2009年4月30日木曜日
放射線治療十六回目
2009年4月29日水曜日
放射線治療十五回目
娘をデイケアに連れて行ったあと、その足で病院へ直行。
病院には10時ちょっと前に着きました。
治療をいつもどうり終えた後は診察でした。
今日も主治医のDr.Mがいなかったので、Dr.Nelsonが診てくれました。
放射線治療も今日で半分終わったのですが、右側の皮膚の色も少し濃くなってきました。
茶色いプツプツも出てきています。右腕も上げると脇が少し痛んだりします。
Dr.Nelsonによるとどれも放射線療法の副作用ということ。
腕は壁に指を伝わせて少しずつ上げていく運動をするように支持されました。
診察を終えてラボに行き、採血。
それからフードコートにいって紅茶を飲みました。
今日は1時半にインフュージョンセンターにいってポートをフラッシュしてもらう日でした。
でもフードコートで30分ぐらい時間つぶしして、12時ごろインフュージョンセンターへ。
待たされることなく、すぐに点滴室に通してフラッシュをしてくれました。
私がテクニシャンの子と放射線療法の話をしていると、隣に座って治療を受けていた患者さんが話かけてきました。
彼女の主治医もDr.Mとのこと。見かけは40代後半ぐらいの太目の女性で、彼女も乳がん患者さんだそうです。それで彼女の放射線療法を受けた時のことを話してくれました。
彼女の場合、放射線療法が終了する3日前に皮膚が真っ赤になったそうです。
ちょうどその人は濃い赤色のクロックスをはいていたのですが、それぐらいの真っ赤だそうです。
それで治療中には右腕が炎症を起こし、水ぶくれができて緊急で先生に診てもらったりしたとか。
「脅かすつもりはないんだけど、回が増えるごとに皮膚がひどくなるのよ」と言っていました。
「患者さんが怖がるといけないから、医者は教えてくれないけどね」とも。
うーん、まだ半分しか終わっていないのですが、後半はどうなるのか少し不安になります。
来月終わりに日本に帰国する時には問題なければいいけれど。
朝は気持ちよい天気でしたが、病院を出るころには風も出て少し寒い陽気になっていました。
夕方に娘を迎えに行くと、今日は所持品箱の中にたくさんの白つめ草が。
「これ、ママに」と渡してくれました。
2009年4月28日火曜日
放射線治療十四回目
2009年4月27日月曜日
放射線治療十三回目
2009年4月25日土曜日
コミュニティーケアデイ
今日は恒例のコミュニティーケアデイの日。学校近くのYMCAで開催されました。
2009年4月24日金曜日
放射線治療十二回目
2009年4月23日木曜日
放射線治療十一回目
2009年4月22日水曜日
動画アップロードテスト
放射線療法十回目
2009年4月21日火曜日
放射線治療九回目
そして運悪く途中で橋がオープン。完全に交通がストップし、10分ほど足止めを食ってしまいました。
一応放射線科のほうに電話をいれ、事情を説明して送れることを伝えておきました。
でも病院に着いたのは10時37分ごろ。まあ7分の遅刻だから悪くないかな。
待合室に向かうといつも治療してくれている治療士のジョージが座って待っていてくれました。
そしてすぐ治療室へ。放射線科には2つ治療室があって、私が治療を受けている治療室の機械は古いんだそうです。それで私が最後の患者で、私の治療が終わると新しい機械に変えるんだそうな。だから10時半より早くきても構わないとのこと。でも私のほうも朝は娘をデイケアに送る用意したり、なかなか余裕がありません。10時半はなかなか良い時間帯。だだ橋がオープンする時間にはこれから気をつけないと。
治療事態はいつもどうり30分もかからず終了。
今日は火曜日なので主治医のDr.Mとの診察がある日でした。
それで待合室で待っていると、なかなか誰も来ません。
本当は看護士さんが来て、先にバイタル・サインを取ってくれて部屋に通してくれるのに、誰もこない。
しょうがないから待合室にあるジグゾー・パズルで遊びはじめました。1000ピースのやつで、なかなか全部終わるのに時間かかりそう。
12時に学校に行く予定があったので、11時30分を過ぎても誰も来ないので友達にテキスト・メッセージを送ろうと電話をいじっていたところ、やっとDr.Mがやってきました。看護士のバイタルはどうなったんだろう?
