると見慣れたテクニシャンの子が二人、すぐ入ったところのオフィスにいました。 直ぐに一緒に廊下をぐると回り、新しく設けられた点滴室に連れて行ってくれました。 フロントなどは前とそっくりなアレンジで、なんだかいつもと同じインフュージョン・センターに来たみたいでした。フロント担当のナースに聞くと今日が引越し後第一日目ということ。  
 
以前は各ナース専用の点滴室が設けられていたのですが、今回は2人のナースが共用する大きな部屋に通されました。シリンジやカルテなどをおく作業机が、部屋の真ん中においてあります。今日私の担当だった看護士のAによると「とってもやりにくい」と言っていました。
 
前の点滴室と大きく違うことは、壁にテレビがないこと。
なんだか自然とシーンとしてしまいます。
ナースも2人いるので、仕事の話とかをしていました。
私の主治医、Dr.Lも話題になっていました。 今日は3月31日ですが、Dr.Lがある患者さんの血液検査を4月10日で依頼したそうです。それで今日の日にちでないので、検査室から検査できないと連絡があったよう。それで看護士の手では依頼日の変更ができないので、Dr.Lに訂正してくださいと電話で話していました。
 
電話を切った後、そのナースがもう一人のナースに「Dr.Lはあつかいにくくって、気に入らないと怒鳴ったりする」と言っていました。今のところ私は怒鳴られてないし、けっこうDr.Lとはうまく行っていると思うんですが、「怒鳴る」医者はあまり好きでありません。それが患者でなくても、同僚の医師や看護士さんでも。やっぱり問題が生じても友好的に物事を処理する力量がないと、良い医療関係者と言えないんじゃないかな。少し考えさせられました。
今日も25mgでべナドリルを投与してもらいました。前薬を投与してもらうと、少し頭がボーっときて看護士のAの顔に一瞬星のようなものがぱちぱちと見えました。少し起きていましたが、そのうち眠気がおそいました。しばらくして一度起こされ、ファーマシーから届いたタキソールのバックをAに見せられ。「最後のタキソール、確認してください」といわれたので、確認をしました。その後はまたいつもどうりZZZ。
 
点滴が終わって起こされたのは2時半ごろだと思います。
すぐに血圧をとって、針を抜いてくれました。
トイレに行こうと立ち上がりましたが、まだかなり眠気が・・・。
一ヶ月後のポートのフラッシュのアポイントカードを、Aが作って渡してくれました。
次に隣に座っている患者さんの針を抜く作業を始めましたが、「あ、ちょっと待っててね」と言ってくれました。
 
以前にも書いたのですが、このインフュージョン・センターには治療を終えた患者さんが鳴らすベルがあります。引越ししたばかりなので、壁にはまだ取り付けられていませんが、出してきてくれるとのこと。


私が鳴らせるようにと、看護士さんがベルを手でおさえてくれました。
私はベルのついたプラックの文章を声を出して読み、
思いっきり3回、ベルを打ち鳴らしました。
ベルを鳴らした後は周りにいた看護士とテクニシャンの人たちが拍手をしてくれました。

正式には放射線治療、再建手術、ホルモン療法と長い治療がまだ残っています。

でもまずは化学療法のほうはひとまずキリがついたということで、このベルを無事鳴らせて良かったです。

2009年3月30日月曜日

解剖学教室のお手伝い

解剖学の先生の手伝いで今日は学校へ。
緊急救命員と消防隊や、その関連の学生さんが50人ほどやってくる日でした。
要は解剖学教室の簡単なデモンストレーションです。
私はクラスメートのJJと、循環器系と消化器系の臓器のテーブルを担当しました。
テーブルにある臓器を取って簡単な説明をして、質問などに答えます。

1時から3時までの予定でしたが、終わったときは3時半ちかくになっていました。
デモに参加した人たち数人が、帰り際に「どうもありがとう」と声をかけてくれました。

                    ********

夕方はまた天気がいいので娘と散歩に。
今日はこんなものに出くわしました。

ここの家に住む「David」という人が50才の誕生日のようです。
御近所みんなに年がばればれですね。
             
しばらく歩くと、オスのマガモに出会いました。
もう春なのに、彼女が見つからなくてツガイになり損ねたオス二匹のようです。
さらに少し歩くと、黒いウサギが。
茶色の野うさぎは良く見かけるのですが、黒いのは初めて見ました。
きっと元ペットだったのが逃げ出し、野生化したのでしょう。
なんかノンビリ草を食べていました。
こちらも桜を初め、いろいな花が息吹き始めています。
もうすっかり春です。

2009年3月29日日曜日

今日は晴天

天気予報では「激しい雷雨」の予想でしたが、以外にも今日は綺麗な晴天。
初夏のような一日となりました。
たまに娘のベイビーシッターをしてくれる向かいの女の子、K。
昨日モールに行ったとき、彼女のお父さんのRとばったり。
学校であるトラブルがあって、8週間外出を禁止されているそうです。

娘もKのことが大好きなので、どうせ家で何もしていないのだから3時間シッターを頼みました。
私はその間、銀行にいったりして時間つぶし。
なにせお天気がいいので外出しない手はありません。

4時ごろ家の近くにあるソニックというドライブインのお店で飲み物とオニオンリングを注文。
合計2ドル50セントしなくて、超安上がりでした。
もしかしてハッピーアワーだったかな?

5時半ごろ娘を迎えに行きました。
まだまだ外は明るいので、家にいるのがもったいないくらい。

それで運動がてら、娘をバギーに乗せてお散歩へ。
アイスクリームを買ってあげるという約束で家をでました。
歩いているときに
「あのさあ、ママの治療が終わったら日本に行こうかあ。ばあばとじいじに会いに行こうよ」と言うと、娘は
「えー、やだ。アイスクリーム買いにいくんだもん」

分かっているような、分かっていないような、微妙な4歳です。

2009年3月28日土曜日

ラッキーな財布?

