2008年9月30日火曜日

化学療法2回目

9月29日は化学療法2回目を受けてきました。

血液検査をして白血球が十分なレベルに達していることを確認し、抗がん剤の投与が始まります。
私は術前、術後に抗がん剤を受けるので当分このインフュージョン・センターに通うことになるので、今日担当の看護婦さんが私用にブランケットをくれました。

血液検査の結果が出て、薬局から薬が届くまで少し時間がかかります。もらったフランケットに包まっていると、すやすや眠ってしまいました。薬が届いて確認のために一度起こされましたが、その後も抗がん剤投与している間ずーっと眠っていました。

さて、前回の一回目の投与の後、副作用のだるさが出たのは翌日でしたが、今回は投与日の夕方に出ました。夕方はずっと長いすに横になっていて、夜は気持ち悪い感覚で何度か目が覚めました。でも翌朝にはだるさは消え、なんだが具合がよかったです。つらかったのは副作用の便秘ぐらい。それから味覚が変わるので、食欲もわきません。

二回目で体が薬に慣れてきたのでしょうか。薬が効いてくれているなら、副作用が少ないのに越した事はありません。



  私専用にナースがくれたブランケットです。




2008年9月28日日曜日

治療前、のんびりした週末

近所にある大きな公園に、「カーニバル」という一時的に設置される小さな遊園地が来ていたので子供をつれて遊びに行きました。観覧車に乗ったのですが、古くて折りたたみ式っぽいので怖かったです。重心をずらすと揺れるし。。。子供に「ちょっと怖いねえ」というと反対に「こわくなーい」と言われてしまいました。
秋らしい心地の良い日曜日でした。

2008年9月25日木曜日

今日の診察

定期診察で腫瘍内科へ。

2週間前にACの初回クールをしましたが、3-4日目には原発巣と脇のリンパ節が心持ち小さくなっているように感じていました。担当医のDr.Dも原発巣のところが「すこし柔らかくなったね」と言ってくれ、「脇のリンパも少し小さくなっている」と感じている私に同意してくれました。

今週末は夫が仕事で出張に行ってしまうため、明日(金曜)でなくて次回クールは来週の月曜日にしてもらいました。二回目クールのあとPET検査をし、実際どれくらい腫瘍が小さくなったか確認します。一回だけでも多少小さくなったので、二回目ではさらに小さくなるようにと願っています。

ということで、今週末は副作用に苦しまないですみそうです。

ちょうど喉の調子を調えるのに良いかも。

2008年9月23日火曜日

電話おしうり撃退法

アメリカでは押し売りの電話がよく来ます。
内容は「保険会社」とか「地方の警察のサポートグループ」とか「チャリティーへの募金」とか様々ですが、どっから勝手に番号探したのか腹が立ちます。

そこで私が編み出した「電話押し売り撃退法」をここで。

電話がかかってきて、押し売りだとわかるとベッタベタの日本語なまりで
「アイ スピーク ノー イングリッシュ」
と言ってやります。すると相手は
「オー、オーケー。バイ」と言って簡単にあっちから電話を切ってくれます。

日本でも試してみてください。外人のふりして
「ワタシ、ニホンゴ、ワカリマセンノー」
とか言って。もしかしてうまく行くかも。

2008年9月21日日曜日

多くの人にささえられて


アメリカに帰国してからすぐ、学校のクラスメートにメールで自分が告知したことを知らせました。

多くの人が励ましの言葉をかけてくれました。


アメリカでは乳がんの羅漢率が8人に1人とかなり高いです。クラスメートの2人はお母さんが乳がんと戦っていると声をかけてくれました。若くしていとこを乳がんで失った子もいます。


今回抗がん剤を手術前にやるので、クラスの子達が励ましの言葉をT-シャツに書いてくれました。

さらにメッセージをかき寄せてあるカードを3つも。


皆に支えられていることを実感しました。

2008年9月18日木曜日

喉いた

昨日の朝から喉の具合が不調でした。飴をなめて頑張っていたのですが、昨日の夜は寝つきも悪く、喉の痛みで何度か夜中に目が覚めました。免疫が落ちてるからでしょうか、喉の粘膜が薄くなってるからかな。それともタダの偶然的出来事かも。