再建のタイミングの話をすると、「形成外科の医師が問題ないといったなら、大丈夫でしょう」とのこと。
そして基本的に私の受けている放射線療法は、皮膚に一番強く放射線が当てられるらしいです。したがって皮膚の状態をみて、赤みとか火傷のあとみたいなのが見られなければ、体の内部の組織も治癒していると考えていいそうな。
それから歯科のレントゲンも取って問題ないそうです。
************
診察を終え、急いで学校へ。
今日はスタディー・グループに参加している友達の誕生日でした。
みんなでラウンジでケーキを食べました。
その後2時間ぐらい、国家試験のための勉強会。
みんなでワイワイ、ガヤガヤと私にとっては楽しい時間。私は休学中なので実際に国家試験を受けるのは来年ですが、友達はこの6月に本当受けるので、必死だと思います。試験範囲がとっても広いですが、みんな優秀な人たち。きっとみんなめでたく合格することでしょう。
************
午後4時には歯医者へ。
クリーニングの日でした。
アメリカでは基本的に年に2回、クリーニングを受けます。
がんの告知、治療などを受けていたので、クリーニングはずっとキャンセルしていました。
おそらく今回は1年以上ぶり。
歯はよく磨けているけれど歯茎から血が出るので、歯周病なりかけと言われました。
きちんとデンタルフロスすれば、まだ治せるのでと言われました。
普通は6ヶ月後に次のクリーニングですが、歯茎の様子がいまいちなので4ヶ月後に再度クリーニングを受けるようにと言われかえってきました。
************
化学療法が終わって3週間たちました。
下方の脇にふわふわと、ちょっぴりだけかろうじて髪の毛が残っています。
つまんで引っ張っても、抜けなくなりました。
そろそろ毛が生えてくるかな~。
2009年4月20日月曜日
放射線治療八回目
予定どうり今日も10時半に病院に到着。
体に張られたシールとマークがはがれそうになったり、汚くなってきたので今日張り替えてくれました。
それでも全て終わって病院を出たのは11時4分。
朝は朝食を食べる暇が無く、お腹がへったので家に帰る前にマクドナルドでランチ。
サラダと紅茶を頼みました。
サラダはおいしかったのですが、終わりに近づいたとき、サラダを口に入れると鼻がツーンとして漂白剤のような味が。げげっと思って直ぐに吐き出し、トイレに行って口をゆすぎました。文句を言おうとも思ったけれど、ほとんど食べ終わっていたし、食べたのは一番安い1ドルのサイド・サラダだし・・・。紅茶を飲んで何も言わず出て家に帰りました。
その話を夫にすると「それは細菌を殺すために漂白剤で野菜あらったんだろう」ということ。それで「野菜をちゃんと洗って出してるって意味だから、いいことでしょ」と言うのです。私としては漂白剤じゃなくってきちんと水で洗って欲しいけど。アメリカでは野菜にサルモネラや大腸菌が混じっていて、ファーストフードを食べて病気になった、ということが何度か起こっています。それで消費者は細菌感染に敏感。でもいくら細菌を殺せるといったって、漂白剤みたいな化学薬品を口にしたくないな。がんにでもなったら困るじゃないか(もうなってるけど・・・)、と思うのですが。
私はもうマクドナルドで当分サラダは注文しないな。
午後には別の病院で形成外科医とのアポイントが入っていたので、行ってきました。
夫もついてきてくれました。
Dr.Mは放射線治療中の皮膚の様子を見てくれ、何か質問がないかというので再建のタイミングについて訪ねてみました。
Mr.Mは30年以上形成外科として活躍しています。いろいろな症例を見ていらっしゃるので、経験は大変豊富です。彼いわく、放射線療法が終わってすぐに再建しても、問題が起こったことはないということ。でも放射線科の先生や乳腺専門の腫瘍内科の先生によると、組織が完全に治癒するには少なくとも6ヶ月はかかるとのこと。そのことを言うと、ハーバード大学で教授をしているMD・PhDの先生に手紙を出して、最近の研究で放射線治療後6ヶ月以内に再建手術をして問題が生じるような症例がないかどうか、確かめてくれるとのこと。
まずは手術を予定どうり7月に受けるという計画の下、先生がオーダーした術前検査の紙をもらって帰ってきました。