昨夜はずっと雨。
しとしと降る水の音を聞きながら、ゆっくりと眠る。
気持ちのいいものです。

さて、朝おきると雨はやんでいました。
今日は何をしようかな、と思い立ち、一瞬「財布はどこかな」と思いました。
昨日夕方に雨の中買い物に行ったのですが、ジーンズの後ろポケットに突っ込んで家に帰ってきたところまでは記憶があります。
そこで車の中をチェックしに外へ。

なんと車庫を出たところの、家の横の芝生の上に堂々と私の財布が落ちてるではありませんか。
昨日はずっと雨だったゆえ、誰も人は通らず、拾われることもなかったのでしょう。
でも12時間以上も外に落ちていて、よく無事でした。
一晩中雨に降られて、泥まみれになってしまっていましたが。
中もすぐにチェックしましたが、カード一つ盗まれた痕跡はありません。
アメリカは財布なんて落とした日には、絶対帰ってこない国です。
とってもラッキーでした。


今日の午後はクラスメートのJのところに遊びに行き、その後は曇り空だったけどビーチに向かいました。

娘とアイスクリームを食べたけど、寒かった~。
今日は砂の上を歩くことなく、家に帰ってきました。

2009年3月26日木曜日

放射線科での診察

今日は来月から始まる放射線治療のため、放射線科に行ってきました。
今朝は小雨。いつもより少し早い8時ごろに娘をデイケアにドロップオフし、直接病院へと向かいました。雨だしラッシュだし、ハイウェーに乗るまで時間を食ってしまいました。

病院に着いたのは5分ほど遅れ。カウンターには3人ほどの医療関係者がたむろっていました。
そのうち2人は放射線技師の方でした。今日はだだ、放射線療法を始める日にちの決定だけと思ったら、治療に使用する「Cradle (型)」と作ると言われました。プラスCT撮影もありと。そして初めに採血をして、妊娠してないか調べると言われました。「絶対に妊娠はないです」と言ったけど、きちんとオフィシャルな結果として残すため、検査が必要とのこと。尿標本では駄目かと訪ねると、きちんと採血でと言われました。

テクニシャンの男の子が採血してくれたあと、CTスキャンのある部屋に通されました。
妊娠検査の結果が出るまで時間があるので、何を先にしたらいいか技師の2人が話しあっていました。結局型から作ることになったのですが、ナースのMCが検査室に直接出向いてくれて検査結果を取ってきてくれたので、結局型取りとCT同時進行のようになりました。

技師の人が「これって、クラフトの時間」といいながら牛乳のカートンくらいのプラスチックの容器に入った液体を取り出し、振りはじめました。どうやらこの液体が型の元のようです。もう一人の技師さんが黒い大きなポリ袋を床に広げます。その中に型になる液体をいれ、入り口をガムテープで閉じたあと、手で平らになるように広げていました。それをCTの検査台にのせて、私はその上に上向きに腕を挙げて横たわるように言われました。

型の元が入ったポリ袋を、私の体と腕に下から押し付けるようにして、型をとってくれました。途中で主治医のDr.Mが入ってきました。Mr.Mが体につけるマークの支持をしていました。青いペンとその上に張ったシールで、2週間後から始める放射線治療のビームの当て方を支持する印です。ごしごしと強く擦らなければ、お風呂やシャワーは問題ないということでした。
それからポリ袋の型に体が入ったままCT機の中へ。
検査は5分くらいですみ、型から出て終わりでした。

2週間後には今日作った型に入り、放射線治療を開始します。

2009年3月25日水曜日

かなり反省しています

今日3ヶ月ぶりに体重計にのりました。
ががーん。術後化学療法始める前より、5kgぐらい増えてしまった。

思えば術後は体力を取り戻そうと、食べたい物を食べたいときに食べていた。
化学療法中は、とにかく体力を落としまいと、制限無く食べたり飲んだり。
さらに形成外科の先生からは「お腹の贅肉を再建のドナー部として使うので、沢山食べていいよ」と言われたのを言いことに、両側乳房切除後にすっかり際立った太鼓腹を気にも書けず、食べていました。

いくらなんでも、今の体重はまずい・・・
さらにお腹が超メタボ状態なので、たまに胃酸が逆流するのが分かります。
この前も胃酸逆流で夜中に目をさますし。

ジーンズもほぼ全てピチピチ。
マタニティー・パンツしか着れなくなったらちと悲しい。

それにここまで太ると、一気にご飯が沢山食べれなくなるんですね。
少し食べるとお腹いっぱいになってしまい、少し無理するとお腹がパンパンになってしまいます。
それでも今まで「食べないと」という気持ちが先立って、家にいるときはダラダラと一日中何か口にしてしまうのです。

やはりこれではいけません。
これから少し、食べる量を減らそう。
せめて化学療法で増えた5kgを落としてから再建手術に挑みたいです。

2009年3月24日火曜日

ウイークリー・タキソール11回目

ウイークリー・タキソール11回目の投与に行ってきました。

予約は10時半でしたが、旦那が呑気に朝のシャワーを浴びたために出発が遅れて、病院についたのは11時40分ごろ。でも何も問題なく、チェックインしてもらえました。

昨日の夜はWBCの日本対韓国戦を観たため、床についたのは朝の2時。
病院についた時も何となく疲れがありました。
なんか眠気が抜けないような感じ。

点滴を受けるインフュージョン・センターの一部は現在改装中。
部屋に通されるまでフロントで待っていると、廊下を隔てて直ぐ隣にある改装中の部屋のなかで、ブルブルという大きな音を時折立てて工事のおじさんが働いているのが見えました。

