2008年11月27日木曜日

感謝祭

感謝祭の休日で、義父の所にやってきました。
我が家から車で9時間。アメリカの内陸でかなり田舎です。
 
私の夫には二人のお姉さんと一人の妹がいます(夫は三番目で男の子一人です)。
お母さんは八年前に他界され、お父さんは現在再婚相手と暮らしています。

感謝祭やクリスマスなどは、こちらでは日本のお正月のような感覚。普通は家族で過ごし、色々とご馳走がでます。

夫の家族内の人間関係は色々と複雑なのですが、夫の姉と妹はお父さんの所に全く行きません。感謝祭もクリスマスも、2-3年前まではみんなで集まっていたのですが、このごろは全くなし。きちんと行くのは私達だけ。簡単に言うと、夫の姉妹はお父さんとお父さんの再婚相手を嫌っています。
 
お父さんはとても厳粛な父親で、お母さんが亡くなるまではかなり亭主関白だったそうです。お母さんにも子供にもあまり自由を許さなかったとか。夫の姉妹はいまだにそんなお父さんのことを恨めしく思っていて、お父さんの悪口を私にも平気で口にします。
 
私は夫の姉妹がいう「嫌なお父さん」を直接は知りません。
今回も夜遅く到着し、それでも寝床から出てきてくれて私をハグしてくれる、優しい義父さんです。
 
感謝祭やクリスマスに姉妹さん達がいると全て料理してくれます。でも今回は私達以外誰も来ない事がわかっていたし、再婚相手のおばさんはもう全く料理をしません(彼女はなんだか体調も良くなく、いつも寝てばかりいます。忘れっぽいので料理していて台所で火事を起こしたりしてしまいます)。それでお店で既に出来ているものをいろいろ買って行きました。基本的にオーブンやレンジであっためるものばかり。
 
あまり豪勢な感謝祭ではないし、料理もかなり手抜きです。
それでもお父さんの所に来てよかったと思いました。
 
夫の妹と、姉の長女は亡くなったお母さんが感謝祭に毎年作ったチーズボール(クラッカーにつけて食べるもの)を今日作ったそうです。
 
亡くなった家族を慈しむのはとても大切なことです。でも私は、まだ生きている家族と大切な時間を過ごす事のほうが重要ではないかと思うのです。
 
夫のお父さんも81歳。あと何回一緒に感謝祭やクリスマスを祝えるか。
 
私の父も頑固で厳粛な父親です。いまだに一緒にいるとやりずらいことも沢山あります。それでも年に一度顔を見せに帰るのは、大切だと思っています。あくまでも家族のために働いてくれた父親ですし、親なしでは今の自分は存在しなかったわけですから。夫の姉妹のように、気に入らないから無視をするのはかなり「幼稚」にも思えます。
 
私は義父が生きている限り、これからも会いに来てあげたいと思っています。

2008年11月26日水曜日

サンタクロース


町はすっかりクリスマス一色です。
 
今日は子供を連れて近所のショッピング・モールへ。
サンタクロースと写真を撮りに行ってきました。
去年まではサンタクロースを怖がっていた娘も、今年は「サンタさんに会う」と喜んでいました。
行く途中車で「サンタさんに会ったら、何ていうの?」と訪ねると、
「えっと、えっと。。。こんにちは!」
「そうだね。その後は?」
「えっと、えっと。。。なおちゃん!」
とまあ、イマイチ返答が???状態の娘。
   
実際サンタを目の前にすると、緊張しまくりでした。
無理なくサンタの膝に座ったものの、声がでません。
顔もこわばってしまい、写真もうまくとれませんでした。
サンタによると、クリスマスに何が欲しいのか聞いたが答えがなかったとのこと。
サンタにもらいたいおもちゃを、事前にカタログで見て決めていたのですが、やっぱり声にならなかったようでした。
 
次に写真スタジオに。おばあちゃんが送ってくれた千歳飴を持って、七五三の記念撮影です。
予約を取っていなかったので、2時間ほど待ち時間。またやモールの中をうろうろ。
やっと撮影してもらって、写真を印刷してもらって、夕方7時ごろになってしまいました。
結局写真撮影で一日終わってしまった感じでした。
 