夕方は学校のクラブのイベントで、野球の試合を見に行くことになっていました。
夕方になって雲行きが悪くなり、大雨の夕立が降り始めました。テレビでは大雨と竜巻の恐れがあるとの報道。イベント担当の友達に電話すると球場のほうは雨はやんだということなので、夫と娘と三人で球場へ。
球場へつく頃には天気は良くなっていました。
でもフィールドが濡れてしまっているので、試合はキャンセル。
新しく空軍に入った人のセレモニーが開かれただけで、イベントはお開きになりました。
駄々でもらった、このキャンセルされた試合のチケット、まだ使えるそうです。
次回来るときに見せれば、入れてくれるんだそうです。
娘は野球の試合が見れなくても、大きなポップコーンを買ってもらってご機嫌でした。
2009年4月19日日曜日
子供の咳
コホン、コホンとなかなか止まりません。たまに鼻をずるずるさせていました。
一時間ぐらい、咳を繰る返していたでしょうか、でもそのうち眠りについてくれて朝はけろっとしていました。
夫は「アレルギー性の鼻炎とかかな」だろうと言ってるけど、私は娘が喘息持ちではないかと少し不安になっています。喘息特有のピューピューという呼吸困難がなくても、咳だけが症状のいわゆる咳喘息があるからです。ちなみに夫は喘息持ちなので、ごく稀ですが未だに喘息発作が起こることがあります。
もう少し様子をみて、夜に咳が止まらないようなら病院に連れて行こうと思っています。
2009年4月17日金曜日
放射線療法七回目
10時には家を出なくてはならないのに、起きたのは9時25分。
直ぐに娘を起こし、テレビを見させてる間に5分間シャワー。
どうにか娘をデイケアに送る支度をすませ、夫に引渡し。
今日はパジャマ・パーティーがあるとのことで、パジャマを着せてデイケアに。
私は病院にむけて10時5分ごろに家をでました。
病院にはぎりぎりの10時に着きました。
この時間帯は道があまり混んでいないので助かります。
でも途中に橋とトンネルがあり、たまに橋が開いて道が閉鎖してしまうことがあります。
月曜日には閉じそうになったところ、どうにかすり抜けました。
金曜日なので療法士の人に「週末は何するの」なんて聞かれましたが、夫が来週初めからテキサスで仕事をする話が出ているので「もしかしたら日曜日に夫を空港に送りに」ってそれぐらい。仕事もしてないし学校も行っていないので、別に週末が待ちどうしいという感じでもないのです。
今日は本当に暖かく、春らしい日でした。
2009年4月16日木曜日
放射線治療六回目
今日は治療のほかに4回レントゲン撮影があり、いつもの治療より時間がかかりました。
体に描かれたマークを元に、毎回位置を決めてから治療が始まります。
ただ体重が増えたり減ったりして、体の厚みなどが変わることがあるので、一週間に一度、レントゲンを取って治療している位置の確認をするんだそうです。
それで結局病院を出たのが11時21分。通常より20分ぐらい時間がかかりました。
お昼は病院の近くのマクドナルドでチキンラップと紅茶を注文。車の中で食べました。
1時半から国家試験の勉強会があったので学校へ。
久しぶりに友達と勉強してきました。
今日は晴天ながらも、風がつめたい一日でした。
2009年4月15日水曜日
放射線治療五回目
いつもは二人の放射線治療士さんが治療してくれるのですが、今日は男性の治療士さん一人。
でも結構テキパキやってくれて、治療自体は20分ぐらいで終わり。病院を出たのは10時54分でした。
今日はDean's Hourがあったので学校へ。
副学長が出てきて最近の学校内のイベントの成果や出来事について話したり、生徒の苦情などを聞くのが目的。タダのランチが出るので一、二年生を中心に生徒が講堂に集まります。
Dean's Hourの後は外科医で地元の無料クリニックを立ち上げたDr.Mのスピーチがありました。
医学生はボランティアとしてこのクリニックで働けるので、空き時間を利用してボランティアしてみようかな、とちょっと思ったうなでした。
最後に去年の夏から少しお世話になっている、神経科学者のDr.Lのラボに顔をだしました。
ラボの研究員の2人も元気そうでした。