しばらくて治療を受ける部屋に通されました。
今日の担当はあの明るいフィリピン人の看護士さん。それから中国系のテクニシャンの子。
化学療法と放射線慮法が終わったら日本に一時帰国をする話をしたら、羨ましがっていました。

今日の治療も何事も変わったことなく、スムーズにいきました。
いつもは抗ヒスタミン薬のべナドリルを50mg、前投与薬の一つとして入れてもらいます。
ある白人の看護士さんによると、50mgはウイークリーでなくて三週間に一度のタキソール投与の際に使われる量だそうです。ウイークリーの場合は投与されるタキソールの量も少ないので、50mgでなく25mgでいいのではないか、と指摘されました。確かにべナドリルは治療後眠くなる大きな要素なので、少ない量ですむならそれに越したことはありません。それで今日は25mgでやってもらいました。

治療中はいつもどうりZZZ・・・ 1時半ごろ起きました。
まだ眠かったけど、どうにか起きてトイレに行きました。
車の中でまた眠くなるかと思いきや、大丈夫でした。どうやらべナドリルの量を半分にしてもらった効果はあったようです。

治療中は夫が健康保険のオフィスに行ってくれ、再建手術にかかる費用などの質問をしに行ってくれました。アメリカではCo-payといって、患者負担の料金が発生する場合があります。アメリカには様々な健康保険があるので、Co-payが実際どれだけかかるのか確認する必要があったのです。夫が聞きにいてくれた限りでは「一日11ドル」と言われたそう。でもこれは入院費だけの費用?食事代とかは含まれないらしいです。でも手術自体の費用はこれに含まれるんだろうか。いまいち良く分かりません・・・やっぱり改めて自分で聞きにいかないと駄目みたいです。

来週はとうとう術後化学療法、ウイークリー・タキソールの最終クールです。

2009年3月21日土曜日

ベイビー・シャワー

ベイビー・シャワーというのは、もうじき赤ちゃんを出産する妊婦さんのため開かれるパーティーです。
生まれてくる赤ちゃんにプレゼントを贈るのが主な目的。
今回は病院で働いていた時の同僚の人。
女の子を妊娠しているのですが、実はその子に私の名前をつけるそうです。
メールでこの事を知った時、すごく驚きました。

彼女によると私の名前を綺麗な名前だと思っていてくれたようで、女の子ができたら同じ名前をつけたいと思ってくれたそうです。

私の名前は日本人の名前としてもちょっと変わっているので、今まで同じ名前(当然漢字はちがう)をもつ人には幼稚園の時に一人しか会ったことがありません。
予定日は5月13日。
もしかすると私が娘を出産した同じ病院で生まれるかもしれません。
生まれたら抱っこしに行くつもりです。

2009年3月19日木曜日

古着

朝学校のメールをチェックすると、明日ホンジュラスに行くクラスメートから学校全体に宛ててメールが届いていました。

「ホンジュラスの孤児院を訪ねるので、おもちゃなど要らないものがあれば提供してください」とのこと。

私の娘も4歳になり、使わないおもちゃもかなり増えました。
特にもらい物のぬいぐるみなど、遊ばれもせず場所ばかりとっています。
それから小さくなって着れなくなった洋服の数々。
メールを送ってくれたクラスメートのMに、おもちゃ以外に古着なども持って行ってくれないかとメールで尋ねたところ、「もちろん」という回答。早速今日の午前中は娘の古着を整理して、大きなダンボールにつめる作業をしました。

古着を整理していると、娘がまだ赤ちゃんだったころの事を思い起こさずにいられませんでした。
ちっちゃい肌着を一つ一つまた手に取っては、「ほんとにこんなに小ちゃかったよなあ」、と独り言をつぶやいてしまいます。

もう小さすぎて着れない服なのに、始末してしまうとなると複雑な気持ちになるものです。
でもホンジュラスに持っていってもらって、本当に洋服を必要としている子供達に着てもらえるなら、こんなに素敵なことは無いなと思いながらに荷造りを続けました。
そして娘の服を着て、貧しくても逞しく生きるホンジュラスの子供達の姿を想像してみたりしました。

昼ごろには大きなダンボール箱いっぱいに、0歳から3歳までの服をぎっしり詰め込みました。


午後はお天気がよく、お昼を食べてから少し裏庭に出ていました。

風が少しありましたが、日差しが暖かく気持ち良かったので、20分ほど昼寝をしまいました。でも起きたあとに爽快感がなく、かえって疲れてしまったみたい。家の中に入りましたが、なんだか体がつかれて何もやる気になりません。結局午後また1時間ほど、横になっていました。

夕方娘を向かえに行くときも、倦怠感が。

午後7時を過ぎると雨も降り出しましたが、頑張ってクラスメートのところに荷造りした古着と、袋につめたおもちゃなどを届けに行きました。

めまぐるしく天気が変わった今日という日。化学療法してるし、体調がいまいちの日もあって当然かな。

今日は早めに寝るようにします。

2009年3月18日水曜日

「人の心は深くそして不思議なほど浅い。きっとその浅さで人は生きてゆける。」

写真家であり、エッセイストであった星野道夫が言った言葉です。

今日たまたまテレビを見ていて星野道夫という写真家のことを知りました。
アラスカに在住し、多くのアラスカの自然や野生動物の写真を撮られたそうです。
1996年、ヒグマに襲われて急死されたそうです。