副作用で食欲があまり出ません。以前は何かと食べてすぐに体重に反映するほうだったのに、化学療法を始めてからは「おながかすいた」という感覚が無くなってしまったのです。この前バイキングスタイルのレストランに行ったとき、建物に入ったとたんに臭った食べ物の臭いを嗅いだだけで食欲がうせてしまいました。でもせっかく行ったから果物を主に食べました。

体重もこの1週間で3キロ以上減ってしまい、ダイエットしても全然減らなかった体重がこんなに簡単かつ早く減ってしまうのは複雑な重いです。これを機に理想体重へ!と思っているのですが、あまりペース早く体重が減ると「自分は大丈夫かな」と心配になってしまいます。この2-3日は体重計に乗るたびに前日より1キロ近く落ちているので、信じがたいです。

今日は頑張って「すし太郎」とウエンディーズのフロスティーを食べました。

2008年9月16日火曜日

そろそろ髪の毛くるか。。。?

今日ラップトップ・コンピューターをいじっていると、髪の毛が2本のど落ちているのに気づきました。
頭の毛をすこしつまんでひっぱってみると、薄めの毛が2本ほど取れました。

髪の毛が抜け始めるのは化学療法も3回目を終えたぐらいから。。。と聞いていた気がするのですが、もう抜け始めるのでしょうか。

ちなみに子供を生んで6週間後に始まったアトピー皮膚炎が、化学療法を始めてから良くなりました。腫瘍内科の先生によると抗がん剤で免疫力が低下するので、それに伴って免疫が自分の
組織を間違って攻撃してしまう「アトピー」のような病気は症状が緩和するとのこと。

あと副作用の一部でちょっとやなのは便秘です。基本的に食欲は低下しているので、食べる量が少ないから出にくいというのもあるでしょうが、いままでお通じが良かった私にとってはとても気にかかります。

2008年9月15日月曜日

化学療法一回目その後

金曜日に第一回目の化学療法をうけ、その日の夕方ごろに多少疲れは出たものの、体調はまずまず。でも翌日から疲れがどーんと出ました。

土曜日の朝はぼーっと目がさめ、どうも体を起こすことができません。体じゅうが重いというか、トイレに行くのを我慢しても横になっていたい気分です。実際トイレに行こうと起き上がったのはお昼をやっとすぎた頃。このままでは膀胱が破裂しそうだったので起きたわけです。でもトイレの後はまたすぐベットへ。やっと立ち上がってシャワーなど浴びたのは夕方6時を過ぎたころでした。椅子にすわったりすることはできる様になっても、何をする力もわきません。

日曜日はさらに疲れが増していました。この日はほぼ一日中寝たきりでした。口にしたのはりんご一個とプラスチックの容器で別売りしているみかん。午後になって娘が裏庭で遊びたがったので一緒に出て、私は長いすのローンチェアーで寝っころがりながら娘を監視していました。午後5時ぐらいで夕方になりかけの時間。下がりかかった太陽と夕方に吹き始める風の微妙な組み合わせが心地よく感じました。

裏庭で寝転んでいたのは20分ぐらいだったでしょうか。家の中に入るとまたすぐに長いすでごろり。気づくとすっかり寝入っていて深夜ちかくになっていましたが、起き上がって二回のベットに行く気力もなく、朝の9時まで長いすで眠りました。この日から白血球の数を増やす薬を自分で皮下注射しなくてはいけませんでしたが、その気力もなく。ただただ安静にするのみ。。。

月曜日の朝、娘と夫を起こさないとと思いソファーから起き上がりました。子供の隣に寝っころがりながら、子供を揺さぶって起こしました。ペースは遅いものの、着替えをさせデイケアへの準備をしてあげることができました。いつもよりも30分おくれのデイケアですが、仕方ありません。準備が出来次第夫が車で娘をデイケアにつれていってくれました。

