2009年2月27日金曜日

学校へ

またまた穏やかな気持ちの良い日。 

メディカル・スクール三年目に臨床研修のロテーションが始まります。
今日はその説明会がランチに開かれたので学校へ。

私は一年休学しているので、7月から始まる研修には参加できません。でも現在二年に在籍ということになっているので、説明会は参加可能。目的は三年の研修についてちょっと知ること、友達に会うこと・・・それとフリーのランチ。

フリーのランチといってもメニューは配達ピザ。
いつものマンネリメニューですが、お金を切り詰めて暮らしている医学生にはフリーランチは外せません。だから「フリーランチあり」と宣伝すると、学生が集まってきます。
私が学校に着いた時には、説明会が開かれる講堂の前に生徒が列を成して待っていました。
久しぶりに学校に顔を出した私を見て「元気?」とみんなが声をかけてくれました。
 
説明会はランチタイムの一時間ほどでしたが、内容はたいしたことなく。
でも久しぶりに友達と肩を並べて講堂の椅子に座り、みんなの顔もみれたし。
講堂を出るときに教育担当の副学長のDr.Pと話もできました。


説明会の後は友達4人がやっているスタディー・グループに参加しました。
アメリカの医師国家試験は三本仕掛け。
STEP1といわれる一つ目をメディカル・スクール2年次終了後、6月頃に受けます。
これを合格しないと三年の臨床実習にも参加できません。
落ちると再受験できますが、2回目でも合格しない場合は学校を退学させられるという話も。
このスタディー・グループはその国家試験のための勉強会です。
 
勉強会のあとはStudent Affairsのオフィスへ。副学長のDr.Sに顔を見せてきました。
今の治療経過の報告をすると、いつもどうり気さくに聞いてくれました。
まずは私が元気そうなのでとても喜んでくれました。
 
思えば日本で告知され、病気の進行状態も分からないままアメリカに帰って来た去年の夏。
もしかしたら学校を続けられないと考えて、Dr.Sに相談に行きました。
べそをかきながら話をして、Dr.Sはティッシュの箱を薦めてくれ、親身になって話を聞いてくれました。
 
病気になってしなったことはキャンセルできない事実だし、まだ長い治療が待っています。
でも告知直前の自分と比べ、今は精神的にも落ち着きを取り戻しています。
やっと自分の病気の事が詳しく分かるようになり、いろんな人にも励ましや知識をもらいました。
これから何が待ち受けていようとも、自分なりの戦い方を見出していけると思えるようになりました。


「前に会ったときは悲しそうで大変だったけど、今日は元気そう良かった」とDr.S。
そして「今日このニコニコした明るい顔を、君のイメージとして覚えておくから」と別れ際に言ってくれました。
 
私もこれから辛いことがあっても、生きている事に感謝しながら明るい顔を保って行きたい。
これからの目標の一つにします。
  
                 * * * * *
 
夕方は新しくできたバイキングスタイルの中華料理店へ。
アメリカも不況なので、食べ放題のレストランが大流行です。
今日もとても混んでいて、20分ぐらい待たされました。でもたらふく食べました。
 
家に帰る前に、家のそばにあるKマートへ。
食材から電気製品まで売っている大きなお店なのですが、不況のため閉店セールをしていました。
全ての品が10-20%オフ。
私もMP3プレーヤー、チョコレート、子供のDVDなどを購入。 

閉店の理由は、オーナーが店の建物のリース契約を延期しない事にしたと、レジのおばさんが言っていました。 

このお店は家に近いので、便利に使ってたので少し残念。
停滞する経済のおかげで、今まで健在だった大きなチェーン店も閉店せざるを得ないのが現状のようです。

小さなお店や中小企業はもっと大変なんでしょうね。

2009年2月25日水曜日

タキソール投与7回目

今日は第七回目のウイークリータキソール投与に行ってきました。
 
まず朝9時に腫瘍内科医のDr.D (年末に結婚されたのでDr.Lと名前が変わりましたが)との診察がありました。
副作用は特に脱毛以外にないので、順調であることを報告。
 
それから確認事項として、タモキシフェンを開始できるのはいつかと尋ねました。
化学療法終了後すぐに放射線療法と同時に開始してもいいが、放射線治療の際に疲れなどの症状がでる可能性があるので、タモキシフェンの副作用なのか放射線療法の影響なのか分かりにくくなる可能性があるため、基本的には放射線療法終了後に開始ということ。
 
