2009年7月31日金曜日

術後十七日目

今日はなかなか具合もよく。

昼間は黒澤明監督の「生きる」を見ました。

さすが巨匠の作品。
切り口がすごいと思いました。

そして深いテーマのなかに皮肉と笑いが散りばませてあります。
また自分ががんサバイバーであることで、深く理解できるシーンも数々ありました。

午後は天気が良いので久しぶりに洗濯物を外に干しました。
そしてその後、近くのコーヒーショップへ。
少し読書して帰ってきました。
家にずっといると、何をするんでもなくコンピューターをいじったりテレビを見たりして終わってしまいます。
やはり一日に一度は外出するとメリハリがあっていいです。

お腹にまだ水は溜まっていますが、運転もできるし順調です。
夫がしばらく出張でいないので、精神的にも「しっかりしないと」というのがあるからかもしれません。

2009年7月30日木曜日

術後十六日目

今日は娘のデイケアでMining (鉱石とり)体験ができるというので、10時にデイケアへ。

鉱石とりと言っても、鉱石が砂に混じっているものを底が網になっている箱にいれて水のなかでじゃぶじゃぶやって、残った鉱石を取るというもの。
4歳ということで、水でジャブジャブするのも担当のお姉さんがやってくれていました。

子供たちはそれでもカラフルな石を拾うのが楽しいらしく、みんな黙って集中してやっていました。
おみやげは自分達で拾った石。各自プラスチックに入れてうれしそうでした。
私は午後1時ごろ、ちかくのレストランへ。
広告で$5引きのクーポンが入っていたので、行ってみました。
Silver Diner という、60年代にアメリカではやったダイナースタイルのお店です。

雰囲気はレトロでとっても良いです。

私が頼んだのはベジタリアン・ステア・フライという麵もの。
ちょっとお腹が空いていたので一口目はとっても美味しかったのですが、2口めからはちょっとしょっぱすぎる感じでした。
半分だけ食べて、残りは箱でお持ち帰り。
帰りにどこかに寄っても良かったけれど、いまだに前かがみで歩いているのでおとなしく家に帰りました。
今日も一日暑かったです。

2009年7月29日水曜日

術後十五日

今日から夫がいないので、娘の世話等全て自分でやらなくてはいけません。
朝起きたのは9時過ぎ。
簡単にシャワーを浴び、服を着ました。
服と言ってもジーンズなどのキツイ服は着れないので、下はパジャマパンツ、上は緩めのティーシャツ。

娘を起こし、軽く何か食べさせて10時ごろ家を出ました。
最近はカツラなしで外に出ることが多くなりました。
紙の長さは3cmぐらい。
耳の後ろなどは寝癖がつくようになったので、朝チェックは必修。

ここ2-3日、鼻水がずるずる。
それで咳をしたいんですが、お腹が痛くて思いっきりできない。
どうしてもしたいときは、おへその上を押しながらすると少し楽です。

ところで再建後のおへそですが、Dr.Mに聞いたところ私の元来のおへそだそうです。
夫が言ったように一度下の組織から剥がし、後で縫いつけたみたいです。
「おへそのかたち、気に入らなかったら、ごめんね」とDr.Mに言われました。
もうツギハギだらけの体なので、おへそなんてどうでもいいですが・・・

今日の午後は雷を伴った大雨が降りました。
でも1時間ほど降ってからっと止み、夕方6時ごろにまたザーッと降りました。


今日の夜は体が暑くなる更年期障害みたいのが結構でました。夫がいると絶えずエアコンがついています。今日はなるべくエアコン切ってあるので、そのせいもあるかな。


2009年7月28日火曜日

術後十四日目

今日は夫が出張で南米ペルーに行ってしまいました。
朝娘をデイケアに連れて行ってもらい、1時半には空港へ出発。
行きは夫が運転。
帰りは私が運転。

術後初めて運転しました。
昨日お腹に溜まった水を取ってもらったので、少し楽になりました。

飛んだり跳ねたり走ったりはまだ無理ですが、どうにか歩いたり運転したりといった事はできるようになりました。

Dr.Mにもらったコルセットというか腹巻をほぼ一日中つけていることにしました。
お腹にはまだ少し水が残っている気がします。
自然に吸収されてくれればいいのですが。

明日からは当分、私、娘、犬一匹っきりの生活です。

2009年7月27日月曜日

術後十三日目

今日は形成外科の主治医、Mr.Mのオフィスに。

4時の診察でしたが、早くやってもらえればと3時半にはオフィスに到着。
でも結局4時45分まで呼ばれませんでした。
今日最後の患者だったようです。
夫に「お前はオマケ患者じゃない、きっと」と言われました(汗)

診察室に通されて、しばらくしてDr.Mが入ってきました。
まずは胸に挿入されているマイクロフォンのワイヤーを、Dr.M素手でゆっくり引っ張り出しました。
これはまた傷みもなく、すんなりと抜けました。

銀色の細い糸のようなものの末端に、何やら1x 1.5 mmほどの黒っぽい楕円形のものがついています。実はこれがマイクロフォンということ。超微小でした。

お次は予測どうり、大きな針でお腹に溜まった水を抜いてくれました。
初めにロドケインで下っ腹に局部麻酔を打たれましたが、それはまたチクッと痛かった。

その後はぶっとい針を刺され、でっかいシリンジで水を抜いていきます。


抜いた液は約375ml。
初めは黄色くて少しにごった液体でしたが、途中から少し血が混じって茶色っぽくなりました。
まあよく抜いてもらったほうですが、まだお腹がすこしプヨンプヨンしています。
まだ50mlぐらいは残っているような・・・

Dr.Mによると、10-20%の患者さんが術後にドレインを抜いた後に私のように水が溜まっちゃうことがあるそうです。

最後の管を抜いたあとに、しばらくは体に空いた穴から廃液が漏れるという話でしたが、私はほとんど漏れませんでした。Dr.Mによると、しばらく空いているはずの穴が、私の場合早く治癒しすぎて廃液を出し切れなかったんだとのこと。