でもサンタも一年に一度、七五三も特別な記念だもんね。

2008年11月24日月曜日

ENT (Ear Nose and throat) - 耳鼻咽喉科

左の扁桃腺の奥のほうが3ミリほど白っぽく膨らんでいます。
化学療法を始める前に気づいたのですが、現在まで特に大きさなどに変化なし。
前回外科の主治医に相談したところ、念のためということで耳鼻咽喉科に紹介状を書いてくれました。

今日はそのアポイントの日。子供を夫に任せ、朝10時ごろ家を出ました。
前回出してもらった腫瘍内科のパーキングのパミットが12月31日まで有効なのでラッキーでした。
パーキングをさまよって車を停める場所を探さないですみました。
 
始めに入ってきたのはD.O. (Doctor of Osteopathic Medicine)の先生 で、耳と扁桃腺を見てくれました。扁桃腺の白い腫れはおそらくシスト(膿胞)とのこと。「こんな奥にあるの、よく自分でみつけたね」と言われました。一度先生が診察室から出て、レジデントを一人連れてきました。また私は口を開けさせられ、アー。次に念のため、MDの先生が入ってきました。彼も同じ意見で、悪性のものには見えないとのこと。放っておいて差し支えないけど、希望なら潰して膿を出してくれるとのこと。
 
12月8日に手術があるので、様子を見ることにしました。電話すればいつでもシストを潰してくれるそうです。
 
告知されてから、少しでも体の変化に気付くと気になってしまいます。心配すぎも良くないでしょうが、気になったら調べてもらって何もなければ安心するので、今日は診てもらって良かったです。
       
耳鼻咽喉科の後はインフュージョン・センターへ。最後の化学療法からそろそろ4週間経つので、ポートを洗浄してもらうためです。洗浄といってもポートに生理的食塩水とヘパリンを入れてもらうもの。
  
生理的食塩水が体に入るとき、ちょっと気持ち悪くなります。しょっぱいような味がするのです。いつもは気持ち悪さが一瞬で終わるのですが、今日は気持ち悪さが長引きました。帰りにジュースを買ってのんだけど、鼻のあたりで生理的食塩水の味がシツコク残っています。家にかえって何か食べようとしても、気持ち悪さが抜けません。

化学療法が全部終わって、ポートなど抜ける日が待ちどうしいです。

2008年11月19日水曜日

大腸内視鏡検査

前回外科医の診察で、「下血が続いているようなので内視鏡検査しましょう」と言われました。
 

昨日はその準備で、一日中食べものは口にできず。飲み物は透明なもの(色がついていても、透かして向こう側が見れればオッケー)しか飲む事ができませんでした。さらに検査にそなえて腸を綺麗にするため、前日の昼にはDulclaxという坐薬をのみます。そして夕方の7時ごろにPhsphosodaという透明の液体をジンジャーエールに入れて飲みます。この飲み物がまずいまずい。ストローを使って舌に味を感じさせないように飲んだのですが、一気に飲めずに休み休み飲みました。  
                              
夜10時ごろになると下痢が始まりました。夜も3回ぐらい起きてトイレに行くはめに。腹痛もあって、つらい時もありました。
                            
今日の朝8時ごろ、またPhosphosodaを飲みました。朝も変わらず下痢。でもこの頃には出るのは黄色い水のようなものだけ。
                            

朝10時には腫瘍内科医の診察があったため病院へ。その後、内視鏡検査をする胃腸科のクリニックへ。予約は1時なので、チェックインをまずすましておいて待合室で長い間待っていました。10時すぎは何も飲めないので、ただ我慢するのみ。最後に腫瘍内科のクリニックで飲んだりんごジュースの味が忘れられませんでした。喉がすごく渇いて仕方なくて、砂漠で迷子になったことを想像し、それよりマシだー、と自分を慰めていました。
                