去年の夏、告知される前に手がけるつもりだった研究のお手伝いがあるのですが、Dr.Lによると終わらせてほしいとのこと。研究といっても私の役目はデータ処理だけなのですが、中途半端で終わらせるのも悪いし、やることにしました。でも実は今までとったデータ(全てのデータの半分ほど)が、コンピューターがクラッシュしたために失ってしまったのです。一からデータを取り直し。まあ、仕方ない・・・
2009年4月14日火曜日
放射線治療四回目
今日は私の前に3人の患者さんが待っていました。
後で聞いたのですが、コンピュータートラブルで今日の治療に遅れが出ているとの事。
私は本を持っていたので、のほほんと時間つぶし。
何かやることがあれば待っているのもあまり苦になりません。
治療のあとは放射線科の医師との問診がありました。
今主治医のDr.Mは休暇をとっているので、代わりに放射線科のトップのDr.Nelsonが診てくれました。
放射線療法も始めたばかりなので、皮膚にも変化は見られませんし、特に副作用も出てきていないようです。でもせっかくなので、再建のタイミングについて質問をしました。
やはり放射線を当てると正常な組織もダメージを受けるため、6-12ヶ月ぐらい待つのが正当ではないかということ。でも基本的にDr.Nelsonは外科医でもなければ形成外科医でもないので、その辺は分からないと言っていました。さらに私のような症例に関してどのような形成手術をどのようなタイミングでやるのがベストかというクリニカル・トライアル(治験)も行われていないはずなので、科学的な結論は出せないでしょうということ。さすがDr.Nelsonは元エンジニアの放射線医師なので、エビデンス・ベースが大変強いようです。
そしてランダムかつダブル・ブラインドの治験結果が出ている治療法以外は、全て医者それぞれのバイアス(考え方に偏りが生じること)があるので、話をする医師によって意見もまちまちかもしれないとおっしゃっていました。
たしかに標準治療が確立されていない症例を治療する場合、手探りのような状況になるのは必然。
医師のほうもやみくもに治療をせずに、治験の形で系統立てて治療成果を整理していく必要があるのかもしれません。それには治験などに対応できる医師を養成しないといけない。日本の医学部やレジデント制度では、どれくらい治験に関する教育を行っているのでしょうか。ドラック・ラグなどの問題も、こういった根本的なところから変えていかないと解決しないのかもしれません。
なんかいろいろ考えさせられました。
**************
午後は歯医者さんへ。
右下の奥歯が虫歯っぽいのと、数日前に上の奥歯のキャップがとれてしまいました。でも本当の目的は歯の状態をもう一度診てもらって、悪いところがあったら全て治してもらうこと。もしかするとタモキシフェンと同時にゾメタを打つことになるかもしれないからです。
歯医者の先生にゾメタの話をしたら、目つきが変わったのに気づきました(汗)。「ゾメタって静脈注射で打つやつよね、錠剤になっているボニーバにしてもらえないか、主治医の先生に聞いてみて」と言われました。でも最近出た治験の結果だと、ボニーバでなくゾメタを使っているので、ボニーバーは使わせてもらえないと思うと言いました。
歯医者の先生はやはり下顎壊死を心配していました。ゾメタの副作用としては稀なほうなのですが、もし起こるととてもひどいらしいのです。顎半分が壊死して無くなっちゃうんだそうです。
私は子供のころから歯が悪いので、アメリカに来てからも沢山歯の治療をしています。ずっと診てくれている歯科医の先生は、これから抜歯しなくてはいけない可能性も高いし、一度ゾメタを始めてしまうとPoint of no return (やり直しがきかない)の状態になってしまうということ。
ゾメタが乳がんの再発率を低くしたという治験結果から、ゾメタを打って欲しいなあと思うのですが、自分の歯の状態を考えるとちょっと不安になります。
まずは今悪いところを早めに徹底的に治してしまおう、ということになりました。来週に歯のクリーニングの予約を入れて帰ってきました。
2009年4月13日月曜日
放射線治療三回目
夫が土曜日にカリフォルニアの仕事から帰ってきたので、今日は彼に娘をデイケアに送ってもらいました。
私は10時ごろ家を出て病院に。
今日も同じように治療台の上に寝かされて放射線治療の開始。