また従来は骨転移の際に投与されるゾメタを術後療法として投与すると、再発率が低くなるというデータ結果をよみました。そこでタモキシフェンと同時にゾメタを打ってもらうか聞きました。
 
まずこのデータに関しては閉経前のホルモン陽性患者に関し、タモキシフェン及びゾラデックス等のLH-RHアナログ薬を投与された場合、ゾメタを投与すると再発率が減るという結果だそうです。ただ腫瘍内科医の間では、エビデンスが飛び切り強いものではなく、標準治療としては認められていないということ。アメリカの医師は「エビデンス」重視が強いので、こちらが希望しても強い根拠が無ければいろいろ試させてもらえないのかな、という印象を受けました。さらにゾメタは腎不全や下顎壊死などの副作用もあるので、気軽に投与するべきでは無いと言う意見でした。
 
ただし化学療法を終えたところで生理が止まらない場合、ゾラデックスで卵巣機能をストップさせるそうです。若い年で無理やり卵巣機能をストップさせると、女性ホルモンが激減するため、骨粗しょう症になりやすくなります。そこでゾラデックスをやるならば骨を丈夫にするためゾメタを打ってくれるそうです。
 
いずれにせよ即刻答えがでるものではなさそう。
 
さて、化学療法を受けるインフュージョン・センターの予約は12時半。
Dr. Dとの診察は10時には終わってしまったので、時間つぶしに病院内のフードコートに行きました。
夫がまだワシントンD.C.に行っていないので、今日はひとりぼっち。
いつもは夫が買ってきえくれるチキン・サンドを注文して食べました。


時間をもてあましてしまい、インフュージョンセンターには少し早めの12時に行きました。
5分ぐらい待たされてからナースの人が部屋に連れて行ってくれました。

今日のナースはおしゃべり好きでいつもケラケラ笑っている明るいフィリピン人の女性。相変わらず「子供は元気~」と人懐っこく話かけてきてくれます。

連れて行かれた部屋には50代おわりか60代初めぐらいの女性が一人、座って治療を受けていました。ナースが「手術後はどうだった」というので手術の話になりました。

再建の話になると、もう一人の患者さんが「私もお腹から自家移植だったのよ」といって、立ち上がり私達のところによってきました。そして急にシャツを上にめくりあげ「ほら、みて」と言いって再建されたおっぱいを私達の前でぺロッ。ナースは「ちょっとまって~え」と言って、廊下側の窓にかかったブラインドをすばやく下ろし、部屋に入ってこようとしたブラックの男の子(今日の担当のテクニシャン)に「今はだめだめ~」とドアも慌ててしめました。

患者のおばさまは「わたしゃ気にしないよ」という顔で、左側の摘出しなかった胸もみせてくれました。左には当然ですが乳首は残っていましたが、再建した、右側にはなし。とにかくおっぱいの膨らみが欲しかったので、乳首は再建しなかったし、刺青などもいれなかったそうです。再建した右側のおっぱいは左と比べて一回り大きく、ふっくらしていました。よく見ると元来乳首がある場所の2cm上部ぐらいに15cmぐらいの傷跡がありますが、あまり目立ちません。

私もエイとばかり、セーターを襟首部分からぐいと押し下げ、手術あとを見せました。「私両方ないので、こんなんですよー」といったら、彼女の再建する前の右胸もぺったんこだったと教えてくれました。

ナースがブラインドを開いたあと、しばらくしてテクニッシャンの男の子が入ってきました。「いったい何だったの?」と尋ねる男の子にナースは

「えーとね、ショーよ。じゃなかった、サポート・グループよ、サポート・グループ!」といって笑っていました。
 
いつもどうりポートに針を指してもらって採血。そして薬が届くのを待って投与が始まりました。
前薬の投与が終わるってすぐ、いつものように爆睡。
3時ごろに目がさめて、看護婦さんに「もう終わり?」と聞くと
「終わったけど、まだ寝てたくない?おきて大丈夫?運転できる?」と気を使ってくれました。
別にふらふらした感じもないので、目を覚まして針を抜いてもらいました。