テレビで紹介された星野が残した言葉のうち、特に心に残ったものがありましたので御紹介します。


「人間の気持ちとは可笑しいものですね。

どうしようもない些細な日常に左右されて一方で、

風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。

人の心は、深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。

きっと、その浅さで、人は生きていけるのでしょう。」


とても深く共感しました。

人間の強い感情、探究心、考察力・・・これほど深い精神活動を営んでいる動物は地球上我々だけ。
生物学の分野では根本原理となっている「進化学」や「利己的な遺伝子」の考え方をもってしても説明しきれない、人間の深い精神活動。

でも悩んでいても、人生の中でどんなに苦しい岐路に立っていても、ふっと顔をなぜる春風や、たまたまめぐり合った一輪の花、子供達の無邪気な笑い声などに人ははっとするものです。そして人はまた力を与えられ、逆鏡に立ち向かう勇気をふり起こすことができます。そして生きている事は価値があることだ、と再度気づかされます。

まさにその「浅さ」で人間は生きていけるのでしょう。


星野道夫の言葉集を、ここに見つけました。どれもとても素敵な言葉です。
http://emix-express.com/e-wave/specials/quote/travelin.html

大人になるということ

小学生のころ、手塚治虫の大ファンでした。
もらったおこずかいやお年玉を全部はたいて、手塚治虫の漫画を買いあさっていました。
当然子供の頃の夢は漫画家になること。
今でも手塚治虫のキャラクターはフリーハンドで描けちゃうぐらいです。

今日は昼寝をしたこともあって、深夜2時過ぎになっても眠れず。
衛星放送で見れるNKHのチャンネルをだらだら付けて見ていました。
「手塚治虫Mマガジン」という番組をやっていました。
手塚治虫の原作に、声優による声や効果音などがつけられて作品を紹介しています。

きょう取り上げられていた作品は「どろろ」でした。当然全巻もっていました。大好きな作品の一つで、何度読み返したか分からないです。

この番組を見ていて改めて手塚治虫は天才だったなあと、思いました。
作品の面白さや絵の良さもありますが、秘められたメーッセージが奥深いのです。
作品の多くに「生命の尊さ」や「人生の意味への探求」といった人間なら誰しも考える深いテーマが語られています。

今37歳になり、手塚治虫の作品に魅了されて本気で漫画家になりたかった小学生の自分を少し振り返ることができました。結局手塚作品に影響されすぎて、書く絵は手塚治虫キャラクターの真似ばかり。ストーリーはオリジナルのものは考えられません。結局自分は絵はかけても漫画家の素質は無いなと気づきました。ある意味で人生最初の挫折だったかもしれません。そこで「生命の尊さ」や「人生の意味の探求」を、漫画家以外の方法でさぐる道を探し始めたのです。

子供のときは有名・著名人などに憧れ、「あの人のようになりたい」と思うものです。

でも今大人になって、自分の人生は誰のものでもないユニークなものであって、だからこそ価値があることに気付かされました。憧れの人物のようになってみたい、そしてその人と同じ道を歩んだとしても、個々の人間はそれぞれユニークな体験を強いられます。

大人になるということは、子供時代の「夢」や「あこがれ」の殻から出て、自分なりの目標を探すこと。そして自分の人生の体験がユニークであり、旅としての自分の人生を胸をはって歩いていくことが何よりも素晴らしく、正しい道なんだということに気づくことなのでしょう。

もう深夜3時を回るところです。
頑張って床につきます。

2009年3月17日火曜日

ウイークリー・タキソール10回目

今日は朝9時に腫瘍内科医との診察がありました。
朝少し早めにおきて(といっても7時起床)、子供をデイケアに連れて行った後(夫は今仕事でいません)、病院に向かいました。

病院には10分ほど前に着きました。受付に座っていたコーマン(看護士兼テクニッシャンの子)の男の子が、すぐにチェックインをしてくれました。そして血圧などを測る部屋に。朝が早かったのでちょっと眠かった。男の子にクリニックは何時に始まるのか聞いたところ、7時半にはスタッフが入って8時には最初の患者さんの診察が始まるそうです。そして最後の患者さんの受付は3時半。4時半には家に帰れるんだそうです。

彼はまだランクが低いので、腫瘍内科クリニックでのアサインメントが終わると他の部署に移動になるとのこと。「ずっと同じクリニックや同じ部署で働いていたい?」と尋ねると答えは「No」でした。

「ずっと同じ部署にいたい人なんているかなあ。特にこのクリニックは”悲しい場所(It's a sad place)”だから」と言います。

私が「そう・・・患者さんを失うもんね」と言うと、

「ただ単に患者さんじゃない。友達を失うから」と。

その時は「そうだよね」と共感しました。
そして主治医との診察後、時間つぶしにカフェテリアに行ったときも彼の言った言葉の意味についてずっと考えていました。

私も自分が癌でなくて腫瘍内科で働いていたら、彼と同じことを言ったかもしれません。
でも今は、癌という病気と闘いながらも、前向きに生きながら人生を思いっきり堪能し、謳歌することができる事を知っています。人生どんな困難があっても「悲しいこと」ばかりではありません。
医療チームができることは、ただ同情するだけでなく、患者といっしょに前向きに病気と向きあうことではないでしょうか。
インフュージョン・センターには予定どうり10時ごろ着きました。
すぐにチェックインしてもらい、部屋に通されました。
既に年配の男の患者さんが椅子に座り、治療開始を待っていました。

