手術当日は4時過ぎに目が覚めました。
4時間ぐらいしか睡眠時間がとれなかったので、まだまだ眠かった!
でも5時半までには病院に行かなくてはならないし、どうせ今日1日は麻酔で眠らされているだけだからと思って頑張って起きました。
サッとシャワーを浴びて下に下りると、何か異様な音が聞こえます。
「なんだろう?」と音の出てくる方向に向かってあるいてみると何と電気式温水器のタンクから、蒸気が漏れています。すぐに二階でいびきをかいている夫に「タンクがもれてるよ!」と言うと、素早く飛び起きました。
どうやら持ち合わせの工具で漏れを止められましたが、それで時間がロスされて結局病院についたのは5時45分ごろでした。
フロントデスクで聞いてみると、手術は7時半ぐらいにならないと始まらないんだそうです。
ロビーで待っていると隣に座っていた男性の患者さんが、この病院では全ての手術が朝7時半に始まるんだと教えてくれました。
6時過ぎに私の名前が呼ばれ、手術準備室に連れていかれました。
ここで手術用のガウンに着替え、看護士さんがIVの針を入れたりしてくれました。
そして看護士さんが聞いてくる病歴などに関しての質問などに答えたり、血圧や体温の測定などをしました。
しばらくすると麻酔科の先生が入ってきました。
以前に受けたこことのある手術や、今まで麻酔等をされて問題が起きなかったかなどの質問を受けました。
そのあと形成外科の主治医のDr.Mが入ってきました。
今日の手術のマーキングをするためです。
ドナー部位になるおなかに大きくレモン形の図を描き、さらに胸のほうにはドナーを入れる場所を丸っぽい四角形のような形でマーキングを入れてくれました。
その後看護士さんが夫を私のいるプレップルームに連れて来てくれました。
私の着替えや所持品を病院がくれた紙袋にいれ、彼に渡しました。
Dr.Mはすでに夫に今日一日の大体の予定をロビーで話してくれていたようです。
7時半ごろに手術を開始し、まずはドナーとなるお腹の組織を入れる胸部を切開。
それからお腹の組織をとってきて胸部に入れ込むんだそうです。
約10時間のオペになるそうで、Dr.Mはお昼ごろ15分間のブレイクを取るので、そのときに少し夫に手術の経過を説明してくれるんだとか。
しばらくしてまた麻酔科の先生が準備室に入ってきました。
これからIVで「リラックスする薬」というのを入れてくれると言いました。
ほんの少し眠くなるかもと言われ、確かに薬を注入されてすぐに頭がボーットしてきました。
今日は朝4時起きで寝不足だったので、本麻酔をくれるまでちょっとうたた寝しようかなと目をつぶりました。
2分間ぐらい、目をつぶって休んでいたでしょうか。
目が覚めるとなにやら準備室で寝ていたのより小さめのベットに寝かされていました。
それから少し胸の辺りに手を置くと、なにかモコッとした大きな団子のようなものがふれます。
一瞬「おや?」と思いました。
「まさかもう手術が終わったなんて、ありえないよね。」
「でもこのふくらみのようなものはなんだろう。」
でもうたた寝からさめた頭は、まだまだ眠い。
いろいろと考えるのも億劫だったので、もうひと寝入りしてから考えようと思って目を閉じました。
次に目が覚めたのは病棟の個室。
これはやっぱり術後だよ・・・ね、と思いました。
でも手術室に向かった記憶等、まったくありません。
なんだか狐にばかされたような気もちでした。
でも、たしかに胸のふくらみがある・・・
それから、おおお。お腹がへこんどる。
後で夫に聞いたのですが、私が手術室にいたのは約11時間。
放射線療法を受けた右側の胸の癒着がひどくて、組織を剥がしたりするのに時間がかかったとか。
確かに左がわのおっぱいは綺麗に出来上がったみたいですが、右側はちょっといびつです。
主治医の話によると、後で簡単な処理をして形を調節するらしいです。
初めから全くもとの形になるなんて期待はしていなかったので「こんなもんかな」という感じです。
傷みはモルヒネ・ポンプを使っているので、なかなか良くコントロールができています。
胸のほうは全摘以来、皮膚にほとんど感覚がないので痛みもありません。
体を動かしたり咳をする時に痛むのはドナー部分をとってきたお腹のほう。
でも術後1日目の午後には、ベットで静かにしている分はほとんど傷みを感じなくなりました。
手術前日の深夜から絶食が続いていたので、術後目が覚めたときは喉が渇いてしょうがなかった。
看護士さんにたのんで、ジンジャーエールを持ってきてもらいました。
それがまた美味しいこと!