テレビではジャッキー・チェンとジェット・リー主演の「「ドラゴン・キングダム」のDVDを流していて、もう終わりのクライマックス・シーンでした。他の部屋から2人の若いテクニシャンと車椅子に乗った患者さんがやってきて、一緒に映画のラスト15分ぐらいを見ました。テクニシャンの一人は中国人系アメリカ人なので、この映画のことに詳しくて、ジャッキーチェンのファンらしく、「ここでこれ観てるの知ってたら、もっと早く来るんだった。」と言っていました。私は「知ってたら仕事放棄して見ちゃったんじゃない?私も今日はキモしよーなんて言って、患者用の椅子にどすーんと座ったりして」などとジョークを言ったらみんなが笑いました。
 
昨日クラスメートの子からメールをもらいました。
学校にある私のメールボックス。休学中なのでしばらくチェックしてないですが、なにやらいろいろ入っているらしい。
 
そこで少し時間があったので病院から帰る途中、学校に寄ってきました。
 
うーん、確かに去年の10月から一度もチェックしていなかったメールボックス。
なにやらいろんな物がつまっていました。
ほとんどは重要でないチラシとか、一回目さらっとを通せば十分な学校のニュースレターとか。
所属しているクラブのTシャツとかも所狭しと突っ込んでありました。

一つだけ、意外なものが入っていました。
クラスメートの子がクリスマス前に入れてくれたようです。
乳がんのシンボルであるピンクリボンのオーナメント。
鉄製のものでなかなか立派で綺麗です。
売り上げの10%は乳がん研究のため寄付されるそうです。

実はおはずかしいながら、我が家にはまだクリスマスツリーが飾ってあります・・・
子供が大変気に入っているので、というのは口実。
片付けるのが面倒なので、ずるずると出しっぱなしになってしまっているのです。 

せっかくもらったオーナメント、クリスマスには間に合わなかったので、せめてツリーにつる下げます。
あと1-2週間ぐらい、オーナメントを楽しんでからツリーを片付けよっと。

2009年2月20日金曜日

乳がん転移をストップする物質

今年2月9日付けで、興味ある記事を見つけました。

筑波大学の柳沢純教授率いる研究チームが、「CHIP」と呼ばれるたんぱく質を発見。
このたんぱく質が乳がん転移を抑制するというもの。
 
「CHIP」は正常な乳腺細胞に含まれ、発ガンを促すタンパク質に「破壊せよ」との印をつける役目があるとのこと。「CHIP」の標識により悪性と認識されたタンパク質は、他の酵素によって分解させれ、がん細胞の増殖と転移が抑制されるというもの。

この「CHIP」が乳がんの新薬の可能性として語られていました。

世界中で積極的に行われている乳がんの研究と新薬の開発。
今年は一発日本から、世界中が驚くような発見があるといいな。
 
一日でも早く乳がんを完治できる治療法ができて、乳がんと戦う全ての患者さんと一緒に祝杯をあげたいなと毎日思っているうなです。

乳がんは必ず「治る病気」になる。
私は強く信じています。


日本語の記事はこちらから
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20090209-OYT8T00447.htm

英語の記事はこちらから
http://www.ecancermedicalscience.com/news-insider-news.asp?itemId=413
http://www.intent.com/blog/2009/02/10/enzyme-shows-promise-preventing-breast-cancer
http://news.yahoo.com/s/nm/20090209/sc_nm/us_cancer_breast

