2009年4月9日木曜日

放射線治療一回目

今日は放射線治療一日目でした。
娘を9時前にデイケアに送り、9時半の予約に余裕で間に合いました。

治療は放射線療法士の2人の女性がやってくれました。
私が医学生であることを知って、一人の療法士さんは治療の説明を簡単にしてくれました。

放射線が出るヘッドの部分には、可動性の鉛のブロックのようなものがあり、これでビームが出る範囲を調整します(ヘッドが顔の前に来たとき、鉛のブロックが動いて幾何学模様のようなものを作っているのが見えます)。放射線の種類には陽子と電子を使う二種類の方法があって、いま受けているのは陽子を当てるほうだそうです。電子は陽子ほどには組織の深部に届かないので、最後に5回皮膚にあてるブースターは電子を使うそうです。治療を30回に分けて行うのは、正常な細胞が修復される機会を与えるためと、細胞は全てが分裂期にあるわけではないため、長期にわたって治療することでなるべく多くのがん細胞を分裂期の時にダメージを与えようというもの。
 
それから治療室の壁からは赤いレーザービームが出ているのですが、これを胸部に描いてくれた線とラインアップさせて照射位置を固定するんだそうです。
 
2人の技師さんはとても慣れているようで、てきぱきと作業をこなしていました。
治療時間は30分ぐらいだったでしょうか。
今日も主治医のDr.Mは登場せず。
主治医と会えるのは週に一回、毎週火曜日だそうです。
 
帰り際にナースのミッシェルから、治療中の体のケアについての話がありました。
まずは毎日十分に水分をとること(コーヒーやコーラ以外の飲み物を一日2リットルとることと言われました)。
治療中は照射部に直射日光が当たらないようにすること。
それからクリームを渡されて、一日3回照射部に塗るようにいわれました。
これを塗っておくと、放射線によって皮膚が変色しにくいんだそうです。

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正午から学校で興味ある講演会があるので聞きに行ってきました。

講義室に入ろうと列で並んでいると、クラスメートがひとりやってきました。とても明るく「わー、元気そうだね」といってくれました。そして「髪の毛切ったんだね」というので「ううん。これ、カツラなんだ」と私が言うと、「あ、そうだったよね。ごめん、ごめん!」と言いながら顔が真っ赤になってしまった彼女。とても気にしてしまったみたいで、反対に可愛そうになってしまいました。「いいんだよ。私は全然気にしないから」と言っておきました。

今日講演をしてくださったのは家庭医学専門のDr.C。主催はクリスチャン・メディカル・アソーシエーションというクリスチャンの学生が集まってやっているクラブです。実はDr.Cは一年前、皮膚がんの中でも最も悪性度が高いメラノーマ(悪性黒色腫)の告知を受けました。

告知された時は既に体中に転移しており、脊髄や多数の内臓、体中のリンパ節はもとより、脳にも複数の転移巣が認められたそうです。そして余命六ヶ月との宣告。インターロイキン2による治療を考えたものの、脳転移があるために受けられず(インターロイキン2は脳にも入り込み、脳の転移巣と反応して脳浮腫などの原因になるそうです)。そうこうしているうちに腹水など溜まり始め入院。まさに生と死のはざ間をさまよわれたのですが、奇跡的に危篤状態から回復へ。そして脳転移の治療としてガンマナイフを受けられたそうです。ガンマナイフは即効し、ひとまずはインターロイキン2の治療に進むことができました。

転移性悪性黒色腫の場合、インターロイキン2の反応率は12%、また完全寛解率は6%。Mr.Cはその小さな可能性にかけたそうです。そして奇跡的に完全寛解を達成し、首から下の転移が全て消失。

Dr.Cは今こうして立っているのが奇跡的といいます。ただし現在脳の転移巣はまだ20個あり、明日またガンマナイフを受けに大学病院にいくそうです。

Dr.Cはクリスチャンなので、自分の死は全く怖くないと言います。告知された時は「もう天に召される日がやってきたのか。思ったより早かった」と思ったそうです。それから信仰がある人は無い人に比べ長生きすると言っておられました。教会に行く人は行かないひとに比べて7年ほど寿命が長いんだそうです。また信仰を持つことで、がんのような病気を抱えていても希望を持ち続けることができると語られていました。  

私はクリスチャンではないですが、人間の存在が全く「偶然の産物」であるという意見にも疑問をもっています(昔は進化説などに感化されていたので、「偶然存在」を受け入れていた時期もありました)。私の世界観をここで語るつもりはないですが、限りある人の命そして人生は人自身が計り知れない意義があると思っています。

2 件のコメント:

小梅 さんのコメント...

私もクリスチャンではなく、何か他の信仰があるわけでもないです。
今、働いている病院がクリスチャン系なので時々、信仰心のような話が出ます。

以前に宗教についてはブログで書いたことがあって。
どの宗教であれ、その人が救われるとか、よりどころになるのであれば、良いのかも知れません。

ただ、クリスチャンに限らず、何かの信仰をしている人は、自分の信じているものが一番と思っているので、信仰というものに置いては世界が狭いのかなって感じましたね。

ただ、心を強くさせる拠り所を持っている人はそれが宗教じゃなくても、生命に奇跡を与えるのだと思います。

なんだか、よくわからない文章ですみません。(^^;)

うな さんのコメント...

小梅さん、

いいえ、小梅さんのおっしゃりたいこととても良く分かります。私も「神さま」だの「信仰」だのという事でなくても、家族のためとか自分の目標のためとか、自分なりの「いきがい」や「人生の意義」のようなものがあれば、生きていく際の大きな力になると思います。

信仰が生きがいならそれでいいし、かといって信仰がない人の行き方を劣等なものとしてみなすべきではない。人それぞれの命が大切であり、それぞれの考え方を尊重すべきだと思います。

それから正当な意味で「信仰」がなくても、スピリチュアルな生活を送っている人は沢山います(特に日本人の多くはそうだと思います)。アメリカ人をはじめ欧米の人は定義できないものを嫌いますし、白黒つけたがるので、「信仰がない」イコール「無神主義」とか「物質主義」 って呼ぶわけです。信仰がある人のなかでもその信仰に関する解釈がそれぞれ違うように、生死感に関してもやはり人それぞれ違うもの。

すぐに宗教にこだわるより、自分の立場と考え方をしっかり踏まえた上で、何が本当に自分の人生で大切かを考え知ることが一番大切だと思うのです。