その後またソファーへ。でも午後4時ごろには立ち上がってトイレにいったり食事をしたりすることができるようになりました。夫に頼んで皮下注射もしてもらいました。

明日は体調が良い日であるよう願っています。

2008年9月12日金曜日

化学療法一回目

化学療法の第一日目です。朝9時半に病院につきました。
インフュージョン・センターの一室には朝からすでに3人の患者さんが椅子に座って治療を受けていました。私は最後に空いている椅子に座りました。

まずは生理食塩水の投与が始まりました。次に「吐き気および嘔吐を予防」する薬が二種類投与されました。最近は吐き気などの副作用を抑える薬が発達しているので、副作用も極力最小限に抑えられるようになっているそうです。

後にドキソルビシン(A) とシクロホスファミド(C) という二種類の抗がん剤です。ドキソルビシンは赤い薬品で、注射器のような容器に入っているので看護婦さんが手で徐々に投与してくれます(こちらで俗に言うIVプッシュです)。シクロホスファミドは生理食塩水の横につるして、重力の助けで静脈投与されます。

たんまり点滴を受けたので、トイレが頻繁になりましたが特に具合が悪くなることもありませんでした。お昼ごろ病院を出て、夫と遅いお昼を食べに行きました。食欲も良かったです。

家に3時ごろ着き、ほっとしたのか少し疲れが出ました。一時間ほど昼寝をして、夕方は学校のクラスメートの誘いで友達の家に行き、ご飯を食べたり映画を診てたのしんできました。

このように何事もなく化学療法の一日目が終了しました。

ドキソルビシン(アドリアマイシン)は真っ赤な薬品。IVプッシュといって、看護士さんが手で注射器を押しながら投与してくれます。

2008年9月11日木曜日

お花

   テキサスに住む大学時代の友達が、これから治療を始める私に花を送ってくれました。
   ちょっと元気がでました。



ポート挿入。いたたたた。。。


今日は抗がん剤を投与する入り口となるボートを挿入してもらいに病院に行きました。

軽い麻酔で眠らされて行う「日帰り手術」です。

朝もはやから4時におき、5時半には病院に着きました。
まずは3階にある手術受付および待合部屋へ。
それから一時間ほど待たされ、小さな部屋に通されて静脈に点滴の針を通してもらいました。

またそこで1時間またされたのですが、大きなリクライニングのできる椅子に座らせられたのでつい気持ちよくなってウトウト。。。
「こんにちは」と大きな体の黒人の看護師のおじさんに声をかけられ目が覚めました。
彼の横には車のついたベッドがあり、そこに移れということ。
それでそれに乗っかって、看護師さんに押されて4回の「放射線科」へ。

「放射線科」につくと担当の看護婦さんがやってきて、今日の手術の説明を手短にしてくれました。その後抗生剤を点滴で打ってくれて、また待たされました。病院にくる道が渋滞だそうで、担当の医師が着くのが遅れるとのこと。ふと思うと今日は9月11日です。2001年にニューヨークの貿易センターでのテロリスト事件があってから丸7年たったことになります。私が治療を受けているのは海軍病院なので、今日はいつもよりIDチェックが厳しいようです。

待っている間、看護婦さんたちがおしゃべりしているのをボーっと聞いていました。
自分達の子供の話や、おっちょこちょいの同僚の話などしていました。
このおちょこちょいの同僚とは、患者さん用の毛布を暖めようとして電子レンジに入れたんだそうです。火事にはならなかったものの、電子レンジから煙がでちゃって、火災報知機などなり始めて大変だったそうな。それで何をおもったかその人は煙の出る電子レンジをもって外に出ようとした。そこで火災報知機が鳴ったため駆けつけた警察と消防隊に廊下で食い止められ、しまいには警察官が拳銃をとりだして「ふせろー」といわれたらしく、廊下でつっぷして抑えられたらしいです。テロリストの疑いで。。。ははは。