12時半にはリカバリー兼プレップ・ルームに連れていかれました。着替えをして患者用のガウンを着せられ、ベットに。ナースがIVを入れてくれて生理的食塩水をスタートしてくれました。でも担当医が来るまで1時間ほど待たされました。退屈で、途中うとうととしていました。
                  

2時少し前に内視鏡室にやっと移動させられました。しばらくして担当医のDr.Eがやってきました。直ぐにナースが麻酔をIVから入れてくれて、頭がボーとしてきました。内視鏡が体の中に入ってくるのが少しわかりました。検査中、腸の中がよく見えるように腸内を膨らますのですが、それが痛かった!腸が膨らむごとにお腹がキューと痛み、おもわず「ああああ。いたたたた」と言ってしまいました。
           
たまに目を開けてモニターに移る自分の腸内を見ていたのですが、いつの間にか目をつぶてうとうとしていたようです。終わったときに主治医から話かけられたような、かけられなかったような。あまり記憶がハッキリしません。
           
結果は何も異常は見つからなかったようで、ひとまずホッ。最後に腸内の写真つきの結果をもらって帰って来ました。
         

次に内視鏡検査をするのは10年後。10年って、とても長い時間に思えます。次の内視鏡検査受けるときも元気でいたい、と思いました。

2008年11月18日火曜日

ちょっとムッ

最近何もしたくなく、鬱気分に入っている私。化学療法最終クールから3週間以上経つというのに、気分が晴れません。鬱なら早めに病院にかかったほうがいいと思い、今日精神科を受診しました。
 
11時15分のアポイントだったので時間どうりに行くと、
「アポイントは12時からになってました。でも記入しないといけない書類があるからちょうどいいですね」                        
などと言われた。書類記入なんて10分もかからなかったので、40分ほど待たされるはめに。

12時15分ぐらいに女の人が待合室にやってきて「12時半のアポイントのはずでしたが、どうぞ」などと早めに見てあげますみたく言われ(12時半?受付のおじさんは12時と言ってたのに、なぜに。私は1時間以上待たされているから、早くみてもらうっていう感覚はない)、オフィスの一室に通される。その人は精神科の医師でもなんでもなく、ソーシャル・ワーカーだった。アポイントを取ったとき、ソーシャルワーカーとのアポイントであることを誰も言っていなかったので、ちょっと腹が立った。その事を言うと、彼女は「混乱を招いてすいませんでした」と低姿勢だった。彼女によるとまずは面接して、医師への紹介状を出してくれるという。

アメリカでは紹介状(Referral)がないと専門医に会えない仕組みになっています。これは本当にイライラします。体の症状が微妙で、どの科に直接行っていいのか分からない時は家庭医でいいですが、メンタルな問題の場合どう転んでも精神科でしょう。まったく時間とお金の無駄です。私の保険の場合、医者にかかるときに自己負担はゼロなのでいいですが、これで20%なり30%なりの請求が来たら本当に腹が立つでしょう。
 
しょうがなのでソーシャル・ワーカーのお付き合いをしました。「7月に告知を受けて、欝のような状態に悩まされている」ことを告げました。結局ソーシャル・ワーカーの口にするのは「大変ですね」とか、「何もやる気にならないのは当然ですよ」とかいった事ばかり。「癌告知というのはショックですよね、気持ち分かります」たぐいの事を言われたときは少し嫌気もさしました。癌患者のつらさは、本当に告知を受けた人でないと分からないからです。そんなに簡単に「気持ち分かります」みたいなこと、言って欲しくなかった。

アメリカ人は理屈っぽいですから、「気持ち分かります」の次にはいわゆる心理学の教科書に書いてあるような理論っぽい話をはじめてきました。どの話も前に聞いたことあるようなものばかり(私も大学で一般心理学や臨床心理学のクラスをいくつか取っていました)。「当たり前だけど、この人もそれなりに本を読んで勉強してるんだなあ」ぐらいにしか思いませんでした。私を元気づけようと思って、「落ちこんでも、うつでも自然だよ」と言いたいようなのですが、彼女のアプローチでは私の心にはあまり届きません。ブログなどを通じて、今現在乳がんと闘っている人達の言葉のほうがずっと励ましになる、と思いました。そんな事を思いながら、ソーシャル・ワーカーの話をぼーっと聞いていました。私も聞かれた質問以外は特に話をしなかったので、かなりソーシャル・ワーカーにとってはしらけたセッションだったかもしれません。
              