今日は家に帰ってきて、すぐに腰巻を締めました。
これ以上お腹に水が溜まると、たまりません。
それに腰巻をしていたほうが、背筋も真っ直ぐになる感じです。

2009年7月26日日曜日

術後十二日目

お腹に水が溜まっていることがわかってから、寝心地の悪い最大の理由がわかったような気がします。

昨夜はなぜか2時間おきに起きてしまい、トイレに行っていました。
膀胱が圧迫されているせいでしょうか。
あんなにトイレに行ったのに、なぜか喉は渇きません。

朝起きて体重計に乗ると、昨夜よりやく1kg減。
それだけ尿の形で水分が抜けちゃったのかな。

手で押すと波打つお腹。
自分で針を刺して、水を抜きたくなります。
Neupogenを自己投与した時に使った針で、やってみようかな~と思ったけれど度胸なし。
変な所を刺しちゃって、緊急医療とかにお世話になるのもちょっとね。

明日はDr.Mとの診察があるので、その時に抜き取ってくれることを期待しています。

2009年7月25日土曜日

術後十一日目

今日は術後はじめて普通の下着をつけ、ストレッチパンツをはきました。
お腹のお肉をとってもらったとはいえ、まだ太鼓っぱらです。
まあもともと痩せていないので、スーパーモデルのような完全にぺったんこなお腹になるなどとは期待していませんでしたが、なんだかプチ妊婦みたいな体型・・・
どうやら術後でお腹がむくんでいる様子。

夜、長椅子にごろんと横になったところ、お腹に変な感覚が走りました。
何かがポニョンと動いた。
ぽっこりしたお腹の上のあたりを指で押してみた。
お腹全体がぽよーんと動きました。
どうやら腹部に水が溜まっているらしい・・・ 

前回Dr.Mにもらった、お腹に巻くベルトと午後中3時間ほどつけていました。
ほんとうは一日一度、2-3時間ほどお腹に巻いておくようにとの支持です。
3-4日、さぼっていました。

夕方は家族でバイキングスタイルの中華料理店へ。
ここはお寿司がなかなかおいしく、毎回すこし変わったアレンジのお寿司なんかが楽しめます。

またついつい食べ過ぎてしまいました。

悟りとは

永平寺第78世貫首。
106才で大往生された宮崎 奕保さん。

NKHの「あの人に会いたい」というシリーズがありますが、たまたま6月に帰国したときに宮崎奕保 さんが取り上げているのを日本で見ました。

動画は下のリンクで見れます。

http://www.youtube.com/watch?v=F2qQN0h4ZMs

深く考えさせられることがありました。

2009年7月24日金曜日

術後十日目

昨日は寝たのが朝二時ごろ。
6時ごろには目が覚めました。
いつものように、術後の傷の上のあたり、皮膚下の筋肉がひきつるように痛い。

なんか今日の朝は娘が早く目を覚ましてしまったようです。
6時すぎには目が開いてしまった様子。
私も夫もまだ眠いので、寝室のテレビで子供番組をつけっぱなし。

朝9時ごろに痛む体をひきずって起きました。
下に下りると半分眠ったような顔をして、娘が椅子に座る夫にコアラのように抱きついていました。
早く起きすぎて、デイケアに行く前にダウンみたいでした。

それでもイチゴなど食べさせて、10時ごろにはデイケアへ。
どうにか目もぱっちりしてくれて、一安心。

今日は学校からのメールで、新学期そうそうある実技の試験のお知らせが。
思えば一年前、ぼちぼち試験勉強をしないとと思っていたら告知され、一年休学の選択をしました。

一年前とほぼ全く同じ内容のメール。

そろそろ勉強モードに持っていかないといけません。
でもずっと家にこもっていると、なかなかやる気がわかない。
せめて普通に歩けるようになれば、コーヒーショップなんかに行って本とか読みたいな。

だから家でがんばって背筋をのばし、突っ張ったお腹を引きずりながら歩行練習をしています。
肩の力をゆるめ、背中を真っ直ぐさせ、お腹をリラックスして歩きます。
なぜかお尻に力が入ります。
そしてお腹のど真ん中に、大きな強力ゴムバンドが組み込まれているような感じがします。
それを引き伸ばしながら立ち上がります。
2-3分歩いていると、疲れてくるので椅子に座りこんでしまいます。

歩くということが結構な運動・・・

それでも3週間後の学校復帰のために、頑張ってリハビリします。

2009年7月23日木曜日

術後九日目

相変わらず腹部のつっぱり感覚と格闘しています。
今日体重計に乗ってみましたが、手術直前より1kg増。

たるんでいたお腹の贅肉を、すべて乳房形成に使ってくれたわけね・・・
無駄なく再利用・・・のようです。

さらに体重1kg増のわけは、ずっと家にいてカロリーを消費しないからでしょうね。
食べ過ぎているつもりもないですが。
水分の取りすぎかな。

やっぱり術後完全復帰したら、運動しないといけません。

2009年7月22日水曜日

術後八日目

昨日は久しぶりに良く眠れたような気がします。
2-3回ほど夜起きましたが、朝9時ぐらいまで寝床でゆったり過ごしました。

今日のお昼はコンソメベースのパスタスープを作ってみました。
野菜をたっぷり入れました。
初めて作ってみたわりには、まあまあだったかな。
好き嫌いが多い夫も食べてくれました。

さて、朝起きてベットに座ろうとすると、お腹の傷跡と再建した右胸の下のあたりがつっぱるように痛みます。

日中は傷口よりも、お腹の中心の胃があるあたりが絶えずつっぱってる感じがします。
皮膚下にあるお腹の筋肉が、ずっと収縮しているかのようです。
御飯を食べた後お腹をさわると、なにやら胃が動くような感覚があります。
なんだか妊娠していたときの感じと少し似ています。

主治医のDr.Mは、これから徐々に姿勢を治していって、お腹の皮がまた伸びるようにと言っていましたが、私的には皮と下の筋肉組織も一緒に伸ばさんと、一生腰を屈めたままになりそうなのです。