今日の担当は男性の、初めてみる看護士さん。
患者情報の確認や、投与薬の確認など、とても丁寧にやってくれていました。

今日はポートに刺す針が新型のもの。
今までのだと管の先に針が着いていて、それをポートにさすだけというデザインでした。
今日は同じようにポートに針を刺すのですが、さらにプラスチックのカバーのような物がついていて、針を刺したそれを取り外します。すると鋭い針自体はポートの入り口からはずれ、後にはプラスチック製のやわらかい管が残るというデザイン。ポートに針を刺してアクセスしれたテクニッシャンの子は、この新型の針を使うのが始めてらしく、かなり緊張していた様子。男性の看護士さんが使い方を指導していました。


血液採取をしてもらってから、薬など届くまでに時間がかかるのでカフェテリアへ。いつも病院に来ると食べるKFCのチキンサンドコンボを買ってきました。インフュージョンセンターの自分の椅子に座って食べ終わると、ちょうど投薬が始まりました。

抗嘔吐剤として投与されるAloxiという薬があります。タキソールの投与の前に前薬として投与されますが、どうもこれとコンポジン(精神的に誘発される吐き気や嘔吐対策)で私は酔っ払いみたくなっちゃうようです。前回と前々回は主治医の判断で、Aloxiとコンポジンをカットし、おかげで治療中に眠いだけで帰りは普通に運転して家に帰れました。

今日は新しい看護士さんのせいか、Aloxiを投与すると言われました。コンポジンはいる?と聞かれたのでいらないと言いました。Aloxiとコンポジンを投与されると、強い眠気が出ちゃうのでという話をすると、Aloxiは投与後2-3日で効果が出てくるので、投与直後に眠くなるのとあまり関係がないでしょうという彼の意見。

まあコンポジンは今回もカットだし、治療開始がいつもより早かったので、もしとても眠かったら病院内か車の中で一眠りする時間があるなと思ってAloxiを投与してもらいました。

Aloxiは他の3つの前投与薬と混ぜて投与できないので、初めに別に打ちますねと説明してくれました。

テレビではCNNのニュースが流れていて、年配の男の患者さんと女の看護士達が政治の話をしていました。後からインフュージョン・センターを管理しているトップの看護士さんが入ってきて会話に加われました。私は彼らの会話を聞きながら、前投与薬でだんだん眠くなりZZZ・・・

1時ごろ起こされ、いつもどうり針を抜いてもらって血圧と体温を測り終わりでした。

でも今回は起こされたあと眠くて頭がボーっとしていました。車で日と寝入りしてから帰ろうかと思ったけど、頑張って運転して家に帰ってきました。でも家に帰ってから3時間の昼寝。ぐっすり眠れました。

夕方娘をデイケアに迎えに行ってから歯医者へ。娘の年に二回の歯の定期健診のためです。いつもは口をあけようとしない娘も、今日はきちんと歯を大きく開けてくれました。チェックなどのあと、最後にビタミン剤たる液体のものを歯にぬられたのですが、どうもそれが歯にしみるらしく、とても嫌がっていました。無性に水をのみたがり、タオルで歯をこすってくれと言います。どうやら歯がむず痒いようです。そこで赤ん坊の時に歯が生え始めたとに齧っていたおもちゃを取り出して与えたところ、使っていました。

どうやら額が熱ぼったく、しばらくすると長椅子でおもちゃをしゃぶりながら眠ってしまいました。図ると101.5F(38.6C)の微熱がありました。

でも2時間ぐらい寝て、起きたら元気そうでした。ご飯もいつもどうり食べられました。

これなら明日も元気にデイケアに行ってくれそうです。

2009年3月16日月曜日

スタディーグループ

今日は国家試験の勉強会に参加してきました。
第一問目の問題が、乳がん関連だったので、私が解説をしました。
国家試験の問題が全部乳がん関連だったら、今受験しても合格しそう、なんて思うのですが、そううまくは行きません。国家試験は「広く浅く」が要求されるので、なかなか手ごわそうです。

一度家に帰りましたが、夕方は娘をデイケアからピックアップしたあとまた学校へ。
来週から一週間、春休みですが、1-2年生の有志達が中米のホンジュラスに向けて出発します。
春休みの一週間を利用してそこにあるフリークリニックで働く企画があるのです。
私は参加できませんが、大量に持っていく薬の荷造りの手伝いをしに行きました。
娘も半分遊びながら手伝いをして、楽しそうでした。

7時半ごろ疲れたので退散。
そこで図書館で勉強をしていた友達のJといっしょにラウンジで夕飯を食べました。
その後隣の総合病院のカフェテリアに。
これは私が昔働いていた病院なので、ついでに準夜勤の元同僚に会いに行きました。
その間Jが娘を見ていてくれました。

久しぶりに行った職場。
全然変わりありませんでした。
今夜勤務していたなかで、昔一緒に働いていた人はMikeという男の人だけ。
彼の奥さんは日本人とのハーフなので、仲良くしてもらっていました。
去年の末にはクリスマスカードもくれました。

彼は昔、海軍隊に属していたのですが、手榴弾の事故にあい右足がありません。
義足をつけていて、いつも少しびっこを引きながら歩くのですが、それでも仕事は五体満足の人よりもはやく、とても正確。話も面白い人で、みんなに好かれています。

なんと職場には昔私が働いていた痕跡が残っていました。まず培養プレートをイノキュレーションするフッドのよこに付いているQC(品質管理)の小さいホワイトボード。私が昔色マーカーで「QC]と書いた文字、それに微生物のイラストが消されずに残っていたのです。それからラベルのゴミ箱に利用する、紙性の箱。昔いたずらに微生物のイラストを書いたものです。とっくの昔に捨てられていると思ったのに、まだ愛用されていました。自分もまだ忘れられていなかったのねー、と思うとちょっと嬉しくなりました。Mikeが「見てみー、まだ大事に使ってるんだよ」といって見せてくれました。