最後にもう一度、「もともとショーシャル・ワーカーとのアポイントであることを知らされていなかった事」、「紹介状なら家庭医で書いてもらえたが、精神科のクリニックでアポイントがもらえたので精神科の医師にすぐ見てもらえると思い込んでしまったこと」、「もっときちんと今日のアポイントについて事前に詳しく説明してほしかったこと」を伝えました。ソーシャル・ワーカーの女性は最後まで低姿勢で良い方でしたし、最後に紹介状もすんなりとくれました。でも今回のセッションはやっぱり時間のロスと感じてしまいました。ちょっとイライラがつのった日でした。


 

2008年11月16日日曜日

やっとお天気です

昨夜は雨がずっと降り続いていましたが、今日は一日綺麗な晴天でした。
  
最後の化学療法日から3週間すぎ、今日は体調もなかなか良く、家族3人で外出しました。
  
子供の好きな魚がいっぱいいるペットショップと犬がいるペットショップに行き、別のお店へ。 そのお店の子供服売り場の一角に、サンリオ製品が置いてあるセクションがありました。 子供がキティーちゃんを見つけ、当然そちらの方向に。
  
そこで怪しげな日本語が書かれているバックを見つけました。

「新宿」とか「音楽」とか書いてあります。新宿はアメリカ人の若者の間でもハイカラ(死後?)なのでしょうか。よっぽど日本に住んでいたとか、マンガまたはアニメオタクのアメリカ人でないとわからないと思いました。
  
さらに、このような怪しげなバックまで。

「愛天使音楽ベイビー」と書いてあります。何のことやら全く分かりません。さらにベイビーのイの字が横向きになっています。日本人が作った製品でないことがバレバレです。アメリカ人はこれをみて「日本ぽくって、超かわいい」とか「クール」とか思うのでしょうか。店で売る製品にするなら、せめて日本語を正しく使って欲しいです。
  
帰りは食材を買いにスーパーへ。アメリカ東海岸も寒くなりました。空気も乾燥しています。前が車の形をしたカートに喜んで乗っていた娘。静電気で髪の毛がおっ立っていました。
化学療法終了後3週間たっても、思うように戻ってくれないのは味覚障害です。まだまだ食事しても味気ないので、あまり食欲がわきません。

2008年11月13日木曜日

雨の日

今日は朝からずっと雨。
 
夫がやっと昨日の夜遅く、出張先のイタリアから帰ってきました。そこで今日は子供のデイケアはお休みで、家族みんなで家でのんびりすることに。
 
実は車のトラブル続きで、昨日とおとといはレンタルカーを借りていました。やっと夫が帰ってきたので調子の悪い車たちの修理をしてくれます。それで今日の午前中レンタカーは返すことができました。
 
夫が12時40分に歯医者のアポイントが入っていたので、車を返してからWendy'sへ。イタリア語の話せない夫は、イタリアにいる間一週間のうち4-5日はそばにあるマクドナルドで食事をしたそうな。じつは夫はマクドナルドがあまり好きでなく、こっちに行くときは滅多に行きません。
  
せっかくイタリアに一ヶ月以上いたのに、アメリカでいつでも食べられるファースト・フードばっかりとは何とももったいない話です。私なら辞書を片手に片言でもいいからコミュニケーションして美味しいものを食べます(なんてね)。

Chuck E. Cheese's


学校の集まりでChuck E. Cheese's というお店へ。

要はゲームセンターのようなところで、遊びながらピザとかサラダとかが食べられる所です。

Project Smileというクラブがあって、病気(主に小児癌)をもつ子供の家族を招待して一緒に楽しむのが目的です。前回は学校のオーディトリアムで映画の上映会などをしました。
     
今回のイベントでは参加した子供たちも楽しそうでしたが、何といっても医学生達が嬉しそうに遊んでいました。

2008年11月11日火曜日

なんじゃ、このシール?