右脇に張ってもらっていたシールは、この週末に折れまがってクチャクチャになってしまいました。
今日までかろうじてわきの下にくっついていました。療法士の人に言ったら、別に気にしなくっていいとのこと。あまり重要なマークじゃないということで、今日取ってくれました。
特に変わったことも無く、今日も治療が終了しました。
2009年4月11日土曜日
復活祭のイベント
今日は子供をつれて近くのイースターのイベントに行ってきました。
天気予報によると今日は雨でしたが、一時ごろ家を出るときは綺麗な晴天でした。
イベントにも子供ずれでかなり多くの人が来ていました。
チケットを買って入場すると、大きな納屋の様なものがあって小さな子供ができる簡単なゲームの屋台がでていました。そこで3つほど娘にゲームをやらせて外に。
娘はまず、滑り台やアスレチック玩具のようなものが置いてあるプレイグラウンドに目がいったようです。10分ほど遊ばせて、まずはメインのエッグハントに。
藁を敷き詰めたところに、プラスチック製のカラフルな卵がおかれています。
子供につき最高10個まで、卵を拾って持って帰ることができます。
中には小さなオモチャ(キャラメルのおまけのたぐいです)が入っています。
なかには「あたり券」が入っている卵もあり、出口でオモチャやお菓子が詰まったイースター・バスケットをもらっている人がいました。
次は娘はポニー乗りに挑戦。
怖がるかな、と思ったけれど清まして乗っていました。
ほかにもトランポリンや、膨らまし式の大型すべり台、大きな毛虫のトンネルなどなど、子供向きのものがおいてありました。娘は少しトランポリンをやって、膨らまし式のすべり台は列に並んで中に入ったものの、怖かったみたいですぐ外に出て来てしまいました。
そこで普通の滑り台などが置いてあるプレイグランドで遊ばせていたところ、段々空が怪しい雲行きに。
小雨がパラパラと振って、風が冷たくなったので、最初に言った室内のゲーム場に。
ゲームのチケットが7枚残っていたので、それを使い切って帰ってきました。
もう少し外で遊ばせたかったのですが、雨が降ってしまって残念でした。
2009年4月10日金曜日
チャリティー・オークション
サイレントオークションとライブオークションがあって、サイレントオークションでは基本的に値段の低いもの、ライブオークションでは150ドルから600ドルの物が取引されました。基本的に教授や学生がオークションに出品しています。私もいくつか出しました。旦那の古いハーレーダビットソンのアラーム時計、義姉にクリスマスプレゼントでもらった物の一度も開かなかった香水セット、ボタンを押すと歌を歌う魚の壁飾りなど。それから2時間の日本語レッスンも出品しました。これはクラスメートの子が$100で落札してくれました。
今回の売り上げは卒業式の費用と、オペレーションスマイルという組織へ寄贈されます。
放射線治療二回目
病院には10時についてしまいました。
車の中で少し本を読んで時間つぶし。
10時18分まわったので病院に入って昨日と同じくチェックイン。
奥にある治療用の待合室に進みました。
今日はすでに4人の人が座っていました。
でも一番最初に呼ばれたのは私。
治療内容も昨日と全く変わらなかったと思います。
とにかく仰向けで寝かされ、一センチとて動けないので周りで何か起こっているのかあまり良くわかりません。途中で誰もいなくなってシーンとしたときがありました。しばらくして療法士の人が入って来て、
「いまコンピューター再起動しているので、待ってて下さいね」と言われました。
待ってるったって、ひたすら仰向けで寝てるだけですけど・・・
そのうち目をつぶったら軽く眠ってしまいました。
「起きて~」という声でハット目が覚めました。
やはり化学療法と比べて放射線療法はさくっと終わります。
病院を出たのは11時ごろ。1時間も病院にいません。
でも放射線って目にみえないから、「本当にこれ効くのかな?」って思ってしまいます。
でも機械がブーンと小さい音をたてると、「がん細胞やっつけてくれよ~」と願をかけています。
2009年4月9日木曜日
放射線治療一回目
娘を9時前にデイケアに送り、9時半の予約に余裕で間に合いました。
治療は放射線療法士の2人の女性がやってくれました。