              *****

再建手術を終え、一つ謎があります。

それは再建後のおへその実態。

お腹の手術跡の5cmぐらい上に、なにやら縫込みがあってごちゃごちゃしているおへそがあります。横に平たくて、明らかに手術前のおへそと形がちがう。

今日は夫がそのおへそをみて言いました。
「下腹の肉をごっそりとった後、上の皮膚を引っ張ってきてつなげたんだね。
へそをいったん下の組織から剥がしとって、皮膚とご下にずらして縫い付けてあるんじゃないかな」

私的には元来のおへそはもっと下にあったような。
というか、取り除いてもらったぶよぶよの贅肉の真ん中へんにあったような・・・
それで「そうじゃないよ。これはおへそは切り取られちゃって、傷を縫う前にわざと穴を開けておへそみたく作ってくれたんじゃないの」と言いました。

でも自分でそう言ったら、何か無性におかしくなってしまった。
だって手術中に麻酔で眠らされている自分が、意見も言えない工作粘土みたいな存在で、Dr.Mに空き放題に切り刻まれたり、穴をぼこぼこ空けられたりしたかと思うと、自分が情けないというか。その情けなさと言ったら、笑っちゃうほどだったのです。

でもお腹のそこから笑い始めたら、腹部に激痛が。
傷みのために目からはボロボロと涙が。
でも笑いも止まらない。

つられて笑いだす夫に、「お願いだから、笑わせないで。あっち行って~。おねがい~」と泣き笑いしながら懇願しました・・・

笑うことがこんなに苦しいのは、生まれて初めてでした。

2009年7月21日火曜日

術後七日目

日中はそんなに痛みがなくても、夜中に腹部の傷口が痛んで起きたりします。
まだうまく寝返りがうてないので、体の血行が悪くなるのでしょうが、鈍い痛みが腹部を襲います。


昨日は義姉が夜の8時ごろやって来て深夜の3時ごろに家に帰っていったので、鎮痛剤を飲むために1時半ごろから2時間ほど起きていました。


4時ぐらいになってまた寝床に就きますが、なかなか眠れず。
なんだか浅い眠りを何度も繰り返していて、30分おきぐらいに目が覚めます。
自分が寝てるのか、寝てないのか分からないへんな感じがしました。

それでも朝11時ごろ起き、ヤキソバを作りました。

今日の夕方甥っ子が帰ることになっているので、せめて今日のライチぐらいは手作りで食べさせてあげたかった。


午後5時ごろ、空港に向けてみんなで出発しました。

空港のそばにあるバイキングスタイルのレストランで食事をしました。私は術後7日目で、いまだに腰の曲がったおばあさんのような格好であるいています。レストランでも人の視線が気になりました。

でも背筋を伸ばして歩こうとすると、切ったお腹のすぐ上(胃のあたり)がつっぱる感じがしてとてもいやな気分になります。仕方がないから、また腰を曲げて歩いてしまいます。産後のお腹が戻らず、いままでたるみきっていたお腹が、急に縮んだんだから体もびっくりしているようです。

これからは少しずつ、背筋を伸ばすように訓練していかないといけません。腰を曲げて歩くのって、あまり使わない背中の筋肉を使っているようで、結構疲れます。

8時30分のフライトで、甥っ子は無事帰って行きました。14歳の青春まっさかり。貴重な夏休みなのに術後の私を思いやって娘の遊び相手をしてくれました。でも両親から2週間ほど離れてくらしたので、少しは羽をのばせてくれたかな、と思ってやみません。

いろんな人に支えられているなあと感じます。

2009年7月20日月曜日

術後六日目

 腹部から出ていた一本の管は二日前に取れてしまいました。
今日は1時15分に形成外科主治医のDr.Mのオフィスへ。

管を抜くときに痛いといやなので、処方されていた痛み止めの飲み薬を2錠飲んでから家を出ました。でもその薬のそうなのか、なんだか気分がさえない。頭がボーットして疲れが増してしまいました。

Dr.Mのオフィスで腹部の管を抜いて抜いてもらいました。
胸部から出ているマイクロフォンに繋がっているワイヤーはあと一週間そのままだそうです。
体を横にして横たわると、胸の下あたりが引きつる感じがします。
でも傷みは最小限。
うざいのは仕方なし。

最後の管を抜いた後も、廃液がかなり出るでしょうと言われていましたが、夕方ごろにはほとんど廃液も出ていないようでした。かるくパットを当てておくだけで何とかなりそうです。


薬のせいで頭がボーットした感じが午後中ずっと続き、午後のほとんどをうたた寝して過ごしました。

夜になると体調がかなり良くなります。

2009年7月19日日曜日

術後五日目

まだ腹部の痛みや右胸の引きつり感があるのですが、確実に毎日回復に向かっています。
術前からホルモン療法のタモキシフェンは休薬中ですが、たまに更年期障害みたいに暑くなる副作用が出ます。長いガウンを着ているので、あつくなったら足元をめくし上げて対処しています。

術後は経口でデモラルという鎮痛剤とセファレキシンという抗生剤を取るように言われていましたが、今日まですっかり忘れていました。

夫が買ってきたミカンを一つ口に入れたとき、ミカンが喉に触れてむせてしまいました。
これが腹部の術後の傷にとても響きます。
仕方ないので、飲み物を持ってきてもらって喉をしずめようとします。
治まるまでは痛いけど、しょうがない。