きのう、子供にフッド(頭巾)のついた上着を着せてデイケアに。
夜服を着替えさせようとすると、フッドの下に隠れたかたちで、背中にこんなシールがはってあります。

「明日は写真の日です!」と書いてあります。
  
「なぬ?」と思いました。デイケアで子供をピックアップした時、「明日は写真の日ですよー」なんて、誰も言っていなかったのです。それに毎日連絡簿みたいなのをもらうのですが、それにも「写真日」の事が書いてありません。
 
デイケアでは良く子供にシールをくれます。「いつものシールが切れていて、これを代わりにくれた?」などと考えましたが、それにしてもね。
 
仕方ないので念のため、今朝は写真撮影されてもおかしくない洋服を着せてデイケアへ。 
   
確認するとやはり今日は「写真日」でした。 
   
先生いわく「急に決まった」とのことで。それでも子供の背中にシール貼ってのみののお知らせとは。。。子供は掲示板かい。日本では考えられません。

実際そのシールはフッドの下に隠れてて、着替えまで見えませんでした。
気がつかずに洗濯機に入れてそのまま洗ってしまったかもしれません。
                
「大切な連絡事項は、ちゃんと言葉でコミュニケーション取ろうよ」と思った今日このごろです。

2008年11月10日月曜日

形成外科医との診察

乳房再建の話をするために病院に行ってきました。
 
ナースに診察室に通され、紙でできたベストのようなものを渡され、着替えるようにとの支持。
それを着てカツラを直していたら、ドアが開いてDr.Oが入ってきました。
 
まず「どうして手術キャンセルしちゃったの」と聞かれました。
それで術前化学療法を選択したことを話すと「まだ化学療法中?そう、もう終わったんだ」といった感じ。「それでエキスパンダーを使った同時再建を希望ですよね。。。」と始まったので、実はDIEP再建を希望していることを告げました。
  
DIEP再建はこの病院ではやっていないとの事。予測どうりでした。実は今Duke大学でトレーニングを受けている一般外科医がいて、夏にこの病院に来る予定。その人はDIEP再建を沢山経験してるとのことで、夏まで待てばDIEP再建も可能とのこと。
  
「僕がやってもいいけど、数をこなしてないから実験みたいになっちゃうよ」などとDr.O。 
というか、DIEPはマイクロ術式なので正式にトレーニング受けてないとできない技術だと思います。
はじめから「僕はきちんとトレーニングを受けてないから、できません」って言えばいいのに。Dr.Oのエゴを垣間見た一瞬でした。
  
私は「DIEP再建をやってくれる医師を知っているのですが」と話すと、その医師が私の入っている保険を受け入れてくれるなら紹介状を書いてくれるとのこと。
  
そんな感じで診察はさくっと終わりました。

2008年11月8日土曜日

ぐうたらの土曜日

今日はどこかに行こうと思っていたものの、午後は雨。
  
4時ごろには晴天になっていたものの、結局外出しないでずっと家にいました。
  
子供は朝とどいた日本のビデオをみたり、絵を描いたり、コンピューターのゲームで遊んだりしていました。私も絵とゲームは子供に付き合いました。ずっと家にいても特に不満な様子はなさそうでした。
 
明日はどこかに行こうかな。

郵便屋さん

今日は土曜日。
デイケアもないので、朝はずるずると10時過ぎまでベットに。
 
やっと起きて下にいくと、ドアのベルが鳴りました。
どうやら郵便屋さん。小包が届いたようです。 
出ないと郵便局まで小包を取りに行く羽目になるので、急いで上着をはおいました。
「おっと、すっかり薄くなった眉毛も書かないと」と思い、眉墨も入れてドアに向かいます。
 
