義父の従弟にあたるMDおじさんが、先週亡くなり、お別れをするために週末は義父の住む州へ行ってきました。
MDおじさんの家族は、とてもフレンドリーな方たち。夫は小さい時は夏などこの家族と一緒に過ごしたりして、沢山の楽しい思い出があるそうです。秋にある「リユニオン」では家族や従弟達、従弟の従弟達、などなどいわゆるextended familyが50人ほど集まるイベントがあるのですが、そのリユニオンも毎年この家族の主催です。私はこの義父のふるさとの州で結婚式をしたのですが、披露宴を終えてウエディングドレスを着たままMDおじさんの家に行き、リビングに座ってお話したことを覚えています。
MDおじさんは享年85歳。最後の数年はアルツハイマー症で、自分の娘の顔も分からなくなってしまいました。でも第二次世界大戦を生き抜き、学校も日本で言う中学2年生までしか行けませんでした。それでも地元のコダックで一生懸命働き、幸せな家庭を築いたのです。アルツハイマー症が進み、子供や孫の顔が分からなくなっても、最後まできちんと覚えていたのは61年間寄り添った奥さんのLおばさんでした。
お葬式にも、親戚や地元の人たちなど大勢の人がおとずれました。
こちらのお葬式って、日本のようにシメヤカでもないんです。義父のすむ州は田舎で、ほぼみんなクリスチャンですが、神父さんの話や親戚によるスピーチも、ジョークまじりなので、時々笑声がこぼれます。MDおじさんもとっても優しい、にこやかな方だったので、みんなの笑い声を聞いて天国で微笑んでいたと思います。
お葬式が終わって印象的だったのは、義父ともう一人同じぐらいの年代の親戚の男性が、席を立ち上がったときに交わした言葉。
「次は僕ら達かもしれないね・・・」
彼らは死ぬ時は神に召される時だ、と深く信じています。だから時が来れば神様の導きに従ってこの世を後にするだけだと。
私はそれは悪くない行き方かもな、と時に思ったりもするのです。
翌日は埋葬式が営まれました。MDおじさんは第二次世界大戦に参戦したので、地元の退役軍人の組織の人たちがユニフォームを着てあつまり、お別れの儀式をしてくれました。MDおじさんの棺の前で2人の退役軍人の方がスピーチ、そして牧師さんのスピーチと進み、外では射撃班による鉄砲が鳴り響きました。その後tapsと呼ばれる永別のラッパ演奏。すすり泣きが聞こえました。最後に退役軍人によって畳まれた国旗が未亡人となったLおばさんに渡され、外でラッパと鉄砲を担当した人たちが入ってきて身内の人と握手を交わし、式が終了しました。
http://www.youtube.com/watch?v=19yjoUfbZtw&feature=related
埋葬式の後、私達は義父の家に帰り帰宅の支度をしました。義父は再婚相手のおばさんと二人暮らしですが、このおばさんも言語障害などあって体調もあまりよくありません。私達が遊びにきて去る時に、しばしば義父は涙をうかべます。いつもかわいそうになります。
義父は私のことをとても心配してくれています。
今回も別れ際に私の両腰に手をかけながら(そうです、ぎこちない格好で身動きなくなった)
「体に気をつけて。あの子が大きくなって一人前になるまで、良いお手本でいてあげなさい」
と、目に涙をうかべて言うのです。
私は、
「私は大丈夫です。あの子が大きくなるまで、きちんと育てます。必ず。約束します」
と答えました。
「娘が大きくなるまで、ここにいる。責任をもって育てる」
これは既に私が立てていた誓いでもあります。何があっても、どんな姿になっても、あの子が一人で迷わずに歩いていけるまで、私はずっとここにいます。
4 件のコメント:
タキソールお疲れ様でした。
私もいつも爆睡してたけれど、
うなさんもそうなのね。(^-^)
うなさん、女の人は家族のためには強い。
特に子供のためには。
これは自分の経験からなんだけれど、
限界をこえる力も出るのは本当に不思議。
頑張ろうね。
和さん、
励ましのコメントどうもありがとうございます!
本当にいろいろ乗り越えてきた、いろんな意味で大先輩の和さんのお言葉、とっても説得力があります。
私も和さんのように、娘を立派に育て、成長した姿をこの目でみます。
家族のため、頑張りましょう!
ケモのときはついつい眠ってしまいます。
まぁ、私は夜勤明けに行くことが多かったからかなぁ(^-^ゞ
私も思います。
誰のためでもなく、大切な家族のために生きようと。
守るものがあるときの人間は強いと思います!
癌なんて変なやつに負けていられません!
やっつけてしまいましょう!
小梅さん、
そうですよね、家族のために頑張りましょう。小梅さんもちびちゃん、素敵な彼、弟さんのためにも、これからも末永く!
がんを完治させる治療法が絶対近い将来開発されるから、それまで元気でいましょう!
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