前かがみになりながら、歩いたりすることができます。
一人でトイレにも行っています。

食欲はそんなにないけど、夫や甥っ子が作ってくれたものを食べています。
今日の午後は少し台所ですわり、おにぎりなど作りました。

夜にはどうにかシャワーも浴びました。

2009年7月18日土曜日

術後4日目

昨夜は2-3度目がさめてましたが、病院で寝るよりずっと熟睡できた感じでした。

どうにか自分で起き上がってトイレなどにもいけます。

ただし腹部から出ている2本のチューブが、どうやら漏れているようです。

小さな真空タンク管が取り付けてあるものを、全然廃液を吸いだしていない様子。
変りに腹部の下から、廃液がだらだら出てきてしまっています。


しょうがないのでタオルやパットを使って濡れないようにしている次第。

今日は土曜日だし、管が抜けるのは月曜日だって言われたから我慢しかない。

2009年7月17日金曜日

無事退院です

夕方6時半前に主治医のDr.Mが来てくれて、胸に入っていった3本のドレインと、血管モニター用のワイヤーを抜いてくれました。

再建したばかりの胸のサポートに、クリップが前だけについたワイヤーなしのブラを付けてもらいました。

胸の中には実はまだモニター用の小型マイクが残っていて、それに繋がっているワイヤーの一部が胸部から顔を出しています。

腹部に埋めこれられたドレイン管二本はブラブラと体についたまま。

これから2-3日、家で自分で管理をし、月曜日にDr.Mのオフィスに電話を入れて廃液の量を報告し、出きればその日に取ってもらえるんだそうです。

               *****

最後の担当だった看護士のエミリーにIVを全て抜いてもらい、車椅子に乗せてもらって7時半ごろ病室を出ました。

今日の夕方3時ごろから激しい雨がふり、そのおかげで交通にも影響が出たようですが、私たちが病院を出たときは綺麗に晴れていました。

家に帰っても上半身を起こした状態で寝なくてはいけないので、まずはお店で枕など買いに行くことにしました。でもたまたまお店で使えるクーポンが郵送で届いたらしいので、まずは家に。ついでに娘と甥っ子をつれてお店にいきました。

義姉は家にいて、夕飯を作ってくれるということになりました。

まずは枕など売っているお店に。みんなお店に入っていきましたが、私は車の中で待っていました。当分は前かがみで歩かなくてはいけません。それからドレインもぶら下がっているので、外出できる体制ではなさそう。

甥っ子は14歳でビデオゲームなど大好きです。枕を買ったお店のすぐ隣に、中古CDやゲームを売っている店があるので、そこに甥っ子を連れて行ってあげたらどうかと夫に提案しました。夫と甥っ子は30分ぐらいそちらで時間をつぶしました。私と娘は車の中で待っていました。

やっと家に帰ってきたのは9時半ごろ。義姉の作ってくれたスパゲティーをみんなで食べました。

やっぱり家にいれるのはありがたい事です。

少し一息つけました。

JFK ジュニア

病室でぼっとテレビを見ていたら、ちょうど10年前に飛行機事故でなくなった元アメリカ大統領の息子、ジョン・エフ・ケデディー・Jrの報道をしていました。

1999年7月16日の出来事でした。
もう十年もたったの、というのが正直な感想です。

私が渡米したのは2000年の八月なので、ちょうどこちらにくる半年前になくなっています。
皇室などがないアメリカでは、このハンサムで若いJFKジュニアはアメリカの皇太子的存在でした。
生前はハリウッドスターに劣らないくらい、タブロイド誌でも何度も取り上げられえていました。



幼年時代をホワイトハウスで過ごし、平凡な人間には創造もつかない生活を送ったことでしょう。
それでも突然の飛行機事故で、39歳の若さでこの世を去った。

私も現在38歳。
同じ年代なので、とても複雑な気持ちがします。

http://www.thebearypatch.com/jfktribute.htm

地球上に住む全ての人が、いろいろな運命を背負って生まれてきます。

ある人は短い人生の中で大きな事を成し遂げてゆく。

そしてある人は、長生きをして世界で起こる様々な出来事を目撃するチャンスを与えられる。

またある人は、長く行きながら多くの人に影響を与える。



私は自分の運命について全く分かりません。
寿命の長さも誰にも予測できません。

でも最後に「良い人生だった」と思えるように、毎日を大切に過ごしたい。

多くのことを素晴らしい事を目撃しながら、他の人に役立てるような人生にできたらいいなあ。

術後三日目

入院中は血液の凝固を防ぐため、経口でアスピリンと胃酸を押さえる薬。
そして便秘予防として下剤がIVで投与されています。

ホルモン療法薬のタモキシフェンは入院中はひとまずお休み。
退院後に再開します。



術後は便意が全然なかったのですが、下剤のおかげで昨日の夜7時ごろと朝時ごろにトイレに。
さらに今日5時前に目が覚めてから何となく便意が続きます。

必要以上にトイレに行くのもいやなので、今日の朝は下剤を止めてくれました。



やってきた看護士さんは2人の女性で、私と同じ年か5-6歳若い感じでした。
でも二人とも子供が3人いるそうです。
それで出産入院の時、やっぱり下剤を与えられて参ったことがあると話してくれました。
それで下剤ストップはすぐにオッケーがでました。



今日朝8時半ごろ、夫に電話をかけてそろそろ娘が起きる時間だと伝えました。
夫はコンピューターなどやって夜更かししがち。
いっつも2-3時ごろまで起きています。

でも私が家にいられないので、どうしても朝起きてもらって娘をデイケアに連れて行ってもらわなくてはいけません。

いつも病院に見舞いに来てくれるし、あまり無理させたくないけど、もうすぐ退院の予定なのでもう少しの辛抱。


娘も私が家にいないので、おとといの夜は家で大泣きしたようです。
でも昨日の夜、義姉に連れられて病院に来たときはケロッとした顔をしていました。

夜10時近くになると自分から「もうお家かえろう。ママ、ばいばーい」ってな感じでした。

娘もそんなに辛く思っていないかなと思うと、こちらも少し気が楽になりました。

2009年7月16日木曜日

術後二日目

夫が耳栓を買ってきてくれたので、昨夜は少し眠れました。

相変わらず一時間に一回、血管がきちんと通っているかドップラーによる検査のため看護士さんが入ってきましたが、それに気づかず眠ったままだった事も何度かあったようです。