ドアを開けると直ぐに郵便屋さんと目が合いました。そのとき頭が外の風にさらされてヒンヤリしたのです。「あ、カツラつけんの忘れた」と思いました。でも「ま、いっか」と開き直って堂々と対応ができました。これが日本だったら恥ずかしかったかな。
  
郵便屋さんは特に何も言わなかったけど、がん患者なのがバレバレだったでしょう。ははは。

2008年11月7日金曜日

ただダラダラと

今日の朝は久し振りに近くのDVD/CD屋さんに。
 
精神的なストレスを減らせるよう、リラックスできるクラシックのCDをいくつか買ってきました。
 
お昼は人参とキャベツを入れてタン麺を作って食べましたが、相変わらず味気なし。
 
午後は何もする意欲がなく、長い昼寝してしまいました。
 
化学療法もひとまず終わった事だし、何か目標を決めてやらないと生活にメリハリがでないなあ、と感じました。
 
ただ、今は目的意識が薄れてしまっていて、「これをやりたい」という事が見つかりません。スペイン語を始めたり、また絵でも描いたりしてもいいのですが、いまいち「やる気」が出ないのです。それで毎日ダラダラと過ごしてしまいます。はっきり言って、時間をもてあましています。
 
何か身を引き締められるものが欲しいです。

久しぶりに学校へ

今日は昼休みにMedial Spanishのクラスが始まるので久しぶりに学校へ。
これは必修ではなく、プエル・トリコ出身の先生がスペイン語を学びたい学生を集めて基礎を教えてくれるサークルのようなものです。
   
スペイン語ってローマ字みたいに読めるので、日本人にとって発音は簡単だと思います。
  
クラスは4回しかないので、本当に基礎をさらとやるだけですが、あまりストレスなく出れるので来週も参加したいです。

2008年11月5日水曜日

外科医との診察

9時にブレスト・センターでアポイントがありました。
今日は小雨日。少し風もあります。
病院には9時前につきましたが、駐車場はいっぱいで結局屋上に停めました。
エレベーターに向かって歩いていたところ強い風が。。。かぶっていたカツラが風にあおられて脱げてしまいました。エレベーターのところに到達すると、後ろからきた女の人に "It doesn't want to agree with you (頭のうえでおとなしくしてないのね)" と言われました。やっぱり人に見られてました。
  
時間より早くついたのに、30分ほど待たされました。
ナースにいくつかお決まりの質問をされた後、次に入ってきたのはインターンの医師。
自分の病気の経過を、また一から説明させられました。 
私も「またかよー」という口調だったのでしょうか、「何度も繰り返し聞かれる質問で、いやになりますか」と反対に聞かれてしまいました。「ええ。でもトレーニングの一環ですもんね、いいですよ」と答えました。最後に心臓と肺の音をきいて終わりでした。
  
診察のため着替えるように支持され、また待たされます。
しばらくしてインターン、主治医、ナースが入ってきました。
またお決まりの診察。左右の胸と腋下の触診です。
主治医の次はインターンに交代。
   
手術の希望について以前と相違が無いか聞かれたので、「両胸全摘」で相違ないことを伝えました。ただし再建に関してはエキスパンダーでなく、DIEPフラップがいいと付け加えました。再建に関しては整形外科医に相談するように支持されました。放射線科医が言っていたのと同じく、Microの術式をするなら、まず全摘で手術をし、後に再建の手術を改めてすることになるとのこと。私もそれと同じ理解だったので、同意しました。
  
という事で、手術予定日は12月8日に決まりました。

2008年11月4日火曜日

放射線科医師との診察

術前化学療法が終了したので、今日は放射線科医 (Dr. M) と会ってきました。
 
放射線治療は手術と術後化学療法の後にやるのですが、まあ今日は「具合はどうでしょう」ぐらいの診察です。予定としては術後化学療法の後、一週間に5回の照射を6週間半するとのこと。合計33回の治療になるようです。私の原発巣は右胸なので、照射場所は右胸壁と鎖骨上部です。放射線治療を受ける事で生存率が10%向上すると言われました。
  