30分ぐらい、彼と話をして病院を出ました。
学校に戻るとちょうどJと娘が歩いてくるのが見えました。
どうやら学生ラウンジにあるサッカーゲームをやったようで、娘に「Jともっと遊びたい」と駄々をこねられましたが「Jはお勉強があるからね、まあ遊んでもらいな」と言いくるめ、家に帰りました。

家についたのは9時をゆうに過ぎていました。
明日はまた化学療法で病院に行ってきます。

2009年3月15日日曜日

友達のバースデー

今日は中国出身のクラスメートのLのお誕生日。

うちの近所に美味しい飲茶のお店があるので、そこでパーティーをすることになりました。
メールなどで友達の都合を聞きたりしながら、私が幹事をやりました。

合計12名が集まり、とても楽しいひと時でした。

でも一つ私の失体が・・・

私の横に座っていたKが
「ズボンに穴があいてるよ、気づいてた?」というので「エッ」と思いました。

はいて行ったジーンズは、左の後ろのポケットの角に1円玉ぐらいの小さい穴が開いていて、前に夫がパッチを裏から張って直してくれていました。「穴」って、その穴のことかなと初めは思ったのです。

「えー、パンツみえてる?」と私。
「パンツって、ピンクのはいてるんだったら、みえてるよ」とK。

右側のお尻を触ると、なにやら大きな穴が。

パーティーが終わって家に帰る途中、娘とモールに寄りました。
モールのお店のショーウインドーのところに自分の後姿をちょっと映し出してみると、なんと20cmぐらい縦に裂けて穴が!

はいてるピンクのパンツなんて、堂々見えています・・・

12人参加した友達の中で、何人気づいたかなあ。
すごく恥ずかしいかも・・・

でも、気にしな~い。

髪の毛もなく、おっぱいもなく、完全に普通の女から逸脱している私。
病気になってから、さらに図太くなりました。
それともこれはオバサン化の一途かな?

2009年3月14日土曜日

新しい冷蔵庫をゲット

おととい、急に冷蔵庫が壊れてしまいました。
どうやらコンプレッサーがいかれたらしいです。

冷凍庫も全然冷えなくなって、中でひんやり凍っていた食品も全て自然解凍されちゃって・・・
バニラのアイスクリームもすっかりシェイクに。

そこで昨日は新しい冷蔵庫を見に。
アウトレットで、商品に小さい傷などがついたものが格安で売られていました。
選んだのはアイスメーカー付のこの商品。
元来は2000ドルぐらいするのですが、傷がついてたりすることもあって税込みで1300ドルほどで購入。

なかなか気に入っています。

なんといっても新品で中が綺麗なので、必要ないのに冷蔵庫を開け、中をのぞいてはニンマリする私。
滅多に感じない「平凡な主婦の喜び」を味わったのでした。ふふふ。

2009年3月13日金曜日

充実した一日

今日は忙しかったけど、充実した一日でした

まずスタディーグループがあったので朝11時ごろ学校に。

図書館に向かう前に、4月に私の学年が主催するオークションがあるので、家にあってもう使わない物を担当のクラスメートの家に届けに行きました。

そしてお昼から図書館で、一時間半ほど勉強会。

家に帰ってきたのは3時半ごろ。テレビをみながら買ってきたケンタのコンボを食べて、少し自分でも試験勉強。

夜の7時には娘をつれて学校のそばにある日本料理店へ。
クラスメートのKとご飯を食べてきました。

私は鍋焼きうどん、Kはてんぷらうどんを注文。
彼女ははじめてうどんを食べたそうで、とっても美味しかったと言っていました。

結局2時間ぐらい居座って、私達が最後のお客さん。
閉店っぽい雰囲気になってきたので、お開きにして帰ってきました。

昨日は夏陽気だったのに、今日はまた少し寒かった。
でも本格的な春はもうすぐです。

2009年3月11日水曜日

久しぶりに散歩

今きちんと走る車が一台しかありません。
それで今日は夫が使うというので、私は一日中家に。

今日も夏のような天気。
さらに風がすこしあるので、大変心地の良い一日でした。

ずっと家の中に留まっているのはもったいないので、午後は裏庭に出て長椅子に寝っころがっていました。
初めは読み物をしていましたが、そのうちあまりに気持ちよくてウトウト。

今週末からアメリカはサマータイムということで、時計の針を一時間進めました。
だから夜7時半ぐらいになるまで外が暗くなりません。

娘が6時半ごろデイケアから帰ってきたので、「お散歩しない」と誘ってみました。
喜んで「うん」というので、バギーにのせてウオーキングがてらお散歩に。

家を出たときはもう日がかなり落ちていましたが、涼しい夕方といったかんじ。

近くにある閉店間際のKマートまで歩き、店内を少しみて帰ってきました。

私は長袖のスゥエット・シャツを着ていったので、家に着いたら少しあせばんでいました。
でも久しぶりのウオーキング、よい運動になりました。

実は病気が分かってから、今までの生活習慣を見直さないとな、と強く感じています。
もともと運動とかきらいな私。これからは機会があれば進んでウオーキングぐらいしたい。
それから再建手術が住んだら体重も落としたい。

肉を食べ過ぎないで、野菜や果物をもっと取りたい。
室内ばかりにいないで、日光を十分にあびたい・・・などなど。

でも一つだけ諦めきれないものが。
それはチョコレート。

実はココア75%以上のダークチョコレートは、がんを予防する効果があるそうです。
でも私がすきなのはミルクチョコレート。これは全く予防効果ないそうです。

今日もミルクチョコレートのバーを一つ丸ごと食べてしまった。
「いくつ食べても、おなじ味だよ。そんなに食べるな」と懸命な自分が戒めるのだけど、
悪い自分が「あと一つぐらい、大丈夫。食べちゃえ。おいし~ぞ~」とささやきかけ、その誘惑に負けてしまいます。