それでもやはり、午前中は何となく頭がボーっとしていました。

特に何もやるきも起きないので、上半身を起こした感じでベットに横たわりうたたねを繰り返していました。

朝の11時ごろ義姉から電話がありました。

甥っ子がスクランブルエッグ、夫が白米を炊いて持ってきてくれるということ。
今日はまだ何も食べていないので(特にお腹もすかないのですが)、楽しみです。

夫が2時ごろに病院に来てくれました。持って来てくれた卵と御飯がとっても美味しかった。

4時ごろにはクラスメートのKがお花をもってお見舞いに来てくれました。彼女も三年生の臨床実習等で忙しいのに貴重な時間を割いて来てくれました。

夕方7時ごろには主治医のDr.Mがやって来ました。手術部位の様子を見てくれて、ドップラーで血管の様子を確認してくれました。ドップラーでの血管音がとてもいいので、病棟にいる他の看護士さんに聞かせるように、私の担当の看護士さんに話していました。 
のちほどDr.Mがレコーダーを持ってきて、ドップラー音を録音していました。教材の目的で録音しておくんだそうです。

再建した右側の胸は放射線の影響で少しいびつな形をしています。まずは今回の手術の傷の回復を待って、多少形を修正するとのことです。おそらく3-6ヶ月先に、日帰り手術みたいな形で処理できるようです。

手術も全てうまくいったようなので、Dr.Mが私の左ほっぺにかるくキスまでしてくれました(笑)。その辺はやっぱりアメリカ人の形成外科の先生らしいです。

夕方には排尿のための管も抜いてもらい、少し立ち上がってトイレに行く事もできました。モルヒネのほうも今日の朝7時ぐらいから自動投与をストップしていたようで、傷みもほとんどないので鎮痛剤に頼らなくてもどうにかなりそうです。

ドップラーによる血管音の検査も、今夜から2時間に一回になるのでまた少しゆっくり眠れるかなと期待しています。

夜の8時半ごろ、義姉と甥っ子が娘を連れて病院に来てくれました。紙に娘と私の顔の絵を描いて、持ってきてくれました。今日はデイケアの後、海に連れて行ってもらったそうで、「今日は楽しかった」といっていました。でも昨日から曇り日が続いていたので、水のほうは少し冷たかったとか。

夜は夫が病院近くにある日本料理店からお寿司を買ってきてくれました。甥っ子も日本食が大好きなので、一緒に食べました。夫と義姉はウエンディーズで買ってきたハンバーガーやフライドポテトを食べていました。娘はチリについてきたクラッカーにしゃぶりついていました。

彼らが帰ったのは9時半ごろ。主治医の話だと明日の夜には退院できるそうなので、いまから楽しみです。

2009年7月15日水曜日

手術当日と術後1日目

 手術当日は4時過ぎに目が覚めました。
4時間ぐらいしか睡眠時間がとれなかったので、まだまだ眠かった!
でも5時半までには病院に行かなくてはならないし、どうせ今日1日は麻酔で眠らされているだけだからと思って頑張って起きました。

サッとシャワーを浴びて下に下りると、何か異様な音が聞こえます。
「なんだろう?」と音の出てくる方向に向かってあるいてみると何と電気式温水器のタンクから、蒸気が漏れています。すぐに二階でいびきをかいている夫に「タンクがもれてるよ!」と言うと、素早く飛び起きました。 

どうやら持ち合わせの工具で漏れを止められましたが、それで時間がロスされて結局病院についたのは5時45分ごろでした。

フロントデスクで聞いてみると、手術は7時半ぐらいにならないと始まらないんだそうです。
ロビーで待っていると隣に座っていた男性の患者さんが、この病院では全ての手術が朝7時半に始まるんだと教えてくれました。

6時過ぎに私の名前が呼ばれ、手術準備室に連れていかれました。
ここで手術用のガウンに着替え、看護士さんがIVの針を入れたりしてくれました。
そして看護士さんが聞いてくる病歴などに関しての質問などに答えたり、血圧や体温の測定などをしました。

しばらくすると麻酔科の先生が入ってきました。
以前に受けたこことのある手術や、今まで麻酔等をされて問題が起きなかったかなどの質問を受けました。

そのあと形成外科の主治医のDr.Mが入ってきました。
今日の手術のマーキングをするためです。
ドナー部位になるおなかに大きくレモン形の図を描き、さらに胸のほうにはドナーを入れる場所を丸っぽい四角形のような形でマーキングを入れてくれました。

その後看護士さんが夫を私のいるプレップルームに連れて来てくれました。
私の着替えや所持品を病院がくれた紙袋にいれ、彼に渡しました。

Dr.Mはすでに夫に今日一日の大体の予定をロビーで話してくれていたようです。
7時半ごろに手術を開始し、まずはドナーとなるお腹の組織を入れる胸部を切開。
それからお腹の組織をとってきて胸部に入れ込むんだそうです。

約10時間のオペになるそうで、Dr.Mはお昼ごろ15分間のブレイクを取るので、そのときに少し夫に手術の経過を説明してくれるんだとか。

しばらくしてまた麻酔科の先生が準備室に入ってきました。
これからIVで「リラックスする薬」というのを入れてくれると言いました。
ほんの少し眠くなるかもと言われ、確かに薬を注入されてすぐに頭がボーットしてきました。

今日は朝4時起きで寝不足だったので、本麻酔をくれるまでちょっとうたた寝しようかなと目をつぶりました。

2分間ぐらい、目をつぶって休んでいたでしょうか。
目が覚めるとなにやら準備室で寝ていたのより小さめのベットに寝かされていました。
それから少し胸の辺りに手を置くと、なにかモコッとした大きな団子のようなものがふれます。
一瞬「おや?」と思いました。
「まさかもう手術が終わったなんて、ありえないよね。」
「でもこのふくらみのようなものはなんだろう。」

でもうたた寝からさめた頭は、まだまだ眠い。
いろいろと考えるのも億劫だったので、もうひと寝入りしてから考えようと思って目を閉じました。

次に目が覚めたのは病棟の個室。
これはやっぱり術後だよ・・・ね、と思いました。
でも手術室に向かった記憶等、まったくありません。
なんだか狐にばかされたような気もちでした。