2009年2月19日木曜日

やっぱり禿げてきた

術前化学療法を終えて3ヶ月ほどでやっとモンチッチぐらいにのびてきた髪の毛。
 
ウイークリー・タキソール4回目ぐらいでも抜ける兆しはなかったのに。
ここ2週間ほどでボロボロ抜け始め、今はかなり薄くなりました。

うーん、まだ6回も投与が残っているので、この勢いだと最後はまた丸刈りでしょう。

看護婦さんが「タキソールはACみたいに、つるつるになんないよ」なんて言ってたけど。
 
うそだーあ。

2009年2月17日火曜日

タキソール投与六回目


今日は六回目のウイークリ・タキソール投与に行ってきました。
 
今日は外は少し気温が低く、風が冷たい一日でした。
でも空は晴れていて空気が綺麗。
春はもうすぐ、という感じです。

今日の予約は12時半だったので、朝娘をデイケアに連れて行ったあと、家に帰ってきてご飯をゆっくり食べる余裕がありました。
 
そして予定どうり12時半に病院へ。
 
今夫がまた留守なので、いつも楽しみにしているチキン・サンドは食べれなかったけど、お腹は満タンだったので文句なし。 
 
今回も投与中はぐっすり眠ってしまいました。

特に変わったことなく、無事3時前に終了。


今日は面白い物を目にしました。
私が点滴を受けている部屋のすぐ外の壁に、ベルが取り付けてあります。これは治療を一通り終えた患者さんが鳴らすもの。

ガラン・ガランと男の人が鳴らしているから何かと思ったら、看護士やテクニッシャンの人たちが「アー、今日で終わりなんだ。よかったねえ」などと声をかけていました。
 
それからまた一時間ほど後に女の患者さんが一人、ガランガランとやっていました。




今日合計12回クールの6回目を終えたので、私もやっと折り返し地点です。

2009年2月16日月曜日

誓い

義父の従弟にあたるMDおじさんが、先週亡くなり、お別れをするために週末は義父の住む州へ行ってきました。

MDおじさんの家族は、とてもフレンドリーな方たち。夫は小さい時は夏などこの家族と一緒に過ごしたりして、沢山の楽しい思い出があるそうです。秋にある「リユニオン」では家族や従弟達、従弟の従弟達、などなどいわゆるextended familyが50人ほど集まるイベントがあるのですが、そのリユニオンも毎年この家族の主催です。私はこの義父のふるさとの州で結婚式をしたのですが、披露宴を終えてウエディングドレスを着たままMDおじさんの家に行き、リビングに座ってお話したことを覚えています。 

MDおじさんは享年85歳。最後の数年はアルツハイマー症で、自分の娘の顔も分からなくなってしまいました。でも第二次世界大戦を生き抜き、学校も日本で言う中学2年生までしか行けませんでした。それでも地元のコダックで一生懸命働き、幸せな家庭を築いたのです。アルツハイマー症が進み、子供や孫の顔が分からなくなっても、最後まできちんと覚えていたのは61年間寄り添った奥さんのLおばさんでした。

お葬式にも、親戚や地元の人たちなど大勢の人がおとずれました。

こちらのお葬式って、日本のようにシメヤカでもないんです。義父のすむ州は田舎で、ほぼみんなクリスチャンですが、神父さんの話や親戚によるスピーチも、ジョークまじりなので、時々笑声がこぼれます。MDおじさんもとっても優しい、にこやかな方だったので、みんなの笑い声を聞いて天国で微笑んでいたと思います。

お葬式が終わって印象的だったのは、義父ともう一人同じぐらいの年代の親戚の男性が、席を立ち上がったときに交わした言葉。

「次は僕ら達かもしれないね・・・」

彼らは死ぬ時は神に召される時だ、と深く信じています。だから時が来れば神様の導きに従ってこの世を後にするだけだと。
私はそれは悪くない行き方かもな、と時に思ったりもするのです。

翌日は埋葬式が営まれました。MDおじさんは第二次世界大戦に参戦したので、地元の退役軍人の組織の人たちがユニフォームを着てあつまり、お別れの儀式をしてくれました。MDおじさんの棺の前で2人の退役軍人の方がスピーチ、そして牧師さんのスピーチと進み、外では射撃班による鉄砲が鳴り響きました。その後tapsと呼ばれる永別のラッパ演奏。すすり泣きが聞こえました。最後に退役軍人によって畳まれた国旗が未亡人となったLおばさんに渡され、外でラッパと鉄砲を担当した人たちが入ってきて身内の人と握手を交わし、式が終了しました。

http://www.youtube.com/watch?v=19yjoUfbZtw&feature=related



埋葬式の後、私達は義父の家に帰り帰宅の支度をしました。義父は再婚相手のおばさんと二人暮らしですが、このおばさんも言語障害などあって体調もあまりよくありません。私達が遊びにきて去る時に、しばしば義父は涙をうかべます。いつもかわいそうになります。

義父は私のことをとても心配してくれています。
今回も別れ際に私の両腰に手をかけながら(そうです、ぎこちない格好で身動きなくなった)