夜は特に食べ物は口にせず、ジンジャーエールを5-6缶のんだでしょうか。
さて、術後つらかったのはお腹の痛みと「眠れないこと」。
私が今回うけたDIEPフラップは、お腹の組織を血管付きで取り出してきて、胸の中にある血管につなぎ合わせるというもの。それで血管がきちんとつながっていないと、移植した組織が壊死してしまうので、30分に一回、ドップラーという機会で動脈のパルスをチェックするのです。術後24時間、夜も容赦なく30分に一回看護士さんがやってきます。再建した胸にプローブのようなものを当てて検査するので、ガウンのボタンを外したりしなくちゃいけない。薄明かりといはいえ電気もつけられるので、やっぱり目が覚めてしまいます。
30分おきに起こされるので熟睡できないし、やっと看護士さんが行ってくれたと思えばIVの機械がピーピーなるし。
それに寝たきりの患者さんの血行を良くするために、ベットが膨らんだり縮んだりを繰り返すとき、ぐわーと大きな音がします。
まったく寝た気になりません。
テレビをつけても集中できないし。
せっかく持ってきた本も読めない。
DVDも見る気にならない。
朝もうとうとをずっと繰り返していました。
お腹の傷も痛いので、おきてはモルヒネの追加ボタンを押し・・・
ある時、ふと目をさまして目の前の壁に飾ってある額縁の絵をみたら、なんか絵が下に向かって落ちてゆく。
眼球が勝手に上下運動しているようです。
これはまずいと思って目をつぶると、モザイク状のタイルのような様々な色の光がみえて、また「やばー、私ってばハイになってるかも」とあせり、結局また無理やり眠りにつきました。
そんでもってモルヒネのやりすぎか、日中は気持ち悪くなったりして。
現在はお腹の痛みもほとんどないので、余分にモルヒネボタンを押すのはやめました。
ただし機械が自動的に一定量のモルヒネをIVで投与してくれています。そのおかげで傷みがコントロールされているんでしょうけど。
術後1日目のお昼過ぎには夫が病院にお見舞いに来てくれました。
お昼を病院内のカフェテリアで頼んだけど、まずくてほとんど食べれなかった。
変わりにグレープジュースなどを沢山のんでいました。
午後の4時半ごろ、看護士さんが2人来てくれて術後初めて椅子に座らせてもらいました。
お腹に大きな傷があるので、前にかがむようにして座っていなくてはいけません。
ベットに寝てるときも完全に仰向けになると傷が開いてしまうため、上半身を高くして寝ています。
椅子には4時間ぐらい座っていたでしょうか。7時ごろには義姉、夫の甥っ子が娘をつれてお見舞いに来てくれました。それから元同僚の友達と彼女の旦那さんも。少し椅子に座っていたら、さらに元気が出たみたいです。術後の肺の機能をよくして肺炎などの予防になるInitiative Spirometer(動機付け肺活量計)を渡されていました。ベットで寝てるときはどう頑張っても1000mlぐらいしか行かなかったけど、椅子に座ったことで2000ml以上まで肺活量が上がり、目標の1500mlを優に超すことができました。
義姉と甥っ子は娘を連れて9時ごろに家へ。
夫はしばらく私の病室にいてくれたのですが、10時ごろ義姉から急に電話が。
どうやら娘が急に泣き出し、止まらなくなったということ。
私が電話に出て娘と話をしました。
そしたらこの前買った浮き輪がしぼんじゃって、膨らまして欲しいと泣いていたようでした。
少し電話で話しをしたら、落ち着いてくれたようでした。
夜遅くなって疲れているのもあるんだろうけど、やっぱり私が側にいてあげられないのが悔しい。
すぐ夫に家に帰ってもらいましたが、やっぱり一刻も早く退院したいです。
やっぱり家が一番。つくずく思いました。
命日
4 年前
2 件のコメント:
11時間の再建オペ、お疲れ様でした。(^o^)
かなりの痛みがあったようで、大変でしたね。
でもお腹が胸になるって羨ましい~!
私は胸を切ってから、あるで幼児体型というか、
ペンギンみたいって言うか・・・。
お腹がすごく目立つ。(T_T)
お腹のお肉が取れなくて、困っています。
姫はママが居なくて不安なんですね。
きっと元々不安だったのに、浮き輪がしぼんじゃって、
悲しみがドッと溢れてしまったのですね。
(;´∩`)
小梅さん、
いまだにワイヤーやらチューブやらドレインやらが体からぶらぶらつるさがっています。
昨日娘が来たとき、右脇に入っているドップラーのマイクのコード(皮膚下に縫い付けてあります)を娘が踏んじゃって右脇がビリッきちゃったのです。おもわず「痛い~」って叫んじゃったら、娘がびっくりして泣いてしまいました。悪気があって踏んだんじゃないのは分かってるので、ちょっと可愛そうだった。まだ4歳だから、なぜ私が急に病院に入っちゃったか分からないのも当然ですよね。少し混乱していると思います。
明日は退院できるかなー。
お腹はペッタンこになって「すごい!」って思ったんですが、太もも、お尻、二の腕はまだまだ象さん級の太さです・・・やっぱり運動してやせないとね。これからの課題となるでしょう(とほほ)。
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