今日もKマートに行ったとき、セールになってるチョコレートがないかなーと探そうとしてしまった私。
あいにく外が暗くなってきたのに気づき、急いで店を出ました。

2009年3月10日火曜日

ウイークリー・タキソール9回目

今日は昨日と打って変わって寒い日。
こんなに気温の変化が日に日に違うと、体に悪いですね。

今日は予定どおり、ウイークリー・タキソールに行ってきました。

担当は針の刺し方がうまい看護士の方でした。
でもポートに針を刺してくれあのは、若いテクニシャンの子。
やっぱり刺される瞬間はちょっと痛かった。

針を抜いてくれたのは看護士の方。
本当に不思議なくらい、痛くないんです。

私が治療を受けている間、人懐っこいフィリピン人の看護婦さんが入ってきて話しをしました。

元来HER2というたんぱく質を過剰に生産する、いわゆるHER2陽性の乳がんに使用されるハーセプチン。実はこの薬がHER陰性の乳がんにも効くことがある、ということが分かってきたようです。

私はHER2陰性で今のところハーセプチンの適用はありませんが、将来的に使える可能性がある薬が増えるというのは良いことです。まあ数年のうちにはさらに乳がんの遺伝子的な分析が進み、それぞれの患者のケースではどの薬が確実に効くのかを予測できるようになるようですが。

ということで、治療は特に変わった事などなく、終了しました。

2009年3月9日月曜日

形成外科医との診察

今日はまたまた夏のような一日。
 
午前中は裏庭に出て、椅子に座りながら読書をして日光を楽しみました。
 
さて、2時から形成外科のDr.Mとのアポイントが入っていたので、夫と行って来ました。

2ヶ月前の診察で、乳房切除した所の傷口が固くなりすぎないように、マッサージするように言われていました。毎日15分ずつ、モイスチャークリームを手にとって円状にもむようにと。
私の場合結構手抜きで、2ヶ月間のあいだ実際にマッサージしたのは2-3回。
というのも、初めはたしかに皮膚が下の組織に癒着して固くなっていたのですが、一度皮膚をむぎゅっとつまんだら、皮膚がいっきにほぐれたのです。それで癒着感もなくなって、皮膚が自由に動くようになった。

Dr.Mも皮膚の様子をみて
「うん、柔らかくなったね。とってもいい」
と言っていました。
毎日マッサージしなかったのは黙秘。

それで私のこれからの治療計画と、放射線療法が終わったら一時日本に帰りたいことを告げました。
Dr.Mは手術の、すくなくとも2ヶ月前には手術日を決定したいとのこと。
それで4月にまたMr.Mと会って、手術日について話すことになりました。
 
 
病院からの帰り、夫がジャンクヤードに寄りたいというのでお付き合い。
高速道路の脇にあって、ジャンクヤードに用事がある意外の人は行かないような所。

途中に線路があるのですが、アメリカの電車は通勤用でないのでめったに通りません。
それで遮断機なんてのもない。
車の通りもほとんどないので、線路にまたがったところで車を止めてもらいました。

線路を見ると日本を思い出して、ちょっぴりノスタルジックになる私。

私は子供のころ男まさりで、男の子とばかり遊んでいました。
山でザリガニをとったり、木の上に基地を作る手伝いをしたり。
電車がこないのを見計らって線路の上を友達と歩いたり。
近所の人に「こらー、線路の上を歩くなあ!あぶねだろー」などと怒鳴られて、笑いながら逃げたり。

この線路をみたら、そんな映画のスタンド・バイ・ミーみたいな事をしたのを思い出しました。
小学校の頃仲が良かった友達の一人は、20代前半で事故にあい帰らぬ人となりました。
いまでも生きていたらどんな立派な青年になっていただろう、としばしば思います。
彼を思うたびに、楽しかった子供時代を思い出し、また自分がまだ生きていることに感謝する気持ちでいっぱいになります。

2009年3月7日土曜日

水族館へ

今日は夏のように暖かい日でした。

一日家のなかにいてはもったいないと、子供をつれて地元の水族館へ。
小さい水族館で、こう言っては何ですが大人10ドルこども7ドルはちと高い。
さらに水族館が改装中で、展示面積の半分ぐらい大きなビニールや仮の壁などが取り付けてありました。

でも何よりも天気がよかったし、子供は楽しかったようなので、まあいいっか。

話はちと違いますが、アメリカ人は漢字や日本語の文字がかっこいいと思っている人が多いようです。
それで漢字や日本語の言葉を刺青している人をよく見かけます。
当然私は日本語など刺青している人がいると目が行ってしまいます。

今日水族館でみた、イケメンの若いお兄ちゃん。
暖かいので半そでティーシャツで、ひきしまった腕を出していました。

そして左の上腕と肘のところに刺青が。
私の目を引いたのは日本語で書かれたこの文字。

「買う」

うーん、何を買うんだろう。
ちゃんと意味確認してから入れてもらったんだろうか。

とーっても気になってしまいました。

     *****

ここ2-3日、味覚障害がひどくなってきました。
今夜もカレーの味がわからなかった。
どうも塩味が分かりにくいです。

まあ、食べられる物を探して乗り切らないと仕方ありません。
まだ食べられるだけで、ありがたいです。

2009年3月6日金曜日

ホッケーに行きました

今日「プロジェクト・スマイル」と呼ばれる学校のクラブのイベントで、地元のホッケー・チームの試合を見に行ってきました。

このクラブは、地元で小児がんと闘病中の子供を持つ家族をイベントに招待し、学生と一緒に楽しんでもらうというもが目的。みんなで映画に行ったり、ゲームセンターにいったりします。