でも、たしかに胸のふくらみがある・・・
それから、おおお。お腹がへこんどる。

後で夫に聞いたのですが、私が手術室にいたのは約11時間。
放射線療法を受けた右側の胸の癒着がひどくて、組織を剥がしたりするのに時間がかかったとか。

確かに左がわのおっぱいは綺麗に出来上がったみたいですが、右側はちょっといびつです。
主治医の話によると、後で簡単な処理をして形を調節するらしいです。

初めから全くもとの形になるなんて期待はしていなかったので「こんなもんかな」という感じです。
傷みはモルヒネ・ポンプを使っているので、なかなか良くコントロールができています。

胸のほうは全摘以来、皮膚にほとんど感覚がないので痛みもありません。
体を動かしたり咳をする時に痛むのはドナー部分をとってきたお腹のほう。
でも術後1日目の午後には、ベットで静かにしている分はほとんど傷みを感じなくなりました。

手術前日の深夜から絶食が続いていたので、術後目が覚めたときは喉が渇いてしょうがなかった。
看護士さんにたのんで、ジンジャーエールを持ってきてもらいました。
それがまた美味しいこと!
夜は特に食べ物は口にせず、ジンジャーエールを5-6缶のんだでしょうか。

さて、術後つらかったのはお腹の痛みと「眠れないこと」。
私が今回うけたDIEPフラップは、お腹の組織を血管付きで取り出してきて、胸の中にある血管につなぎ合わせるというもの。それで血管がきちんとつながっていないと、移植した組織が壊死してしまうので、30分に一回、ドップラーという機会で動脈のパルスをチェックするのです。術後24時間、夜も容赦なく30分に一回看護士さんがやってきます。再建した胸にプローブのようなものを当てて検査するので、ガウンのボタンを外したりしなくちゃいけない。薄明かりといはいえ電気もつけられるので、やっぱり目が覚めてしまいます。

30分おきに起こされるので熟睡できないし、やっと看護士さんが行ってくれたと思えばIVの機械がピーピーなるし。
それに寝たきりの患者さんの血行を良くするために、ベットが膨らんだり縮んだりを繰り返すとき、ぐわーと大きな音がします。

まったく寝た気になりません。

テレビをつけても集中できないし。
せっかく持ってきた本も読めない。
DVDも見る気にならない。

朝もうとうとをずっと繰り返していました。

お腹の傷も痛いので、おきてはモルヒネの追加ボタンを押し・・・

ある時、ふと目をさまして目の前の壁に飾ってある額縁の絵をみたら、なんか絵が下に向かって落ちてゆく。
眼球が勝手に上下運動しているようです。
これはまずいと思って目をつぶると、モザイク状のタイルのような様々な色の光がみえて、また「やばー、私ってばハイになってるかも」とあせり、結局また無理やり眠りにつきました。

そんでもってモルヒネのやりすぎか、日中は気持ち悪くなったりして。

現在はお腹の痛みもほとんどないので、余分にモルヒネボタンを押すのはやめました。
ただし機械が自動的に一定量のモルヒネをIVで投与してくれています。そのおかげで傷みがコントロールされているんでしょうけど。

術後1日目のお昼過ぎには夫が病院にお見舞いに来てくれました。
お昼を病院内のカフェテリアで頼んだけど、まずくてほとんど食べれなかった。
変わりにグレープジュースなどを沢山のんでいました。

午後の4時半ごろ、看護士さんが2人来てくれて術後初めて椅子に座らせてもらいました。
お腹に大きな傷があるので、前にかがむようにして座っていなくてはいけません。
ベットに寝てるときも完全に仰向けになると傷が開いてしまうため、上半身を高くして寝ています。

椅子には4時間ぐらい座っていたでしょうか。7時ごろには義姉、夫の甥っ子が娘をつれてお見舞いに来てくれました。それから元同僚の友達と彼女の旦那さんも。少し椅子に座っていたら、さらに元気が出たみたいです。術後の肺の機能をよくして肺炎などの予防になるInitiative Spirometer(動機付け肺活量計)を渡されていました。ベットで寝てるときはどう頑張っても1000mlぐらいしか行かなかったけど、椅子に座ったことで2000ml以上まで肺活量が上がり、目標の1500mlを優に超すことができました。

義姉と甥っ子は娘を連れて9時ごろに家へ。
夫はしばらく私の病室にいてくれたのですが、10時ごろ義姉から急に電話が。

どうやら娘が急に泣き出し、止まらなくなったということ。
私が電話に出て娘と話をしました。
そしたらこの前買った浮き輪がしぼんじゃって、膨らまして欲しいと泣いていたようでした。
少し電話で話しをしたら、落ち着いてくれたようでした。

夜遅くなって疲れているのもあるんだろうけど、やっぱり私が側にいてあげられないのが悔しい。

すぐ夫に家に帰ってもらいましたが、やっぱり一刻も早く退院したいです。
やっぱり家が一番。つくずく思いました。 

2009年7月13日月曜日

明日手術です

時がたつのは本当に早いもので、とうとう再建手術うける日がやって来ます。
今夜は深夜以降、食べ物はおろか水も飲めません。
現在、夜の9時半をまわったところですが、10時ごろに自分で作ったお寿司を食べようと思ってます。

明日の朝5時半までに病院につくようにと言われているので、明日は4時起きです。

早く寝られればいいんですが、どうかなあ。
でも寝不足でも、約半日麻酔で眠らされるからいいのかしらん。

やっぱり心配なのは娘です。
私がいなくて寂しがらないかなあって。

でもまずは3-5日の辛抱。
またドレインぶらぶら状態で元気に退院してきます!