「体に気をつけて。あの子が大きくなって一人前になるまで、良いお手本でいてあげなさい」

と、目に涙をうかべて言うのです。

私は、

「私は大丈夫です。あの子が大きくなるまで、きちんと育てます。必ず。約束します」

と答えました。

「娘が大きくなるまで、ここにいる。責任をもって育てる」

これは既に私が立てていた誓いでもあります。何があっても、どんな姿になっても、あの子が一人で迷わずに歩いていけるまで、私はずっとここにいます。

2009年2月13日金曜日

バレンタインデー

アメリカのバレンタインデーには、学校のクラスメートなどにカードや飴を送ります。
別に女の子から男の子だけでなく、男子女子関係なく交換します。

娘のデイケアでも今日バレンタインデー・パーティーがありました。
昨日作ったバレンタイン用の箱に、カードや飴をいっぱいもらって帰ってきました。

「今日はたのしかった」と喜んでいました。

2009年2月12日木曜日

さわやかな甘い風

今日もとても穏やかな一日。
とても二月の気候とは思えません。
 
外は春のように暖かく、人々も半袖姿で外に出ています。
 
お昼前に郵便局に用事を足しにいき、パネラブレッドでチキン・スープと紅茶でお昼。


家に帰ったら夫がリビングの窓を開けてくれていました。 
 
椅子に座って本を読んでいると、外から体を優しく包んでくれるような爽やかな風が入ってきました。一足はやく来た春の風。うっとりしてしまうぐらい、本当に気持ちいい。

生きているのが本当にありがたい、と思わせてくれる風でした。

2009年2月11日水曜日

うれしいラーメン、でも・・・

ワシントンD.C.に行った時、アジア・マーケットで買ってきた生めんの中華三昧。
今日はキャベツと人参を煮て、野菜たっぷり卵まるごとのラーメンにしました。
できたときはうれしくって、「いっただきまーす」と言って食べたのですが・・・

なんか味気ない・・・
 
そういえば朝一番に食べたアイスも味が薄い気がしました。

やはり味覚障害が出てきたのでしょうか。うーん、まだ化学療法も半分終わってないのにな。

でも元気があるだけでも、十分感謝です。

2009年2月10日火曜日

タキソール投与五回目

今日行って来ました。

今日はとても混んでいたようでした。11時半の予約で、少し待たされたあと部屋に通されました。

看護士さんは投与三回目の時とおなじ女性の方。

この人、ポートに針を刺すのが上手なのか、刺される時にほどんど痛みがなかったです。

また夫がケンタのチキンサンドセットを買ってきてくれたので、たいらげました。
今日はフライドポテトじゃなくってコールスローを食べました。
 
うちの病院にはテクニシャンも沢山いて、ポートにアクセスしたり血圧を測ってくれたりします。
今日血圧を測ってくれたテクニシャンは男の子で、胸に白いリボンのピンをつけていました。
乳がんはピンクリボンですが、白リボンって何か知らなかったので聞いてみると「肺がん」の早期発見シンボルだそうです。
 
前投与薬でやっぱり眠くなり、治療中はぐっすり。
2時半ごろ「終わりましたよー」と起こされました。
抜くときも普通はチクッとするんですが、今日は痛み何もなし。
思わず看護士さんに「じょうずですね」なんて言ってしまった。
「どうもありがとう」の答えでした。
 
夫は私の治療中、病院の外で時間つぶししていたので私は外のロビーで待っていました。
つまらなかったので病院内のフードコートに行って夫に終わったことを報告。
3時過ぎごろに来てくれました。
 
今回も無事終わりました。
次回は投与6回目。やっと折り返し地点になります。

2009年2月9日月曜日

放射線科医との診察

今日は放射線科の主治医のDr.Mに会いに病院へ。
 
15分前に病院につき、10時からの診察のはずが呼ばれたのは10時45分ごろ。一時間ぐらい待たされました。でも特に忙しくもないのでいいか、という感じ。

化学療法と放射線の同時進行の話をしました。Mr.Mは化学療法と放射線を行うと、骨髄抑制が強く現れるので薦めないということです。化学療法と放射線を併用すると、再発率が低下するという記事を2-3読んだものの、まだエビデンスは弱いらしいです。
 
その代わり、化学療法を終了してからすぐ放射線療法をやってくれるということでした。当初は化学療法終了後、回復期として5-6週間の無治療期間が必要と言われていました。Mr.Mは私の調子さえよければ、1-2週間後に放射線治療をスタートしてもオッケーということでした。