私が医学生であることを知って、一人の療法士さんは治療の説明を簡単にしてくれました。
放射線が出るヘッドの部分には、可動性の鉛のブロックのようなものがあり、これでビームが出る範囲を調整します(ヘッドが顔の前に来たとき、鉛のブロックが動いて幾何学模様のようなものを作っているのが見えます)。放射線の種類には陽子と電子を使う二種類の方法があって、いま受けているのは陽子を当てるほうだそうです。電子は陽子ほどには組織の深部に届かないので、最後に5回皮膚にあてるブースターは電子を使うそうです。治療を30回に分けて行うのは、正常な細胞が修復される機会を与えるためと、細胞は全てが分裂期にあるわけではないため、長期にわたって治療することでなるべく多くのがん細胞を分裂期の時にダメージを与えようというもの。
それから治療室の壁からは赤いレーザービームが出ているのですが、これを胸部に描いてくれた線とラインアップさせて照射位置を固定するんだそうです。
2人の技師さんはとても慣れているようで、てきぱきと作業をこなしていました。
治療時間は30分ぐらいだったでしょうか。
今日も主治医のDr.Mは登場せず。
主治医と会えるのは週に一回、毎週火曜日だそうです。
帰り際にナースのミッシェルから、治療中の体のケアについての話がありました。
まずは毎日十分に水分をとること(コーヒーやコーラ以外の飲み物を一日2リットルとることと言われました)。
治療中は照射部に直射日光が当たらないようにすること。
それからクリームを渡されて、一日3回照射部に塗るようにいわれました。
これを塗っておくと、放射線によって皮膚が変色しにくいんだそうです。
*******
正午から学校で興味ある講演会があるので聞きに行ってきました。
講義室に入ろうと列で並んでいると、クラスメートがひとりやってきました。とても明るく「わー、元気そうだね」といってくれました。そして「髪の毛切ったんだね」というので「ううん。これ、カツラなんだ」と私が言うと、「あ、そうだったよね。ごめん、ごめん!」と言いながら顔が真っ赤になってしまった彼女。とても気にしてしまったみたいで、反対に可愛そうになってしまいました。「いいんだよ。私は全然気にしないから」と言っておきました。
今日講演をしてくださったのは家庭医学専門のDr.C。主催はクリスチャン・メディカル・アソーシエーションというクリスチャンの学生が集まってやっているクラブです。実はDr.Cは一年前、皮膚がんの中でも最も悪性度が高いメラノーマ(悪性黒色腫)の告知を受けました。
告知された時は既に体中に転移しており、脊髄や多数の内臓、体中のリンパ節はもとより、脳にも複数の転移巣が認められたそうです。そして余命六ヶ月との宣告。インターロイキン2による治療を考えたものの、脳転移があるために受けられず(インターロイキン2は脳にも入り込み、脳の転移巣と反応して脳浮腫などの原因になるそうです)。そうこうしているうちに腹水など溜まり始め入院。まさに生と死のはざ間をさまよわれたのですが、奇跡的に危篤状態から回復へ。そして脳転移の治療としてガンマナイフを受けられたそうです。ガンマナイフは即効し、ひとまずはインターロイキン2の治療に進むことができました。
転移性悪性黒色腫の場合、インターロイキン2の反応率は12%、また完全寛解率は6%。Mr.Cはその小さな可能性にかけたそうです。そして奇跡的に完全寛解を達成し、首から下の転移が全て消失。
Dr.Cは今こうして立っているのが奇跡的といいます。ただし現在脳の転移巣はまだ20個あり、明日またガンマナイフを受けに大学病院にいくそうです。
Dr.Cはクリスチャンなので、自分の死は全く怖くないと言います。告知された時は「もう天に召される日がやってきたのか。思ったより早かった」と思ったそうです。それから信仰がある人は無い人に比べ長生きすると言っておられました。教会に行く人は行かないひとに比べて7年ほど寿命が長いんだそうです。また信仰を持つことで、がんのような病気を抱えていても希望を持ち続けることができると語られていました。