ホッケーの試合を見に行くのなんて、7年ぶりです。

ホッケーの試合って、スピードがあって見てて気持ちよいです。
私もスケートやりたくなってしまった。

ホッケーが行われたスタジアムの隣の建物では、オリビア・ニュートンジョンのコンサートをやっていました。

彼女も13年前、乳がんと診断されたのは有名。
聞くところによると、彼女も多数のエキ下リンパ節転移があるステージIIIだったそうな。

とても元気そうに活動しているのを見ると、同じ乳がん患者として元気つけられます。

ホッケーの試合も楽しかったけど、少し元気をもらいにオリビア・ニュートンジョンのコンサートも観たかった~。でもきっとチケット代は高いでしょうね。

ちなみにホッケーのチケットは一人10ドルするところ、学校のイベントなのでタダでした。

2009年3月5日木曜日

2つの文化のはざまで

日本で私の病気を知っているのは家族と2名ほどの友達だけ。

両親は親戚にもこの話をしていないと思うので、本当に身内だけしか知りません。

どんなに親友でも、やはり「がん」と聞くとショックだろうし。
人はどう思うだろうか、と気になってしまいます。
今まで元気だった自分に対しての考え方が変わってしまうだろうか、疎遠になってしまうだろうか。
話したところで自分の病気が治るわけじゃないし、とか。思ってしまう。

それに対して私の夫はとてもオープン。
家族や遠縁の親戚はおろか、仕事の同僚、近所の人や郵便配達のおばさんにまで私の病気の話をします。

この前なんか窓のセールスにきたおばさんにまで・・・

今月は歯のクリーニングの予約が入っています。
でも化学療法中なので、キャンセルしなきゃとずっと思っていました。
そのことを夫に言うと、
「そうだね、キャンセルすれば。お前が治療受けてる事はみんな知ってるから、何も言われないよきっと」と一言。

夫は同じ歯医者に通っていて、この前自分の歯の治療に行ったばかり。
おそらく歯科医はもちろんのこと、受付の女の子達にも私の話をしたにちがいありません。

こちらは乳がんの人も多いし、オープンに話してもみんなポジティブに受け入れてくれます。
だから私もあまり気になりません。

でも日本に帰るとやはり「日本人のプライド」が復活するというか、「みんなと同じ、普通の人でいたい」という気持ちが強くなります。

アメリカにいるのと同じ調子で日本でも、夫が私の病気のことを気軽に誰にでも話されるとはっきり言って迷惑。
「日本人はがんみたいな深刻な病気のこと、軽々と口にしたり人に言ったりしないんだから、気をつけてよね」と夫に話しておきました。

夫はきょとんとしていましたが「オッケー」と一言。

ほんとうに分かってるんかいな。

2009年3月3日火曜日

ウイークリータキソール投与8回目

予定どうり8回目の投与に行ってきました。
 
外は晴れとはいえ、寒~い。

アポイントは1時に入っていました。でも昨日新しく買った中古のジープが故障(夫がへたに車をいじったのが原因)。それで動く車が一台しかないので、12時ごろに病院に連れていってもらいました。

少し時間があるのでまずはフードコートへ。
ランチにいつものチキン・サンドを食べました。
お昼時なのでフードコードは少し混んでいました。

12時45分ごろインフュージョン・センターヘ。
 


今日の担当は男性のJeffという男性の看護士さん。

実は3日ほどまえ、ご飯を食べてたら喉に違和感を感じました。
なんかご飯粒か何かが喉の上の奥のほうにひっかかったような感覚。
それで2日ほど、唾を飲むごとに軽い喉痛いがあって、今日朝おきたら声がガラガラ。咳も少し出ます。
声を出す前に咳払いをしないと声が通りません。
 
それを看護士のJeffに報告。
まずはテクニッシャンの男の子が体温と血圧をチェックしてくれました。
どれも正常値。

それからJeffがいつもの採血。それから私の腫瘍内科の主治医、Dr.Lに連絡を取ってくれました。
血液検査の結果は特に問題なし。
それで今日のタキソールもオッケーが出ました。

前薬投与が行われてまもなくいつものとおり爆眠。
目を覚ましたのは3時ぐらいで、投与は全て終わっていました。
 
夫にまずは終了と電話で連絡。直ぐに娘を迎えにいってから病院に迎えに来てくれるということ。

そこで時間つぶしにまたフードコートへ。


タコベルのナッチョを食べながら待つこと1時間強。夫から電話がかかってきて、ハイウエィが渋滞でのろのろ運転とのこと。 

結局夫と娘が病院に着いたときは6時半をまわっていました。

時間が時間なのでフードコートでまたナッチョを注文。最後にアイスクリームをみんなで食べました。

治療のほうは無事終わりましたが、あとは体調を整えて早く声が元どうりになってほしいです。

2009年3月1日日曜日

タキソールの副作用?

この週末はずっと雨でした。
外は寒そうだし、結局外に出ないで家で過ごしました。

ここ2週間ほど、にきびに悩まされています。
顔ではなく、首のうなじや頭皮にでます。
指でいじるとにきびのように潰れます。
自分で直接見えない箇所なので、夫に見てもらうと、赤いぶつぶつがあるとのこと。

タキソールの副作用か、はたまたホルモンのバランスが良くないのか。

確実にタキソールの影響だと思うのは、足の軽い痺れ。
朝起きて立ち上がると、足の裏にピリピリっという感覚が走ります。
少し歩くと軽減され、後は気にならなくなります。

髪の毛はさらに薄くなりました。
なぜか頭の上のほうが禿げ、側面は毛が残っています。
完全におやじ頭です。