今日もいい天気でした。

2009年2月8日日曜日

お腹の中で

今日も春のような一日でした。

「子供は小さいころ、母親の中にいたのを覚えている。2-3歳になって言葉をしゃれべるようになると、お腹にいたときのことを話せる子もいる」と本で読んだことがあります。その本には3歳の子が「お母さんのお腹の中で泳いでいたよ。プクン、プクンと気持ちよかったよ」と答えた話がのっていました。私もずっとこの「お母さんのお腹で何してた?」という質問をしてみたかったのです。

うちの娘は言葉が出るのが早いほうでなかったので、3才になっても聞けず。
やっと4歳になってどうにか言葉のキャッチボールができるできるようになりました。
 
そこで今日、例の質問をしてみました。

私:「ねえ、ママのお腹の中にいたときのこと覚えてる?」

娘:「うん」  (よしよし、覚えてるみたい!)

私:「ママのお腹の中でなにしてた?」 (どきどき)

娘:「えっとー。。。 おなら!」

私:「。。。」

 
じぇーんじぇん覚えていませんでした。
やっぱり4歳まで待ったのが遅すぎたのか。

まあ、すくすく育っているのでいいですけど。。。

2009年2月7日土曜日

春のような一日

まさに雲ひとつない空。

外は半袖で出歩いてもよいくらいの穏やかな日でした。

こんな陽気の良い日は家にいたら罰当たりと、娘をつれて外出しました。

夫はまた姉の車の調子が悪いというのでワシントンDCへ。

だから二人だけの気楽な週末です。


家のそばに、大きなインターナショナル・マーケットができました。

基本的には韓国のお店ですが、日本の食材もかなり豊富においてあります。

結構いきの良さそうな魚や、ふつうの店にはおいていないアジア系の野菜などもおいていてすごい便利です。

いままでは日本の食材をおいている小さいお店に行っていましたが、ここに来れば全て欲しいものが手にはいります。
 
子供も日本のお菓子をみて大喜びです。

                        ちょっと見ると普通の日本のスーパーみたいでしょう。

でも商品は海外向けなので、箱には日本語と英語で名前や調理法など表記してあります。


さてお店でお菓子と餃子の皮を買ったあと、あまりにも天気がいいのでビーチへ。
 
「スペシャル・オリンピク」というイベントをやっていて、かなり人が来ていました。

道路には自転車をこいでいる人や、水着姿の人まで。

でもビーチは海風が吹いて、すこしひんやりしていました。

海辺をほんの少し娘と歩き、帰ってきました。



娘は疲れたのか、家に帰る途中眠ってしまいました。

起こすのもなんなので、家のそばのスターバックスのドライブするーでカフェ・ラテを注文。

お店のすぐ前の駐車場で車をとめ、娘をねかせたまま私はつかの間のコーヒーブレイク。

音楽を聴きながら車のそとをボーっと眺めて一時間ぐらい。
 
相変わらず雲ひとつない空に、白い月もうかんでいました。遠くの空には白い飛行機雲を引いてはしるジャンボがみえ、楽しそうに飛ぶ2匹のカモメをぼんやりみていました。

本当に穏やかな時が流れていました。
このまま真っ青な空にすいこまれたいような気持ちになってしまいました。

2009年2月5日木曜日

私の母が好きな東山魁夷の「道」。

人はこの作品をみるとき、自分の歩いてきた道とこれから歩んでいく道を照らし合わせてみるのでしょう。
   
母と二人でテレビをボーっと見ていてこの絵が偶然映し出された時、母がぽつんと
「この作品をみると涙がでるの。つらかった時のことや、うなをおんぶしてお兄ちゃんと手をつないで歩いた道を思い出す」と言ったことが忘れられません。

私の父はワンマンで仕事一筋なので、母は私と兄が小さかったときは苦労したり寂しかったことも多かったと思います。私もいろいろ迷惑をかけてきたので、母の頭痛の種だったことも数多かったことでしょう。