明日は一般外科医、来週は整形外科医に会うことを話しました。前回Dr.M と話したときはエキスパンダーとインプラントを使用した同時再建を考えていました。
  
クラスメートのお父さんがたまたま整形外科医で、メールで連絡を取る事ができました。その先生によるとインプラントを使用する再建より、DIEP flap (Deep Inferior Epigastric Perforator)という最新の方法が最も優れた方法という事を教えてもらいました。これは自分のお腹のお肉を使って血管をつなげ、自然なおっぱいを再建する方法。 他のFlap法では筋肉を使って再建するのですが、これは筋肉を傷つけないため、回復後は以前と同じ活動レベルを維持できるとのこと。ただし血管の縫合など、マイクロの術式が要求されるので、特別にトレーニングを受けている医師でないとできないそうです。
  
Mr.Mによると、放射線治療は正常な組織を傷つけるので、もしDIEP flapのような再建を希望する場合、全て治療が終了してからのほうが良いだろうとのこと。
  
まずは来週、整形外科の医師に相談することになりました。

2008年11月3日月曜日

アメリカ大統領選挙

明日はアメリカの大統領選挙です。
 
初の黒人大統領誕生か、初の女性副大統領か。  
おもしろいところです。   
テレビでは大統領選挙の宣伝ばかり。
 
すっかり選挙一色です。

義姉と甥っ子は予定どうり今日帰りました。午後は彼らを送りに空港に行きました。
帰り際、高速を走っていてふと脇をみると、すっかり紅葉した木々が生い茂っていました。
東海岸ももうすっかり秋です。
 
どうなることやらと思った術前化学療法もひとまず終わったな、と思いました。
「時が経つ」というのは不思議なことです。
 
    
少し静かになった家にかえり、子どもを迎えに行く前に短い昼寝をしました。

2008年11月2日日曜日

夏時間終わり

今日で夏時間がおわり。アメリカでは時計の針を一時間もどします。
 
今現在、外は真っ暗ですが、まだ時計では6時前。昨日まではまだ明るかった時間です。
 
日中は今日も義姉が娘を連れ出してくれました。私は頭がぼーっとした感じがあり、少しお風呂に入って横になっていました。何をしたい気分にもなれず、少し鬱も入っているのでしょうか。
 
夕方になると具合もかなりよくなりました。たまに頭がぼーっとなったり、眠いような感覚がありますが、夕飯を作ったり片付けも一通りこなせました。
 
明日は義姉と甥っ子が帰ります。

また深夜に

今、朝の4時半です。
 
また深夜の1時ごろと3時ごろに目が覚めてしまいました。
 
何となく息苦しいような気がして目が覚めました。どうやらむかつき感もあるようで、薬を飲みました。ついでに何かお腹に入れようと、きのう作ったお寿司をつまみぐい。相変わらず味はしないものの、なんとなく満足。
 
さあ、また頑張って寝床に戻ります。

2008年11月1日土曜日

味覚障害ふたたび

今日は土曜日。昨日はハロウィーンで一日つかれたので、娘も私も起きたのは朝10時でした。
 
私が少し休めるようにと、11時ごろ義姉と甥っ子が娘を連れ出してくれました。  
近くのショッピングモールとペットショップに行くとのこと。私はひとまず家でのんびりです。
 
昨夜はピザとチキンスープを食べましたが、「味が分かりにくくなっている」と感じていました。
 
今日は塩味が少しわかるぐらいで、味覚障害がまた出てきていることに気づきました。
友達が持ってきてくれたシーフードスープとお茶漬けをたべました。いつもは大好きなグレープジュースも味気ない感じ。
 
甥っ子が好きなのでお寿司を作ろうとしましたが、酢飯の味加減ができません。
あまり入れすぎると大変なことになってしまうので、「こんなもんかな」ぐらいで味付け終わり。あまり美味しくなかったら謝ればいいことですから。

午後は寿司ねたを買いに外に出ましたが、夜はずっと家にいました。
 
甥っ子が見たがっていたので、インディ・ジョーンズの「クリスタル・スカルの王国」のDVDを買ってきてみんなで見ました。