9時すぎてやっと担当のお医者さんが入ってきました。この先生は外科医ではなく「インターベンショナル・ラジオロジスト」と言って、画像などを使って手術を行うのが専門の放射線科医師です。ポートというのは管を大静脈に直接挿入するので、レントゲン画像を見ながら管を挿入するわけです。
手術室にはこばれました。幅の狭い手術台に移されました。体の上には直径70cmほどのレントゲンの機会があって、それで画像をとりながら管を挿入していくようです。

体にはモニターなり布なりをくつっけられて、首を横に傾けるように言われ、顔にも青い布がかかるので何が起こっているのか何も見えません。さらに「鎮静剤」を打たれるのでまもなく眠ってしまいました。

起きたときには手術はすっかり終わっていました。肩に挿入されたポートのところは感覚がなく、変な感じでした。その後「回復室」に移されました。まだ頭がぼーっとしてたので、またうとうと。お昼すぎには夫が迎えにきてくれました。

病院を出たのは1時半を過ぎていました。家に帰る途中でポートを入れた場所の局所麻酔が切れてきたのがわかりました。その場所が痛み始めたからです。特に車走行中、ガタガタ揺れると傷がしみました。

家にかえって横になろうとすると、いたたた。。。どうも体制を変えると痛くなるようです。座っているほうが楽でしたが、枕を背中において肩を高くしたら長椅子で横になることができました。夕方から夜にかけて、そんな感じで寝ていました。

長い一日でしたが、これで抗がん剤を打つ準備が整いました。
明日から化学療法による治療を開始します。

2008年9月9日火曜日

腫瘍内科医による診察

昨日は術前化学療法についての説明を受けるため、腫瘍内科の担当医の先生と会ってきました。

私の術前化学療法ではPAC療法というのを使います。通常ではドキソルビシン(A) とシクロホスファミド(C) という2種類の薬を3週間おきに4回投与し、つぎにT(パクリタキセル)という薬を3週間おきに4回投与します。ただしなるべく早く手術にこぎつくように ACの投与を2週間おきに4回投与し、
数週間待って体が回復してから手術を受けます。さらに手術後に数週間まち、Tを2週間おきに4回投与してもらうというやり方です。

担当医との診察の後は、同じ病院内にあるインフュージョン・センターの見学に行きました。
小さい部屋がいくつかあって、患者が点滴をうける大きな椅子が4つ並んでおり、反対側の壁には大きなテレビが取り付けてありました。ある部屋では椅子に座って治療を受けている患者さんが一人、深く腰掛けられる椅子に座ってテレビをみているのが見えました。

抗がん剤を資料すると心臓に負担がかかる可能性があるので、今日の朝は心エコー図をとってもらいに病院に行きました。何も異常はないとのこと。うちから病院まで車で30分ほどかかりますが、今日は朝8時の予約だったので、ラッシュアワーで1時間近くかかってしまいました。途中に海の下を通るトンネルを通過するので、いつもここで時間を食います。帰りは9時過ぎていましたが、帰り道ものろのろ運転。途中で眠くなってしましました。

明日は抗がん剤を投与する入り口となる「ポート」というのを左肩に挿入します。これは日帰り手術になります。病院には朝の5時半までに行かなくてはいけません。早起き大嫌いな私にはつらそうです。さらに今日の深夜すぎは禁食ということなので、今日は早めに寝ます。

2008年9月6日土曜日

告知から治療開始まで (その2)

手術予定の2日前に、この近辺でトップの「乳腺専門の外科医」にセカンドオピニオンをもらう機会を得ました。

アメリカでは入っている保険によっては自由に医者が選べません。私の場合は夫が入っている保険を使っての治療なので、ほどんど医者が選べない状況です。この乳腺専門の医師との診察も、「セカンドオピニオンのみ」という適応で可能となりました。