でも私にとっては「母」なので、母を「一人の女性」としてとらえる機会があまり無いのも確かです。
      
母は私達を育て上げてくれ、険しい坂道もきついイバラ道も乗り越えてきてくれました。
後にした道もまだ私が見ぬ長い道のり。
人として成長するために必要であろう距離。

私もこれからどんな道を歩くことになろうとも、威厳を保ちながら胸をはって進んでいきたいです。
娘を背負って、どこまでも行きます。
 
そして私が通ってきた道で偶然会うことができたみなさんに感謝。
そして、これからもいろいろな素晴らしい人達に出会いたい。

2009年2月4日水曜日

雪がぱらつく

今日の天気予報は雪。
昼間になっても降らないので、「なーんだ、また天気予報はずれー」と思っていたら、午後にちょっぴりだけ粉雪がぱらぱらと。。。ここ一週間ほど春のような陽気だったのに、また寒い冬に舞い戻った感じです。
 
今日の朝、娘の体温を測ると少し微熱があったのでデイケアを休ませました。
「耳いたい?」と聞くと「うん」といって右の耳を指差すものの、自分から「痛い」とはいいません。
それから元気もいつもどうりあって、病気ではなさそう。
中耳炎などになっているといけないので、念のため明日の朝に予約を取ったのでクリニックに連れて行きます。
 
さて色々とネットで検索していたら「化学療法と放射線治療を同時に行うと、効果が高まる」と報告している科学記事を読みました。今私がやっているタキソールは細胞分裂を促進する紡錘体の機能を細胞分裂期で止めてしまい、がん細胞を死滅させるというもの。また分裂期に細胞は放射線に弱いので、抗がん剤と放射線治療を併用することで効果が高まるという理論展開でした。
 
放射線科医とは来週の木曜日に診察予定があるのですが、もう少し早く会えないかと思い、今日病院の放射線科に電話をかけました。
 
いつもどの科にかけてもずーっと待たされて、セクレタリーの人が出るのが普通。でも今回直ぐに電話に出てくれたのは、私の放射線科の主治医のMr.Mでした。そういえばあの人たまにフロントデスクで椅子にどーんと座って、看護士さんたちとお話してます。うーん、ここの病院の放射線科の医師って暇なのだろうか。。。

それで化学療法の最中だけれど放射線療法を始めてもいいでしょうかと聞くと、「いいけど副作用や毒性も強くなるよ。まずは君の腫瘍内科の先生とおしゃべりしてみよう」とのこと。それからアポイントも来週の木曜から月曜にずらしてくれました。
 
午後は家族3人でChuck E Cheese’sというゲームセンター件レストランのお店へ。
娘はゲームに乗り物にとおおはしゃぎ。

自分も子供だったとき、風邪や病気の時は母親がお菓子を買ってくれたり、ちょっと良いこともあったのを思い出しました。
 

2009年2月3日火曜日

タキソール投与四回目

ウイークリー・タキソール第四回目投与に行ってきました。
先週の腫瘍内科医との診察の時、「よっぱらった感覚」がどうにかならないか相談しました。
今回でる可能性のある副作用として嘔吐や吐き気があるのですが、今のところ私には出ていません。
それでタキソールの前に投与される薬のうち2つの抗嘔吐剤をカットして、様子を見てみようということになりました。

10時30分のアポイントに5分遅れで到着。
血液検査のための採血をポートから取ってもらって薬が届くのを待っている間、夫が買ってきてくれたケンタのチキンサンドコンボを全て平らげ、さらにブレッドスティックも二本。味覚障害がないので、食べ好きの今日この頃です。

前投与薬でやっぱり眠くなりました。1時ごろに夫がやってきて起こされました。昨夜「耳が痛いの」と不調を訴えていた娘が、熱があるので引き取りに来てくれとデイケアから連絡があったとのこと。それで連れに行ってから帰ってくるからと。
 
はいはい、お願いね。ということで夫が去った後さらに爆睡。
おきたら2時ぐらいで、化学療法は終わっていました。
同じ部屋で治療を受けていた2人の患者さんの姿もすでになく、私が今日最後の患者。
針を抜いてくれたので、急いで立ち去ろうとすると、担当の看護士さんが「いいよー、ここで待ってても」といってくれたので、お言葉に甘えて楽チンの深い椅子にすわって優雅に夫の帰りを待っていました。
 
