10日ほど前うっかり受診をすっぽかしてしまったので、今日はきちんと行かないと(当たり前ですが)と思い早めに家を出ました。
病院には15分ほど前に。余裕の到着でした。
今日は院内薬局に薬をとることが前もってわかっていたので、まずは薬局へ。
実はこの薬局、多くの患者さんが待っているので長時間待たされるのです。
いつも1時間はまたされます。
それで今日は先を見越して先に整理番号をとってきました。№368番。
そして直接腫瘍内科のクリニックへ。
15分ほど早い到着だったので、しばらく待たされるのを覚悟で待合室で本を読み始めました。
でもすぐに看護士さんがバイタルを取る部屋に通してくれました。
バイタルをとった後、また待合室で少し待っていましたが5分ほどで診察室に通されました。 しばらくボーットしているとDr.Lが入って来ました。
まずはこの前アポイントのことをうっかり忘れてしまったことを誤っておきました。
「まだあの時はあなたも放射線治療中だったからね~。いいのよ別に」と言ってくれました。
最近の体調を聞かれ、なかなか調子はいい事を伝えました。
でもわきの下の皮膚が崩壊してきて、傷口も広がってきていることを言うと「放射線科の先生に相談してみて」との事。
一連の診察をしてくれて今日から始まるホルモン療法の話になりました。
私の場合閉経前なのでタモキシフェン(ノルバデックス)単独でひとまずは5年間、服用していきます。
現在生理がとまっていますが、もし戻ってきた場合はゾラデックスで卵巣機能を止めてくれるそうです。理想としてはこのまま閉経になってしまうことだそう。
タモキシンの副作用として更年期障害の症状。それから稀ですが血栓ができてしまうことがあるので、
胸の痛みや手足の倦怠感など、何か新しい症状が出たら受診するように言われました。それから稀ですが深刻な副作用として子宮がんの羅漢率が多少なりとも上がること。もし多量な出血があれば検査をしてくれるようです。
それから頭痛、物が二重に見えるなどのとても稀な副作用があるのですが、Dr.Lは過去2-3年のうちこれらの副作用を示した2人の患者さんを扱ったそうです。「念のため」ということで教えてくれました。もし副作用が強すぎてタモキシフェン服用を諦めざるを得ない場合はそうなるか尋ねると、ゾラデックスとアロマターゼ阻害剤を使うという手があるということ。
Dr.Lの診察を終え、次に放射線科へ向かいました。
わきの下の傷口のケアに関して相談に行くためです。
この病院では何か問題が生じたり質問があったりすると、担当の看護士さんに予約なしで会う事ができます。私の担当のミッシェルは、傷口をみて「皮膚は向けてきているけど、感染などの起こっているようでもないし、治る過程みたい。これから白っぽいところも赤くなってきて、治っていくはずですよ。」と言っていました。
ネオスポーリン(処方箋なしで普通のお店で買える抗細菌クリーム)を塗ったほうがいいか尋ねると、帰って皮膚がただれてしまう恐れがあるので薦められないとのこと。代わりに火傷の傷に塗る抗細菌クリームの処方箋をDr.Mを通して出してくれました。
傷口をカバーするシートも余分に2枚もらい、放射線科を後にしました。

基本的に2階の車庫へと続く大きなメインの廊下が待合場所となっています。
受診前に受付番号を取っていたので、ほとんど待たずに薬をもらえました。
薬局についたとき表示されていた番号は363番。
計算どうりです(ニタ~)。
自分の番号が呼ばれたので8番のカウンターへ。

まずはファーマシー・テクニッシャンの人に妊娠している可能性があるか、または授乳中であるか聞かれました。
答えは当然ノー。
次に前まで飲んでいた抗鬱剤のウェルビュートリンがコンピューターに表示されたのでしょう、この薬はまだ飲んでいるか聞かれました。
飲んでいないと答えると、薬剤師さんがやってきて再度コンピューターをチェックしていました。