            *****

今日は帰国したときにインターネットで予約注文しておいたポニョのDVDが届きました。
母が日本からこちらに転送してくれました。

音声は日本語のみですが、英語字幕が出るように設定できるので、娘、夫、甥っ子と4人でみました。

可愛くって綺麗な作品でした。
特にポニョの表情がコミカルで可愛かった。
娘も大喜びでした。

入院前に一緒に見れて良かったです。

2009年7月12日日曜日

ウオーター・パークへ

今日は夫の甥っ子と娘を連れて市内のウオーター・パークへ。
波のプールやチューブ型の大型すべり台などがあって、かなり楽しめます。

私はカツラなしのモンチッチのような髪型で、胸にパットも入れずペッたんこの胸で堂々と水着を着て行きました。

明らかに乳がん患者なのがバレバレだったのでしょうね、結構人と目が合いました。

それからロッカーのキーを借りようとレンタル・カウンターに立っていたところ、3人の小学生ぐらいの男の子が後ろにとおりかかりました。そのとき「Doesn't she look like a man? (あの人、男みたいじゃない)」と言っているのが聞こえました。私のことかなあ、と一瞬思いました。確かに野球部の男の子みたいな髪型で、女ものの水着きているけれど胸がペッタンこ。知らない人から見たらへんてこな格好かもねえ。

それでも私は気にしません。
乳がんになったけど、別に悪いことしてないもんね。
堂々としてやろうと、反対に思いました。

久しぶりの水遊びは楽しかったです。
でも不覚にも愛用のデジカメを水に落としてしまい、壊してしまいました・・・
明日にでも新しいのを買いに行こうと思っています。

             *****

今日は母親から誕生日おめでとうとのメールが入っていました。
病気の事に関しては「人は誰もが何か背負っているものだから」と書いてありました。
たしかにそうだな、たまには言いこというじゃん、なんて思いました(微笑)。

2009年7月10日金曜日

サプライズ!

昨日病院から帰ってきて家についたのは4時ごろ。
娘も私も帰りの車で眠ってしまいました。
まだ少し時差ぼけの影響で日中眠くなってしまいます。

夕方は義妹が外食しようというので市内にあるアイリッシュ系のレストランへ。
義妹の旦那さんと息子は、一足先にレストランへ行っているとのことで、夫、義妹、娘との4人で6時半ごろ予定のレストランへ。

レストランに入ってすぐの大きなテーブルに、見慣れた顔が・・・
なにやらクラスメートの子たちが5-6人、座ってこちらを見ています。
一瞬「まずい!」と思いました。
だってどうせ内輪だけの外食なので、病院に行ったったときの楽な服装で着替えもせず。
胸にパットもいれず、カツラもつけずだったんです。
もーどうにでもなれの格好だったのに、学校の友達に見られるとはなんという不覚!と思いました。

さらに「うーん、私を差し置いてみんなでこんなとこでディナーですかい」と思っていると、みんなが立ち上がって私のほうにやってきて「お誕生日おめでとー」ときた。
私は「????」状態。
「えーっと、私の誕生日は12日なんだけどなあ。今日は9日じゃない?」などとほざいてしまった。

結局はこれ、私の誕生日のサプライズ・パーティだったのです。
義姉の旦那さんは仕事でDJをやっているのですが、レストランにあるステージにカラオケまでセットしてくれて。

レストランの奥にはチョコレート・フォンジュと大きなバースデーケーキが。


38年間の人生のなかで、自分のサプライズパーティなんて始めてでした。
まさかただの家族の外食のはずが、私のためのパーティーだったとは。                                                                                                                                                                                                                                      
どう反応していいのか、分かりませんでした。
だからもう堂々と楽しむことにしました(笑)。

でも臨床実習で忙しいなか、みんなが集まってくれたのがとても嬉かった。
以前働いていた病院の元同僚も一人駆けつけてくれました。

後で聞いたらここ1-2日で全てアレンジしてくれたらしく、みんな急なのに来てくれたみたいです。プレゼントも彼らが2年生の時に使ったキストの使い古しや、「二年生の勉強のアドバイス」と題して描いてくれたメモなど。きっとプレゼントを買う暇もなかったんだと思います。でもお金をかけなくても皆が私を思ってくれる気持ちがしっかり伝わりました。蛍光ペンで線があちこち引っ張ってある参考書をプレゼントされるなんて、メディカルスクールじゃなければ味わえない事かもしれません(笑)。

アイリッシュのレストランなので、「チキンと長ねぎのパイ」というのを頼みました。
これがすっごく美味しかった。

カラオケも用意してくれたので、私も簡単なのを3曲ほど歌いました。

忘れない夜になりました。 

みんなで病院へ

今日まで夫の妹家族が遊びに来ていました。

実は夫の甥っ子がこちらの病院にかかっているので、2年前に骨折したかかとの再診が目的でやってきたのです。

昨日は私も同じ病院で腫瘍内科医のDr.Lと放射線科のDr.Nの診察があったので、義妹、甥っ子、夫、妹とみんなそろって病院へ。

私の最初の診察が1時だったので、娘を義妹に預けて夫と腫瘍内科のクリニックへ。
ホルモン療法を始めて1ヶ月ほどたつので、そのフォローアップでした。

更年期障害のような症状が稀に出るぐらいで、特に気になる副作用が出ていないことを告げました。

実はアメリカでは術後の画像スクリーニング(CT、骨シンチ等)は標準化されていません。
調査結果などでは画像スクリーニングをして転移巣を早く認めたところで、生存率が改善するものではないそうです。だから基本的には症状が出てからCTなどの検査をして再発してないか確かめるんだそうです。

ただ私は年齢もまだ若いし、ステージもIIIAなのでCTを一年に一回とってもいいのではないかと言われました。ただしDr.Lは来月に私の病院を去ることになっているので、詳しくは次に担当になる主治医と相談して下さいとのことです。

まあ化学療法など終了しているので、くぎりはいいんですが、やっぱり主治医が変わるというのは少し複雑な感じがしました。

次にくる先生はデューク大学でフェローを終えたばかりの優秀な先生らしいのですが、気が合う人だといいなーと思います。

その後、2時半ごろに放射線科へ。

実は放射線科の主治医だったDr.Mも、この病院を後にしたばかり。今日は新しい主治医のDr.Nが見てくださいました。Dr.Nは以前にもDr.Mの代わりに診てくれて、病気の事意外にも学校や進路のアドバイスまでしてくれてすごく良い先生です。 

Dr.Mも優秀な先生でしたが、どちらかというとかなりドライな人でした。あまり無駄話とかしない人。Dr.Nはとっても気さくな方で、私の父の病状なんかの話も聞いてくれます。だから新しい主治医がDr.Nになったときは嬉しかったです。