私はクリスチャンではないですが、人間の存在が全く「偶然の産物」であるという意見にも疑問をもっています(昔は進化説などに感化されていたので、「偶然存在」を受け入れていた時期もありました)。私の世界観をここで語るつもりはないですが、限りある人の命そして人生は人自身が計り知れない意義があると思っています。
2009年4月8日水曜日
放射線治療開始
予定の11時に病院にいくと、男の人の技師が迎えてくれました。
治療室に通され、着替えしてくださいと言われました。
治療を受けるテーブルの上には、先週作った私用の「型」がおいてありました。
壁にはカメラが取り付けてあり、着替えが終わったらテーブルの上に座るか横たわるように言われました。そうするとモニター室からカメラを通して私の姿が見えるので、着替えが終わったと分かるそうです。
今日は治療開始日とは言え、実はマーキングの日でした。
写真にある台の上に寝かされ、機械の一部(丸いヘッドに可動性のアーム)が体の周りをゆっくり動き、ビームのようなものを胸部に当てているのがわかりました。
そして技師のお姉さんが胸になにやらナスカの地上絵のようなものを描いてくれました。
それから寝たまま胸部のレントゲンを4枚ぐらいとられました。
今日担当してくれたのは2人の技師さん。
主治医のDr.Mは登場しませんでした。
今日取ったレントゲンなどを後でDr.Mが確認し、実際の治療は明日始まるそうです。
治療日数は合計30日。その内訳は胸壁、脇の下、鎖骨上部位、胸骨傍リンパ節に照射するのが25回。手術による傷にブースター照射を5回だそうです。
2009年4月7日火曜日
4歳児の恋心?
担任の先生によると娘はトニーに対してとても積極的だとか。
お昼の時間などになると、トニーの隣にちゃっかり座るらしいです。そして、
「あらトニー、チョコレートミルクのコップ空っぽだねえ。
キャロリン先生におかわりもらわないと。
キャロリン先生、チョコレートミルクもっとくださーい。
あらトニー、もうチョコレートミルクないって。
あ、でも大丈夫。二人でお水もらえばいいからね」
といった事を言っているそうな。
まるでデートしてるみたいだと・・・
でもトニーにはもう一人、とても親しいクラスメートがいるのです。
モリッサという女の子。
それでトニーがモリッサと遊んでいると、うちの娘は
「トニー、どこ行っちゃったのお?トニーーー」と大声で叫ぶらしい。
すでに三角関係か・・・
今日も迎えに行った後、廊下の壁に貼ってある絵を指差して
「これがなおちゃんの」と自分の絵を最初に見つけました。
そして次に「これはトニーの」と、もう一つの絵を指差しました。
本当に名前はトニーと書いてありました。
そこまでチェックしてるんかい、うちの娘・・・
将来は恋多き女になってしまうのでしょうか。
なんかちょっぴり複雑な思いです。
2009年4月6日月曜日
お魚はきたない?
3本2ドル99ドルで安かったし、新鮮でした。
アメリカでサンマを買うなんて、9年間生活していたなかで初めて・・・
昨夜の夕飯はそれを焼いてみました。
まだピチピチと音がするおいしそうな焼き魚。
でもそれをテーブルに出すと娘が見て、
「これ、きたない」
な、なんという冒瀆。
「汚くないよ。おいしいんだよ。お魚だよ」と私が言うと、
首を横にふりながら、手を顔の前に広げて
「いらない。いらない。これママの、ママの」
といって完全に拒否。
アメリカ人のなかでもお寿司とか日本食が大好きな人がいるなかで、生の魚なんか気持ち悪いとか、頭がついた魚なんか不気味で食べられないという人がまだまだいます。うちの夫の一家も、どちらかというと後者のくち。
娘には美味しい魚や日本食を、楽しんで食べられる子になってほしいのですが。
もう少し徐々に慣らしていかないと、だめですね。
2009年4月5日日曜日
遊園地へ
ワシントンD.C.の近くにある、Kings Dominionという遊園地に行ってきました。
今日はシーズン第一日目なので混んでいるかな、と思ったのですがそうでもなく。
乗り物などもほとんど並ぶことなく乗れました。
ただ娘が小さいので、身長制限で乗れないものも多かったのですが、ちょっとしたジェットコースターみたいなものや、飛行機などの乗り物はオッケーでした。私も一つ、あまり怖くないジェットコースターに乗りましたが、カツラを飛ばされては大変と、乗ってるあいだずっとカツラを押さえてました。飛ばされなくて良かった!