テクニシャンの人によるとコンピューターでウェルビュートリンとタモキシフェンの間に相互作用があると出たとのこと。私もウェルビュートリンを服用しているとタモキシフェンの効果が落ちる事を知っていたので、これは病院のコンピューターで新しい情報をきちんと分かるようになっているんだな、と関心しました。ウェルビュートリンとタモキシフェンの相互作用に関してはウェルビュートリンを処方してくれた精神科医は知らなかったようです。腫瘍内科医のDr.Lもそんなに気にしていない様子でした。
患者本人の私としてはタモキシフェンにばっちり効いてもらいたいので、少しでもその効果を弱めるようなものは服用したくありません。
薬局ではタモキシフェン3ヶ月ぶん(処方箋は1年分)、火傷用のクリームをもらって家に帰ってきました。
思えば告知されて11ヶ月。
やっとホルモン療法にたどり着きました。
帰りの車の中で、告知されてから化学療法、手術、術後化学療法、放射線療法とやってきた治療のことをなにげなく考えていました。
やはり一番精神的に苦しかったのは告知直後でした。
その時の事を振り返ってみて、すこし複雑な気持ちがしました。
薬ビンの中をみるとMと彫られた白い錠剤が入っていました。
これがタモキシフェン・・・
乳がん関連に詳しい人にはお馴染みのこの薬。自分では初めて手にしました。
これを一日一錠、5年間服用します。
これからお世話になります。
ミッシェルによるとクリームを塗っ後何も上に張らないようにとのこと。
特に外出などしないとき、家の中で塗って2-3日すると改善がみられるようです。
今日の夕方から試してみようと思います。
4 件のコメント:
こんにちは。
順調に治療も続いているようでよかったです。告知されてから11カ月ですか。私が主人とのハワイ旅行を計画していたころかな。短いようで長いような、それでも凝縮されていた日々で、一つ一つ逞しさが自分の身についてきたような気がします。
うなさんは医学の道にいらっしゃるから、これからも冷静に的確な対処をしていかれると思います。日本にお里帰りももうすぐですね。元気な顔をご両親に見せて、いっぱい日本を楽しんでくださいね。
うなさん、こんばんは!
そうですか…告知されて11ヶ月ですか。
異国でよく頑張っていますよね。尊敬です!
これからも、10年、20年、30年…と、応援していますから!
「あら、お嬢さんがもう結婚なの~?」なんておばちゃんトークが20年後に出来ますね~(*^_^*)
関東はこのところ、梅雨の走りみたいな天気です。来週には晴れ間と夏日が戻るらしいのでうなさんが帰国されるころは気持ちいい天気が迎えてくれるといいな。
脇の下の傷も早く良くなるといいですね!
和さん、
告知された後は自分の世界がひっくり返ってしまったような感じで、いろいろと迷い、目の前が真っ暗になったような辛い日々でした。でもいろいろな方に元気づけていただいて、乗り越えることができました。和さんをはじめブログにコメントしてくださる皆さんに支えられ、本当に感謝しています。
数日後日本に帰国する予定なのですが、これも複雑な心境なんですね。帰国するのがとても楽しみで心はもう日本に行ってしまっている反面、 日本に行く前の今という時間がずって続いて欲しい気もするんです。なぜかというと日本に帰国した時点で今度はまた日本を去る時を迎えなくてはいけない。時がたつというのは残酷にさえ思えてきます。
あ、悲観的になってはいけませんね。なるべく楽しいことを考えるようにします。本当に帰国するのを楽しみにしています。
ママ子さん、
そうですね~、20年後におばあちゃんトークしましょうね。20年もたてば子供が結婚する年になるなんて、本当に想像もできないですけど。
日本も変わりやすい春のお天気のようですね。インフルエンザ騒ぎが少しずつ修まってきているようで、多少ホッとしています。
日本への帰国、楽しみでーす。
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