今日は放射線療法した左側の胸に、2箇所ほど硬く触れるところがあるので質問してみました。するとおそらく放射線でダメージをうけた脂肪か筋肉組織だろうとのこと。手術や放射線のあとは思いがけなく治療部分が変化します。やっぱり新しい自分の体を良く知っておくのは大切だな、とつくずく思いました。

腫瘍内科と放射線科両方とも、次回の診察は9月か10月になります。

2009年7月5日日曜日

独立記念日

7月4日はアメリカの独立記念日です。

昨夜は家の近くの大きな公園でいろんなイベントや花火が行なわれていたので行って来ました。
子供用に大きな膨らまし型のトランポリン、すべり台など出ていて娘は喜んで遊んでいました。

7時ごろになると野外コンサートが始まり、9時半になるとアメリカの国家の演奏が始まって花火が始まりました。多くの人が国家が流れると立ち上がり、敬意を示すのはアメリカらしいです。

花火自体は日本のほうが見事です。
でも今回は公園でゆったりと、真近で見れたので満足でした。

娘は時差ぼけのため、花火が始まる1時間ほど前に眠ってしまいました。
おかげでじっくり花火が楽しめました(^-^)

2009年7月3日金曜日

Dr.M との診察

日本に帰ってきてそうそう、昨日は形成外科医のDr.Mとのアポイントがありました。

基本的にはPre-Opといって、手術当日の予定や手術前の注意事項などを確認するためです。


再建の手術日は7月14日。 

もう少しのばしても良いのですが、手術後は3-5日間入院。そして完全復帰まで4-6週間かかるのだとか。8月に学校に復帰した後は手術して完全に回復するまでゆっくりする時間がとれそうもないので、思い切ってこの夏手術を受けることにしました。

診察の際、放射線治療のために右側にできたかさぶたのようなもの (keratosis) があるのを指摘されました。それで手術日まで毎日、クリームを塗って手入れをするようにと支持が出ました。

それから最近気になっていたのは放射線の後に厚ぼったくなってしまった手術跡の右下の部分。皮膚の下に硬いしこりのように触れることもあります。それから右脇の下の前のあたりにも硬いしこりのようなものが触れます。Dr.Mによるとこれは放射線によって焼きついてしまった脂肪組織とのこと。同じくマッサージすることで改善されるそうです。
             
今日はいろんな角度から写真も取られました。
さあ、2週間後にはどうなっていることやら。

お約束です

たっぷり日本を満喫した後は、必ず待っている「時差ぼけ」。
私の住むアメリカ東海岸は、日本と現在13時間の時差があります。
すなわち昼と夜が全く逆転してるんです。

大人だったら日中は眠くてもうたた寝するぐらいで頑張って起きていて、夜になったらガーっと寝て時差ぼけ解消を自主的に治していくことができますが、小さい子供はそうは行きません。眠くなかったら寝ないし、疲れていれば誰が何と言おうと眠ってしまいます。

娘は今日の朝6時前に起床。
そして午後の3時、私が形成外科医のDr.Mとの診察があったので車に乗っていたら眠ってしまいました。そして起きたのは夜の10時。

現在午前5時ですが、私も娘も目がパッチリ。
しょうがないので日本で録画した子供番組を見ています。            

2009年7月2日木曜日

丸一年を迎えました

7月2日の朝が明けました。

時差ぼけの関係で、私も娘も6時半ぐらいに目がパッチリ覚めました。

外はまぶしいばかりの晴天です。



そして今日は私にとってある意味新しい出発の日。
実は昨日(7月1日)は私の告知の日でした。

昨日は1日中、飛行機を乗り継いでアメリカに帰ってきました。

成田を出発したのが7月1日の午後3時5分。

そしてアメリカの最終目的地に着いたのも7月1日の午後7時ごろ。


つまり私にとって、7月1日は24時間以上あるちょっと特別な日でした。
一年たった今、自分が元気でいることに深く感謝した1日でした。



髪の毛も1.5cmぐらいに生えそろい、モンチッチみたいですが(古い!)ベリーショートぐらいの長さがあります。


今日はカツラなしで、堂々と外に出てみようかなと思います。

あっという間の4週間でした

今日無事アメリカ東海岸に帰ってきました。

日本にはまる一ヶ月いたのですが、正直言ってあと3ヶ月ぐらい居たかったです。


いつもはうっとうしいなと思う梅雨も、今回は心地良くさえ思えました。
特に静まりかえった深夜にシトシトと降る雨には、心の底から癒されました。

今回は娘を連れていろんなところに行きました。
4歳になったので、行動範囲が広くなったなあと思いました。

そして今回のハイライトの一つは術後3週間もたたないというのに、会って下さったお友達の小梅さん。

じつはブログを通してお知り合いになったお友達に会うのはこれが初めてでした。
「どんな方かなー」と思いきや、小梅さんはとってもチャーミングで笑顔のかわいい方。
話題は病気のことが中心になると思っていたのですが、家族のことや生活のことなどなど、いろいろなお話ができました。
そして医療の話題ではいろいろと熱く語ってくださった、立派なナースさんでした。

小梅さんは「何のとりとめのない話でもいい、ただずっと一緒にいたい」と思わせてくれる方。
一緒にいるだけで癒されるんです。不思議な方だなーって思いました。

お会いしたのは品川にあるエプソン品川アクアスタジアムで、ランチと水族館のセットという素敵なプラン。

レストラン内は水槽に囲まれた中で優雅にランチ。とっても美味しいお食事でした!

そして水族館ではイルカとアシカのショーを一緒に見ました。
娘も大喜び。
アシカのショーが終わってみんなで階段を下りたところで、娘がふっと小梅さんの手を握って歩こうとしたのが印象的でした。いつもはシャイな娘が本当に自然に、小梅さんの手を握ったのです。ちょっと不思議な瞬間でした。

術後間もないのに、私と娘におみやげまで用意してくださった小梅さん。
私には素敵なピンクの扇子セットとかわいい四葉のクローバーのハンカチを、娘にはすっごくキュートなハンドバック、メモ帳セット、はんかちをいただきました。どれも末永く愛用させていただきます!