この先生は年配の女医さんで、乳腺の手術のみ15年以上もやっておられます。乳腺手術だけでなく形成外科としてのトレーニングもうけているので、胸の手術に関してはとても詳しい方でした。「この人に手術してもらえればなあ」と思いますが、今入っている保険を変えない限り不可能です。。。

彼女に手術してもらえなくても、セカンドオピニオンとしていろいろな情報を得ました。

私の場合、腫瘍が大きめなので最初に化学療法をしても悪くないこと。
BRCA遺伝子に変異がないため、両側の乳房をあせって取る必要もないこと。

などなどです。

そこで私は手術前に抗がん剤投与を受ける「術前化学療法」の可能性を考え始めました。

腫瘍が化学療法に反応すれば、目や画像診断で薬が効いていることが確認できます。
また手術まで多少時間があるので、乳房を両方とるべきか片方だけにすべきか再検討できます。

そこで翌日、腫瘍内科の先生と話をしました。
私の場合、化学療法を術前にやっても術後にやっても良いということ。
そこで外科医の先生に術前化学療法を選択した旨を伝え、翌日の手術をキャンセルしたのです。

術前化学療法を選択すると、腫瘍内科の先生が早速手はずをととのえてくれました。
来週には抗がん剤を投与する入り口として使われる「ポート」を挿入する手術、抗がん剤は心臓にも負担を与えるので心臓機能を調べる「心エコー図」の検査などが行われます。

腫瘍内科の先生の話だと、早ければ来週の金曜日には化学療法を始めてくれるとのこと。

こんなことならもっと早めに術前化学療法を検討すべきだったと思いました。

告知から治療開始まで (その1)

現在アメリカに在住の37歳です。

夏に日本に帰国していた際、たまたま検診してもらったクリニックの超音波検査で「乳がんの疑いあり」と言われました。乳腺外来のある総合病院で、外科医のDr.I に相談をしました。すぐに超音波をしてくださって、やはり悪性の疑いが強いとのこと。日本に一時帰国していることをご存知の上、すぐさま細胞診をして下さいました。病理も至急出してくださり、結果は次の週に出ました。やはり「悪性。との診断結果でした。 「乳がんと考えてほぼ間違いないでしょう」とのDr.Iのお言葉でした。

やはり頭をよぎったのは「すぐに手術して切ってほしい」という気持ちでした。もし日本で治療するならどのような手順になるか、Dr.Iはご説明してくださいましたが、「アメリカにお住いなので、あちらで治療を受けるというのも良い選択だと思います。乳がんの数はアメリカのほうが圧倒的に多いです」とのアドバイスでした。

親にも日本で手術を受けたらと言われましたが、生活の基盤がすっかりアメリカですし、Dr. I がおっしゃったようにアメリカでは乳がんの件数も多いし、良い治療が受けられるはずという言葉を信じ、予定どうり10日後にアメリカに帰ることにしました。

アメリカに帰ってからすぐに治療開始というわけには行きませんでした。
日本のでお世話になったDr.I には英語で紹介状を書いていただき、病理から細胞診のスライドを全てアメリカに持ってかえってきたものの、マンモさえ日本でとる暇がなかったのでマンモをとるにも2週間以上の待ちぼうけをくわされました。

さらに2週間待ってMRI、さらに2週間ほど待ってPETといった状況でした。乳がんは進行が遅い癌とはいえ、告知されてから一ヶ月以上たっているのに検査ものろのろ、手術日も確定しないということでいらいらがつのりました。

私の場合、乳房の全摘出と同時に乳房再建を希望していたので、8月には手術できるだろうという話がだんだん9月の予定に食い込んでしまったりもしました。アメリカでは医療の細分化が進んでいるので、乳房を取る「がん」の手術と乳房を再建する美容形成の手術は「一般外科医」と「形成外科医」の二名が関わる手術になるからです。

MRIではリンパ節の腫れが確認されたものの、PETでは遠方転移なしとのことで9月5日に手術と決定しました。しかし。。。。。(次回に続く)