娘は水が流れる滑り台のようなものでガーンと落下するジェットコースターみたいなのがとても楽しかったらしく、2度も乗っていました。
それからテレビでもやっているアニメのスクービー・ドゥーというキャラクターのアトラクションがあり、「スクービー・ドゥーのおうちー」といって喜んでいました。要はお化け屋敷のようなものなのですが、全然怖くないです。番組の雰囲気たっぷりなので、かわいかったけど、娘は少し怖がっていたかな。
今日は久しぶりによく歩きました。化学療法中はどうしても家にいることが多く、運動不足になっていました。これから天気も良くなるし、少しずつ体力をつけていかないとな、と思う一日でした。
2009年4月3日金曜日
むくんでるかも
起きて鏡を見てみると、大泣きして寝込んでしまったときのようにうわまぶたがプクプクになっています。
さらにタダでも太った太腿が、さらにムチムチしているような。
あぐらをかくと、太腿がパンパンになっているように感じるのです。
それから太ももに直接ノートパソコン置いておくと、跡がつき、しばらく凹んでとれない。
さらに体重計に乗ってみると3日前にくらべ3キロ増!
確かに昨夜少し食べ過ぎたけど、一応これから体重減らしたいなと思っているのに・・・
でもこの急激な体の変化は3日前に受けたタキソールの最終クールと関係あるかもな、と思いました。ウイークリーで毎回の投与量が少ないとはいえ、合計12回も受けたので、薬の蓄積効果というか、ある気がするんです。私のばあい足のしびれも、そんなに大変ではなかったけれど、後半から出始めました。
まあひとまずタキソールは最終クールを迎えているので、これから副作用が改善されるか見ることにします。
ちなみに今日は良い天気。
夕方もシェルターのボランティアに行ってきました。
今日はニューヨークで襲撃事件が起こったようで、死亡者も出たようです。
本当にどんな人がいるか分からないので怖いものです。
それでも見ず知らずの人に無料で奉仕しようという、ボランティアに参加する人は偉いなと思います。
今日の食事の担当は、小児科医のDr.L率いる小児科レジデンシーの研修医の先生達。
ディナーはDr.Lお手製のパスタで、私も食べさせてもらいましたが結構いける。
Dr.Lも私に話しかけてきてくれ、私が治療を受けている病院はとてもいい病院であると言っていました。若くて良く勉強している先生も多いし、最新の設備も整っているとのこと。それから患者しての経験は、このシェルターでボランティアするよりも将来もっと役に立つだろう、と言ってくださいました。
秋から同じ学年になる女の子のCともお友達になりました。
彼女のお母さんも乳がんで、告知から無事何もなく5年経ったそうです。
それから今日手伝いに来ていた小児科レジデント一年目のKのお母さんも、化学療法をしたという話をしていました。
アメリカでは乳がんは本当に多くて、自分が特別な存在ではないと感じることもしばしば。
でもたいていが誰かの「お母さん」なので、若年乳がんはやっぱり少数派ですね。はい。
今日も行ってきてよかったです。
2009年4月2日木曜日
シェルターのボランティア
今週はうちの学校がボランティアとして参加しているので、私も夕食の手伝いで行ってきました。
場所は学校の近くにある教会です。
5時半ごろ行くと、3-4人のクラスメートがサンドイッチを作っていました。
これは明日、ホームレスの人たちがシェルターを出るときに持たせてあげるランチ袋に入れるもの。
私はサンドイッチをビニール袋に入れる作業をしました。
夕飯のメニューはラザニア、チップとサルサ、デザートにアイスクリームでした。
ラザニアは冷凍をオーブンで暖めたもの、サルサはメディカル修士課程の学生の子が作ったようです。