そのころには眠気も取れ、直ぐに立ち上がって活動できそうにまでなっていました。
2時半ごろには夫が娘を連れて病院に帰ってきてくれました。「おなかすいた」と娘。帰りにバイキングスタイルのレストランにより、家に帰ってきました。娘は元気なようで、あまり心配しなくてもよさそう。明日は体温を確認して医者に連れて行くか判断します。
 
 
昨日は2月2日。節分でした。
母が送ってくれた節分の豆を、娘と一緒に撒きました。
娘ははしゃいで「おにはーそと、ふくわーうち」とやっていました。
そして鬼役は犬のココ。
 
今日の朝、裏庭をのぞくと昨日撒いた豆を食べに鳥が4-5匹降りて来ていました。
彼らにとってはちょっとしたご馳走ですね。


皆さんにも福がおとずれますように!

2009年2月2日月曜日

学費ローン

帰ってきたら郵便でこんなものが届いていました。
学校一年目の学費を払うために使った学生ローンの支払請求書です。
基本的に学校に在籍中は支払いの義務がなく、卒業後6ヶ月後から利子を含めた支払い義務が生じるプラン。私の場合一年休学しているので、卒業をまたずして支払い義務が生じたわけです。今年の秋には復学するので、また当分払わなくてすむはずです。

今回届いたのは毎月払う金額が示された、小冊子のようなもの。毎月一枚ずつ切って、小切手とともにローン会社に送るようになっています。すごく分かりやすくて便利。
 
ひとまずは一年分の支払請求が閉じこんであります。学校を卒業するころにはもっと金額はかさみ、一月ごとの支払いも大きくなります。支払い期間も最終的には20年ぐらいになるんじゃないかと思います。
 
これを受け取った感想は「これからローンを返させてもらえるんだ」と、少し嬉しくなりました。
お金が出てくことが嬉しいのではなくて、時間をかけて自分の支払い義務を果たすという目的ができたことが嬉しかったのです。支払いをしていくことも、自分が存在している一つの証拠になると思うのです。

これからも与えられた時間をありがたく思いながら、自分の義務を果たしていきたいです。

新車

前回ワシントンD.C.のほうに一人で行った夫。
月曜日の夜多く帰ってきましたが、帰ってきたとたん
「新しい車乗りたい?」と一言。
 
私に聞かないで中古とはいえ新しい車を購入して帰ってきました。

夫は「必要」と思うと直ぐに買ってしまうので、今回の突然の車購入も特にショックではありませんでした。でも一言いってくれれば、私のへそくりから少しお金出してあげたのに。全部車ローンで払わなくても。。。でも今は景気が悪いので、ローンの利率もすごく低いとか。
 
車は2005年製のジープのリバティーで、中はスペースもたっぷりあり、乗り心地はなかなか。
古い車たちは予測なく壊れたりパンクしたりするので、この車があるのもいいかな。

ちなみにガソリンでなくてディーゼルガスで動きます。
どのガソリンスタンドでもディーゼルを扱っているわけでないですが、ディーゼルのエンジンは結構燃費がいいです。

帰ってきました

金曜日から義姉のいるワシントンD.C.に家族で行っていました。
今日無事に帰ってきました。  
  
基本的には夫が彼女の車を直しに行ったのが第一目的。
でも私の新しいパスポートができたので、ワシントンD.C.の日本大使館に取りに行く用事もありました。                  ワシントンD.C.にある日本大使館です。

 
義姉は50代前半ですが、まだ独身です。
犬を2匹かっています。
うちの犬と同種犬のボクサーです。
 
今回久しぶりに彼女の家に行きましたが、家の中に入って何か殺風景なのに気づきました。
もともと家の中を綺麗さっぱりしている彼女ですが、玄関から入ってすぐのリビングが何かガランとしているのです。そういえば前にあった黒い革性の長椅子セットがありません。

後で聞いたら犬が食いちぎってしまったとのこと。。。
2匹いる犬のうち一匹(雄です)は生後10ヶ月なのですが、巨大です。
さらにしつけが良くないので、物は食いちぎるは、吠えまくるは、人に飛びかかるはと、問題児です。
 
義姉の車のシートベルトも食いちぎられ、ベットのマットレスも側面がバリバリに切れていました。
同じ犬がやったとのこと。
 
娘も今回、この犬に飛び掛られ、しりもちをついてそばにあったステレオに頭をごっつん。

おかげでうちの犬が、久しぶりに落ち着いた子に見えました。